2022-08-30
◆古墳について考察
前回のブログで滋賀県にある「あかね古墳公園」について述べました。
今回は古墳について思った事を考察していきます。
形には意味があります。例えば天台・真言などの密教で言えば、護摩壇、印、法具等々。お抹茶や煎茶などの茶道でも所作や道具にはそれぞれの意味があります。
日本に沢山残る古墳も、形となると大体決まっています。方墳、円墳、前方後円墳などです。ただの権力者の墳墓であれば、形は如何様にでも作ってよさそうですが、そうならないのはその形に意味があるからでしょう。
私は古墳の形は鏡から来ていると思います。
円墳は丸い鏡

※画像は頂きもの
方墳は方鏡

※画像は頂きもの
前方後円墳は二種類の鏡を合わせた特別な形、あるいは鏡と矛を兼ね備えた形と考えました。
丸と四角の図形を調べると、古くは簠簋(ほき)という中国の祭祀に使う道具が出てきます。四角と丸の入れ物です。確か丸は宇宙を表し、四角は大地を表すとか。
弘法大師が唐から持ち帰った密教に関する宝物の中に曼荼羅がありましたが、曼荼羅の図を見ると、図形は四角と丸で成り立っています。やはりこれらの形には何らかの意味があると考えて良いでしょう。
鏡は三種の神器の一つにも数えられます。鏡形の古墳、しかも重ねた形に遺体を埋葬する。(鏡い餅の発想は二重の円墳からかも)
埋葬した遺体は石室という一種の密閉した箱に入れます。同時に副葬品も入れます。副葬品は銅鏡や剣、勾玉などを入れます。いずれも神が宿るとされる御神器です。
古墳の中には石室内を赤く塗っているものもあります。また、古墳の回りに堀を設け水を蓄えているのもあります。これは思うに中のご遺体に「火」と「水」の力を籠らせるという意味がある様に思います。古事記に出てくる海幸彦と山幸彦の神話です。
遺体に力を籠らせるには石室がまずはその役割を担います。籠った力を外に逃さないようにする為です。壁と空間です。
昔、密教のお坊様からこんな話を聞きました。古い仏像、特に神が宿るとされた霊木で彫られた古仏像は、秘仏扱いになることが多いというものです。これは仏像そのものに強い力があるので、私のような仏像好きが、たまにお参りする分には問題ないでしょうが、毎日経をあげお参りする僧侶からすると、パワー負けすることがあるからです。別に仏様が怒っているとかそういうことではないです。
純粋なある種の力です。強すぎる仏像の前では、厨子というケースに仏像を閉じ込めることでお参りしやすくなるそうです。秘仏は寺によっては1年毎、6年毎、12年毎、30年毎とある期間が過ぎると開帳することがあります。仏像好きにとっては一大イベントですが、秘仏であった期間に比例して仏像の厨子の間の空間には強い力が蓄えられます。
御開帳とはその本尊の蓄えられ、放出された力を頂くという意味があるように思えます。
梅原猛氏はその著書の中で、古墳とは山だと言っていました。山は異界であり、信仰の対象です。山そのものが神と言うことです。
あかね古墳公園の円墳、方墳共に造り出しと呼ばれる四角い部分が、古墳の南北に設けてありました。これは諸説あるようですが、一説には祭祀を執り行う場所というものがありますが、私もそうだと思います。祈りの対象が古墳でもあるわけです。
古墳の形、御神器の埋葬品、火と水の力、石室の空間、死して山となる、祈りの対象が古墳・・・このように考えますと、古代人たちは遺体にどうやって神の力を持たせるかということに腐心していたと思えます。
それが人を神にするという呪物、神道的に言えば巨大な御神器が古墳ではないか?と思いました。
今回は古墳について思った事を考察していきます。
形には意味があります。例えば天台・真言などの密教で言えば、護摩壇、印、法具等々。お抹茶や煎茶などの茶道でも所作や道具にはそれぞれの意味があります。
日本に沢山残る古墳も、形となると大体決まっています。方墳、円墳、前方後円墳などです。ただの権力者の墳墓であれば、形は如何様にでも作ってよさそうですが、そうならないのはその形に意味があるからでしょう。
私は古墳の形は鏡から来ていると思います。
円墳は丸い鏡

※画像は頂きもの
方墳は方鏡

※画像は頂きもの
前方後円墳は二種類の鏡を合わせた特別な形、あるいは鏡と矛を兼ね備えた形と考えました。
丸と四角の図形を調べると、古くは簠簋(ほき)という中国の祭祀に使う道具が出てきます。四角と丸の入れ物です。確か丸は宇宙を表し、四角は大地を表すとか。
弘法大師が唐から持ち帰った密教に関する宝物の中に曼荼羅がありましたが、曼荼羅の図を見ると、図形は四角と丸で成り立っています。やはりこれらの形には何らかの意味があると考えて良いでしょう。
鏡は三種の神器の一つにも数えられます。鏡形の古墳、しかも重ねた形に遺体を埋葬する。(鏡い餅の発想は二重の円墳からかも)
埋葬した遺体は石室という一種の密閉した箱に入れます。同時に副葬品も入れます。副葬品は銅鏡や剣、勾玉などを入れます。いずれも神が宿るとされる御神器です。
古墳の中には石室内を赤く塗っているものもあります。また、古墳の回りに堀を設け水を蓄えているのもあります。これは思うに中のご遺体に「火」と「水」の力を籠らせるという意味がある様に思います。古事記に出てくる海幸彦と山幸彦の神話です。
遺体に力を籠らせるには石室がまずはその役割を担います。籠った力を外に逃さないようにする為です。壁と空間です。
昔、密教のお坊様からこんな話を聞きました。古い仏像、特に神が宿るとされた霊木で彫られた古仏像は、秘仏扱いになることが多いというものです。これは仏像そのものに強い力があるので、私のような仏像好きが、たまにお参りする分には問題ないでしょうが、毎日経をあげお参りする僧侶からすると、パワー負けすることがあるからです。別に仏様が怒っているとかそういうことではないです。
純粋なある種の力です。強すぎる仏像の前では、厨子というケースに仏像を閉じ込めることでお参りしやすくなるそうです。秘仏は寺によっては1年毎、6年毎、12年毎、30年毎とある期間が過ぎると開帳することがあります。仏像好きにとっては一大イベントですが、秘仏であった期間に比例して仏像の厨子の間の空間には強い力が蓄えられます。
御開帳とはその本尊の蓄えられ、放出された力を頂くという意味があるように思えます。
梅原猛氏はその著書の中で、古墳とは山だと言っていました。山は異界であり、信仰の対象です。山そのものが神と言うことです。
あかね古墳公園の円墳、方墳共に造り出しと呼ばれる四角い部分が、古墳の南北に設けてありました。これは諸説あるようですが、一説には祭祀を執り行う場所というものがありますが、私もそうだと思います。祈りの対象が古墳でもあるわけです。
古墳の形、御神器の埋葬品、火と水の力、石室の空間、死して山となる、祈りの対象が古墳・・・このように考えますと、古代人たちは遺体にどうやって神の力を持たせるかということに腐心していたと思えます。
それが人を神にするという呪物、神道的に言えば巨大な御神器が古墳ではないか?と思いました。
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2022-08-28
◆あかね古墳公園
滋賀県近江八幡市にある「あかね古墳公」へ行きました。
この日は京都と滋賀の博物館を梯子して、さぁ次はどうしようかと考えて、ここを思い出しました。
名神高速道路を京都方面に進むと左手側に見える、大きな整備された古墳です。
古墳というと、木に覆われたものを連想しますが、このように当時の姿を復元したものは少ないです。無論、大昔のものを整備したものです。
実際に高速を降り、現地に向かうのは初めてでした。
まず、想像以上に大きな古墳の姿に驚きました。

この古墳の名は「久保田山古墳 」です。
古墳は登れるようになっており、公園にいた管理人らしきおじさんから、古墳に関するパンフレットを頂きました。それによれば「直径57m、高さ5m以上の円墳で南北の両端に造り出しがつく珍しい形をしている」とありました。造り出しとはこの場合、円墳の端っこに設けられた四角い部分です。

円墳というのは円い形の古墳という認識でしたが、この円墳は二重構造になっていました。さながら鏡餅のようです。
古墳に登ってみるとこんな景色です。

登ってみた感想ですが、何か力が集まっていると言うか、登ってはいけない場所だなと思いました。念の為「失礼します」と言ってから真言を唱えながら登りました。
画像奥に見えるのも古墳です。こちらは四角い古墳、方墳ですね。やはり上下に分かれた二重構造になっています。古墳公園の管理をしていたおじさんから「方墳の方は登ると石室が見えるよ」と聞いていたので行ってみました。

私が今まで見た方墳の中では最大級のものです。資料によれば一辺が約65m、高さ11mとあります。先程の円墳も大きかったです。滋賀の有力な豪族のお墓なのでしょう。方墳の名前は「雨乞山古墳」です。名前から察するに大昔は雨乞いの儀式をやっていたのでしょう。こちらにも四角い造り出しが2つ設けてありました。
なかなかの急斜面です。この日は、地元のお爺さんと孫らしき子供が急斜面を段ボールにお尻を乗せて滑っていました。なかなか勇気がいる行動だなと思いました。

この階段を登ると石室が見えます。
石室の写真は撮れなかったので、頂いた資料より拝借します。

正直言いますと、石室を覗き込むとちょっと疲れる感じがしましたので、写真は遠慮しました。石室の中を見るのは初めてではありません。もっと小さなものも見たことがあります。しかし、石室を見て緊張したのは初めての経験でした。
やはり規模が違う事(大きさ)と、きっちり復元された形が関係しているのか。
帰りの車内で考えが巡りました。
古墳の形は前方後円墳、方墳、円墳、円と四角。形の意味。
中には綺麗な八角形もある。
鏡餅の意味。
石室の納入品。雨乞山古墳の石室を見て感じたこと。
造り出し・・・。
出た結論は、古墳は言わずもがな古代豪族の墓であるが、人を神にするための巨大な呪物では?というものでした。
紅葉屋呉服店はこちらまで
この日は京都と滋賀の博物館を梯子して、さぁ次はどうしようかと考えて、ここを思い出しました。
名神高速道路を京都方面に進むと左手側に見える、大きな整備された古墳です。
古墳というと、木に覆われたものを連想しますが、このように当時の姿を復元したものは少ないです。無論、大昔のものを整備したものです。
実際に高速を降り、現地に向かうのは初めてでした。
まず、想像以上に大きな古墳の姿に驚きました。

この古墳の名は「久保田山古墳 」です。
古墳は登れるようになっており、公園にいた管理人らしきおじさんから、古墳に関するパンフレットを頂きました。それによれば「直径57m、高さ5m以上の円墳で南北の両端に造り出しがつく珍しい形をしている」とありました。造り出しとはこの場合、円墳の端っこに設けられた四角い部分です。

円墳というのは円い形の古墳という認識でしたが、この円墳は二重構造になっていました。さながら鏡餅のようです。
古墳に登ってみるとこんな景色です。

登ってみた感想ですが、何か力が集まっていると言うか、登ってはいけない場所だなと思いました。念の為「失礼します」と言ってから真言を唱えながら登りました。
画像奥に見えるのも古墳です。こちらは四角い古墳、方墳ですね。やはり上下に分かれた二重構造になっています。古墳公園の管理をしていたおじさんから「方墳の方は登ると石室が見えるよ」と聞いていたので行ってみました。

私が今まで見た方墳の中では最大級のものです。資料によれば一辺が約65m、高さ11mとあります。先程の円墳も大きかったです。滋賀の有力な豪族のお墓なのでしょう。方墳の名前は「雨乞山古墳」です。名前から察するに大昔は雨乞いの儀式をやっていたのでしょう。こちらにも四角い造り出しが2つ設けてありました。
なかなかの急斜面です。この日は、地元のお爺さんと孫らしき子供が急斜面を段ボールにお尻を乗せて滑っていました。なかなか勇気がいる行動だなと思いました。

この階段を登ると石室が見えます。
石室の写真は撮れなかったので、頂いた資料より拝借します。

正直言いますと、石室を覗き込むとちょっと疲れる感じがしましたので、写真は遠慮しました。石室の中を見るのは初めてではありません。もっと小さなものも見たことがあります。しかし、石室を見て緊張したのは初めての経験でした。
やはり規模が違う事(大きさ)と、きっちり復元された形が関係しているのか。
帰りの車内で考えが巡りました。
古墳の形は前方後円墳、方墳、円墳、円と四角。形の意味。
中には綺麗な八角形もある。
鏡餅の意味。
石室の納入品。雨乞山古墳の石室を見て感じたこと。
造り出し・・・。
出た結論は、古墳は言わずもがな古代豪族の墓であるが、人を神にするための巨大な呪物では?というものでした。
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2022-08-20
◆天神様の雰囲気
父が亡くなる1か月くらい前、本人に呼び出され、自分が生きている間に出来なかったことを引き継いでやってくれと、いくつか頼まれごとを受けました。
現在進行中ですが、その中に我が家でお祭りしている天神像の背後に、金屏風(新品)を設置すること、天蓋を吊るすこと、亡失した手首を復元することがあります。
この内、残すところは手首の復元ですが、これは最後になりそうです。
天蓋とは仏像を祀る時の荘厳具です。天神像は仏像ではなく神像です。そもそもですが、神像に天蓋はつけません。しかし言われた通りにやりましたが、違和感は全然なくかなり立派になりました。
それから数カ月、お参りしている時に何か物足りなくなり、「御鈴がいるぞ」と購入してきました。
そして今朝、日課のお参りでお経をあげていたところ、ふと天神様の顔を見ると随分穏やかになってきたなと思いました。
根拠は無いですが、我が家の天神様は神道の天神より、仏教式の神仏習合時代の「天満大自在天」として祀られる方が性に合っているのでは?と思えます。
神像は神社に祀られる神様の姿を木に彫ったものです。神道では元々寺のように形のある本尊はなかったので、神像は仏像にならって造られました。
仏教の仏像と違い、神道の神像は基本公開はないです。博物館などの展示会に出ることはあっても、神社で本殿の扉を開けて公開するということはないです。(極僅かだが御開帳される神像はある)
これは神は畏れ多い存在なので、その姿は見てはいけないという考え方があるからです。
父が家族に託した天神様の祀り方は、神道の祀り方ではなく、仏教の祀り方でした。そして気付けば蝋燭を点け、香を焚き、御鈴をならし、真言や名号を唱え、般若心経を読むという仏教式の祀り方になりました。
在家に神像を祀るというのは禁忌中の禁忌だそうです。もし祀れば何が起こるか分からないそうです。
しかし、我が家では今のところ治まっているようにみえます。これは家の本尊が大慈悲の観世音菩薩であることと、天神像を神像ではなく、どちらかと言うと仏像寄りで祀ったことの影響が大きいのかなと思います。

画像は北野天満宮に残る絵巻の一場面。
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現在進行中ですが、その中に我が家でお祭りしている天神像の背後に、金屏風(新品)を設置すること、天蓋を吊るすこと、亡失した手首を復元することがあります。
この内、残すところは手首の復元ですが、これは最後になりそうです。
天蓋とは仏像を祀る時の荘厳具です。天神像は仏像ではなく神像です。そもそもですが、神像に天蓋はつけません。しかし言われた通りにやりましたが、違和感は全然なくかなり立派になりました。
それから数カ月、お参りしている時に何か物足りなくなり、「御鈴がいるぞ」と購入してきました。
そして今朝、日課のお参りでお経をあげていたところ、ふと天神様の顔を見ると随分穏やかになってきたなと思いました。
根拠は無いですが、我が家の天神様は神道の天神より、仏教式の神仏習合時代の「天満大自在天」として祀られる方が性に合っているのでは?と思えます。
神像は神社に祀られる神様の姿を木に彫ったものです。神道では元々寺のように形のある本尊はなかったので、神像は仏像にならって造られました。
仏教の仏像と違い、神道の神像は基本公開はないです。博物館などの展示会に出ることはあっても、神社で本殿の扉を開けて公開するということはないです。(極僅かだが御開帳される神像はある)
これは神は畏れ多い存在なので、その姿は見てはいけないという考え方があるからです。
父が家族に託した天神様の祀り方は、神道の祀り方ではなく、仏教の祀り方でした。そして気付けば蝋燭を点け、香を焚き、御鈴をならし、真言や名号を唱え、般若心経を読むという仏教式の祀り方になりました。
在家に神像を祀るというのは禁忌中の禁忌だそうです。もし祀れば何が起こるか分からないそうです。
しかし、我が家では今のところ治まっているようにみえます。これは家の本尊が大慈悲の観世音菩薩であることと、天神像を神像ではなく、どちらかと言うと仏像寄りで祀ったことの影響が大きいのかなと思います。

画像は北野天満宮に残る絵巻の一場面。
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