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主に寺社参拝を通しての気付・思ったことのお話

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紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
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玉圓尼の厨子 その3

~続き

全国を行脚していた玉圓尼。何時の頃からか定かではないが、
銀毛の大狐神、白旗稲荷大明神が憑いていた。そして共に修行をし、旅は続いた。

そんな道中、たまたま立ち寄った現愛知県半田市界隈で地蔵寺5世の寿教尼が、
玉圓尼と出会い、その才能に惚れ込んで現名古屋市西区にある地蔵寺の跡取りを願い出た。
(奈良県~愛知県半田市~名古屋市の地蔵寺までの道中の話が『地蔵寺縁起書稲荷玉圓尼縁起』になる)

これを快く引き受けた玉圓尼は長い修行の旅の果て、始めて寺の住職となった。
と同時に、人から人へ憑き、共に修行をしてきた白旗稲荷大明神も
地蔵寺守護神として落ち着くことになった。

しかしここで一つ問題が起きた。

玉圓尼が厨子を担いだまま地蔵寺の門を潜ろうとすると、辺り一面唸り出し、
どうしても寺に入る事が出来なかった。
その原因は厨子の中の秘仏にあった。長い玉圓尼との修行生活に於いて
途轍もない力を秘めた仏像になり、寺に治まらなかったという。

玉圓尼は白旗稲荷大明神と相談し、この厨子の仏像を地蔵寺から見て
辰巳(南西)の方角にある弁財天を祀る、宝周寺周辺の数件の家々で管理することとした。

数件の家で1年ごと巡回させ祀る事になったのである。

この風習は嘉永年間から昭和の初めまで行われていたが、
戦時中の名古屋大空襲が起ってから途絶えてしまった。

名古屋が焼け野原になった昭和20年。終戦を経てもみじの祖父が現在の
土地を購入した。その時、不動産屋さんから不思議な話を聞いた。



続く~

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