滋賀県の伊崎寺にて行われた行事、棹飛(さおとび)に出かけた。
8月1日に行われた千日会と呼ばれる行事の中で行われる。
①大般若経転読法要
↓
②棹飛
↓
③護摩供
という流れで行事は進み、最後まで参加してきた。
受付でくじを引き、当たったので船に乗船出来た。湖の上から棹飛が見れた。
参加者のお話を聞けば、どうも琵琶湖の中の沖島の漁師さんが船を出してくれたようだ。

伊崎寺の創建は古く、奈良時代の役行者がこの場所を見つけ、行場とした。
その後、貞観年間(859〜876)に相応(そうおう)和尚が寺院を創建、自作の不動明王を安置されたと云う。
世界三大荒行の一つと言われる、比叡山延暦寺の「千日回峰行」をはじめとする天台修験の祖である。
伊崎寺のHPによれば、棹飛とは1000年近く続けられてきた行事で、行者が棹の先端まで歩き湖に飛び込むというのは、「捨身(しゃしん)の行」、つまり報恩や他者救済のため、自らを犠牲にして仏道を求める修行の姿とのこと。

最初にご住職が棹の上から何か唱えながら、紙吹雪のようなものや、お酒(?)を琵琶湖に撒き、その後お弟子さん達(?)が順番に飛び込んでいた。湖面から計れば7,8メートルはあるように思う。



人々の願いを背負って、岩山から琵琶湖に突き出た長い棹の先端から合掌して飛び込んでいた。
一括りに仏教と言っても、宗派によって様々だが、天台修験の厳しさがこの行一つ見ても窺い知れる。何人ものお弟子さん達が飛び込む姿は、当然凄い光景であったが、それよりも有難いことだと素直に思えた。
伊崎寺を知ったのは、仕事を通じてとあるお客様からの御縁だった。
今年2月に訪れた辨財天の法要から数えて今回が三度目の参拝であったが、教えて頂けなかったら一生知らずにいたと思う。こちらのお寺で学んだこと、気づかされたことは今思えば大変貴重なものだった。
本尊として不動明王を祀る伊崎寺。その御本尊は現在比叡山延暦寺の宝物館に安置されている。相応和尚が厳しい修業中に感得したと言われるそのお姿は、他の不動明王像と少し違うように見えた。

(※画像は伊崎寺のHPより)
彫り方も素朴な感じだが、平安仏の不動明王としても、とても素晴らしく力強い仏像だ。比叡山の宝物館に行けば、常時拝観出来るのか分からない。何時かお参り出来たらなぁと思っていたが、伊崎寺の法要を終えた次の日、ふと昔の記憶が突然蘇った。

今から3年前、滋賀県の安土城考古博物館で行われた「蒲生郡の風土と遺宝展」に出かけたが、この展示会に伊崎寺の不動明王像があったことを思い出した。
(※画像は同展の図録の表紙)
この地域の古仏、仏教美術と共に展示してあった中で、伊崎寺の不動明王三尊像(両脇に同寺の童子像があった)は、特に凄かった。異様な迫力があったのだ。
普通の大人なら見下ろすような感じの、低い位置に展示してあったが、目の前を通った時、思わず腰を落とししゃがんでしまった。見下ろすのが畏れ多いと思ったからだ。
下から見上げた不動明王像は素人ながら凄まじい力を秘めた霊木像だと思った。その目には瞳がない。
しゃがんで見上げた時に感じたあの力と視線(特に両脇の童子像から感じた)の凄さ。気付けば自然に合掌し、不動真言を唱えていた。そんな記憶が一気に蘇った。
伊崎寺にご縁がある3年前に、既に秘仏のご本尊に出会いがあったのだ。
伊崎寺の法要に参加し、肌で感じたあの凄さから考えるに、この不動明王像の力強さも納得がいくものだった。
伊崎寺さんは観光寺ではなく、修行寺です。お不動さんを信じてお参りに行かれる方には大きな御縁となるでしょう。
8月1日に行われた千日会と呼ばれる行事の中で行われる。
①大般若経転読法要
↓
②棹飛
↓
③護摩供
という流れで行事は進み、最後まで参加してきた。
受付でくじを引き、当たったので船に乗船出来た。湖の上から棹飛が見れた。
参加者のお話を聞けば、どうも琵琶湖の中の沖島の漁師さんが船を出してくれたようだ。

伊崎寺の創建は古く、奈良時代の役行者がこの場所を見つけ、行場とした。
その後、貞観年間(859〜876)に相応(そうおう)和尚が寺院を創建、自作の不動明王を安置されたと云う。
世界三大荒行の一つと言われる、比叡山延暦寺の「千日回峰行」をはじめとする天台修験の祖である。
伊崎寺のHPによれば、棹飛とは1000年近く続けられてきた行事で、行者が棹の先端まで歩き湖に飛び込むというのは、「捨身(しゃしん)の行」、つまり報恩や他者救済のため、自らを犠牲にして仏道を求める修行の姿とのこと。

最初にご住職が棹の上から何か唱えながら、紙吹雪のようなものや、お酒(?)を琵琶湖に撒き、その後お弟子さん達(?)が順番に飛び込んでいた。湖面から計れば7,8メートルはあるように思う。



人々の願いを背負って、岩山から琵琶湖に突き出た長い棹の先端から合掌して飛び込んでいた。
一括りに仏教と言っても、宗派によって様々だが、天台修験の厳しさがこの行一つ見ても窺い知れる。何人ものお弟子さん達が飛び込む姿は、当然凄い光景であったが、それよりも有難いことだと素直に思えた。
伊崎寺を知ったのは、仕事を通じてとあるお客様からの御縁だった。
今年2月に訪れた辨財天の法要から数えて今回が三度目の参拝であったが、教えて頂けなかったら一生知らずにいたと思う。こちらのお寺で学んだこと、気づかされたことは今思えば大変貴重なものだった。
本尊として不動明王を祀る伊崎寺。その御本尊は現在比叡山延暦寺の宝物館に安置されている。相応和尚が厳しい修業中に感得したと言われるそのお姿は、他の不動明王像と少し違うように見えた。

(※画像は伊崎寺のHPより)
彫り方も素朴な感じだが、平安仏の不動明王としても、とても素晴らしく力強い仏像だ。比叡山の宝物館に行けば、常時拝観出来るのか分からない。何時かお参り出来たらなぁと思っていたが、伊崎寺の法要を終えた次の日、ふと昔の記憶が突然蘇った。

今から3年前、滋賀県の安土城考古博物館で行われた「蒲生郡の風土と遺宝展」に出かけたが、この展示会に伊崎寺の不動明王像があったことを思い出した。
(※画像は同展の図録の表紙)
この地域の古仏、仏教美術と共に展示してあった中で、伊崎寺の不動明王三尊像(両脇に同寺の童子像があった)は、特に凄かった。異様な迫力があったのだ。
普通の大人なら見下ろすような感じの、低い位置に展示してあったが、目の前を通った時、思わず腰を落とししゃがんでしまった。見下ろすのが畏れ多いと思ったからだ。
下から見上げた不動明王像は素人ながら凄まじい力を秘めた霊木像だと思った。その目には瞳がない。
しゃがんで見上げた時に感じたあの力と視線(特に両脇の童子像から感じた)の凄さ。気付けば自然に合掌し、不動真言を唱えていた。そんな記憶が一気に蘇った。
伊崎寺にご縁がある3年前に、既に秘仏のご本尊に出会いがあったのだ。
伊崎寺の法要に参加し、肌で感じたあの凄さから考えるに、この不動明王像の力強さも納得がいくものだった。
伊崎寺さんは観光寺ではなく、修行寺です。お不動さんを信じてお参りに行かれる方には大きな御縁となるでしょう。
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