~続き
前回のコメントについて一部訂正があった。
記録に残っている神社創建年代が文明9年(1477年)で、
雉が亡くなったとされる年代が文禄とある。
調べてみたら「文禄」とは1592~1595年だった。
つまり、神社が最初にあり、雉が亡くなったのは後となる。
この白山神社は別名「榎権現(えのきごんげん)」と言われる。
権現とは、仏教に出て来る「仏」が日本古来の「神」になって現れた姿である。
(仏教を広める為、日本の神と合祀させた時に考えられた思想から来ている)
疑問の一つは、元々の御祭神である菊理媛神、
即ち「白山」の名を付けなかったことだろう。
通常なら、「白山権現」となってるのではないのだろうか?
しかし、この場合は「榎権現」になっている。
榎の木が何やら重要になっているのだ。
二つ目の疑問は、「雉」についてだ。
続く~
前回のコメントについて一部訂正があった。
記録に残っている神社創建年代が文明9年(1477年)で、
雉が亡くなったとされる年代が文禄とある。
調べてみたら「文禄」とは1592~1595年だった。
つまり、神社が最初にあり、雉が亡くなったのは後となる。
この白山神社は別名「榎権現(えのきごんげん)」と言われる。
権現とは、仏教に出て来る「仏」が日本古来の「神」になって現れた姿である。
(仏教を広める為、日本の神と合祀させた時に考えられた思想から来ている)
疑問の一つは、元々の御祭神である菊理媛神、
即ち「白山」の名を付けなかったことだろう。
通常なら、「白山権現」となってるのではないのだろうか?
しかし、この場合は「榎権現」になっている。
榎の木が何やら重要になっているのだ。
二つ目の疑問は、「雉」についてだ。
続く~
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