続き~
簡単なものだが、鉄眼禅師の略歴を紹介する。鉄眼道光は1632年に熊本で生まれた。12歳で出家(この時は浄土真宗)し25歳で、隠元の弟子となった。何故6万枚にも及ぶ、一切経を全て版木にするという事に挑戦したのかは定かではない。
理由を考えてみた。あくまで推測だが、当時鉄眼は版木製作の為に集めた資金(この版木、現在の金額でいえば50億円の大事業だったそうだ)を飢饉で困っている人達に、一度ならず施している。
この行動から、当時の社会情勢を憂い、貧困層の救済という大願を掛けたのではないのだろうか。
1669年から始まった版木製作は9年後に完成した。鉄眼は晩年、こんな言葉を残している。「不器用だからこそ、誰もやらないような、大変なことができたのだろう」と。
重要文化財に指定されているこの版木、驚くことに現在も紙に刷られている。
簡単なものだが、鉄眼禅師の略歴を紹介する。鉄眼道光は1632年に熊本で生まれた。12歳で出家(この時は浄土真宗)し25歳で、隠元の弟子となった。何故6万枚にも及ぶ、一切経を全て版木にするという事に挑戦したのかは定かではない。
理由を考えてみた。あくまで推測だが、当時鉄眼は版木製作の為に集めた資金(この版木、現在の金額でいえば50億円の大事業だったそうだ)を飢饉で困っている人達に、一度ならず施している。
この行動から、当時の社会情勢を憂い、貧困層の救済という大願を掛けたのではないのだろうか。
1669年から始まった版木製作は9年後に完成した。鉄眼は晩年、こんな言葉を残している。「不器用だからこそ、誰もやらないような、大変なことができたのだろう」と。
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