名古屋市の博物館で開催中の大須観音展を観に行った。

真福寺(大須観音のこと)には大須文庫という図書館があり、
その中の蔵書を中心とした展示会。
国宝の古事記を始め、重要文化財に指定されている本を含め
普段は見る事が出来ない貴重な収蔵品があった。
とても面白い展示会であったが、その中で特に興味を惹かれたのが、
両部神道に関する資料と、真福寺の重要な寺宝、「鬼面」だ。
真福寺では節分のお祭りが有名だが、一般的に言う「鬼はー外ー!」は
言葉にしない。豆撒きをする際は「福はー内ー!」のみである。
この事は新聞などで以前から聞いてはいたが、詳しい理由は知らなかった。
しかし、今回の展示会で理由が分かった。
鬼面に関する物語が、購入した図録に記してあったのだ。
真福寺に残る鬼面に纏わる伝説はこのようなものだ。
その昔、寺の開祖、能信が文和年間(1352-1355)に天照大神が使わした
「神人」から鬼面を授かった。何でも神人言うには、
「この鬼面は観世音菩薩垂迹の面である。この面は別の場所で祟りをなしていたが、
『不思議加持の開眼』をする事で利益を齎すだろう。」
と伝えたと言う。垂迹とは仏・菩薩が神の姿で現れることを意味しているので、
この鬼面が真福寺では観世音菩薩と同じと考えられているようだ。
祀られる前が祟る鬼面と言う事は、これを彫る前の木が霊木だったと分かる。

(画像はイメージ)
祟りをなす霊木が、仏像を彫って祀る事で御利益を齎すという話は多い。
しかし、鬼面にして祀るという話は初めて聞いた。
これは察するに「霊木の主」が菩薩や如来として祀られるより、
自らを鬼として祀られる事を望んだのではと思う。
話を戻すが、真福寺の節分で「鬼は外」と言葉にしない理由は、
鬼が観音菩薩であるからだった。
真福寺に残る話や、全国の鬼に纏わる話を拾っていくと、
鬼は単純に悪者とは思えなくなってきた。
節分に訳もなく豆をぶつけられる気の毒な鬼。
私が思う鬼は、どちらかと言えば福の神なのです。

真福寺(大須観音のこと)には大須文庫という図書館があり、
その中の蔵書を中心とした展示会。
国宝の古事記を始め、重要文化財に指定されている本を含め
普段は見る事が出来ない貴重な収蔵品があった。
とても面白い展示会であったが、その中で特に興味を惹かれたのが、
両部神道に関する資料と、真福寺の重要な寺宝、「鬼面」だ。
真福寺では節分のお祭りが有名だが、一般的に言う「鬼はー外ー!」は
言葉にしない。豆撒きをする際は「福はー内ー!」のみである。
この事は新聞などで以前から聞いてはいたが、詳しい理由は知らなかった。
しかし、今回の展示会で理由が分かった。
鬼面に関する物語が、購入した図録に記してあったのだ。
真福寺に残る鬼面に纏わる伝説はこのようなものだ。
その昔、寺の開祖、能信が文和年間(1352-1355)に天照大神が使わした
「神人」から鬼面を授かった。何でも神人言うには、
「この鬼面は観世音菩薩垂迹の面である。この面は別の場所で祟りをなしていたが、
『不思議加持の開眼』をする事で利益を齎すだろう。」
と伝えたと言う。垂迹とは仏・菩薩が神の姿で現れることを意味しているので、
この鬼面が真福寺では観世音菩薩と同じと考えられているようだ。
祀られる前が祟る鬼面と言う事は、これを彫る前の木が霊木だったと分かる。

(画像はイメージ)
祟りをなす霊木が、仏像を彫って祀る事で御利益を齎すという話は多い。
しかし、鬼面にして祀るという話は初めて聞いた。
これは察するに「霊木の主」が菩薩や如来として祀られるより、
自らを鬼として祀られる事を望んだのではと思う。
話を戻すが、真福寺の節分で「鬼は外」と言葉にしない理由は、
鬼が観音菩薩であるからだった。
真福寺に残る話や、全国の鬼に纏わる話を拾っていくと、
鬼は単純に悪者とは思えなくなってきた。
節分に訳もなく豆をぶつけられる気の毒な鬼。
私が思う鬼は、どちらかと言えば福の神なのです。
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