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2021-12-26

◆7人の裁判官

前々回のブログの続きです。

三途の河を抜けると死者は6人の裁判官に裁かれます。三途の河を渡る前に秦広王という裁判官に裁かれていますから、計7人の裁判官に会うことになります。


仏教のお葬式では、死後、最初の七日目を初七日と言い、次の七日目を二七日、その次の七日目を三七日というように、七日ごとに法要を行いますが、実はこの七日ごとの法要時、死者の国ではそれぞれの裁判官に裁かれていると知りました。


それはこのようになります。

初七日・・・奏広王
二七日・・・初江王
三七日・・・宋帝王
四七日・・・五官王
五七日・・・閻魔王
六七日・・・変成王
七七日・・・泰山王


葬儀や法事に参加すると、初七日とか四十九日とかよく聞きますが、あれはどういう意味だったのか、ようやく分かりました。七日ごとに訪れる裁判は七回あったので、最後の裁判が四十九日だった訳です。


この裁判官たちに調べられることは、五戒と呼ばれる仏教では守らねばならない五つの戒律を守っていたか?と言うことです。それは、

①不殺生戒(みだりに生き物の命を奪わない)
②不偸盗戒(盗まない)
③不邪淫戒(性行為において淫らであってはならない)
④不妄語戒(嘘をつかない)
⑤不飲酒戒(酒を飲まない)



とありました。これ全部守れている人間などいないと思います。全員アウト!です。だから生きている人達は死者に対してあの世の裁判が少しでも有利に働くよう、七日毎に法事をやるのか!と分かりました。


この七人の裁判官は、私も調べる前は、地獄の裁判官という恐ろしいイメージがありましたが、そうではありませんでした。この方たちは仏の世界の裁判官であり、大変慈悲深い存在であると分かりました。裁判官たちは誰も極刑を言い渡したくないのです。


なので、裁判官たちは裁判後、死者に六つある鳥居の内、一つを選ばせます。その鳥居を潜ると潜った先は来世に繋がります。天界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界のどれかに各鳥居は繋がっているそうです。


これ、運が良ければ地獄を回避し、人間界や天界に行けそうな気がしますが、死者の生前の行いによってここで行き先が決まるそうです。自分の意志で選んでも、そこまで計算されているということです。自分の選択眼が業によって決まるということです。


結局、裁判官が判断を下すのではなく、生前に何をしたか、何をしなかったかで来世の行方が決まると知りました。自分で蒔いた種が良いにしろ悪いにしろ、最終的には自分で来世に受け取るということです。


でも仏教の話の中に神社の鳥居が出てくるのが、いかにも日本らしいですね。法話の中にも神仏習合の影響があるなと思いました。また、鳥居は別の世界への入り口と言う意味があることが、この話からも分かりますね。


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参考文献  現代人のための仏教の知識百科  株式会社 主婦と生活社


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2021-12-16

◆賽の河原

前回のブログで冥途の中で抜けてる所がありました。賽の河原です。


賽の河原は三途の川のところにある河原のことです。あんまり興味の無い人でもどこかで聞いたことがあるかもしれませんが、賽の河原には子供が大勢います。子供たちは一生懸命小石を積んで塔を作っています。


何故小石で塔を築いているのか?


この行為はお布施をしているとありました。


布施とは「与えること」という意味です。仏教的には僧に物や金を施す財施と、信者に仏法を施す法施の二種類あるそうです。また資料によれば、施す者、施しを受ける者、施し物のいずれも清らかで何の拘りもないことが大切とありました。(これが難しそう)そう言えば父から聞いたことを思い出しましたが、動物とかに食べ物を与えることも尊いことで、食布施というそうです。


小さな子供の内に亡くなると、そういう誰かに何かに与えたという経験がないこと、また仏教の教えを聴く前に冥途に来てしまった(仏縁が無かった)ということです。生きている間に何も出来なかったという慙愧の念にさいなまれて、死後賽の河原で布施をするという解釈みたいです。


そうして積みあがった石塔は冥途の鬼によって壊されます。子供たちは泣きながら逃げまどい、また一から塔を作ることになります。


子供が可哀そうになりますが、仏教的にはこの子供たちは親より先に死んだことは罪であるということだそうです。親に悲しみの涙を流させたために三途の川を渡れないそうです。


昔は子供の出産は今よりも命がけだったでしょうし、子供の死亡も多かったのかもしれません。だからこそこういう話が生まれたのでしょうか。賽の河原の子供への仕打ちの話は、残された家族たちに子供の供養の大切さを訴えているのでしょう。


ここまで調べて疑問が湧いてきました。それは親に殺された子供はどうなるのか?です。この法話が考えられた時代は、今ほど親が虐待で子供を殺すということはなかったと思います。


親のせいで命を奪われた子供はどこに行くのか?


子供を虐待して殺すような親は仏縁などないでしょう。刑務所には入っても子供の供養はする訳ありません。


せめてこういった何の落ち度もなく殺されてしまった子供たちは、賽の河原へも行かず、仏様の世界にいければと思います。


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参考文献  現代人のための仏教の知識百科  株式会社 主婦と生活社

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2021-12-15

◆死後はどうなる? (仏教世界の場合)

死後は一体どうなるのか?調べてみたら、仏教ではこのように考えられていました。


死後、人間は中陰とよばれる世界に行きます。現世と来世の間だから「中」、現世の陽に対して死後は陰ということで、中陰となります。


この中陰では死者は裁判をすることになります。


やがて七人の裁判官に判決され、来世が決まります。その裁判に必要な期間が四十九日です。その間のことを「冥途の旅」と言います。


冥途は死者が居つく場所ではなく、通過する場所となります。冥土とも言いますが、意味を考えると冥途のがあってるように思います。


冥途の出発点は死出の山と言われる場所です。死者は人の目には見えず、お香を食物としているそうです。線香を仏壇に上げるのはそういう意味もありました。死者が食べるお香なので食香(じきこう)と言います。


冥途を歩いて七日目、最初に現れる裁判官が、秦広王(しんこうおう)です。これが初七日に当たります。


秦広王の裁きを終えると、次にあるのは三途の川です。三途の川は途轍もない大河です。「途」はみちとも読みます。これは河を渡る方法が三通りあることから三途という意味になるそうです。


三途の川は渡り方は、橋を渡る方法と、比較的流れの緩やかな浅いところを歩く方法、そして激流を流されながら渡る方法があります。生前の行いによって渡る所が変わる様です。


三途の川を渡り終えると、岸に木が一本生えています。この木は衣領樹(えりょうじゅ)と呼ばれます。その木の下には懸衣翁(けんねおう)と懸衣嫗(けんねう)がいます。懸衣嫗は奪衣婆(だつえば)とも言いうように、死者の衣をはぎ取り、懸衣翁に渡します。


懸衣翁は受け取った死者の衣服を衣領樹に掛けます。この時、衣服の持ち主の生前に犯した罪の軽重により、枝のしなり方が変わります。


この後、6人の裁判官に裁かれる訳ですが、この衣領樹のテスト結果が、後の裁判の参考資料になる訳です。


うーーん、よく考えられていますね。調べたことで順序が分かりました。知っている話もありましたが、ところどころ知らない箇所がありました。奪衣婆が一人ではなくパートナーがいたのがそうですね。


しかし、裁判官に合う前に、既にいくつか審査がある様子は、人はいかに業が深いかを物語っているように思えます。


参考文献  現代人のための仏教の知識百科  株式会社 主婦と生活社
 
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2021-12-12

◆死後はどうなる?

当店のお客様の中には、父が少々変わった才能を持っていたことを良くご存知の方もいます。
 

父は晩年、まだ小さい私の娘に向けて、そうですね年齢で言えば中学生くらいになったら読んで欲しいという物語を遺しています。私も内容は詳しくは知りません。
 

少し本人から聞いた話によりますと、それは自分の葬式から始まる物語です。死後、地獄の牛頭鬼、馬頭鬼が父を迎えに来るけどそこに父はいなかったという話で始まるお話です。


その話を聞いた時、「お父さん、何、地獄行き決まってるの!?」と驚き聞き返しました。
 
 
父は確か55才で難病になりました。途中三回ほど死にかけましたが、不思議に持ち直しました。後で聞いたらお稲荷さんの尽力により命の蝋燭を三回足してもらったと言っていました。確かにあの病にかかった人では一番長生きした人でした。


無論、医学とお医者さんの力、支えた母の頑張り、病気平癒を仏様にお願いして頂いたお寺さんの働き、そして御先祖や仏様の御力のお陰も沢山あったと思います。本当に感謝します。

 
さて、お稲荷さんの話では決まった寿命を延ばす行為、それは仏様の視点で言えば「外法」とのことで、本来してはならない大罪とのことでした。故に父は自分の死後の物語の冒頭に地獄からの使者を登場させたのは、そういうことです。


外法をやった・・・それはいけないこと。しかしながら、どうにも父のしてきたことをずっと見てくれていたお稲荷さん達は、父を気に入って頂けたようでして、何とか逃がしたいと思ってくれました。


自分の死後について、本人は「何をしてくれるのかさっぱり分からないが、結構前から自分の為に念入りに計画してくれているみたい」と言ってました。稲荷の沽券に関わることだから何としても逃がす!と言ってくれてるとのことでした。
 
 
その時は話についていけなくて「そっか」とだけ答えました。


しかし時間をおくと、どんな突拍子もない話でも、あの父ならきっとそうだと思えるのは、我が家では不思議なことが日常化していたせいですね。


父が遺した原稿にその辺りの件があるはずなので、これは早めにワードで纏めてみたいと思いました。地蔵寺の縁起書も残りの部分を頼まれていますし。


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宝珠

2021-12-08

◆現世利益を求めるなら 2

前回のブログを上げる際、こんな話を思い出しました。前回の話の補足です。

お客様から聞いた話です。

このとある女性、ご縁があり日本でも有名な大きなお寺の一角にある、弁天様を祀るお堂でお手伝いをされている方です。

正確に言えば、この女性がそこの弁天堂で行われた法要に参加した際、お寺の方から聞いたお話です。


仏様へのお願い事についてのものです。それは、

「例えばお金儲けのお願いをする場合、そういった類の願いは明王以上の仏様には願わない方が良い。しかし、弁天様なら大丈夫」

と言うものでした。


それ以上の話を聞いた訳ではないので、ここから先は想像するしかないですが、父から聞いた話と同じだなと思いました。


執着から離れた如来、限りなく如来に近い菩薩や明王ともなると、お金儲けや商売繁盛、お金や物のあるなしは悟りの為の修行には関係ないというのが、当たり前のことなので届きにくいのか?と思えます。


弁天様のことを良く知っていた祖母や父から聞いた話では、弁天様は問題を解決するための知恵、才能をくれると言っていました。故に弁才天と書くそうです。


弁才天は弁財天とも書きますが、これは金運の神様と言う意味もあるからですが、どちらが古いかと言うと弁才天の字の方だそうです。なるほど確かに財を築くには才が無ければならないですね。


ただ、いくら熱心にお参りして知恵を頂いても、それを形にしないと(行動)現実は変わらないと思います。

弁天様

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2021-12-07

◆現世利益を求めるのなら

父から聞いた話。

仏教世界には六道輪廻(りくどうりんね)という考え方があります。

須弥山(しゅみせん)という山を中心とした世界があり、その中に六つの世界があるというものです。

下からいきますと、地獄道があり、順に餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道というように構成されています。

今生きている人間の立場で考えますと、その人一代の生き方(なにをしたか、あるいはしなかった)によって、死後この六道の何処かに生まれ変わるというものです。

極悪非道なことをすれば地獄に行きますし、徳を積むような生き方をしたならまた人道や天道に生まれ変わるといったものです。


お釈迦様が開いた悟りとは、六道輪廻からの脱却だそうです。生まれ変わる必要がなくなるということです。釈迦が開いた悟りは釈迦本人しか分からないと思うので、それがどういうことなのかはさっぱり分かりません。

なので、「私は釈迦の生まれ変わりだ」とか「悟りとはこれのことだ」と言う人は用心した方が良いと思います。

前回のブログでも触れましたが、仏教世界には数多くの神仏が登場します。

人が生きていると出くわす問題、願望は多岐に亘りますが、多くの人が望むような現実に関する願い(現世利益)は、より位の高い仏様(明王以上)よりも、天部が早いよと言ってました。


「どうして?」

と聞くと、人道の上にあるのが天道だから。人から見て近い位置にいらっしゃるからとのことでした。

なるほどなと思いました。


まぁ近いと言っても人道と天道は物凄く離れているとは思いますが・・・。

弁才天版画12

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2021-12-07

◆仏様の種類

お寺に祀られている仏像の種類は多岐に亘ります。

数多くいらっしゃる仏様も、ランクというか階級のようなものがあります。詳しく話そうとすると纏める自信がないので仏様の世界を会社に例えてみたいと思います。会社には役職があります。


◎社長、会社の代表
これに相当するのが「如来」。釈迦如来・大日如来・薬師如来・阿弥陀如来などが有名。

〇重役
これに相当するのが「菩薩」。観世音菩薩・地蔵菩薩・普賢菩薩・文殊菩薩などが有名。

〇部長
これに相当するのが「明王」。不動明王・降三世明王・大元帥明王などなど。

〇課長
これに相当するのが「天部」とか「諸天善神」。四天王・弁才天・吉祥天・荼枳尼天・大黒天などなど。


ざっくり解説しました。因みに平社員が人間かと思います。

役職を嵌めると、どうしても如来が一番偉くて下に行くほど位が低い感じがしますが、密教的には全ての仏様は大日如来の変化した姿という意味もあるので、どの仏様を信仰しても構わないそうです。人それぞれ、ご縁なのでしょう。


しかし、仏教に出てくる仏様の種類は多いです。神仏習合のことも考えますと膨大な数になりそうです。


何故こんなに種類が多いのか?


仏様が登場する昔話は日本にいくつかありますが、それらを読むとこの仏様だけが人の前に出てくるということはありません。阿弥陀如来だったり薬師如来だったり、観音様、お地蔵さん、千手観音、十一面観音、不動明王、弁才天、毘沙門天、稲荷神、いろいろです。本当に困っている人の前に御縁のあった仏様が現れるようにも思えます。困りごとは人それぞれです。


仏様の種類が多いのは、それだけ人間の悩みが複雑だからなのだと思います。


不動明王イラスト-crop


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プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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