20年ほど前の話。当時、父が所有していた織部焼の古い器があった。本人もかなりお気に入りだったそうだ。ある日父が出入りしていた名古屋市内の某骨董屋さんに、1200年くらい前に作られた、20cm余りの金銅佛があった。値段を聞いてみると、とても高くて買えない。しかしその御姿に惹かれた父は何とか手に入れようと思った。
そこで所持していた織部焼の器を交換に持ちかけたら話は成立し、我が家にご縁があった。
(因みにこの時の器は、現在瀬戸の陶磁器資料館に入っている)
この仏像、保存状態は良かったが、仏像に付き物の光背(仏像の背にある板のようなもの)が紛失していた。光背とは仏が内より放つオーラを意味しているらしい。
「惜しいなぁ」と思った父の脳裏に「あれっ?ひょっとして…」と浮かんだものがあった。仏像を手に入れる何年か前、安城市にある某骨董屋にて仏像の光背だけ入手していたのだ。それがあまりに古くて美しい細工がしてあったので安かった事もあり購入したのだ。
仏像のサイズ的にはピッタリ合いそうだったので、合わせてみた。するとどうだろう、「パチ!」という音と共に二度と外れなくなってしまった。仏像と光背をよく観察してみたら驚く事が判明した。光背についていた傷と仏像の背中の傷の場所が一致したのだ。
そう、もともと一つのものだったのである
全く違う場所、違う時期に入手したものが出会う。不思議な御縁です。
そこで所持していた織部焼の器を交換に持ちかけたら話は成立し、我が家にご縁があった。
(因みにこの時の器は、現在瀬戸の陶磁器資料館に入っている)
この仏像、保存状態は良かったが、仏像に付き物の光背(仏像の背にある板のようなもの)が紛失していた。光背とは仏が内より放つオーラを意味しているらしい。
「惜しいなぁ」と思った父の脳裏に「あれっ?ひょっとして…」と浮かんだものがあった。仏像を手に入れる何年か前、安城市にある某骨董屋にて仏像の光背だけ入手していたのだ。それがあまりに古くて美しい細工がしてあったので安かった事もあり購入したのだ。
仏像のサイズ的にはピッタリ合いそうだったので、合わせてみた。するとどうだろう、「パチ!」という音と共に二度と外れなくなってしまった。仏像と光背をよく観察してみたら驚く事が判明した。光背についていた傷と仏像の背中の傷の場所が一致したのだ。
そう、もともと一つのものだったのである

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