三重県の朝田寺にお参りに行った。
事前に問い合わせたところ、御住職から15時30分過ぎなら大丈夫ということで、
現地に向かったが到着したのは14時30分。
1時間の時間が出来たのでお寺の周辺を散策する事にした。
ナビ画面を頼りに捜したら聞いた事のない社名の神社をいくつか発見。
その中の一つがこの「意非多(おいた)神社」だ。

周りは田んぼ。町というより昔ながらの村の鎮守さまという何とも落ち着く神社だ。

意非多神社の歴史は古い。それもこちらが思っている以上に歴史ある神社だった。

神社の楽しみの一つとして、「どんな神様がまつられてるか?」がある。
この意非多神社で言うなら、祀神の欄に記された三柱の神々が御祭神だが、
特に興味を引かれたのは「埴安神」であった。祈願する際に土団子を供えるというのが面白い。
普通、お供えするものは人間が食べるものが多い。
何故ならお下がりとして後で頂くからだ。
今回のケースのように食べれない者を供えるというのはたまに見かけるが、
土団子と言うのは初めて見た。
故にこの埴安神の事を地元では「土の宮」と言う。

「土団子を供える」というのは、重要なメッセージだ。
神社事態は小さな神社であるが、近隣の人々に大切に守られているのが分かる。
狛犬も新調されていた。


彩色を施された石造の狛犬は初めて見たが、これはこれで良い。
大事にされてるなぁと思った。
帰宅後、埴安神(はにやすのかみ)について調べてみた。
すると、この神様は古事記に登場する神で、イザナギノミコトが火の神を産み、
火傷を負って病床についた時、大便から生まれた神であることが分かった。
また埴安神は陶器、土に纏わる神で、神徳としては製陶業、土木業、
開墾業に御利益ありとのことだった。
(土のイメージは大便からきているのかも)
それで御供え物に土団子を供える訳だ。
団子常に丸くするのは、地元に伝わる御利益、
「イボ取り」のイボに見立てているのかもしれない。
ここからは推測になるが、元々この神社には地元の豪族も祭られていたと思う。
どうも現在の境内付近に、嘗ては古墳があったような気がする。
それが別名として残っていた「森塚」や「天王塚」だ。
社歴に記された天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)や、
国之常立神(くにとこたちのかみ)は古事記にも登場する超古い神であるが、
神社として祀られるうになったのはそれ程古くない事が分かった。
古代豪族の収入源は米と鉄であった事から、よりこの二つの要望に近い神、
最初からこの神社で祭られていた神様は、埴安神であるように思う。
もしくは最初に豪族が祀られ、後に地元産業に因んだ埴安神を祀ったのだろう。

まぁそれが特定出来たとして、現在祭られている神様が有り難い事には変わらない。
氏神様はその地域に住む氏子を守ってくれている訳なので、こちらの神社のように、
末永く大事に守っていきたいものです。
事前に問い合わせたところ、御住職から15時30分過ぎなら大丈夫ということで、
現地に向かったが到着したのは14時30分。
1時間の時間が出来たのでお寺の周辺を散策する事にした。
ナビ画面を頼りに捜したら聞いた事のない社名の神社をいくつか発見。
その中の一つがこの「意非多(おいた)神社」だ。

周りは田んぼ。町というより昔ながらの村の鎮守さまという何とも落ち着く神社だ。

意非多神社の歴史は古い。それもこちらが思っている以上に歴史ある神社だった。

神社の楽しみの一つとして、「どんな神様がまつられてるか?」がある。
この意非多神社で言うなら、祀神の欄に記された三柱の神々が御祭神だが、
特に興味を引かれたのは「埴安神」であった。祈願する際に土団子を供えるというのが面白い。
普通、お供えするものは人間が食べるものが多い。
何故ならお下がりとして後で頂くからだ。
今回のケースのように食べれない者を供えるというのはたまに見かけるが、
土団子と言うのは初めて見た。
故にこの埴安神の事を地元では「土の宮」と言う。

「土団子を供える」というのは、重要なメッセージだ。
神社事態は小さな神社であるが、近隣の人々に大切に守られているのが分かる。
狛犬も新調されていた。


彩色を施された石造の狛犬は初めて見たが、これはこれで良い。
大事にされてるなぁと思った。
帰宅後、埴安神(はにやすのかみ)について調べてみた。
すると、この神様は古事記に登場する神で、イザナギノミコトが火の神を産み、
火傷を負って病床についた時、大便から生まれた神であることが分かった。
また埴安神は陶器、土に纏わる神で、神徳としては製陶業、土木業、
開墾業に御利益ありとのことだった。
(土のイメージは大便からきているのかも)
それで御供え物に土団子を供える訳だ。
団子常に丸くするのは、地元に伝わる御利益、
「イボ取り」のイボに見立てているのかもしれない。
ここからは推測になるが、元々この神社には地元の豪族も祭られていたと思う。
どうも現在の境内付近に、嘗ては古墳があったような気がする。
それが別名として残っていた「森塚」や「天王塚」だ。
社歴に記された天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)や、
国之常立神(くにとこたちのかみ)は古事記にも登場する超古い神であるが、
神社として祀られるうになったのはそれ程古くない事が分かった。
古代豪族の収入源は米と鉄であった事から、よりこの二つの要望に近い神、
最初からこの神社で祭られていた神様は、埴安神であるように思う。
もしくは最初に豪族が祀られ、後に地元産業に因んだ埴安神を祀ったのだろう。

まぁそれが特定出来たとして、現在祭られている神様が有り難い事には変わらない。
氏神様はその地域に住む氏子を守ってくれている訳なので、こちらの神社のように、
末永く大事に守っていきたいものです。
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