2022-03-23
◆地獄の鬼について調べてみた。「役鬼」
前回のブログで牛頭鬼と馬頭鬼について調べました。地獄の鬼達を一括りに言うと「獄卒鬼(ごくそつき)」と言いますが、この獄卒鬼は大まかに分けると「役鬼(えんき)」と「羅刹(らせつ)」になるようです。
羅刹は元々地上にいて人に害をなしていた悪鬼の類、役鬼は閻魔大王の忠実な家来とされています。役鬼は羅刹や夜叉が原型のようですが、今日では仏教に出てくる地獄世界の住人という立ち位置のようです。
閻魔大王の家来の鬼、役鬼。この鬼達の昔話がありました。今昔物語です。こんな話でした。
奈良時代の話。大安寺の西の里に橘磐嶋(たちばなのいわしま)という者がいました。彼は大安寺で銭を借り、越前国敦賀で買った商品を船に積み込んでいたところ、突然病気になった。
橘磐嶋は船旅を続けるのは辛いので、早馬を借りて帰宅することに。その途中、近江国高島郡の湖畔を通りかかった際、ふと後ろを振り返ると、三人の男達がついてきているのに気付いた。
やがて追いついた男たちに橘磐嶋は尋ねた。
「あなた方はどちらへ行かれるのですか?」
「俺たちは閻魔大王の使い。大和の磐嶋という男を捕えに来た」
驚いた磐嶋。続けて理由を問いました。
「俺たちはお前の家に行ったが、お前はおらず、商売に出かけ留守だと聞いた。敦賀まで出かけ捕まえようとしたが、俺たちの前に四天王の使者が現れたのだ」
と鬼達は言いました。聞けば、四天王の使者は磐嶋が寺から金を借りていること、その借りた金を返す前に死んでしまっては寺が困ることを鬼達に告げました。四天王も寺が困るのを黙って見ていられなかった様子。
「そういう訳で、お前が家に帰るまでは許すことにした。それはそうと、お前を追う内に俺たちは腹が減って疲れた。何か食い物はないか?」
磐嶋は道中で食べていた干し飯を差し出すと、鬼達はむさぼるように食べた。
「お前は俺たちに近づくな。お前の病気は俺たちのせいだからな。しかし、恐れることはないぞ」
帰宅後、磐嶋は鬼達を招き入れ、大いにもてなした。何とか許してもらえないかと思ったのだ。そうこうしている内、役鬼の一人がこうもちかけた。
「俺た達は牛が大好物なのだ。牛がたまに不自然な死に方をすることがあるが、実はあれは俺たちの仕業だ」
それを聞いた磐嶋、家で飼っている牛二頭をあげるから、命だけはと懇願した。それを聞いた役鬼達もまんざらでもない様子。
「そうだな、お前には随分世話になった。その恩は返さねばならんが、お前を許すと俺達が鉄杖で100回打たれてしまう。・・・お前と同じ年の男は他におらぬか?」
「ここら辺りにはおりません」
「ええい!貴様、何年だ!」
「戊寅(つちのえとら)生まれですが」
「戊寅生まれの男なら心当たりがある。お前の代わりにそいつを捕まえるとしよう」
暫くして鬼達は満足した様子で立ち上がった。
「ふう、うまい牛であった。俺たちはいずれ閻魔庁で罰を受けることだろう。そこでお前に頼みがある。俺たちが罰を受けぬよう、金剛般若経を100巻読経せよ。いいか、忘れるなよ。俺たちの名は第一に高佐丸、第二に仲智丸、第三は津知丸だ」
鬼達が去ったのは夜半のことで、朝になって磐嶋がみると、牛が一頭死んでいた。
早速磐嶋は大安寺の南塔院へ行き、事情を話して役鬼達のためにお経を読んでもらうように頼み、祈った。務めを二日間で果たし、三日目の明け方になると鬼達が大喜びで現れた。
「金剛般若経のおかげで杖刑を免れた。その上、食事の量も増えたぞ。これからは毎月六斎の日に、俺たちのために功徳を積み、食べ物を供えてくれぬか?」
と磐嶋に頼むとかき消すようにいなくなった。この後、磐嶋は90余歳まで生きたという。
・・・というものです。岩島は役鬼達の頼みを生涯に亘って続けたのでしょう。この時代に90余歳というのはすごいことです。
獄卒鬼を調べていたら、地獄の鬼、役鬼の興味深い昔話が出てきました。仏の力、経典の力と祈りの気持ちは、地獄の鬼にも届くということです。また鬼の中にも約束は守る鬼もいる、鬼には鬼の筋の通し方があるとも読めます。
それと、牛を二頭差し上げると言った磐嶋でしたが、鬼達は一頭しか牛の命を奪わなかったというのも、鬼の中のルールがあるようにも思えました。
鬼は恐ろしい、怖い、強い、残虐というイメージはありますが、100%悪かと言われれば、そうでもないです。毘沙門天の御眷属のように、仏門に入った鬼もいます。そういう鬼は神々のお手伝いが役割です。
地獄の鬼も基本、役割を全うしているだけなのでしょう。

紅葉屋呉服店」はこちらまで
参考文献 鬼 新紀元社
羅刹は元々地上にいて人に害をなしていた悪鬼の類、役鬼は閻魔大王の忠実な家来とされています。役鬼は羅刹や夜叉が原型のようですが、今日では仏教に出てくる地獄世界の住人という立ち位置のようです。
閻魔大王の家来の鬼、役鬼。この鬼達の昔話がありました。今昔物語です。こんな話でした。
奈良時代の話。大安寺の西の里に橘磐嶋(たちばなのいわしま)という者がいました。彼は大安寺で銭を借り、越前国敦賀で買った商品を船に積み込んでいたところ、突然病気になった。
橘磐嶋は船旅を続けるのは辛いので、早馬を借りて帰宅することに。その途中、近江国高島郡の湖畔を通りかかった際、ふと後ろを振り返ると、三人の男達がついてきているのに気付いた。
やがて追いついた男たちに橘磐嶋は尋ねた。
「あなた方はどちらへ行かれるのですか?」
「俺たちは閻魔大王の使い。大和の磐嶋という男を捕えに来た」
驚いた磐嶋。続けて理由を問いました。
「俺たちはお前の家に行ったが、お前はおらず、商売に出かけ留守だと聞いた。敦賀まで出かけ捕まえようとしたが、俺たちの前に四天王の使者が現れたのだ」
と鬼達は言いました。聞けば、四天王の使者は磐嶋が寺から金を借りていること、その借りた金を返す前に死んでしまっては寺が困ることを鬼達に告げました。四天王も寺が困るのを黙って見ていられなかった様子。
「そういう訳で、お前が家に帰るまでは許すことにした。それはそうと、お前を追う内に俺たちは腹が減って疲れた。何か食い物はないか?」
磐嶋は道中で食べていた干し飯を差し出すと、鬼達はむさぼるように食べた。
「お前は俺たちに近づくな。お前の病気は俺たちのせいだからな。しかし、恐れることはないぞ」
帰宅後、磐嶋は鬼達を招き入れ、大いにもてなした。何とか許してもらえないかと思ったのだ。そうこうしている内、役鬼の一人がこうもちかけた。
「俺た達は牛が大好物なのだ。牛がたまに不自然な死に方をすることがあるが、実はあれは俺たちの仕業だ」
それを聞いた磐嶋、家で飼っている牛二頭をあげるから、命だけはと懇願した。それを聞いた役鬼達もまんざらでもない様子。
「そうだな、お前には随分世話になった。その恩は返さねばならんが、お前を許すと俺達が鉄杖で100回打たれてしまう。・・・お前と同じ年の男は他におらぬか?」
「ここら辺りにはおりません」
「ええい!貴様、何年だ!」
「戊寅(つちのえとら)生まれですが」
「戊寅生まれの男なら心当たりがある。お前の代わりにそいつを捕まえるとしよう」
暫くして鬼達は満足した様子で立ち上がった。
「ふう、うまい牛であった。俺たちはいずれ閻魔庁で罰を受けることだろう。そこでお前に頼みがある。俺たちが罰を受けぬよう、金剛般若経を100巻読経せよ。いいか、忘れるなよ。俺たちの名は第一に高佐丸、第二に仲智丸、第三は津知丸だ」
鬼達が去ったのは夜半のことで、朝になって磐嶋がみると、牛が一頭死んでいた。
早速磐嶋は大安寺の南塔院へ行き、事情を話して役鬼達のためにお経を読んでもらうように頼み、祈った。務めを二日間で果たし、三日目の明け方になると鬼達が大喜びで現れた。
「金剛般若経のおかげで杖刑を免れた。その上、食事の量も増えたぞ。これからは毎月六斎の日に、俺たちのために功徳を積み、食べ物を供えてくれぬか?」
と磐嶋に頼むとかき消すようにいなくなった。この後、磐嶋は90余歳まで生きたという。
・・・というものです。岩島は役鬼達の頼みを生涯に亘って続けたのでしょう。この時代に90余歳というのはすごいことです。
獄卒鬼を調べていたら、地獄の鬼、役鬼の興味深い昔話が出てきました。仏の力、経典の力と祈りの気持ちは、地獄の鬼にも届くということです。また鬼の中にも約束は守る鬼もいる、鬼には鬼の筋の通し方があるとも読めます。
それと、牛を二頭差し上げると言った磐嶋でしたが、鬼達は一頭しか牛の命を奪わなかったというのも、鬼の中のルールがあるようにも思えました。
鬼は恐ろしい、怖い、強い、残虐というイメージはありますが、100%悪かと言われれば、そうでもないです。毘沙門天の御眷属のように、仏門に入った鬼もいます。そういう鬼は神々のお手伝いが役割です。
地獄の鬼も基本、役割を全うしているだけなのでしょう。

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2022-03-20
◆地獄の鬼について調べてみた。
地獄の住人には極卒鬼という鬼の一族がいますが、その極卒鬼達のリーダーと目されているのが牛頭鬼(ごずき)、馬頭鬼(めずき)です。その名の通り頭が牛の鬼と、頭が馬の鬼です。かなり凶暴な鬼のようです。
牛頭鬼は女版の牛頭女(ごずめ)もいます。地獄の鬼なので、堕ちた亡者をいたぶるのがお仕事ですが、人の世界にもたまに現れることがあるようです。
今昔物語の17巻にこの牛頭鬼のお話がありました。
ある夜、老若二人の僧侶が、荒れ果てた古寺に泊まりました。夜半になると、化物が現れ、二人の僧侶に襲い掛かりました。辺りは暗闇です。一体何が襲って来たのか分からず堂内を逃げ回りましたが、老僧の方は捕まってしまい、引き裂かれて食べられました。
若い僧は懸命に法華経を念じつつ逃げまどい、本堂にいくつかあった仏像の一つに抱き着き震えていました。やがて化物は次の獲物をと、若い僧の方へ近づいて来ました。
しかし、どうしたことか化物は突然倒れてしまいました。
朝になり、若い僧は何が起こったのか理解しました。化物は牛頭鬼であり、身体が三つに切られていました。そして自分が抱きついていた仏像が毘沙門天だったと分かりました。
毘沙門天の鉾先には血が付いていたそうです。
毘沙門天は元々は夜叉の王なので、この恐るべき牛頭鬼でも全く歯が立たなかったということですね。この若い僧侶も危機的状況下でも恐怖に負けず、仏様を信じ、法華経を念じていたので助かったのでしょう。神仏の力を受け取るコツみたいなものが、この話に隠れているかもなと読んでいて思いました。
牛頭鬼は相手が僧侶であるにも関わらず、しかも食う目的で人間を襲うというのは、鬼は鬼でもかなり危ない鬼だというのが分かります。また牛頭鬼・馬頭鬼は人間を殺すという凶暴な面があるだけではなく、生前の行いによって地獄に直行する人間を迎えに来るというお話もあるようです。
元々日本にいた鬼ではなく、仏教伝来と共に日本に入ってきた鬼のようです。顔が馬とか牛と言うのはどういう意味があるのか。人間に殺された動物が鬼となったということか?良く分かりませんが、ギリシャ神話でも中国の神話でも、日本の古くから祀られる神の中にも顔が牛と云う存在は出てきますので、不思議な感じはします。

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参考文献 鬼 新紀元社
牛頭鬼は女版の牛頭女(ごずめ)もいます。地獄の鬼なので、堕ちた亡者をいたぶるのがお仕事ですが、人の世界にもたまに現れることがあるようです。
今昔物語の17巻にこの牛頭鬼のお話がありました。
ある夜、老若二人の僧侶が、荒れ果てた古寺に泊まりました。夜半になると、化物が現れ、二人の僧侶に襲い掛かりました。辺りは暗闇です。一体何が襲って来たのか分からず堂内を逃げ回りましたが、老僧の方は捕まってしまい、引き裂かれて食べられました。
若い僧は懸命に法華経を念じつつ逃げまどい、本堂にいくつかあった仏像の一つに抱き着き震えていました。やがて化物は次の獲物をと、若い僧の方へ近づいて来ました。
しかし、どうしたことか化物は突然倒れてしまいました。
朝になり、若い僧は何が起こったのか理解しました。化物は牛頭鬼であり、身体が三つに切られていました。そして自分が抱きついていた仏像が毘沙門天だったと分かりました。
毘沙門天の鉾先には血が付いていたそうです。
毘沙門天は元々は夜叉の王なので、この恐るべき牛頭鬼でも全く歯が立たなかったということですね。この若い僧侶も危機的状況下でも恐怖に負けず、仏様を信じ、法華経を念じていたので助かったのでしょう。神仏の力を受け取るコツみたいなものが、この話に隠れているかもなと読んでいて思いました。
牛頭鬼は相手が僧侶であるにも関わらず、しかも食う目的で人間を襲うというのは、鬼は鬼でもかなり危ない鬼だというのが分かります。また牛頭鬼・馬頭鬼は人間を殺すという凶暴な面があるだけではなく、生前の行いによって地獄に直行する人間を迎えに来るというお話もあるようです。
元々日本にいた鬼ではなく、仏教伝来と共に日本に入ってきた鬼のようです。顔が馬とか牛と言うのはどういう意味があるのか。人間に殺された動物が鬼となったということか?良く分かりませんが、ギリシャ神話でも中国の神話でも、日本の古くから祀られる神の中にも顔が牛と云う存在は出てきますので、不思議な感じはします。

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2022-03-18
◆地獄道について調べてみた。
六道世界の最後は地獄です。六道世界の描写で、一番強烈なのがここです。
人道の中の私達人間が住む世界が瞻部州(せんぶしゅう)ですが、その地下にあるのが地獄です。
49日の裁判が終わり、生前の行いにって六道のどこかに転生する訳ですが、仏教的に見て「酷い行い」をした者が落ちる世界が地獄です。
地獄は複数ありますが、有名なのは八大地獄と呼ばれる世界です。
人道の下にある八大地獄は八層に分かれており、下に行くほど重い地獄となります。それは上から順番にこのようになっております。長いので簡潔に致します。
・等活地獄
殺生を犯した者が落ちる場所。四六時中殺人にまで発展する喧嘩が行われている。自分の意思に関係なく殴り合いをする。無理やり喧嘩をするのが罰ということ。地獄の鬼、牛頭(ごず)、馬頭(めず)がいつも辺りを徘徊し、罪人を見つけると鉄棒で粉々に打ち砕く。生活の為に殺生をしない貴族以外は堕ちると考えられていたようです。
・黒縄地獄
生前、殺生と偸盗(ちゅうとう:盗みをした)の罪を犯した者が堕ちる地獄。大工が使う、材木に線を入れる道具、墨縄(すみなわ)で体に線を引かれ、鬼たちに斧やノコギリで切り裂かれる。墨縄を使うので黒縄(こくじょう)地獄と云う。
・衆合地獄
殺生、偸盗、邪淫の罪を犯したものが堕ちる地獄。美男美女がいる樹木があり、そこをめがけて罪人が登るが、葉が刀のようにするどく罪人を切り刻む。ようやく登っても、そこに美男、美女の姿は無くこんどは樹木の下に現れる。またそこ目がけて降りるので、身体がまた切り刻まれる。圧殺、すり潰しの刑もある。
・叫喚地獄
殺生、偸盗、邪淫、飲酒の罪を犯した者が堕ちる地獄。ドロドロに溶けた灼熱の銅汁を口から流し込まれる。
・大叫喚地獄
殺生、偸盗、邪淫、飲酒、嘘の罪を犯した者が堕ちる地獄。舌を抜かれたり、焼けた針で舌を刺されるなど。殺生、偸盗、邪淫、飲酒、嘘、この五つは仏教に帰依した在家の者が守らねばならない戒律とのことです。
・焦熱地獄
殺生、偸盗、邪淫、飲酒、嘘、邪見の罪を犯した者が堕ちる地獄。徹底して火で焼かれる。熱した鉄の棒で叩かれたり、串刺しにされる。ここの火に比べれば先の5地獄は霜雪ほどに涼しく感じる。焦熱地獄の業火を豆粒ほど地上に持ってきただけで、地上は焦土に化すと云う。
・大焦熱地獄
殺生、偸盗、邪淫、飲酒、嘘、邪見、尼を汚す罪を犯した者が堕ちる地獄。焦熱地獄の10倍の苦しみを味わう。炎の刀で皮を剥がされ、沸騰した鉄汁を飲まされ、炎以外何もない世界に放り出される。火の苦の極限の地獄。
・阿鼻(あび)地獄
父母殺害などの五逆罪を犯したものが落ちる地獄。五逆罪とは、父を殺すこと、母を殺すこと、悟りを得た聖者を殺すこと、僧団を破壊すること、仏のからだを傷つけることを指すようです。ここに辿り着く迄、頭を下にして落下していきますが、到着するのに2000年(!)かかります。
阿鼻地獄に到着すると、迎えるのは体長400キロメートルに及ぶ銅製の地獄の番犬、64個の眼と長さ40キロの牙を持ち、八つの手と18本の角をもつ鬼達、無数の鉄蛇、虫たちが住む世界。阿鼻とは間断がないこと。苦痛がずっと続きます。無間地獄とも云う。他の地獄も何度も鬼達に殺されますが、風が吹くともとに戻ります。この時、一瞬だけ苦しみが無くなりますが、阿鼻地獄はそれすらないのです。
等活地獄から大焦熱地獄まで、一段下がる毎に苦痛が10倍増しになりますが、阿鼻地獄に至っては1000倍増しになるようです。もう簡略してブログにするだけで気が滅入る内容です。
しかし六道の中で、地獄の描写は圧倒的です。これ以外にも副地獄という地獄も多数存在しますが、これは人間の犯罪の種類が増えると、それに合わせて増えていったようです。各地獄に堕ちる罪の種類を見るに、ほとんどの人間は該当するのでは?と思います。
人間の業はそれほど深いということなんでしょうか。

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参考文献
ひと目でわかる 現代人のための仏教知識百科 監修/ひろさちや 主婦と生活社
浄土の本 極楽の彼岸へ誘う 阿弥陀如来の秘力 学研
人道の中の私達人間が住む世界が瞻部州(せんぶしゅう)ですが、その地下にあるのが地獄です。
49日の裁判が終わり、生前の行いにって六道のどこかに転生する訳ですが、仏教的に見て「酷い行い」をした者が落ちる世界が地獄です。
地獄は複数ありますが、有名なのは八大地獄と呼ばれる世界です。
人道の下にある八大地獄は八層に分かれており、下に行くほど重い地獄となります。それは上から順番にこのようになっております。長いので簡潔に致します。
・等活地獄
殺生を犯した者が落ちる場所。四六時中殺人にまで発展する喧嘩が行われている。自分の意思に関係なく殴り合いをする。無理やり喧嘩をするのが罰ということ。地獄の鬼、牛頭(ごず)、馬頭(めず)がいつも辺りを徘徊し、罪人を見つけると鉄棒で粉々に打ち砕く。生活の為に殺生をしない貴族以外は堕ちると考えられていたようです。
・黒縄地獄
生前、殺生と偸盗(ちゅうとう:盗みをした)の罪を犯した者が堕ちる地獄。大工が使う、材木に線を入れる道具、墨縄(すみなわ)で体に線を引かれ、鬼たちに斧やノコギリで切り裂かれる。墨縄を使うので黒縄(こくじょう)地獄と云う。
・衆合地獄
殺生、偸盗、邪淫の罪を犯したものが堕ちる地獄。美男美女がいる樹木があり、そこをめがけて罪人が登るが、葉が刀のようにするどく罪人を切り刻む。ようやく登っても、そこに美男、美女の姿は無くこんどは樹木の下に現れる。またそこ目がけて降りるので、身体がまた切り刻まれる。圧殺、すり潰しの刑もある。
・叫喚地獄
殺生、偸盗、邪淫、飲酒の罪を犯した者が堕ちる地獄。ドロドロに溶けた灼熱の銅汁を口から流し込まれる。
・大叫喚地獄
殺生、偸盗、邪淫、飲酒、嘘の罪を犯した者が堕ちる地獄。舌を抜かれたり、焼けた針で舌を刺されるなど。殺生、偸盗、邪淫、飲酒、嘘、この五つは仏教に帰依した在家の者が守らねばならない戒律とのことです。
・焦熱地獄
殺生、偸盗、邪淫、飲酒、嘘、邪見の罪を犯した者が堕ちる地獄。徹底して火で焼かれる。熱した鉄の棒で叩かれたり、串刺しにされる。ここの火に比べれば先の5地獄は霜雪ほどに涼しく感じる。焦熱地獄の業火を豆粒ほど地上に持ってきただけで、地上は焦土に化すと云う。
・大焦熱地獄
殺生、偸盗、邪淫、飲酒、嘘、邪見、尼を汚す罪を犯した者が堕ちる地獄。焦熱地獄の10倍の苦しみを味わう。炎の刀で皮を剥がされ、沸騰した鉄汁を飲まされ、炎以外何もない世界に放り出される。火の苦の極限の地獄。
・阿鼻(あび)地獄
父母殺害などの五逆罪を犯したものが落ちる地獄。五逆罪とは、父を殺すこと、母を殺すこと、悟りを得た聖者を殺すこと、僧団を破壊すること、仏のからだを傷つけることを指すようです。ここに辿り着く迄、頭を下にして落下していきますが、到着するのに2000年(!)かかります。
阿鼻地獄に到着すると、迎えるのは体長400キロメートルに及ぶ銅製の地獄の番犬、64個の眼と長さ40キロの牙を持ち、八つの手と18本の角をもつ鬼達、無数の鉄蛇、虫たちが住む世界。阿鼻とは間断がないこと。苦痛がずっと続きます。無間地獄とも云う。他の地獄も何度も鬼達に殺されますが、風が吹くともとに戻ります。この時、一瞬だけ苦しみが無くなりますが、阿鼻地獄はそれすらないのです。
等活地獄から大焦熱地獄まで、一段下がる毎に苦痛が10倍増しになりますが、阿鼻地獄に至っては1000倍増しになるようです。もう簡略してブログにするだけで気が滅入る内容です。
しかし六道の中で、地獄の描写は圧倒的です。これ以外にも副地獄という地獄も多数存在しますが、これは人間の犯罪の種類が増えると、それに合わせて増えていったようです。各地獄に堕ちる罪の種類を見るに、ほとんどの人間は該当するのでは?と思います。
人間の業はそれほど深いということなんでしょうか。

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参考文献
ひと目でわかる 現代人のための仏教知識百科 監修/ひろさちや 主婦と生活社
浄土の本 極楽の彼岸へ誘う 阿弥陀如来の秘力 学研
2022-03-14
◆餓鬼道について調べてみた。
六道において最も苦しい世界が地獄ですが、餓鬼道はその次に苦しい世界のようです。その名の通り餓えた鬼の世界です。
地獄というのは落ちた人間を只管責める存在がありますが、餓鬼道では「欲しいものが手に入らない」という苦しみにさいなまれます。
餓鬼とはとにかく餓えているものが落ちる世界です。
餓鬼の寿命は人間の時間に換算すると1万5000年に相当するようです。
餓鬼会を統べるのは閻魔大王です。一言で餓鬼と言っても諸説あり、中には餓鬼の種類は三十六種類あるという話もあります。いろいろと調べてみると、餓鬼は大まかに分けると3種類に分かれており、それぞれが住む世界が違うというのもありました。世界が違う、つまり餓鬼の中には人道に住むものもいれば、地下にいるもの、天道にいるものもいます。これは知らなかったです。なるほどです。
①無罪餓鬼
彼らは全く食べることが出来ず、いつも餓えている。食べ物を口にした途端に食べ物が火と化し、内臓を焼き尽くす。
②小財餓鬼
小財餓鬼は無罪餓鬼と違い、多少は食べることを許されているが、食べ物ではなく糞尿、嘔吐物、屍肉、自分の脳みそ等々、不浄なものしかない。
③多財餓鬼
餓鬼の中でも例外的に富める存在。天界の宮殿まで出入りが許され、あらゆる楽しみを享受出来る。美味飽食も可能。餓鬼の中でも親玉的存在。
同じ餓鬼道に落ちる場合でも、やはり生前の行いにより落ちる餓鬼道にも違いあるということです。多罪餓鬼だけ天界の宮殿にも出入りでき、富を得たり、美食にありつけるというのは何か変な感じがしますが、餓鬼とはとにかく餓えた存在、天界の宝や美食をもってしても満足できず苦しむというのは、恐るべき執着心だと思えます。
三種類の餓鬼、人から見れば違いがありますが、共通しているのは彼らは満足も感謝も知らないということです。餓鬼の中でもより悲惨な境遇、恵まれた境遇があれども満足も感謝もないので、どの餓鬼も底なしの欲望、食欲にさいなまれるということです。それが1万5000年も続くわけです。
人道にも餓鬼がいるというのは、実際にこの世に霊体としての餓鬼が存在するという意味と、人間でありながらその人の考え方、生き方によっては人でありながら餓鬼道に生きているという人もいる・・・という意味の二つがあるのでしょう。
感謝と満足、そのどちらも心のありよう、受け取り方です。この二つが無くなると人は餓鬼になるということです。

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参考文献
ひと目でわかる 現代人のための仏教知識百科 監修/ひろさちや 主婦と生活社
地獄というのは落ちた人間を只管責める存在がありますが、餓鬼道では「欲しいものが手に入らない」という苦しみにさいなまれます。
餓鬼とはとにかく餓えているものが落ちる世界です。
餓鬼の寿命は人間の時間に換算すると1万5000年に相当するようです。
餓鬼会を統べるのは閻魔大王です。一言で餓鬼と言っても諸説あり、中には餓鬼の種類は三十六種類あるという話もあります。いろいろと調べてみると、餓鬼は大まかに分けると3種類に分かれており、それぞれが住む世界が違うというのもありました。世界が違う、つまり餓鬼の中には人道に住むものもいれば、地下にいるもの、天道にいるものもいます。これは知らなかったです。なるほどです。
①無罪餓鬼
彼らは全く食べることが出来ず、いつも餓えている。食べ物を口にした途端に食べ物が火と化し、内臓を焼き尽くす。
②小財餓鬼
小財餓鬼は無罪餓鬼と違い、多少は食べることを許されているが、食べ物ではなく糞尿、嘔吐物、屍肉、自分の脳みそ等々、不浄なものしかない。
③多財餓鬼
餓鬼の中でも例外的に富める存在。天界の宮殿まで出入りが許され、あらゆる楽しみを享受出来る。美味飽食も可能。餓鬼の中でも親玉的存在。
同じ餓鬼道に落ちる場合でも、やはり生前の行いにより落ちる餓鬼道にも違いあるということです。多罪餓鬼だけ天界の宮殿にも出入りでき、富を得たり、美食にありつけるというのは何か変な感じがしますが、餓鬼とはとにかく餓えた存在、天界の宝や美食をもってしても満足できず苦しむというのは、恐るべき執着心だと思えます。
三種類の餓鬼、人から見れば違いがありますが、共通しているのは彼らは満足も感謝も知らないということです。餓鬼の中でもより悲惨な境遇、恵まれた境遇があれども満足も感謝もないので、どの餓鬼も底なしの欲望、食欲にさいなまれるということです。それが1万5000年も続くわけです。
人道にも餓鬼がいるというのは、実際にこの世に霊体としての餓鬼が存在するという意味と、人間でありながらその人の考え方、生き方によっては人でありながら餓鬼道に生きているという人もいる・・・という意味の二つがあるのでしょう。
感謝と満足、そのどちらも心のありよう、受け取り方です。この二つが無くなると人は餓鬼になるということです。

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2022-03-11
◆畜生道について調べてみた・・・からの飼い猫の話。
今回は畜生道について調べてみました。
天道、人道、阿修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の中で、人道以外で唯一認識出来るのが畜生道です。身近なところですと犬や猫のペットでしょうか。
畜生道に生きるものは、犬猫に限らず、家畜と云われる牛や豚、鶏はもちろん、鳥類、獣類、虫類なども入ります。手元の資料にはなかったですが、 おそらく魚類もこれに含まれるかと思います。
仏教では、人であった時の生き方によっては、死後天界に行くこともあれば、修羅界や地獄に生まれ変わるとされています。動物に生まれ変わることもあります。どういう人が死後転生して動物になるのかは分かりませんが、生き物を面白半分で痛めつけたり殺したりすると畜生道におちるのかなと思います。
仏教に出てくる仏様の中で、この畜生道に落ちてしまった生き物の救済を担当している仏さまがいます。馬頭観音菩薩と云います。菩薩は基本的には優しいお顔をしていますが、馬頭観音は怒りの表情をしていることから馬頭明王とも呼ばれています。馬頭というように頭に馬の首がついている観音様です。
畜生道に生きる動物たちですが、私達人間と同じく肉体をもってはいるものの、仏教を学ぶことは出来ません。本も読めないし、言葉を使うことも出来ません。そういう意味では学ぶ気になれば仏教を学べる人間は、とても運が良いと言えます。
しかし、これは何かの本に書いてあった訳ではないですが、もし家に仏像とかお寺で分けてもらったお札、あるいはお仏壇があるという家で、犬とか猫とか飼っているという方がいましたら、毎日のお参りで真言や名号、お経を唱えることでペットの猫とか犬に仏縁を繋げることは出来ると思います。
昨年、家で飼っていた猫を亡くしました。21年生きたおじいさん猫でした。ムーちゃんと言います。
お客さんの家にやって来た小さな野良猫を引き取ったのが縁で、我が家で飼っていました。
外が大好きな猫で、毎日どこかへ行ってましたが、一度も交通事故には遭いませんでした。
我が家は仏壇とか観音様を祀っているので、毎朝、毎晩家の者が必ず誰かはお参りしたり、お経を唱えていますが、ムーちゃんはよくお経を唱えていると近くに来てじっとしていました。
観音様に供えた水をしょっちゅう飲んでいました。観音様の御利益は無事でいられることだそうです。今思えば一度も事故に遭わず、寿命を全う出来たのは観音様の御利益を頂いていたのでしょう。
私の父は昨年の7月2日に亡くなりました。朝方5時頃に亡くなりましたが、当日驚くことがありました。猫の21才は人間で言うと100才位らしいですが、最後の年のムーちゃんは本当によぼよぼでした。階段を上ることも出来ず、元気な頃は2階にある両親の部屋で良く寝ていましたが、晩年は1階の猫用のベッドで寝ていました。
そのムーちゃんが、父が亡くなる5時頃、階段の上の方まで這い上がって来たのです。何かを察したようでした。その日の夜、お坊様に来て頂き、父の遺体の傍で枕経を上げてもらいましたが、その時はムーちゃんも一緒でずっとお経を聞いているようでした。
翌朝の5時頃、父が逝った同じ時間帯にムーちゃんも旅立ちました。見上げた忠猫だったと思います。
父は生前、仏間でお参りしていると、いつの間にかやってくるムーちゃんを見て、「おまえは仏縁があった猫だから、来世は人間で生まれてくるからな」と語り掛けていたのを、このブログをやりながら今思い出しました。
ムーちゃんは亡くなったその日にペット供養をやってくれるお寺でお経を上げてもらい、父の通夜と葬儀はムーちゃんの遺影を一緒に飾りました。
おそらく父と一緒にあっちへ行ったと思いますが、私もあの猫は来世人間に生まれてくるなと信じています。ペットを飼っている人で仏様への信仰心がある方は、そのペットは幸せだと思います。

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参考文献
ひと目でわかる 現代人のための仏教知識百科 監修/ひろさちや 主婦と生活社
仏尊のご利益功徳事典 大森義成著 学研
天道、人道、阿修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の中で、人道以外で唯一認識出来るのが畜生道です。身近なところですと犬や猫のペットでしょうか。
畜生道に生きるものは、犬猫に限らず、家畜と云われる牛や豚、鶏はもちろん、鳥類、獣類、虫類なども入ります。手元の資料にはなかったですが、 おそらく魚類もこれに含まれるかと思います。
仏教では、人であった時の生き方によっては、死後天界に行くこともあれば、修羅界や地獄に生まれ変わるとされています。動物に生まれ変わることもあります。どういう人が死後転生して動物になるのかは分かりませんが、生き物を面白半分で痛めつけたり殺したりすると畜生道におちるのかなと思います。
仏教に出てくる仏様の中で、この畜生道に落ちてしまった生き物の救済を担当している仏さまがいます。馬頭観音菩薩と云います。菩薩は基本的には優しいお顔をしていますが、馬頭観音は怒りの表情をしていることから馬頭明王とも呼ばれています。馬頭というように頭に馬の首がついている観音様です。
畜生道に生きる動物たちですが、私達人間と同じく肉体をもってはいるものの、仏教を学ぶことは出来ません。本も読めないし、言葉を使うことも出来ません。そういう意味では学ぶ気になれば仏教を学べる人間は、とても運が良いと言えます。
しかし、これは何かの本に書いてあった訳ではないですが、もし家に仏像とかお寺で分けてもらったお札、あるいはお仏壇があるという家で、犬とか猫とか飼っているという方がいましたら、毎日のお参りで真言や名号、お経を唱えることでペットの猫とか犬に仏縁を繋げることは出来ると思います。
昨年、家で飼っていた猫を亡くしました。21年生きたおじいさん猫でした。ムーちゃんと言います。
お客さんの家にやって来た小さな野良猫を引き取ったのが縁で、我が家で飼っていました。
外が大好きな猫で、毎日どこかへ行ってましたが、一度も交通事故には遭いませんでした。
我が家は仏壇とか観音様を祀っているので、毎朝、毎晩家の者が必ず誰かはお参りしたり、お経を唱えていますが、ムーちゃんはよくお経を唱えていると近くに来てじっとしていました。
観音様に供えた水をしょっちゅう飲んでいました。観音様の御利益は無事でいられることだそうです。今思えば一度も事故に遭わず、寿命を全う出来たのは観音様の御利益を頂いていたのでしょう。
私の父は昨年の7月2日に亡くなりました。朝方5時頃に亡くなりましたが、当日驚くことがありました。猫の21才は人間で言うと100才位らしいですが、最後の年のムーちゃんは本当によぼよぼでした。階段を上ることも出来ず、元気な頃は2階にある両親の部屋で良く寝ていましたが、晩年は1階の猫用のベッドで寝ていました。
そのムーちゃんが、父が亡くなる5時頃、階段の上の方まで這い上がって来たのです。何かを察したようでした。その日の夜、お坊様に来て頂き、父の遺体の傍で枕経を上げてもらいましたが、その時はムーちゃんも一緒でずっとお経を聞いているようでした。
翌朝の5時頃、父が逝った同じ時間帯にムーちゃんも旅立ちました。見上げた忠猫だったと思います。
父は生前、仏間でお参りしていると、いつの間にかやってくるムーちゃんを見て、「おまえは仏縁があった猫だから、来世は人間で生まれてくるからな」と語り掛けていたのを、このブログをやりながら今思い出しました。
ムーちゃんは亡くなったその日にペット供養をやってくれるお寺でお経を上げてもらい、父の通夜と葬儀はムーちゃんの遺影を一緒に飾りました。
おそらく父と一緒にあっちへ行ったと思いますが、私もあの猫は来世人間に生まれてくるなと信じています。ペットを飼っている人で仏様への信仰心がある方は、そのペットは幸せだと思います。

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参考文献
ひと目でわかる 現代人のための仏教知識百科 監修/ひろさちや 主婦と生活社
仏尊のご利益功徳事典 大森義成著 学研
2022-03-07
◆修羅道を調べてみた。
人道の上には天道があり、人道の下には修羅道がります。
私も修羅道という言葉は聞いたことがあるものの、詳しく聞かれると良く分かりません。
調べてみると、仏教世界にある須弥山と持双山(じそうせん)に挟まれた海の底にある世界が修羅道とありました。水深18万キロだそうです。
修羅と言えば、興福寺にある国宝阿修羅像を思い浮かべます。修羅世界の王が阿修羅であると思っていましたが、修羅世界は四つに分かれており、それぞれに阿修羅王がいると分かりました。
仏教世界の海の王たち(阿修羅王)は、東の海は鞞摩質多羅(びましったら)、西の海は奢婆羅(しゃばら)、南の海は踊躍(ゆやく)、北の海が羅睺羅(らごら)と云います。
一般的にイメージする阿修羅王とは、北の海の王、羅睺羅阿修羅王のことでした。
この四大阿修羅王は、それぞれ荘厳な水中大宮殿を構えています。なかでも一際目を引くのが羅睺羅阿修羅王の大宮殿です。縦横80万キロ、七重の城壁に囲まれ、内部に宮城や塔、庭園などがあります。それは絢爛豪華で天界を思わせる荘厳さです。
人道よりも下にある筈の修羅道の王の住まいが、何故こんなに豪華なのか。それは阿修羅王はかつて天道にいた正義を司る天部だったからです。天界を追放され、海の底に住むようになったのです。
追放になった理由は、天道の天部のリーダー格の帝釈天と何度も戦争をした為でした。戦争の原因は諸説あり、日月の運行が気に入らなかったという理由と、阿修羅王が大変可愛がっていた舎脂(しゃし)という愛娘を,、帝釈天が連れ去ったからという理由などがあります。
阿修羅も相当強いですが、相手はあの四天王を配下とする天部のリーダー格ですので、戦は勝負にならず阿修羅王は何度仕掛けても負け続けたそうです。阿修羅は何度体をバラバラにされても復活するので殺せないとされています。
阿修羅の愛娘をさらったというのが理由だとすると、帝釈天が悪いのでは?と思ってしまいますが、こんなエピソードがありました。ある日の戦いの時、珍しく阿修羅軍の方が優勢で帝釈天は敗走をはじめました。
その最中、帝釈天は当然大音声を発し、全軍に停止を命じました。何故か?
足を止めさせた理由は、帝釈天の眼前に小さなアリの行列があったからです。帝釈天は仏の教えにのっとり、無益な殺生をしなかった・・・というものです。命からがらの敗走中でも、アリ一匹の命でも自分の都合で殺生するのは忍びないと思い、全軍に停止命令を出したのです。どっかの指導者に聞かせたい話です。
帝釈天はちょっと粗雑なエピソードもありますが、小さな命を大切にする心の余裕があるのです。
対して阿修羅王は正義の天部であったにも関わらず、余裕も失くし、正義に固執するが故に他者を許す心を失っており、鬼神になってしまったので人道の下に落とされてしまったということです。仏道修行をしなければならない天部にとっては有るまじき行為だったということなのでしょう。
阿修羅王が治める修羅道(界)は、妄執にとりつかれ、心の余裕のなさ故に他者を許せず、慈悲心を失い悲痛な怒りに囚われたものが堕ちる世界になりました。
しかし、そんな修羅道でも地獄とは違います。仏の教えを学ぼうと思えば学べる世界は、天道と人道ですが、それに加えて修羅道も実は仏の教えを学べるそうです。それは阿修羅王達は元は天部であったことと、仏を守る八種類の護法神のグループ、八部衆に数えられているからではと思います。
ある意味、阿修羅王は修羅道に落ちた人間を救う存在でもあるのでしょう。修羅になった人間の気持ちは同じ修羅しか分からないのかも・・・。
興福寺の国宝阿修羅像は美少年の姿もあってか、仏像好きの女性のファンが多いそうですが、実際の阿修羅王は恐るべき鬼神のような御姿のようです。
色々調べると、どうもあっちの世界では、未だに阿修羅の大軍と、帝釈天率いる四天王を始めとする強力な天部の軍団が度々激突しているようで、さながら人間界の戦争のようです。
それと、仏典では、どうも人間界と天界は相互に関わっているようです。天界の争いが人間界の災害や戦争に投影されるという話もありました。
昨今、大国が戦争行為をしかけておりますが、天界でも一悶着あるのやもしれません。その逆もあるかもですが・・・。

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ひと目でわかる 現代人のための仏教知識百科 監修/ひろさちや 主婦と生活社
天部信仰読本 羽田守快 著 青山社
私も修羅道という言葉は聞いたことがあるものの、詳しく聞かれると良く分かりません。
調べてみると、仏教世界にある須弥山と持双山(じそうせん)に挟まれた海の底にある世界が修羅道とありました。水深18万キロだそうです。
修羅と言えば、興福寺にある国宝阿修羅像を思い浮かべます。修羅世界の王が阿修羅であると思っていましたが、修羅世界は四つに分かれており、それぞれに阿修羅王がいると分かりました。
仏教世界の海の王たち(阿修羅王)は、東の海は鞞摩質多羅(びましったら)、西の海は奢婆羅(しゃばら)、南の海は踊躍(ゆやく)、北の海が羅睺羅(らごら)と云います。
一般的にイメージする阿修羅王とは、北の海の王、羅睺羅阿修羅王のことでした。
この四大阿修羅王は、それぞれ荘厳な水中大宮殿を構えています。なかでも一際目を引くのが羅睺羅阿修羅王の大宮殿です。縦横80万キロ、七重の城壁に囲まれ、内部に宮城や塔、庭園などがあります。それは絢爛豪華で天界を思わせる荘厳さです。
人道よりも下にある筈の修羅道の王の住まいが、何故こんなに豪華なのか。それは阿修羅王はかつて天道にいた正義を司る天部だったからです。天界を追放され、海の底に住むようになったのです。
追放になった理由は、天道の天部のリーダー格の帝釈天と何度も戦争をした為でした。戦争の原因は諸説あり、日月の運行が気に入らなかったという理由と、阿修羅王が大変可愛がっていた舎脂(しゃし)という愛娘を,、帝釈天が連れ去ったからという理由などがあります。
阿修羅も相当強いですが、相手はあの四天王を配下とする天部のリーダー格ですので、戦は勝負にならず阿修羅王は何度仕掛けても負け続けたそうです。阿修羅は何度体をバラバラにされても復活するので殺せないとされています。
阿修羅の愛娘をさらったというのが理由だとすると、帝釈天が悪いのでは?と思ってしまいますが、こんなエピソードがありました。ある日の戦いの時、珍しく阿修羅軍の方が優勢で帝釈天は敗走をはじめました。
その最中、帝釈天は当然大音声を発し、全軍に停止を命じました。何故か?
足を止めさせた理由は、帝釈天の眼前に小さなアリの行列があったからです。帝釈天は仏の教えにのっとり、無益な殺生をしなかった・・・というものです。命からがらの敗走中でも、アリ一匹の命でも自分の都合で殺生するのは忍びないと思い、全軍に停止命令を出したのです。どっかの指導者に聞かせたい話です。
帝釈天はちょっと粗雑なエピソードもありますが、小さな命を大切にする心の余裕があるのです。
対して阿修羅王は正義の天部であったにも関わらず、余裕も失くし、正義に固執するが故に他者を許す心を失っており、鬼神になってしまったので人道の下に落とされてしまったということです。仏道修行をしなければならない天部にとっては有るまじき行為だったということなのでしょう。
阿修羅王が治める修羅道(界)は、妄執にとりつかれ、心の余裕のなさ故に他者を許せず、慈悲心を失い悲痛な怒りに囚われたものが堕ちる世界になりました。
しかし、そんな修羅道でも地獄とは違います。仏の教えを学ぼうと思えば学べる世界は、天道と人道ですが、それに加えて修羅道も実は仏の教えを学べるそうです。それは阿修羅王達は元は天部であったことと、仏を守る八種類の護法神のグループ、八部衆に数えられているからではと思います。
ある意味、阿修羅王は修羅道に落ちた人間を救う存在でもあるのでしょう。修羅になった人間の気持ちは同じ修羅しか分からないのかも・・・。
興福寺の国宝阿修羅像は美少年の姿もあってか、仏像好きの女性のファンが多いそうですが、実際の阿修羅王は恐るべき鬼神のような御姿のようです。
色々調べると、どうもあっちの世界では、未だに阿修羅の大軍と、帝釈天率いる四天王を始めとする強力な天部の軍団が度々激突しているようで、さながら人間界の戦争のようです。
それと、仏典では、どうも人間界と天界は相互に関わっているようです。天界の争いが人間界の災害や戦争に投影されるという話もありました。
昨今、大国が戦争行為をしかけておりますが、天界でも一悶着あるのやもしれません。その逆もあるかもですが・・・。

紅葉屋呉服店はこちらまで
参考文献
ひと目でわかる 現代人のための仏教知識百科 監修/ひろさちや 主婦と生活社
天部信仰読本 羽田守快 著 青山社
2022-03-04
◆天部について調べてみた。
過去ブログでご利益の話をちょっとだけしましたが、天道(天界)に住む天部は人気があります。
例えば愛知県の豊川稲荷は、全国的に有名なお稲荷さんですが、お寺の本尊ではありません。豊川稲荷の本尊は千手観音です。あまりの人気で千手観音を守る役目のお稲荷さんが、本尊よりも大きなお堂に祀られています。
天道の様子を調べて見ると、どうしてご利益が強いのか再確認できました。
天道に住む神々を天部と言いますが、「天」は梵語のデーヴァの訳で、「提婆(だいば)」と音写されました。「部」とは部門とかグループを指します。
天部は最初から仏教世界にいた訳ではなく、古代のバラモン教やヒンドゥー教の神々が仏教に取り込まれたようです。宇宙の創造神から悪霊とか鬼神に至るまで様々な神々が仏教世界に入りました。
天部よりも上にいる存在、如来や菩薩、明王は人々を悟りに導くのが役割ですが、天部は仏や教え、その信仰者を障害から守るのが使命だそうです。
天部には大きく分けて二種類あります。一つは如来や菩薩が仮に天部に変身した「権類(ごんるい)の天」。もう一つはバラモン教などから移行した「実類の天」です。
私が個人的に信仰している天部だと弁才天がありますが、弁才天勤行集(経)を読むと、正法みょう如来が衆生を救うため弁才天になったという記述がありましたので、弁才天はヒンドゥー教の神様ですが、権類の天ということになりそうです。
六道世界に入っている天道。これはつまり天部にも寿命があるということです。天部は死期が近づくと五つの兆候がでます。
①頭上華萎・・・頭上の冠の華が萎む。
②腋下汗流・・・腋の下に汗が出る。
③衣服臭穢・・・衣服に垢がつき汚れる。
④身体臭穢・・・体から匂いを出す。
⑤不落本座・・・天の世界を楽しめなくなる。
死ぬときに出る衰弱の相です。天人五衰と言います。人界よりも遥かに素晴らしい世界である天道でも、そこに住まうものには命の終りがある・・・。このあたりの教えも仏教の凄さを物語っていると思います。
天部は人間に近いところにいる(と言っても凄く離れているとは思いますが)存在なので、ご利益を得やすいとも言われていますが、天部の役割は如来や菩薩、明王の教えを広めること、人間が仏道修行することを望んでおられますから、あんまり願い事ばっかりしているのはよくないでしょう。
道理に合わない、道を外れた願いばかりかけるとご利益もなくなるかと思われます。
また、悟りを開いた存在ではないです。人とは比べてはダメでしょうが煩悩はありますから、祈願するものが途中で信仰をなおざりにしたり、約束を破るときついお叱りがあるとありました。これはなるほどです。よく覚えておこう。

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参考文献
仏尊のご利益功徳事典 大森義成著 学研
例えば愛知県の豊川稲荷は、全国的に有名なお稲荷さんですが、お寺の本尊ではありません。豊川稲荷の本尊は千手観音です。あまりの人気で千手観音を守る役目のお稲荷さんが、本尊よりも大きなお堂に祀られています。
天道の様子を調べて見ると、どうしてご利益が強いのか再確認できました。
天道に住む神々を天部と言いますが、「天」は梵語のデーヴァの訳で、「提婆(だいば)」と音写されました。「部」とは部門とかグループを指します。
天部は最初から仏教世界にいた訳ではなく、古代のバラモン教やヒンドゥー教の神々が仏教に取り込まれたようです。宇宙の創造神から悪霊とか鬼神に至るまで様々な神々が仏教世界に入りました。
天部よりも上にいる存在、如来や菩薩、明王は人々を悟りに導くのが役割ですが、天部は仏や教え、その信仰者を障害から守るのが使命だそうです。
天部には大きく分けて二種類あります。一つは如来や菩薩が仮に天部に変身した「権類(ごんるい)の天」。もう一つはバラモン教などから移行した「実類の天」です。
私が個人的に信仰している天部だと弁才天がありますが、弁才天勤行集(経)を読むと、正法みょう如来が衆生を救うため弁才天になったという記述がありましたので、弁才天はヒンドゥー教の神様ですが、権類の天ということになりそうです。
六道世界に入っている天道。これはつまり天部にも寿命があるということです。天部は死期が近づくと五つの兆候がでます。
①頭上華萎・・・頭上の冠の華が萎む。
②腋下汗流・・・腋の下に汗が出る。
③衣服臭穢・・・衣服に垢がつき汚れる。
④身体臭穢・・・体から匂いを出す。
⑤不落本座・・・天の世界を楽しめなくなる。
死ぬときに出る衰弱の相です。天人五衰と言います。人界よりも遥かに素晴らしい世界である天道でも、そこに住まうものには命の終りがある・・・。このあたりの教えも仏教の凄さを物語っていると思います。
天部は人間に近いところにいる(と言っても凄く離れているとは思いますが)存在なので、ご利益を得やすいとも言われていますが、天部の役割は如来や菩薩、明王の教えを広めること、人間が仏道修行することを望んでおられますから、あんまり願い事ばっかりしているのはよくないでしょう。
道理に合わない、道を外れた願いばかりかけるとご利益もなくなるかと思われます。
また、悟りを開いた存在ではないです。人とは比べてはダメでしょうが煩悩はありますから、祈願するものが途中で信仰をなおざりにしたり、約束を破るときついお叱りがあるとありました。これはなるほどです。よく覚えておこう。

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仏尊のご利益功徳事典 大森義成著 学研
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