~続き
もう一つの話は少し怖い話。
玉圓尼が厨子の金銅仏を巡回仏にした際も、厨子を担当した各家の約束事として
絶対に中を見てはならないとした。
それは中を見ると良くない事が起こると言われていたからだった。
巡回が始まった時から、これは頑なに守られてきたが、昭和の20年にどうしても
好奇心に勝てず、中を開けた人達がいた。

周りの反対を押し切り、そんなことは迷信だと秘仏の封を説いたのだ。
それから数日後、名古屋大空襲が起き、辺り一面焼け野原になったという。
以来、玉圓尼の厨子の巡回の風習は途切れた。
幸い、厨子と仏像は無事であった。
偶然と言えば偶然だが、当事者達にとっては心底恐れた出来事であっただろう。
何やら怖い秘仏に聞こえるが、これは誤りで、
むしろこれは大きな災厄を事前に示すということだと思う。
続く~
もう一つの話は少し怖い話。
玉圓尼が厨子の金銅仏を巡回仏にした際も、厨子を担当した各家の約束事として
絶対に中を見てはならないとした。
それは中を見ると良くない事が起こると言われていたからだった。
巡回が始まった時から、これは頑なに守られてきたが、昭和の20年にどうしても
好奇心に勝てず、中を開けた人達がいた。

周りの反対を押し切り、そんなことは迷信だと秘仏の封を説いたのだ。
それから数日後、名古屋大空襲が起き、辺り一面焼け野原になったという。
以来、玉圓尼の厨子の巡回の風習は途切れた。
幸い、厨子と仏像は無事であった。
偶然と言えば偶然だが、当事者達にとっては心底恐れた出来事であっただろう。
何やら怖い秘仏に聞こえるが、これは誤りで、
むしろこれは大きな災厄を事前に示すということだと思う。
続く~
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