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主に寺社参拝を通しての気付・思ったことのお話

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紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

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◆「道成寺 其の四」

お寺で聞いた「安珍と清姫の話(以下「物語」とする)」と、購入した道成寺の図録に掲載されていた話を元に、前回簡単なあらすじを紹介してみた。

物語には「火」と「水」、そして蹈鞴を思わせる鉄の話も出て来るので、
平安時代よりも、もっと古い話も取り込まれているのかと思っていた。

その路線も捨て難いが、実際に安珍と清姫のお墓が現在もあることや、現場で感じたことも踏まえると、やはり修行僧が女性に焼き殺されたという悲惨な事件はあったのだと思う。

怒りが頂点に達した清姫は大蛇の姿になってしまう。人が蛇に変身する訳はないが、物語で言うところの「蛇」とは仏教で言う所の「三毒」と呼ばれるもののことだ。
 
三毒とは人間の成長を妨げる原因、苦しみを生む要因で、それは三つあると考えられている。現代風に分かり易く言えば、三毒とはこのようなものだ。


・自己中心的な怒り

・度を越えた欲望・執着

・誤ったことを正しいと思い込むこと。無知。



仏教ではこの三毒を表現する時、蛇体の姿であると考えられている。
清姫は三毒に囚われてしまい、大蛇の姿になってしまったと表現されたのだと思う。


今残されている話を聞くに「特に安珍が悪い訳ではないのに殺されて気の毒だ」と思ってしまうが、
よく読んで考えて見ると、安珍も大概酷い対応をとっているのが分かる。

物語の後半部分、死んでしまった二人がやがて和尚の夢に二匹の蛇の姿で現れるという描写を見ても、
安珍を焼き殺してしまった清姫と殺された安珍の罪が同じであるという解釈だと分かる。

安珍の行動に着目し、気になった点をあげて見た。


①また伺いますと約束したのに、約束を破って来なかった。

②怒り苦しむ清姫に対し、謝罪の言葉も無い。

③後を追って来た清姫に「人違いです」と素知らぬふりをする。

④安珍は清姫から逃れるため、金剛童子の力を借りる。
 金剛童子とは修験者を守護する神さまだが、この神さまの力を引きだすということは相当安珍も修行したと思われる。
 なのに人を救うことにその力を使うのではなく、自分が清姫から逃れたいがために使う。

⑤先に舟で川を渡った安珍。船頭に金を渡し、清姫を渡すなと策略を巡らす。



一つ一つ拾っていくと、事の発端は安珍が約束を破ったことであり、その後も謝罪の一言もなく、
清姫に対し何の説明もなくひたすら逃げている。

安珍の対応次第では、清姫も殺人を犯すことは無かったのではと思えるのだ。


また、清姫の怒りの大きさや、和歌を交換するという背景も深読みして考えると、二人は一線を越えた間柄になったのではとも思える。

人を導く側の職業にある安珍が、結果人を破滅に導いてしまった。それは人を殺してしまった清姫と同罪と言えると、物語を残した人達は考えたのであろう。

道成寺17

清姫の墓は蛇塚として残されていたが、現在の道成寺の境内には無い。安珍の墓と離れた住宅地にぽつんとあった。

その背後には神社の森が見えた。

道成寺18

この神社にはお参りに行かなかったが、後で調べたら八幡社だと分かった。位置的に見て蛇塚を後ろから見ている格好になる。

この配置にも意味が有ると思う。清姫をこの場所に葬らねばならない理由があったのだろう。

亡くなった当初からこの位置だとすると、あえて二人の間を離して葬ったということだ。人を恨んで焼き殺してしまった清姫に恐れを抱いていたのだろう。

しかし、現在、清姫の塚に姿勢を低くしてお参りしたが、怖いとかきついとかという感じは全く無かった。これは、物語の最後、千手観音の慈悲の力と法華経の力により確りと供養されたからだ。
 
今では安珍と二人で、道成寺の守護神となっている。

最後に道成寺にて販売していた色紙を紹介する。

道成寺色紙1

「西方極楽(阿弥陀如来の世界。極楽浄土のこと)」ではなく「妻寶極楽」である。

良き妻を娶ることは極楽ですよということですが、良き妻になるには旦那の協力もなくてはならないと
道成寺にお参りに行って良く分かりました。

おしまい。



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