~続き
現像した写真には連続して不思議な光が写っていた。時刻は夕刻。太陽は西に沈みかけている。にも関わらず、島のすぐ横に垂直にオレンジ色の強い光が舞い降りていた。よく見てみると、水面に強い光が映っている。またその光が金色の蛇のようになって水面を進んでいた。
水面の波が光が当たった所から、円く波がおこっている。また、垂直の光の中心に人影らしきものがぼんやりと写っていた。空中に誰か(おそらく女性)いるのだ。手には剣らしきものを携えているようにも見える。
今日、辨財天の仏像を観るに、最も馴染み深い姿は、女性が琵琶をもっているものだ。しかし、古い像、特に天台宗や真言宗で祭られる辨財天は甲冑を着たり、手に剣を持っているものがある。
あの時、私は写真を撮る父の横で、同じ景色を眺めていた。しかし肉眼ではこんな光は見えなかった。しかし写真にはしっかりと写っている。(父には写るのが判っていたようだった)
不思議な写真が写ってから数日後、断れまくり、半ば諦めていた「なかきよの軸」、書いてくれる条件のあった方があっさり見つかった。それが京都のD寺の住職だった。
続く~

現像した写真には連続して不思議な光が写っていた。時刻は夕刻。太陽は西に沈みかけている。にも関わらず、島のすぐ横に垂直にオレンジ色の強い光が舞い降りていた。よく見てみると、水面に強い光が映っている。またその光が金色の蛇のようになって水面を進んでいた。
水面の波が光が当たった所から、円く波がおこっている。また、垂直の光の中心に人影らしきものがぼんやりと写っていた。空中に誰か(おそらく女性)いるのだ。手には剣らしきものを携えているようにも見える。
今日、辨財天の仏像を観るに、最も馴染み深い姿は、女性が琵琶をもっているものだ。しかし、古い像、特に天台宗や真言宗で祭られる辨財天は甲冑を着たり、手に剣を持っているものがある。
あの時、私は写真を撮る父の横で、同じ景色を眺めていた。しかし肉眼ではこんな光は見えなかった。しかし写真にはしっかりと写っている。(父には写るのが判っていたようだった)
不思議な写真が写ってから数日後、断れまくり、半ば諦めていた「なかきよの軸」、書いてくれる条件のあった方があっさり見つかった。それが京都のD寺の住職だった。
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