~続き
仏教には大きく分けると二つの面があるように思う。
一つは、お釈迦様が説いた苦しみからの脱却。
二つ目は、加持祈祷と呼ばれる、神仏の力を借りて問題を解決すること。
日本に仏教が渡来した時、仏教は一部の権力者のものであった。
その当時、長い間仏教に求められたのは、加持祈祷による奇跡であったように思う。
そんな加持祈祷の歴史を紐解くと、よく目にするのは病気平癒であったり、
天候の操作、怨霊を鎮める、供養する為などがある。
また、後ろめたい気持ちがあるから、あるいは公に出来ないことから
例は少ないが相手を呪詛すると云うこともある。
(ホントは多かったと思うが・・・。)
敵を倒す事を願う場合、例を上げる訳にはいかないが、経験ではキツイ仏様が多い。
辨財天の御利益には金運向上や芸能というのが有名だが、怨敵退散というものもある。
御利益については知ってはいたが、実際に福の神である弁財天に「敵を倒す」
お願いをしたというケースは鶴岡八幡宮が初めてだった。
相手を呪詛するのを手伝うと聞くと、「辨財天は怖い」と思ってしまうが、
真に怖いのは、有り難い仏様に、相手を滅ぼす願いをする人間なのである。
仏教には大きく分けると二つの面があるように思う。
一つは、お釈迦様が説いた苦しみからの脱却。
二つ目は、加持祈祷と呼ばれる、神仏の力を借りて問題を解決すること。
日本に仏教が渡来した時、仏教は一部の権力者のものであった。
その当時、長い間仏教に求められたのは、加持祈祷による奇跡であったように思う。
そんな加持祈祷の歴史を紐解くと、よく目にするのは病気平癒であったり、
天候の操作、怨霊を鎮める、供養する為などがある。
また、後ろめたい気持ちがあるから、あるいは公に出来ないことから
例は少ないが相手を呪詛すると云うこともある。
(ホントは多かったと思うが・・・。)
敵を倒す事を願う場合、例を上げる訳にはいかないが、経験ではキツイ仏様が多い。
辨財天の御利益には金運向上や芸能というのが有名だが、怨敵退散というものもある。
御利益については知ってはいたが、実際に福の神である弁財天に「敵を倒す」
お願いをしたというケースは鶴岡八幡宮が初めてだった。
相手を呪詛するのを手伝うと聞くと、「辨財天は怖い」と思ってしまうが、
真に怖いのは、有り難い仏様に、相手を滅ぼす願いをする人間なのである。
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