三重県の古刹、観菩提寺が平成27年11月1日~11月8日まで御開帳となった。
33年に一度の御開帳らしい。

それほど大きいお寺という訳でもないが、奈良時代創建時は大きな寺院だったのだろうか?
今回の御開帳は正月堂の本尊、11面観世音像(重文)だ。

東大寺の二月堂のお祭り、修二会を考案したと言われる奈良時代の名僧、実忠和尚により開創された寺院である。
確か二月堂の完全秘仏も十一面観音だった。

観菩提寺で現在も行われている修正会とよばれる行事も、東大寺二月堂で行われている修二会も、どちらも未見であるのではっきりとは言えないが、パンフレットの写真を見るに、よく似ている思った。

私が訪れたのは平日だったが、どこからか団体客の姿もあった。やはり33年の御開帳というのは、遠方から来ている人も多いのだろう。

(画像はお寺のパンフレットから拝借)
蔵書の中の一冊にこちらの観音様を解説したものがあるが、初めてその写真を見た時尋常ではないその雰囲気に魅了された。
秘仏と知ってから、いつかはお参りしたいと思っていた仏像だ。
こちらの仏像に関しては私よりももっと克明に解説されている本があるので、とてもそれらには適わないが、このブログでは思ったことをそのまま言葉にしたい。
その十一面観音はまるで神社の御神木のような仏像だった。観世音菩薩像特有の優雅さは微塵もなく、慈悲の菩薩像でありながら、「怒り」を秘めた神像のような仏像であった。霊木特有の節などは確認出来なかったが、このきつさは霊木像だと思う。
バランスも明らかにおかしい。これはこうでなくてはいけない理由があったのだろう。
2メートルの仏像は高い位置に祀られているので、178センチの私の目線は、観音像の膝位だった。
全身力漲る仏像に、畏れ多かったが左手をかざしてみた。
触れることはしなかったが、かざした途端、左掌から肘、肘から肩にかけて電気が走るようなビリビリした感覚があった。
特別霊感がある訳でもない私でも強く感じたほどである。真に霊感のある人ならフラフラになる仏像なのだろう。
33年間秘仏になる訳だ。それは仏像が持っている何らかの「力」のせいだと思う。
只でさえ力の強い霊木像を、厨子に入れる。それはこの十一面観音像の力を外に漏らさぬように、更に更に力を高める為なのだろう。

現に、本堂両脇の扉には注連縄が設けてあった。
注連縄とは神社で見かけるそれであるが、注連縄の意味は神社にとって良くないモノが入らないようにする結界であると同時に、中に祀られる神も外に出てこないようにするという意味もあると思う。
本堂の真後ろの扉にも注連縄があった。

この注連縄は御開帳の時だけあるものか、あるいは普段からあるものなのかは未確認であるが、何れにせよ観音の霊力が籠ることで更に強くなるよう、外に漏れぬようという意味があるのだろう。
本堂の前に山門があるが、その前には池があった。
池は干上がりかけていたが、雨季には池らしくなるのだろうか。
この池を見ていた時、今では池の中の島には何もないが、嘗ては弁財天が祀られていたのでは?と思った。
あの秘仏御本尊の凄まじさから考えるに、この位置に辨財天があっても何ら不思議ではない。
むしろ無くなったことで力が強すぎてしまったのかも・・・。などと考えてみる。
今後、お寺参りに来る時は方位磁石を持って行かねばならないなと思った。
今回の御開帳は本当に良い御縁を頂いた。
2,3年前からお寺参りに行く時はお経を持参するようになった。お参りする時に(参拝者の迷惑にならぬよう配慮しつつ)、般若心経を詠んでいる。やってみて思ったがやはりお経を読むとお参りも、より集中出来るというか、感じるものも変わってくる。
これをお読みの皆様も、お寺に行かれる時は可能であればお経を持って行くと良いと思います。
33年に一度の御開帳らしい。

それほど大きいお寺という訳でもないが、奈良時代創建時は大きな寺院だったのだろうか?
今回の御開帳は正月堂の本尊、11面観世音像(重文)だ。

東大寺の二月堂のお祭り、修二会を考案したと言われる奈良時代の名僧、実忠和尚により開創された寺院である。
確か二月堂の完全秘仏も十一面観音だった。

観菩提寺で現在も行われている修正会とよばれる行事も、東大寺二月堂で行われている修二会も、どちらも未見であるのではっきりとは言えないが、パンフレットの写真を見るに、よく似ている思った。

私が訪れたのは平日だったが、どこからか団体客の姿もあった。やはり33年の御開帳というのは、遠方から来ている人も多いのだろう。

(画像はお寺のパンフレットから拝借)
蔵書の中の一冊にこちらの観音様を解説したものがあるが、初めてその写真を見た時尋常ではないその雰囲気に魅了された。
秘仏と知ってから、いつかはお参りしたいと思っていた仏像だ。
こちらの仏像に関しては私よりももっと克明に解説されている本があるので、とてもそれらには適わないが、このブログでは思ったことをそのまま言葉にしたい。
その十一面観音はまるで神社の御神木のような仏像だった。観世音菩薩像特有の優雅さは微塵もなく、慈悲の菩薩像でありながら、「怒り」を秘めた神像のような仏像であった。霊木特有の節などは確認出来なかったが、このきつさは霊木像だと思う。
バランスも明らかにおかしい。これはこうでなくてはいけない理由があったのだろう。
2メートルの仏像は高い位置に祀られているので、178センチの私の目線は、観音像の膝位だった。
全身力漲る仏像に、畏れ多かったが左手をかざしてみた。
触れることはしなかったが、かざした途端、左掌から肘、肘から肩にかけて電気が走るようなビリビリした感覚があった。
特別霊感がある訳でもない私でも強く感じたほどである。真に霊感のある人ならフラフラになる仏像なのだろう。
33年間秘仏になる訳だ。それは仏像が持っている何らかの「力」のせいだと思う。
只でさえ力の強い霊木像を、厨子に入れる。それはこの十一面観音像の力を外に漏らさぬように、更に更に力を高める為なのだろう。

現に、本堂両脇の扉には注連縄が設けてあった。
注連縄とは神社で見かけるそれであるが、注連縄の意味は神社にとって良くないモノが入らないようにする結界であると同時に、中に祀られる神も外に出てこないようにするという意味もあると思う。
本堂の真後ろの扉にも注連縄があった。

この注連縄は御開帳の時だけあるものか、あるいは普段からあるものなのかは未確認であるが、何れにせよ観音の霊力が籠ることで更に強くなるよう、外に漏れぬようという意味があるのだろう。
本堂の前に山門があるが、その前には池があった。

池は干上がりかけていたが、雨季には池らしくなるのだろうか。
この池を見ていた時、今では池の中の島には何もないが、嘗ては弁財天が祀られていたのでは?と思った。
あの秘仏御本尊の凄まじさから考えるに、この位置に辨財天があっても何ら不思議ではない。
むしろ無くなったことで力が強すぎてしまったのかも・・・。などと考えてみる。
今後、お寺参りに来る時は方位磁石を持って行かねばならないなと思った。
今回の御開帳は本当に良い御縁を頂いた。
2,3年前からお寺参りに行く時はお経を持参するようになった。お参りする時に(参拝者の迷惑にならぬよう配慮しつつ)、般若心経を詠んでいる。やってみて思ったがやはりお経を読むとお参りも、より集中出来るというか、感じるものも変わってくる。
これをお読みの皆様も、お寺に行かれる時は可能であればお経を持って行くと良いと思います。
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