滋賀県は石馬寺に行った。

ここ来てまず驚いたのが長い石階段だ。

下から見上げると先の方は良く見えない。

長い年月で風化した石階段は何とも味がある。
登って行く途中に、嘗てはお堂が建っていた痕跡がいくつかあった。
大昔は大きな寺院だったのだろう。

階段を上って行くと、本堂少し手前に神社があった。
六柱の神を祀る六所神社だ。
「○所神社」というのは気をつけていると割と多く見かける。
祀ってある神様の数によって「○」の数字が変わってくる。
昔、どこだったか「二十七所神社」という神社の前を通ったことがあったが、
気になったので調べてみたら、鹿児島の方に四十九所神社というものもあった。
山の中のお寺や神社の雰囲気は何とも良い。

後で写真を見たら「ボワッ」という感じの白い光のようなものが写っていた。
なんとも落ち着く神社で、神様の番をしている狛犬もどこか誇らしげに見えた。

狛犬は結構好きだ。昔、愛知県瀬戸市にある陶磁資料館にある膨大な狛犬の展示室を見たことがあったが、
狛犬はそれ単体で見るより、本来の任務遂行中の状態で見る方が遥かに良いように思う。

何と言うか、使命感に燃えているような感じだ。
人間でも動物でも植物でも、それぞれがが最も輝く場所というものがあるのかなと、
この狛犬を見ていてふと思った。
神社の参拝を済ませた後、次はお不動さんを祀っているお堂に向った。

(ここでも不思議な光が…)
お寺にくるといつも思うが、どこかほっとする。
素直な気持ちで「有り難いなぁ」と思う。
普段の生活では、気をつけていても、ちょっとした事で要らない「我」が前に出ることがある。
そんな時は仏壇に手を合わせたり、お寺に足を運ぶ。
自分にとって、仏様は無言のカウンセラーになっているなとしみじみと思う。
違和感なく信じれるという事は、有り難いことだ。
不動堂の近くには、何とも味わいのある、お不動さんの石仏があった。

今迄お参りしたお不動さんの石仏の中で、最も印象に残ったのがこちらの石仏。
厳しい顔のお不動さんもどこかコミカルだ。
次に向ったのは重要文化財の仏像を多数祀っている収蔵庫。

庫裡で拝観受け付けをする。まだ若そうな住職が丁寧に対応してくれた。
「どちらからいらっしゃったんですか?」の問いに、
「名古屋からです。」と答えると、
「ああそうですか。このお寺は織田信長に燃やされたんですよ。」
と冗談交じりに話していた。
滋賀のお寺参りをしていると、織田信長によって燃やされた寺院が多いのに驚く。
(あまりにも多いので、いつしか自分の中での織田信長は「チャッカマン」というあだ名が付いていた)
お寺好きの自分にとっては、「信長が燃やした」という寺歴を見る度、もったいないなと思ってしまう。
その辺の歴史は詳しくないが、信長を怒らす原因もあったのだろうか…。
石馬寺はその後も様々な苦難があり現在に至っている。
そんな歴史を踏まえながら、収蔵庫に祀られている丈六仏の阿弥陀如来や観音像などを見ると、
よくぞ残ったものだなぁと思う。素晴らしい仏様だった。
参拝を終えた後、本堂脇の山頂に続く長い石段があったので、住職に尋ねると、
700段ほど登れば、龍神を祀る神社に行けるよと教えて頂いた。
なかなかこれないと思ったのでお参りに行く事にした。
続く~

ここ来てまず驚いたのが長い石階段だ。

下から見上げると先の方は良く見えない。

長い年月で風化した石階段は何とも味がある。
登って行く途中に、嘗てはお堂が建っていた痕跡がいくつかあった。
大昔は大きな寺院だったのだろう。

階段を上って行くと、本堂少し手前に神社があった。
六柱の神を祀る六所神社だ。
「○所神社」というのは気をつけていると割と多く見かける。
祀ってある神様の数によって「○」の数字が変わってくる。
昔、どこだったか「二十七所神社」という神社の前を通ったことがあったが、
気になったので調べてみたら、鹿児島の方に四十九所神社というものもあった。
山の中のお寺や神社の雰囲気は何とも良い。

後で写真を見たら「ボワッ」という感じの白い光のようなものが写っていた。
なんとも落ち着く神社で、神様の番をしている狛犬もどこか誇らしげに見えた。

狛犬は結構好きだ。昔、愛知県瀬戸市にある陶磁資料館にある膨大な狛犬の展示室を見たことがあったが、
狛犬はそれ単体で見るより、本来の任務遂行中の状態で見る方が遥かに良いように思う。

何と言うか、使命感に燃えているような感じだ。
人間でも動物でも植物でも、それぞれがが最も輝く場所というものがあるのかなと、
この狛犬を見ていてふと思った。
神社の参拝を済ませた後、次はお不動さんを祀っているお堂に向った。

(ここでも不思議な光が…)
お寺にくるといつも思うが、どこかほっとする。
素直な気持ちで「有り難いなぁ」と思う。
普段の生活では、気をつけていても、ちょっとした事で要らない「我」が前に出ることがある。
そんな時は仏壇に手を合わせたり、お寺に足を運ぶ。
自分にとって、仏様は無言のカウンセラーになっているなとしみじみと思う。
違和感なく信じれるという事は、有り難いことだ。
不動堂の近くには、何とも味わいのある、お不動さんの石仏があった。

今迄お参りしたお不動さんの石仏の中で、最も印象に残ったのがこちらの石仏。
厳しい顔のお不動さんもどこかコミカルだ。
次に向ったのは重要文化財の仏像を多数祀っている収蔵庫。

庫裡で拝観受け付けをする。まだ若そうな住職が丁寧に対応してくれた。
「どちらからいらっしゃったんですか?」の問いに、
「名古屋からです。」と答えると、
「ああそうですか。このお寺は織田信長に燃やされたんですよ。」
と冗談交じりに話していた。
滋賀のお寺参りをしていると、織田信長によって燃やされた寺院が多いのに驚く。
(あまりにも多いので、いつしか自分の中での織田信長は「チャッカマン」というあだ名が付いていた)
お寺好きの自分にとっては、「信長が燃やした」という寺歴を見る度、もったいないなと思ってしまう。
その辺の歴史は詳しくないが、信長を怒らす原因もあったのだろうか…。
石馬寺はその後も様々な苦難があり現在に至っている。
そんな歴史を踏まえながら、収蔵庫に祀られている丈六仏の阿弥陀如来や観音像などを見ると、
よくぞ残ったものだなぁと思う。素晴らしい仏様だった。
参拝を終えた後、本堂脇の山頂に続く長い石段があったので、住職に尋ねると、
700段ほど登れば、龍神を祀る神社に行けるよと教えて頂いた。
なかなかこれないと思ったのでお参りに行く事にした。
続く~
スポンサーサイト