滋賀県にある石山寺にお参りに出かけた。
3月18日~12月4日まで御開帳を行っているからだ。

石山寺は西国三十三観音霊場の第十三番のお寺でもある。

山門の仁王様が迎えてくれている。

仁王像はやはりお寺の入り口が一番映える。仁王さんは別名「金剛力士」とも言う。
「金剛」に「石」をつけると金剛石と言うが、これはダイヤモンドのことらしい。
そうやって想像すると、実際の仁王さんはめちゃめちゃ光り輝いているのかなと思ったりする。
石山寺は見どころの多いお寺だ。国の天然記念物や紫式部に因んだ昔話などもある。

秘仏の如意輪観世音菩薩が御開帳であるが、この仏像、日本唯一の勅封秘仏でもある。
勅封秘仏とは天皇の勅命により、秘仏となった仏像であると言う。
この如意輪観音像は永長元年(1096年 平安時代)頃に造立されたという。

(石山寺秘仏如意輪観音像 画像はネットより)
その第一印象は、大きさだ。拝観料を払えば内陣、それも手を伸ばせば触れるのではという距離でお参り出来るので、より身近にその大きさを体感できる。5メートル近くある巨像だ。
如意輪観音像といえば、通常は座像で、通常は片膝を立てている姿が多い。
腕の数は2本だったり6本だったりする。
石山寺の如意輪観音像は腕が2本で、片膝を立てず下に垂らしている。
これはあまり例がない像様と言える。
現在の像は木造であるが、当初の本尊は塑像であった。
本尊の真裏にその発掘された断片が展示してあったが、かなり大きな仏像であったことがうかがい知れる。

(画像はお寺のHPより)
6本腕の如意輪観音像が密教の影響があることや、この塑像の断片が密教が流行する前の天平時代であること、そして石山寺に残る本尊の御前立(現在の本尊より古い)が二本腕であることを考えると、最初の塑像の本尊も現在の姿に似ていたと思う。
また本物の岩に座っているのも大変珍しい。その大きさも相まって、まるで大地の中から人々を救うために現れたような感じを受けた。
この像からは分かりにくいが、通常の如意輪観音像は片膝を立て、何やら思案している姿をとっている。これは地獄に落ちた人々、現世で苦しむ人々、もっといえば天部の神々に至るまで、どうしたら救えるのかを常に考えているからだとも云われている。
間近で手を合わせると、大きな優しさを感じた。
こちらの観音様をお参りするのは2回目。前回は2000年だったか。お寺の開創1250年(だったか?)の時に御開帳になったが、通常は33年に一度の御開帳だ。これをお読みの皆さまも、御開帳の期間は12月までと長いので、ご縁があればなと思います。

最後に、石山寺の売店前に興味深い石碑があったので写真を撮ってきたが、後でこれについて調べて分かったが、石山寺では毎年5月に青鬼祀りを行っているらしい。この石碑には、
『降魔の姿となりたもう 郎澄律師の青鬼は 悪心くじき福徳を あたえ給うも ありがたや』
とあった。郎澄律師とは石山寺中興の祖と言われ、死んでから青鬼となり降魔招福を誓願したとのこと。
石山寺への参拝は3回目だが、今回初めて石山寺が鬼の寺だったと知った。
そう、鬼は単純に「悪」ではないのです。
3月18日~12月4日まで御開帳を行っているからだ。

石山寺は西国三十三観音霊場の第十三番のお寺でもある。

山門の仁王様が迎えてくれている。

仁王像はやはりお寺の入り口が一番映える。仁王さんは別名「金剛力士」とも言う。
「金剛」に「石」をつけると金剛石と言うが、これはダイヤモンドのことらしい。
そうやって想像すると、実際の仁王さんはめちゃめちゃ光り輝いているのかなと思ったりする。
石山寺は見どころの多いお寺だ。国の天然記念物や紫式部に因んだ昔話などもある。

秘仏の如意輪観世音菩薩が御開帳であるが、この仏像、日本唯一の勅封秘仏でもある。
勅封秘仏とは天皇の勅命により、秘仏となった仏像であると言う。
この如意輪観音像は永長元年(1096年 平安時代)頃に造立されたという。

(石山寺秘仏如意輪観音像 画像はネットより)
その第一印象は、大きさだ。拝観料を払えば内陣、それも手を伸ばせば触れるのではという距離でお参り出来るので、より身近にその大きさを体感できる。5メートル近くある巨像だ。
如意輪観音像といえば、通常は座像で、通常は片膝を立てている姿が多い。
腕の数は2本だったり6本だったりする。
石山寺の如意輪観音像は腕が2本で、片膝を立てず下に垂らしている。
これはあまり例がない像様と言える。
現在の像は木造であるが、当初の本尊は塑像であった。
本尊の真裏にその発掘された断片が展示してあったが、かなり大きな仏像であったことがうかがい知れる。

(画像はお寺のHPより)
6本腕の如意輪観音像が密教の影響があることや、この塑像の断片が密教が流行する前の天平時代であること、そして石山寺に残る本尊の御前立(現在の本尊より古い)が二本腕であることを考えると、最初の塑像の本尊も現在の姿に似ていたと思う。
また本物の岩に座っているのも大変珍しい。その大きさも相まって、まるで大地の中から人々を救うために現れたような感じを受けた。
この像からは分かりにくいが、通常の如意輪観音像は片膝を立て、何やら思案している姿をとっている。これは地獄に落ちた人々、現世で苦しむ人々、もっといえば天部の神々に至るまで、どうしたら救えるのかを常に考えているからだとも云われている。
間近で手を合わせると、大きな優しさを感じた。
こちらの観音様をお参りするのは2回目。前回は2000年だったか。お寺の開創1250年(だったか?)の時に御開帳になったが、通常は33年に一度の御開帳だ。これをお読みの皆さまも、御開帳の期間は12月までと長いので、ご縁があればなと思います。

最後に、石山寺の売店前に興味深い石碑があったので写真を撮ってきたが、後でこれについて調べて分かったが、石山寺では毎年5月に青鬼祀りを行っているらしい。この石碑には、
『降魔の姿となりたもう 郎澄律師の青鬼は 悪心くじき福徳を あたえ給うも ありがたや』
とあった。郎澄律師とは石山寺中興の祖と言われ、死んでから青鬼となり降魔招福を誓願したとのこと。
石山寺への参拝は3回目だが、今回初めて石山寺が鬼の寺だったと知った。
そう、鬼は単純に「悪」ではないのです。
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