名古屋市中区長者町にある福生院。仕事柄よくこの界隈には訪れる。
このお寺の前もよく通るがたまにはお参りをするも、意識してお参りすることは無かった。
なので、この日はアンテナを立てるような意識で境内に足を踏み入れた。

名古屋では珍しい、聖天さま(以下、歓喜天)を本尊格で祀るお寺だ。
歓喜天は諸天善神と呼ばれる、仏教を守る神々のグループに属している。
諸天善神は基本、如来さまや菩薩さまを守る存在なので、本尊格で祀られることはあんまりない。
(毘沙門天は本尊格で祀られることもある)
その中で、歓喜天を本尊格で祀っているのは本当に珍しいと思う。
また、過去にも歓喜天を祀っているお寺にお参りに行ったことがあるが、
記憶を辿ってもそのお姿を見てお参り出来たことはない。
何処のお寺も歓喜天は秘仏なのだ。
福生院さんの歓喜天も秘仏であった。お参り後、事務所にお寺の方が見えたので気になったことを聞いてみたら、快くお答え頂いた。以下箇条書きにしてみる。
①歓喜天は原則秘仏で、年に3日像に油を掛ける「大浴油供」というお祭りに御開帳される。
②しかし、そのお姿を見れるのはお寺の住職のみ。住職のご家族も見てはいけない。
③歓喜天が本尊格で脇侍が阿弥陀如来(釈迦如来だったかも)と薬師如来になっている。
その秘密性(住職以外姿を知らない)や特殊性(脇侍が如来)は興味深いものであった。
帰宅後、お寺のホームページを探してみたら出てきた。
それを見ていると、普通のお寺ではここまで書いてないなという文章が現れた。
歓喜天を信仰する際の注意事項が事細かに記載されていたのである。
その項目は全部で12か条。
詳細はご自身の目でご確認頂きたいが、その中で「?」と気になった個所があったのここで紹介する。
それは12か条目の一番最後の項目。
12、世間では「聖天様は怖い神様」だとか、「子孫の七代までの福を一代にとる」とか色々に言いふらされているが、何の根拠もない、迷信的な伝説ゆえ少しも気にしない方がよい。
世間では怖いと言われるが、怖くないんだよという個所だ。火の無い所に煙は立たないではないが、
敢えてこう書かれていると「うん?」と思ってしまう。
歓喜天については知っているようで、実は良く分かっていなかったので調べてみた。

まずその出自であるが、歓喜天は仏教に出会う前は魔神である。
姿は象頭人身の姿2体が抱き合った状態で祀られる場合が多い。
手元の資料から歓喜天に纏わる話を簡単に紹介する。
◆歓喜天に纏わるお話
仏教では人に災いを齎す神としておそれられた〇〇〇〇。
(名前が入りますが畏れ多いので伏せました)
多くの眷属を引き連れる諸魔の王と恐れられ、多くの人々に災いを齎していた。
ある日、その悪行を止めさせる為、十一面観音が〇〇〇〇の婦女身に変化し訪れた。
〇〇〇〇は十一面観音の変化身に欲心を起こしその身を抱こうとする。
そこで変化身は、
「私に触れたいのなら、仏教に帰依し、人々を護ると誓って下さい」
と言ったので、〇〇〇〇は仏教に帰依することになり、歓喜天となった。
歓喜天像が二体で抱き合っている理由はこれである。
つまり、一体は十一面観音である訳だ。

仏教に帰依したあとの歓喜天はとても力の強い天部となった。
歓喜天に纏わる霊験談や、こちらのお寺の雰囲気、手を合わせた感じなど
それらを総合して考えると、確かに心から信じ、本気でお参りすれば凄い御利益がありそうな気がする。
しかし、お寺のHPには「家でお札を祀るのは良いが、歓喜天の仏像は止めて下さい」との記載もあった。
歓喜天への信仰心が高まり、家でもお参りしたいという場合は注意してと言うことだ。
やはり祈りの対象となると、お札より姿形ある仏像の方が、生が入るとより強い存在になるのだろう。
そうなると、きちんとお祀りが出来ないといけなくなるし、お参りする方にも器が出来ていないといけなくなってくる。
厳重秘仏とされ、一般公開もされないというのは、きつい一面があったり、きちんと修業した僧侶で
ないとパワー負けしてしまうのかもしれない。
もしこれをお読みの方で、歓喜天への信仰を持ち、家でもお札をお祀りしたいとおっしゃる方は、
(直感ですが)何処かで十一面観音のお札か仏像を分けてもらった方が、より安心だと思う。
十一面観音の仏像かお札を本尊とし、その脇侍に歓喜天のお札という感じで二尊同時にお参りすると良いと思います。
おしまい
お寺はこちら
このお寺の前もよく通るがたまにはお参りをするも、意識してお参りすることは無かった。
なので、この日はアンテナを立てるような意識で境内に足を踏み入れた。

名古屋では珍しい、聖天さま(以下、歓喜天)を本尊格で祀るお寺だ。
歓喜天は諸天善神と呼ばれる、仏教を守る神々のグループに属している。
諸天善神は基本、如来さまや菩薩さまを守る存在なので、本尊格で祀られることはあんまりない。
(毘沙門天は本尊格で祀られることもある)
その中で、歓喜天を本尊格で祀っているのは本当に珍しいと思う。
また、過去にも歓喜天を祀っているお寺にお参りに行ったことがあるが、
記憶を辿ってもそのお姿を見てお参り出来たことはない。
何処のお寺も歓喜天は秘仏なのだ。
福生院さんの歓喜天も秘仏であった。お参り後、事務所にお寺の方が見えたので気になったことを聞いてみたら、快くお答え頂いた。以下箇条書きにしてみる。
①歓喜天は原則秘仏で、年に3日像に油を掛ける「大浴油供」というお祭りに御開帳される。
②しかし、そのお姿を見れるのはお寺の住職のみ。住職のご家族も見てはいけない。
③歓喜天が本尊格で脇侍が阿弥陀如来(釈迦如来だったかも)と薬師如来になっている。
その秘密性(住職以外姿を知らない)や特殊性(脇侍が如来)は興味深いものであった。
帰宅後、お寺のホームページを探してみたら出てきた。
それを見ていると、普通のお寺ではここまで書いてないなという文章が現れた。
歓喜天を信仰する際の注意事項が事細かに記載されていたのである。
その項目は全部で12か条。
詳細はご自身の目でご確認頂きたいが、その中で「?」と気になった個所があったのここで紹介する。
それは12か条目の一番最後の項目。
12、世間では「聖天様は怖い神様」だとか、「子孫の七代までの福を一代にとる」とか色々に言いふらされているが、何の根拠もない、迷信的な伝説ゆえ少しも気にしない方がよい。
世間では怖いと言われるが、怖くないんだよという個所だ。火の無い所に煙は立たないではないが、
敢えてこう書かれていると「うん?」と思ってしまう。
歓喜天については知っているようで、実は良く分かっていなかったので調べてみた。

まずその出自であるが、歓喜天は仏教に出会う前は魔神である。
姿は象頭人身の姿2体が抱き合った状態で祀られる場合が多い。
手元の資料から歓喜天に纏わる話を簡単に紹介する。
◆歓喜天に纏わるお話
仏教では人に災いを齎す神としておそれられた〇〇〇〇。
(名前が入りますが畏れ多いので伏せました)
多くの眷属を引き連れる諸魔の王と恐れられ、多くの人々に災いを齎していた。
ある日、その悪行を止めさせる為、十一面観音が〇〇〇〇の婦女身に変化し訪れた。
〇〇〇〇は十一面観音の変化身に欲心を起こしその身を抱こうとする。
そこで変化身は、
「私に触れたいのなら、仏教に帰依し、人々を護ると誓って下さい」
と言ったので、〇〇〇〇は仏教に帰依することになり、歓喜天となった。
歓喜天像が二体で抱き合っている理由はこれである。
つまり、一体は十一面観音である訳だ。

仏教に帰依したあとの歓喜天はとても力の強い天部となった。
歓喜天に纏わる霊験談や、こちらのお寺の雰囲気、手を合わせた感じなど
それらを総合して考えると、確かに心から信じ、本気でお参りすれば凄い御利益がありそうな気がする。
しかし、お寺のHPには「家でお札を祀るのは良いが、歓喜天の仏像は止めて下さい」との記載もあった。
歓喜天への信仰心が高まり、家でもお参りしたいという場合は注意してと言うことだ。
やはり祈りの対象となると、お札より姿形ある仏像の方が、生が入るとより強い存在になるのだろう。
そうなると、きちんとお祀りが出来ないといけなくなるし、お参りする方にも器が出来ていないといけなくなってくる。
厳重秘仏とされ、一般公開もされないというのは、きつい一面があったり、きちんと修業した僧侶で
ないとパワー負けしてしまうのかもしれない。
もしこれをお読みの方で、歓喜天への信仰を持ち、家でもお札をお祀りしたいとおっしゃる方は、
(直感ですが)何処かで十一面観音のお札か仏像を分けてもらった方が、より安心だと思う。
十一面観音の仏像かお札を本尊とし、その脇侍に歓喜天のお札という感じで二尊同時にお参りすると良いと思います。
おしまい
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