以前、奈良県は安倍文殊院に行った。
※安倍の文殊院のHPはこちら↓
http://www.abemonjuin.or.jp/index.html
最近、こちらの御本尊の快慶作の文殊菩薩が国宝に指定されたという。
素晴らしい仏像なので、お参りした事のない方にはお勧めする。

このお寺は境内に古墳があった。二つだったか…。

辨天様も祭られている。
この時、池が工事中だったので水は少なくなっていた。
安倍文殊院は思ったほど大きなお寺ではなかったが、
いろいろと見所がある。
その中で最も驚いたものがこの石だ。

お寺の案内文にもHPにもこれについては一切触れられていない。
この横向きの石、正面に立つと不思議なものが現れる。
結論から言えば、これは石仏になっている。
しかしただの石仏ではない。世にも珍しい影向思想の石仏なのだ。
影向(ようごう)とは神や仏が現れる、姿を見せることを云う。
中世にはそんな様子を描いた絵もある。

(八幡神影向図 鎌倉時代)
例えばこの絵、僧侶の斜め上に大きな影のようなものが現れている。
これは八幡神が今まさに現れようとしている様子を描いたものだろう。
この絵を見る人は、この影の中に神や仏の姿を瞑想するのだと思う。
だから必要以上に詳しく描く必要もない。
最近になってこの絵の存在をしったり、「影向」というものに興味を
惹かれ始めた時に、偶然見つけたのがこのお寺の石仏だった。

この姿だけだと分かりにくいので、平安時代の男神像と比べて見る。

似てはいないだろうか?
肩幅が狭いのはこれから徐々に現れてくる様子を表しているのだと思う。
石仏が彫られた時代は分からない。
表面の風化具合と中の彫られた様子を比較するに、
中は新しそうにみえるが、ひょっとすると永い間、路地にある蹲(つくばい:手を清める為のもの)
として知らずに使われていた可能性もある。
これを彫った人物はさっぱり分からないが、
これをお参りする人は、お寺を建立した安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)や、
その子孫で遣唐使として唐に渡るも、ついに日本に帰ることなく唐で亡くなった
安倍仲麻呂(あべのなかまろ)を偲び瞑想したのかもしれない。
安倍文殊院は素晴らしいお寺ですが、参拝に行かれる方は、
是非この石仏も捜して見て下さい。
※安倍の文殊院のHPはこちら↓
http://www.abemonjuin.or.jp/index.html
最近、こちらの御本尊の快慶作の文殊菩薩が国宝に指定されたという。
素晴らしい仏像なので、お参りした事のない方にはお勧めする。

このお寺は境内に古墳があった。二つだったか…。

辨天様も祭られている。
この時、池が工事中だったので水は少なくなっていた。
安倍文殊院は思ったほど大きなお寺ではなかったが、
いろいろと見所がある。
その中で最も驚いたものがこの石だ。

お寺の案内文にもHPにもこれについては一切触れられていない。
この横向きの石、正面に立つと不思議なものが現れる。
結論から言えば、これは石仏になっている。
しかしただの石仏ではない。世にも珍しい影向思想の石仏なのだ。
影向(ようごう)とは神や仏が現れる、姿を見せることを云う。
中世にはそんな様子を描いた絵もある。

(八幡神影向図 鎌倉時代)
例えばこの絵、僧侶の斜め上に大きな影のようなものが現れている。
これは八幡神が今まさに現れようとしている様子を描いたものだろう。
この絵を見る人は、この影の中に神や仏の姿を瞑想するのだと思う。
だから必要以上に詳しく描く必要もない。
最近になってこの絵の存在をしったり、「影向」というものに興味を
惹かれ始めた時に、偶然見つけたのがこのお寺の石仏だった。

この姿だけだと分かりにくいので、平安時代の男神像と比べて見る。

似てはいないだろうか?
肩幅が狭いのはこれから徐々に現れてくる様子を表しているのだと思う。
石仏が彫られた時代は分からない。
表面の風化具合と中の彫られた様子を比較するに、
中は新しそうにみえるが、ひょっとすると永い間、路地にある蹲(つくばい:手を清める為のもの)
として知らずに使われていた可能性もある。
これを彫った人物はさっぱり分からないが、
これをお参りする人は、お寺を建立した安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)や、
その子孫で遣唐使として唐に渡るも、ついに日本に帰ることなく唐で亡くなった
安倍仲麻呂(あべのなかまろ)を偲び瞑想したのかもしれない。
安倍文殊院は素晴らしいお寺ですが、参拝に行かれる方は、
是非この石仏も捜して見て下さい。
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