昨年に続き、今年も開催されたので参加した福井県の秘仏巡りツアー。
今回は越前市の南にそびえる日野山周辺の古仏拝観だ。日野山自体が信仰の対象になっている山で、その周辺には神社がたくさん残っている。今回のツアーはそんな神社に残る平安時代の仏像をお参りしながらまわるというもの。
最初に訪れたのが十五社に伝わる仏像だ。

神主も住職もいない、町内の人達の手で守られているお堂だ。お堂の前にあった看板にはこうあった。

阿弥陀如来坐像と大日如来坐像、二体の平安仏が祀られているようだ。
暗い電灯もない堂内は、蝋燭の灯りだけが点っていた。

写真と拙い文章では伝えきれないが、心にじーーんとくる如来像だ。長い間に摩耗したのか、あるいは最初からそうだったのかは定かではないが、目の辺りが殆ど彫られてないような印象だった。
腰を落とし、静かに手を合わせて頭を垂れる。そのまま見上げるように、ただじーっとしているだけで様々な考えが頭に浮かんでくる。一体誰が作らせたのか、どんな人達が手を合わせていたのか・・・。
添乗員として同行されたお坊さんによれば、半丈六(120センチ前後)の座像で、根幹部は一木で彫られ、両肘以下が当初の作とは異なり、後補とのことであった。なので、現在は阿弥陀如来として祀られているが、当初は違っていたのかもしれないとのことであった。
近くで見たが、木の節も残っていたことや、その感じから思うに霊木像だと思う。

もう一体は大日如来。こちらの方が傷みがある。腕は後補。腰から下は当初のものではなく、別の仏像のものとのこと。何故別の仏像からとったのが分かるのかと問えば、腰の幅が明らかに違うからと教えて頂いた。

言われてよく見れば、確かに接合部のそれぞれの幅が違う。元々はこういった仏像が沢山祀られていたのだろう。先ほどの阿弥陀如来と同じ頃に作られたようで、どちらも11世紀頃とのことだった。
ツアー自体は30人ほどであったが、それほど広くない堂内は賑やかな感じになる。もし堂内で一人でお参りするという機会に恵まれたとしたら、五体に感じる力はまた別格であったのだろう。
暗い蝋燭だけの灯りだけで、1体1で向き合ったのだとしたら、「声が聴こえるのでは?」と思える素晴らしい如来像だった。
堂内には他にも破損した仏像が幾つか祀られていた。

天部像(仏を護る神さま)か、菩薩像か、お顔だけのものは如来像か・・・。ボロボロに風化した尊像には、部位の一部にも魂がやどっていると感じた。静かに手を合わせていると涙が出そうになる。
その仏像の多さから、嘗てはお堂がいくつもあったのだろう。
言葉は聞こえないが、何とも言えないこの衝動は、きっと仏さまが心に語り掛けてくれているからだと思いました。
今回は越前市の南にそびえる日野山周辺の古仏拝観だ。日野山自体が信仰の対象になっている山で、その周辺には神社がたくさん残っている。今回のツアーはそんな神社に残る平安時代の仏像をお参りしながらまわるというもの。
最初に訪れたのが十五社に伝わる仏像だ。

神主も住職もいない、町内の人達の手で守られているお堂だ。お堂の前にあった看板にはこうあった。

阿弥陀如来坐像と大日如来坐像、二体の平安仏が祀られているようだ。
暗い電灯もない堂内は、蝋燭の灯りだけが点っていた。

写真と拙い文章では伝えきれないが、心にじーーんとくる如来像だ。長い間に摩耗したのか、あるいは最初からそうだったのかは定かではないが、目の辺りが殆ど彫られてないような印象だった。
腰を落とし、静かに手を合わせて頭を垂れる。そのまま見上げるように、ただじーっとしているだけで様々な考えが頭に浮かんでくる。一体誰が作らせたのか、どんな人達が手を合わせていたのか・・・。
添乗員として同行されたお坊さんによれば、半丈六(120センチ前後)の座像で、根幹部は一木で彫られ、両肘以下が当初の作とは異なり、後補とのことであった。なので、現在は阿弥陀如来として祀られているが、当初は違っていたのかもしれないとのことであった。
近くで見たが、木の節も残っていたことや、その感じから思うに霊木像だと思う。

もう一体は大日如来。こちらの方が傷みがある。腕は後補。腰から下は当初のものではなく、別の仏像のものとのこと。何故別の仏像からとったのが分かるのかと問えば、腰の幅が明らかに違うからと教えて頂いた。

言われてよく見れば、確かに接合部のそれぞれの幅が違う。元々はこういった仏像が沢山祀られていたのだろう。先ほどの阿弥陀如来と同じ頃に作られたようで、どちらも11世紀頃とのことだった。
ツアー自体は30人ほどであったが、それほど広くない堂内は賑やかな感じになる。もし堂内で一人でお参りするという機会に恵まれたとしたら、五体に感じる力はまた別格であったのだろう。
暗い蝋燭だけの灯りだけで、1体1で向き合ったのだとしたら、「声が聴こえるのでは?」と思える素晴らしい如来像だった。
堂内には他にも破損した仏像が幾つか祀られていた。

天部像(仏を護る神さま)か、菩薩像か、お顔だけのものは如来像か・・・。ボロボロに風化した尊像には、部位の一部にも魂がやどっていると感じた。静かに手を合わせていると涙が出そうになる。
その仏像の多さから、嘗てはお堂がいくつもあったのだろう。
言葉は聞こえないが、何とも言えないこの衝動は、きっと仏さまが心に語り掛けてくれているからだと思いました。
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