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2021-11-30

◆安珍と清姫

和歌山県の道成寺本堂の裏にある秘仏、北面十一面観音像が御開帳とのことでお参りに行きました。

道成寺1

道成寺には大きな千手観音像が三体ありますが、常時拝観できるのは二体だけです。現在本堂で祀られている奈良時代の木造千手観音像は修復された姿ですが、修復される前は今回開帳された北向千手観音像の内部から発見されました。


2016年のブログに道成寺参拝に行った時の感想がありましたが、結構長めに書いてましたね。同じことを書いても仕方ないので、再訪して前回は気付かなかったことを少々述べたいと思います。


道成寺と言えば、多くの古仏も魅力ですがやはり「安珍と清姫」の昔話が有名です。

お寺のHPより引用しますと「寺の創建から230年経った、延長6年の物語。参拝の途中、一夜の宿を求めた僧・安珍に清姫が懸想し、恋の炎を燃やし、裏切られたと知るや大蛇となって安珍を追い、最後には道成寺の鐘の中に逃げた安珍を焼き殺す」というお話です。

過去ブログに纏めてあるのでご興味のある方は読んでみてください。


今回の参拝でふと思ったこと気づいたことは以下です。


①道成寺に逃げ込んだ安珍は焼き殺される訳ですが、鐘撞堂に火をつけるにはそれなりの準備がいるはず。清姫が準備をしている時、寺の僧侶は誰も止めなかった?


②安珍の塚と清姫の塚(蛇塚)が現在も残っているが、どちらも綺麗。非常に気をつかっているのが分かる。


③未だに鐘は再建されていない。


道成寺2

というものです。①ですが、絵解きによれば、安珍が逃げ込んだ道成寺で出迎えた僧侶たちは長刀をもっていたそうです。屈強な僧侶というイメージです。しかし、清姫が放火の準備、それなりに時間が掛かったと思いますが、その間何もしなかったということです。


絵解きの話を頭の中で想像しますと、騙した安珍を恨み、60キロの長距離を徒歩で追いかけるという事は、草履はズタボロでしょう。途中川も泳ぎぎったのでずぶ濡れで着物も乱れていたと思われます。そこだけで相当怖いです。
 
 
隠れていた安珍を突き止める様子は、道成寺のお坊さんも恐怖したと思います。


道成寺14
(2016年に撮影 今なら撮らない)

②の安珍塚も清姫の塚もとても綺麗でした。安珍塚の方は近付けないよう、触れないよう石で結界が設けてあります。流石に供養され大慈悲の千手観音の結界の中にありますので気持ち悪い感じはしませんが、やはり悪戯した人に何かあっても困るからか、中には入れないように、触れないようになっています。塚の回りの木もそんな感じがしました。


③そして鐘楼です。未だに再建されていません。

道成寺15
(2016年に撮影)

二代目の鐘は豊臣秀吉の命により没収されました。それから随分時間が過ぎましたが未だに再建されません。お寺の規模を見るにとても立派です。しかし、鐘楼だけは無いままです。


これは金銭的な理由と言うより、鐘を作ることで安珍や清姫が怒るのかも?と思っているのかも知れません。


安珍の塚も、清姫の塚もどちらもお寺にとっては重要な塚なので今でも大切にされているようです。これが寺ではなく神社の中に同様の物があった場合、感じ方は全然違うと思います。


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2021-11-29

◆仏像は怖い?

仏像を怖がる人は極たまにいるようです。

確かに寺巡りをしていると、「この仏像はすごい力だな」と思える仏様も多々いらっしゃいます。


拙い知識で考えますと、仏像の強さキツさと言うのは・・・


①歴史、古さ。

②どんなお坊さんが開眼したのか。

③開眼後、どれだけしっかり拝まれたのか。人数とか。

④きちんと管理されているか否か。

⑤仏像の素材。霊木で彫られたのかどうか。

⑥仏様の種類によって変わるかも。


で変わってくるように思います。


ただ、仏像を怖いか怖くないかは人間の受け取り方なので、仏像の強さ・キツさと言うのはあんまりそれに関係はないと思います。


昔、父からこんなことがあったと話を聞きました。


店番をしていたら、新規の方が訪れました。数人のグループです。


当店はこういう店であること、こういう物を扱っていることなどを話しました。また話の中で先祖から仏様を祀っていると言ったら、皆さんお参りしたいという事になり部屋に通しました。


帰る頃、一部の人はフラフラになっていたというものです。


後で父に聞いた所、「一部の方は恐怖心をもったみたい。仏様を前にして恐怖を抱くと、仏様はその気持ちは受け取らないのでそのまま返すから」とのことでした。どうも自分の思い(念)をそのまま受け取ってしまったようです。


子供の頃、父に連れられ岐阜県の金華山ロープウェイの近くにある大仏をお参りに行きました。堂内に入り見上げて大仏と目が合うと「怖い」と思いましたが、だんだん慣れてきて「怖くない、むしろ有難いなぁ」と思ったところ大きなお顔がニカッと笑いました。実際にそんな機能は仏像にはついてませんが、そう観えたのです。


仏像と言うのは、ある意味鏡に似ているのかも知れません。今の自分の感情をそのまま写すのです。


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2021-11-26

◆違い

前にこのブログで、新規でご来店された方で霊能があると思える方の話を少ししました。


その方は何か見えたり、聞こえたりするようでしたが、仏は信じていないという人でした。


理由を聞けば仏は見たことがないからとのことでした。神社の神様は見えたり聞こえたりすることがあるようで、(神様に)言われたことを実行しているとも言っていました。ハッキリと言っていたので、実感としてあるのでしょう。


この時は、神様も仏様もいるけどな。こういう人もいるかと思ってましたが、時間が経つとこの方が言っていることも分かる部分もあるなと思いました。

 
神様と仏様の違いです。神社とお寺を沢山お参りで回っていたある時、お寺と神社で受ける感じが違うということに気付きました。それはこのようなものです。


①神社の神様のがより身近に感じる。

②お寺は暖かい感じ。神社はキリッとした身が引き締まる感じ。

③お寺や神社で不思議な写真を撮ったことがあるが、神社の場合、特にそこの神様か強い御眷属が出てくる場合はフラフラになる。お寺の場合はそうなったことはない。




神社の神様と、お寺の仏様は住んでいる世界が違うのかどうか何か分かりませんが、私は神社の神様の方がより人の近くにいるのでは?と思います。あくまで感覚の話です。


より気を付けて参拝をするのはお寺よりも神社の方ですね。


私が思う神社の神様は、どこの神様でも畏怖とか畏敬という、参拝する際に正しく「畏れる」という気持ちをもってないといけないと思います。


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2021-11-25

◆その意味は?

先日、お客様に誘われて岐阜県にある「おちょぼ稲荷」に行きました。

重要文化財に指定された、おちょぼ稲荷がある海津市の豪農のお屋敷、「早川亭」の見学が出来るという事で予約してもらい、行ってきました。

茶席と煎茶席が二つある豪邸でした。何となく写真は気が引けたので(多分撮って良かったけど)止めました。


早川亭はおちょぼ稲荷の参道沿いにある家で、広い敷地には屋敷神として早川家の先祖が伏見から招いた荷席稲荷(かせきいなり)がお祀りされています。伏見稲荷の分御魂のお稲荷さんです。


おちょぼ稲荷は随分久しぶりに訪れましたが、この辺りだけの習慣なのか、ほかの稲荷社や神社では見たことがない光景が、このおちょぼさんでは見られます。


自分の名刺を社の格子戸にさすのです。写真は撮ろうとも思いましたが、あの場に立つとカメラを向けてはいけないような気がして、こちらも撮れませんでした。若い頃は神社で写真をよく撮ってましたが、よくやってたなと思います。


昔訪れた時は、確かおちょぼ稲荷の本社や、早川亭の荷席稲荷に沢山ささっていましたが、今はおちょぼ稲荷の本社の方はなくなっていました。しかし、荷席稲荷の方は相変わらず名刺が刺さっていました。


そうなると、この独特の風習は早川家の屋敷神、荷席稲荷から始まった風習やもしれません。


あれは何か意味があるのか、早川家の人に聞けばよかったなと今少々悔やんでます。


特に何か金一封を奉納して名刺をさすという訳でもなさそうです。


言葉は言霊、言霊を見える形にしたのが文字です。なので、自分の名前や住所を記した名刺をお稲荷さんの社に置くという行為は、意味があると言えばあるやもしれません。
 
 
ただ、もし自分が名刺を置かれた稲荷だと考えるとこうなりました。


①ただ御利益を欲しいだけで信仰する気がない人間はどうするだろうか?

②一回お参りに来ただけで、名刺を置いて二度とこない人間は?

③お参りに来た人間が無礼な態度をとったら名刺の住所で追いかける?

④名詞がしこたま格子戸に刺さっているのは、景観的に美しくない。うっとうしい。



結局のところ、稲荷神から見れば、応援するに値するか否かはそのお参りに来る人間次第ということになるかと思います。


稲荷神




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2021-11-23

◆末社と摂社と分社

神社参りをしていると、数の違いはあれどほとんどの神社では、御祭神を祀る本殿以外に、境内には社や祠があります。


そういう小さな祠とか社は、分社とか末社とか摂社とか言います。


分社だけはその文字から御祀神の分御魂だなというのが分かりますが、末社と摂社は良く分からないのに気づきました。


そこで調べたところこのサイトが分かり易かったです。


本社の祭神の后神、御子神、荒御魂、社地の地主神、その他特に由緒ある神を祀っている神社を摂社でと云い、それ以外を末社と云うようです。


なるほど。良く分かりました。今まで末社と摂社はどっちも似たような意味かと思ってました。しかし、明治になってから共通認識が出来たようなので明治以前の昔の人達もよく分かってなかった可能性もありますね。


前回のブログで稲荷神本体と御眷属の話を上げましたが、本気でお稲荷さんの力(御利益)を分けて頂きたいと思うのであれば、本気で一生信仰するのは当然です。そして御眷属のことも意識しないといけないでしょう。稲荷神を信仰する人は併せて観世音菩薩を信仰した方が良いと父は言っていました。観音様を強く信仰するようになれば稲荷神も喜ぶそうです。


末社や摂社、分社のことを考えていたら、こんな結論になりました。やはり神社や寺参りに行ったら境内にある末社、分社、摂社、祠などは全部お参りした方が良いという事です。


例えば、本殿に祀られている神様と良好な関係が長年の参拝で築けたとします。神様もこちらを覚えてくれました。


神社でのお願い事は基本しない方が良いですが(寺は可)、上記のような関係があり、まじめに努力している人であれば気付きや御力を頂けることもあるでしょう。その時、実際に動いてくれる神様は本殿で祀られている本体ではないかもしれないからです。本体の御眷属かもしれないですし、境内に祀ってある末社の神様かもしれません。

末社


一体どの神様が動いてくれたのか?それは誰にも分からないと思いますので、そういう意味でも寺社への参拝は、祀られている全ての神様へ感謝の祈りを捧げることが大事なのでは?と思います。


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2021-11-22

◆本体は滅多なことでは動かない

昔父から聞いた話。


父は幼少時に、豊川の三明寺に母と祖母三人で参拝に行った際、そこの稲荷神が祀ってある祠に待機していた二柱の稲荷神がつきました。


後にその二柱の稲荷神は、三明寺の守護神の稲荷神の御眷属ではなく、紅葉屋近所の地蔵寺守護神、白旗稲荷大明神の御眷属だということが分かりました。


平成17年、幼少時の縁により晩年は地蔵寺の縁起書を父は書くことになりました。


父にはハッキリ聞くことは無かったですが、最低でも4柱の稲荷神がついていたと思います。


地蔵寺守護神白旗稲荷の分御魂(わけみたま)、狐童女稲荷(きつねめいなり)と、更にそこから分かれた財賀稲荷です。


あとの二柱の稲荷神は家でお祭りさせて頂いている、岡山県の最上稲荷の分御魂のお稲荷さんの御眷属です。


稲荷と頻繁に話していた父ですが、基本はお稲荷さんが用事がある時に話かける感じでした。たまに意見を聞きたい時で、お稲荷さんから見て必要だと判断した場合は稲荷の言葉を頂けましたが、人間には必要ないと判断された質問の場合は教えてくれませんでした。


父が執筆した地蔵寺釈約外伝記は、地蔵寺の守護神、白旗稲荷大明神の霊言を文字に起こしたものです。まだ体調が良かった頃は頻繁に書いていたので、「よく白旗さんは我が家に来るんだね」と聞いたことがありました。


その時、父は


「白旗稲荷は地蔵寺の守護神だから、お寺を離れることはない。財賀稲荷が白旗稲荷から聞いた言霊をお父さんに教えてくれる」


とのことでした。


我が家でお祀りしているお稲荷さんも、何か父に指導・助言がある時は、直接語り掛けることはなく、ご眷属の稲荷を通して教えてくれるとも言ってました。よほど緊急事態でない限り、うちのお稲荷さんの本体は直接動かないようです。

 

今思えば、なるほどですね。稲荷神の世界では、ご眷属は本体を守ることと本体と人間との仲介がお仕事なので、人間からの願いに対していきなり本体が動くという事はまずないのでしょう。


会社の社長が全ての案件に顔を出す訳ではないのと同じですね。これは稲荷に限らずどこの神社でも同じなのかなと思います。


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最上稲荷御姿
2021-11-19

◆不思議な力を持っている人は

うちは商売屋です。着物屋です。着物や帯、長襦袢、和装全般を扱っております。着物のお手入れ、仕立て直しなども承っております。たまには言わないと「何屋?」と尋ねられることもあります。表のブログがそれにあたりますので、よろしければそちらも御覧下さいませ。


今皆さんが御覧になられているのが紅葉屋の裏ブログ(笑)になります。


祖父の代から商売をしていると沢山のお客様とご縁があります。今なおこうして商いを続けていられることは有難いことです。お客様皆様のお陰ですね。


前回のブログでお客様の中には、霊感といいますか感受性が強いといいますか、不思議な力を持っているのかな?と思える人がいます。何分、こういった話は当の本人しか分からないので、確信があるとは言えないですが、多分この方が言ってることは本当なのだろうと思える人達です。


とある方がいました。新規でご来店された方です。


この方の雰囲気、言動から確かに本人がおっしゃる通り、人には見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえたりするようです。


しかし話を聞くと、特定の神仏は信仰していない様子。仏は信じていないとおっしゃってました。


しばらく話を聞いていて、この方は大変だろうなと思いました。疲れやすい人なんだろうなとも思えました。


幼少時より、仏像をお参り出来る環境で私は育ちましたが、過去を振り返るに、20代前半くらいまでは疲れやすい体質でした。病院へ見舞いに行ったり、墓参りに行った帰りなどは妙にだるくなるのです。(疲れていても家に帰ると治りますが)それに気付いた両親は「お前は見舞いや墓参りに行かない方が良い」とよく言われたものです。


今ではそんなことは無くなりましたが、これは箱をいじるようになったり、信仰心を真面目に育てようと意識してから治っていったように思います。葬儀場に一人で泊まった時でも(父の時)、夜中に凄い音がしても何と言うことも無くなりました。


なまじ何か見えたり聞こえたりする力がある人で、神仏への信仰心が無い場合、振り回されることもあるかもなと思いました。


察するに今見えているものだけが真実だと思ってしまうと、神様でもない、変な存在が神様面して近付いて来た場合、それが一体何なのかという判断はつきかねないのでは?


能力がある、見えるから、聞こえるからそれが真実だと思ってしまうけど、実は違う場合もあるかも?と言うことです。


お釈迦様は、自分の弟子達が修行の過程で身につけた神通力は、決して使うなと言ったそうです。思うに、そんな能力は悟りには関係ないし、それが苦しみから逃れる術にはならないし、なまじ感覚が鋭くなると、本質を見失うことにも繋がりかねないから注意せよということだったのでしょう。


話を戻しますが、能力のある人ほど神仏(出来れば仏様、神様も好きなら仏様と神様)を強く信仰することをお勧めします。そうなれば変なモノはよって来れなくなるので、疲れやすい人は疲れない体質になると思います。


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観音様

2021-11-17

◆霊能力よりも・・・

父は不思議な力を持っていましたが、子供の私には霊能力とか霊感と言ったものはありません。(後付けでやれる方法はあると父は言ってましたが)


ただ、神仏を祀っている家だったので、幼少の頃より仏像に興味を持ち、父の影響もあり人生のかなり早い段階で神仏の存在を信じることが出来ました。そについては恵まれていたなと思います。


父は本当に面白い人であり、優れた商人でもありました。稲荷神と意思の疎通が出来、数々の不思議な現象を見ました。お客様の相談事も本人には「観える」ようで的確にアドバイスもしておりました。後々、うまい具合に事が運んだとお礼に訪れるお客様も少なくありませんでした。


本当に働き者の父でした。一生懸命働きながら、晩年は地蔵寺釈厄外伝記の執筆も行っていました。本物の霊能力者だったと思います。


こんなブログを上げていることからも、察しはつくかと思いますが、私は霊的な話も割と好きです。死んでもあの世はあるし、幽霊もいるだろうなと思います。


父ほどの霊能者はなかなか会ったことがないですが、お馴染み様やお店を訪れる方の中には、話をしていると「霊能があるんだろう、きっとこの方は」と思う人もちらほらいらっしゃいます。


そんな人から聞くことや、父を通して学んだ不思議な話、経験したことを踏まえると稲荷の声が聞こえたり、分かったりするのは面白そうだな、良いなと以前は思っていました。


しかし、そういう能力はその人の力ではなく、与えられた力なので、求めて授かるものでもありません。


不思議な力や話も確かに興味深いですが、今はそれよりも自分の信仰心を強くする方が大切だなと思うようになりました。私は神道や仏教が好きなので、神様のことを考えたり、調べたり、仏教を学ぶことの方のが遥に意味があると気付くことが出来ました。


いや、気付かせてもらったと言った方が正しいですね。凡人は凡人で良いことも沢山あるなと思った次第です。



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2021-11-16

◆神様にも感情

愛知県津島市にある有名な神社、「津島神社」。古くは牛頭天王様を現在では素戔嗚尊をお祭りしている立派な古社です。


そこに参拝に行った際、境内を散策していると神様のことを記した看板がありました。


そこより抜粋します。


古くより、日本の神々は荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)・幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)の四つの魂を持ち、四つの魂を併せ直霊(なおひ)と言い、荒魂は活動、和魂は調和、和魂は調和、幸魂は幸福、奇魂は霊感を荷うとされ、人と同じような性格を持つと言われています。


この個所を読むと、日本の神様には我々人間と同じく感情があるのだなと分かります。


人との関係が良好であれば、幸福や奇跡を頂けるやもしれませんが、あまりにも不敬な態度をとってしまうと荒魂、荒ぶる神として怒られるということです。


人間と同じように性格がある。


人間でも人によっては温厚な人もいれば、喧嘩っ早い切れやすい人もいます。神社の神様でも優しそうな神様と、きっつい神様もいるということです。


まだ神社でしっかり祀られている神様ならお参りはしやすいと思いますが、祀られていない荒ぶる神や祟り神も世の中には無数にいると私は思います。日本の神は八百万の神々ですから。


仏教の仏様と違い、神道の神様は特に人を助けると言う義務はないように思えます。


前回のブログで少し述べましたが、信仰すると決めた神様から御尽力頂けるか否かは、お参りする人の心掛け次第かと。


①常にその神様に感謝しているか?

②家でお札をお祭りしたり、足しげくその神社へ通っているか?

③神様が喜ぶようなことを常に実践しているか?


もっと考えれば他にも出てきそうですが、相手に「この人間は応援してやっても良い」と認めてもらわないと、御尽力は頂けないと思います。


商売繁盛したい、出世したい、幸せになりたいと言っても、特に行動も変わらず、家でポテチばっかり食べて寝っ転がっていたら、せっかく神様が応援に来てくれても直ぐに帰ると思います。


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2021-11-15

◆神様を信仰しようと思ったら・・・

このブログをたまたま読んだ方の中には、「神社ではあまりお願い事はしない方が良い」という話を聞いたことがあると思います。


この回の私のブログの最後の方にも、そんなことに少し触れました。


お願い事をしない方が良い理由を調べ始めると、それはお寺の仏様と、神社の神様の違いに関係しています。


それは「人間や動物などの救済」がお仕事としてあるかないかの違いです。それがあるのは仏教の仏様です。


では神社の神様は何もしてくれないのか?全くないとは言いませんが、やはりそうなるにはお参りする人次第のように思います。神様と人間の関係性です。


そもそもですが日本のあちこちにある神社は氏神様とも呼ばれます。その場所に鎮座してくれているだけで、氏子を厄神から守ってくれてくれる訳ですから、そこに神社があるお陰で、氏子はご利益を既に貰っていると思います。


仏教が入ってい来る前からあった日本人の神様観。うんと古い形の神様観は、自然そのものが神様でありました。またその時代を生きた人達の先祖霊の集合体も神様であったと思います。(過去ブログ参照


私が思う日本人のお参りする神社の神様と人間の関係は、同族意識の上で成り立っているように思います。神様と人間の共存です。そこは対等ではなく、人からすれば神様は当然敬う対象ですが、神様(大きな祖霊)ありきの人であり、今を生きる人ありきの神様のような気もします。


これから神社の神様を自身の信仰の対象にしたいなと思う場合、どこの神社の神様をお参りするかは人それぞれですし、縁があれば不思議とそちらに行くこともあるでしょう。



どんな神様をお参りに行くか、お札を分けてもらうかの判断基準としては、まずは今住んでいるところの氏神様、あるいは自分のルーツ(先祖)を辿ると出てくる神社の神様に着目してみるのが良いと思います。


もしくは自分の職業に関係する神様でもよいかと思います。例えば金属関係のお仕事なら南宮大社といった感じです。神社庁の考え方ですと、日本の大神様は伊勢神宮の天照大神なので、神道を信仰の中心に据えるのなら、必然的に天照大神と氏神様、自分の信仰する神様の三柱の神様を祀ることになります。


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龍神様の楠
(清田の大楠)
2021-11-13

◆神棚の位置  追記 鬼門のこと

神棚を祀る位置を簡単ではありますが、前に書いてみました。


この祀る位置の吉凶については、父から学んだものです。父のこの考えは高島易断の方位図が元になっています。この高島易の吉凶方位の考え方は、仏教にも神道にもありません。(日蓮宗にはある)

 
鬼門という考え方ですが、これは神道にはないようです。なので神棚を祀る位置についてはこのブログで話したことは、神道の理屈には当て嵌まりません。仏教宗派の中では、私の知っている範囲ですが、どうも密教や日蓮宗ではあるようです。


何故昔から鬼門に警戒するのかと言うと、それはその方位には丑寅の大金神(だいこんじん)様のお住まいがあると考えられたからです。


大金神様は仏教や神道には登場しない、謎の多い荒ぶる大神様です。陰陽道や陰陽道由来の高島暦にしか登場しません。陰陽道は中国の道教由来のものですが、中国にもいない神様です。


私は日本独自の古の蹈鞴神(たたらのかみ:鉄に関係する神様)かなと考えています。


江戸時代に設立された金光教という宗教団体がありますが、そちらの本尊がこの大神様です。


鬼門の考えがある密教ですが、この大金神様は出てこないです。しかし鬼門封じのお札などもあることから、鬼門を恐れていた人達のための御祈祷はあるようです。日蓮宗では調べた所、大金神様の存在はあるとしております。陰陽道の考え方を日蓮上人なのか、後の高僧なのかは分かりませんが長い歴史のどこかで取り込んだのでしょう。


今日でも、大陸由来の気学や占いなどがありますが、その国によってあってるかどうかというのはマチマチなのでは?と思います。


日本にしかいない大金神様。そう考えると金神様が出てこない占いや易学、家相などはこと日本に住む人にとってはどうなんだろう?とは思います。


奈良時代より、大金神様を敵に回すと親族七人が死ぬという恐ろしい言い伝えもあります。親族が七人に満たない場合は、両隣の家に障りが行くそうです。


大金神様は怒らせると命に関わる大神様ですが、怒らせなければ特に何もありません。大金神様を崇める宗教もありますので、ただただ恐ろしい荒ぶる神様という訳でもないようです。


大金神様に限らず、神様が味方になってくれるのか?それとも反対の立場になってしまうのか?どちらになるかは、手を合わせる人間の心掛けしだいなのではと思います。触らぬ神に祟りなしですね。


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吉凶図

2021-11-12

◆屋敷神

元々家に、昔から神棚を祀っている場合について考えてみました。


それで思い出せたのですが、大変稀な例ですが、家の敷地に先祖からの祠(ほこら:社より小さい)がある場合もありました。屋敷神というものです。


敷地内にある祠は、神棚よりももう一段上の強い存在かと思います。


なかなか自ら屋敷神をお招きするということは、まず無いと思いますが、何代も途切れることなく同じ土地で住んでいるという家や、昔は大きな庄屋だったとか、古い商家だった場合は敷地内に祠がある場合があるやもしれません。


神棚よりも、働きかけが強いと思いますので、これは面倒とか気持ち悪いとかは思わずに、


「先祖が必要だから、何らかの理由があり招いた神様である」

「未だに家が残り、家族がこうしていられるのは、屋敷神様のお陰」



という様に気持ちを切り替えて頂きたいと思います。個人的に言わせて頂くと、屋敷神様が家にあることは大変恵まれていると思います。


きちんと現在でも管理されているなら大丈夫ですが、何時頃からか誰も参らずほったらかしになっている場合は、屋敷神様の機嫌が悪くなっているやもしれません。


毎日のお参りは勿論、定期的に掃除をしたり年に一度くらいは神主さんやお坊さんに祝詞やお経をあげてもらった方が良いでしょう。(神主さんかお坊さんかは、中のお札により決めて下さい)


ほったらかしになっている場合、中の神様は、


「おまえらの先祖に頼まれて来たものの、子孫の態度は何だ?神を何と心得る?」


こう思うはずです。


もしお参り出来ないということであれば、然るべき手順を踏まえないといけません。いきなり撤去はもっての他かと思います。


本来、屋敷神を祀るという事は子孫も必ず手を合わせて引継ぎをしないとならないものです。有難いと思えるかどうかが分かれ目でしょう。


屋敷神様も寺社の数だけ種類はありますが、一般家庭で多いのは稲荷神かと思います。先祖からの信仰を引き継ぐのであれば、前回でも触れましたが、一体どんな神様を祀っているのかは確認した方が良いです。


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お稲荷さんの祠
2021-11-11

◆元々家に神棚などがある場合

前々回前回と続き、神棚に関する話をしました。


なので、違うテーマに行こうかと思いましたが、元々家に自分が招いたわけではない、先祖からの神棚などがある場合はどうするか?ということもあるかなと思いましたので、その場合の話をします。


今まで全然手を合わせたことのない神棚がありました。気持ちを新たにお参りしようとする場合、特別何か必要とかはないですが、自分の家にある神棚にはどんな神様のお札が入っているかは調べた方が良いでしょう。


基本、扉が三つある神棚の場合は、真ん中に天照大神か天照皇大神宮のお札があると思われます。向かって右側は氏神様のお札、左側が自分の(ご家族の)信仰する神様のお札という形になります。
 
 
天照大神と天照皇大神宮はほぼ同じですが、私が昔神社庁に電話して聞いた所、天照皇大神宮とは伊勢神宮で祀られている神々という意味もあるとのことでした。なので、氏神様が神明社(天照大神)の場合でも、一緒に祀って構わないそうです。


自宅にある神棚を前にして、どんな神様か知っててお参りするのと、知らないでお参りするのとでは、やはり大きく違うと思います。ご家族の人に聞いたりして分かる場合もあれば、誰も知らないという場合もあるかもしれません。


知らない場合は神棚の扉を開けてみるしかないでしょう。その際は手を良く洗い、お参りしてから理由を述べて開ければ良いと思います。


祖父母や両親が信仰熱心な方の場合、お元気なうちに聞いておくと良いでしょう。どこの寺社で分けて頂いたかを知ってると思うので。


神棚イラスト2


話すと長くなりますので割愛しますが、神棚の中身が神社の神様の場合、あんまりお願い事はしない方が良いと思います。感謝の気持ちで手を合わせると良いかと。


最後に中のお札は一年毎に分けて頂いた神社で、新しいものに交換すると良いようです。その際、古いお札は神社へお持ちください。


神棚がきちんと機能するようになると、お札と縁のある神々が立ち寄ることもあるそうです。家の中は常に掃除しておくとより良いでしょうね。気分も家の中の気も良くなると思います。


私も掃除しよう・・・。


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2021-11-09

◆神棚を祀る位置

神棚の話が前回出ました。最近は連想ゲーム的に書く内容が決まってきますが、今回は神棚を祀る位置を考えてみたいと思います。


さて、自分が神仏を何か信仰しようとしてお札を分けてもらい、神棚を用意して祀ることになりました。次は家の中のどの辺りに設置するか?となります。注意するのは何処でも良い訳ではないということです。


神棚を設置する場合、まずは家の中心を割り出します。この際、家の見取り図がいります。

中心が分かったら、中心から見てこの方位の設置はまず気を付けて下さい。凶方位です。

①北東の方位(鬼門)

②南西の方位(裏鬼門)


反対に吉方位は北西になります。次点で西です。北において南向きも悪くはありません。


この基本を外さぬようにして、後はどこにするか絞っていきます。


「自宅であれば、家族皆がお参りしやすい場所がいいかな?」

「ここはトイレが近いからやめておこう」

「扉や引戸の上だと、神様の下を人が通ることがあるから止めよう」


というように場所を決めていきます。


会社の事務所であれば、役員室とか長たる人の近くが良いでしょう。


神棚を購入する時の選び方ですが、特にこれが良いとか、こうでなければならないというのは無さそうです。


しいて言うなら、祭る部屋の大きさ、雰囲気も考慮して選んではどうかなと思います。

暦の表紙
(参考資料:高島易の暦)

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2021-11-08

◆お札を祀る

お札の話が前回出たので、もう少しそこから話を拡げてみます。


お札には大きく分けて二種類あると思います。


①家の柱や入り口などに貼ることで効力を発揮するお札。

②分けてもらった寺社のご本尊やご祀神の御力が宿ったお札。



です。①は一種の魔除けとか、家と住人を守る為の結界的なお札です。

②は毎日手を合わせる為のお札、信仰の対象になりうるお札です。神棚に入れてお参りするならこちらになるかと思います。


神社でもお寺でも、自分が信仰したいと思う神様や仏様の札を分けて頂く場合、神社やお寺の方に尋ねると良いでしょう。


「毎日手を合わせてお参りしたいので、そういったお札はあるでしょうか?」


と素直な気持ちで聞けば、色々と教えて頂けるかと思います。


神社のお札であれば二礼二拍手一礼の神社形式のお参りの仕方で良いと思います。お寺の仏様のお札であれば、合掌して名号や真言を唱えます。


お寺と神社、どちらの場合でも、お参りしながら言葉を述べると良いかなと思います。御縁に感謝したり、「いつも御守り頂きありがとうございます」などと言った言葉を発声したりしても良いかと。私はそうしてます。言霊の力を使うということです。

神棚イラスト


また、祀ると決めたらお水やお酒を上げたり、たまには供物も用意して下さい。お供えは下げたら頂いて下さい。水は飲むのに抵抗があれば植物などにあげたり、お酒は飲んでもいいし、貯めて置いて料理に使っても良いでしょう。無駄にしないことですね。


お下がりを頂くと言う意味は、「同族になる」という意味もあるようです。


お札を分けてもらう際、寺社や宗派によっては求めに行っても無い所があります。(要確認)


因みに我が家が先祖からお世話になっている仏教宗派、真宗大谷派(浄土真宗)ではお札は見たことがありません。参考までに。


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2021-11-07

◆信仰するとは

前回のブログで、お稲荷さんから御利益を頂くにはという話を在家でありながら(畏れ多くも)述べてみました。


その中で、「そもそも稲荷神を信じないと意味がない」という話をしました。


ここで言う稲荷神を信じるとは、稲荷神を信仰するということです。


信仰するとは、常に心に稲荷神をおくことであり、感謝するということです。稲荷神に限ったことではないですが、自分の中で信じれる他の神仏でも同じかと思います。


父はよく「一日に何度真言や名号を唱えたか?」という話をしていました。


なかなか頻繁に意識することは出来ないと言う方は、家にお札を祀ると良いかもしれません。信仰の対象としてお札を祀る場合、お札を入れる入れ物を用意した方が良いでしょう。神棚とかが良いと思います。


家に仏壇があるという人も、最近は少数派になっていると思います。


仏壇がある人は、毎日ではなくても手を合わすことはあるでしょう。習慣が出来れば先祖を意識することになります。神棚も自分が信仰する神仏のお札を入れれば、毎日の習慣として手を合わすことが出来る訳です。


御利益が本気で欲しいのなら、まずは普段からの感謝や祈りだと思います。


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鳥居のイラスト


2021-11-05

◆仏様の御利益について その2

父から昔聞いた話です。


人生において、神仏を信仰できるか出来ないかは凄く大きな差が生まれると言っておりました。


ここで言う信仰すること、信仰心を持つとは何も宗教団体に入る事と同じではありません。(古くからある仏教宗派に興味を持つことは良いことかと。自分の家の代々続く仏教宗派とか。あるいは昔からある神道とか)


信仰とは組織に属さずとも心一つで出来ます。何故こういうことを言うかというと、宗教団体の中には「?」と思う所も多々あるからです。(特に比較的歴史の新しいところとか)


仏教には数多の仏様がいらっしゃいますが、父は生前、「商売繁盛や出世、アイデアを欲しいと言う時は、お稲荷さんとか弁天様を味方につけると心強いぞ」とよく言っておりました。


父は熱心な仏教徒でもありましたが、根っからの商人でしたので特に稲荷神をよくお参りしておりました。お稲荷さんは商売の神様という一面もありますので。


御利益欲しさに稲荷神をお参りするのは全然構わないと思いますが、父から聞いた話や、自分で調べたりお坊様から聞いた話を総合して考えると、以下のことに気を付けねばならないといけないようです。



①そもそもお稲荷さんを信仰しないと意味がない。

②あんまり自分の欲ばかりを祈ってもいけない。(祈り方に注意)

③ここぞと決めたお稲荷さんは足しげく通う。

④何かを成すには行動が絶対に必要と理解すること。

⑤仏教に興味をもって学ぶ姿勢が大切。




今、思い浮かんだことはこんな感じです。何分私は僧侶でも何でもない在家の俗人なので、話半分に聞いて頂けると有難いです。便宜上番号を付けましたが、これらに順番はありません。同時進行です。


稲荷神は仏教的に言いますと荼枳尼天という天部の仏様になります。なので、仏教に興味を持ち学ぶ姿勢を見せることは、お稲荷さんも喜びますし、何より結果的に自分の為にもなります。


稲荷神には仏教稲荷(豊川稲荷や最上稲荷など)と神道稲荷(伏見稲荷など)がいます。神道稲荷、例えば伏見稲荷を信仰する場合は、伏見稲荷の教義(神道)を学んだ方が良いでしょう。毘沙門天の御利益の話と同じですね。


最上稲荷の狛狐

※岡山県の最上稲荷で撮影した狛狐。良い顔してます。


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プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

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