2021-06-05
◆弁才天出現の図
弁才天の版画の時代物を掛軸にしました。(詳しくはこちらまで)
元々、丸まった紙の状態でしたので、じっくりと観察したことはなかったですが、今回掛軸に表装して床に掛けれたことで図案の隅々までしっかりと観ることが出来ました。

宇賀弁才天です。弁才天のお姿は、主に腕が二本に琵琶を持つ姿と、腕が八本に頭上に鳥居がある姿があります。他にも腕が二本で剣や宝珠を持った姿もあります。
この版画の場合、腕が八本、頭上に鳥居と宇賀神がいらっしゃるので宇賀弁才天という御姿になります。

鳥居の奥に蛇がとぐろを巻いて鎮座していますが、こちらが宇賀神です。宇賀神とは神道で言う宇迦之御魂之神(うかのみたまのかみ)、我々庶民にとって馴染み深いのはお稲荷さんですね。
宇賀弁才天とは密教の弁才天と、神道の宇迦之御魂之神(宇賀神:稲荷神)が集合した天部です。

手には様々な持物があります。魔を退ける武器や、願ったものが出てくると言う如意宝珠、願いを必ず叶えるという意味もある弓矢(的中する)、仏様の知恵が詰まった宝の蔵を開ける為の鍵などがあります。
改めてこの版画をじっくり観ると、かなり線の細い緻密な仕事がしてあると分かります。

弁才天の周りには様々な神々がいらっしゃいます。この上の画像は弁才天の身の回りのお世話をしているという15柱の子供の姿をした神々、十五童子です。

弁才天のむかって左側には毘沙門天が鎮座します。
右側には大黒天です。

弁才天も大黒天も毘沙門天も庶民に馴染のある仏様です。現世利益の強い天部の皆さまです。このお三方は一つに習合すると三面大黒天になります。
そういえば毘沙門天も大黒天も弁才天も七福神の中に入っていますね。

弁才天の頭上には大きな龍がいました。弁才天は水の神でもあります。また龍神の中の龍神とも言えます。
日本には古くから、「日本五大弁天」という言葉があります。
・広島県の厳島神社
・奈良県の天河弁才天
・神奈川県の江の島弁才天
・静岡県の浅間神社
・滋賀県の竹生島弁才天
です。富士山の麓にある浅間神社の総本宮は、現在は木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祀っている神社ですが、かつては弁才天を祀っていたようです。
この版画は竹生島弁才天を表します。

竹生島は琵琶湖の中にある島です。滋賀県の古い密教寺院は圧倒的に天台宗が多いですが、琵琶湖の宝厳寺は真言宗のお寺です。
この版画は竹生島弁才天が現れ出でた様子を表しているようです。弁天様のお姿の下は、琵琶湖の水面を表しているのでしょう。
しかし細かく彫られている版画です。湖の波の中を観察していたら龍がいました。

顔は確認出来ませんが、明らかに龍です。
また、弁才天が座るその下も龍になっていました。頭が九つある九頭竜です。

仏像のほとんどは蓮の花の上に立っていたり、座っていたりするのが普通です。弁才天の仏像も蓮の花に坐っていることが多いと思いますが、竹生島の弁才天は龍の上に坐っています。これはカッコイイですね。
当店では祖母の縁ありて、三河に伝わる弁天箱を販売しておりますが、その箱を確実に使うにはやはり弁天様を信じないとうまく箱は動いてくれません。
また、弁天様が一体どういう神様なのかもよく知らないと、お参りの仕方も誤った仕方をしてしまうこともあるでしょう。
この版画をじっくり観察することは、弁天様を理解する上で役立つこともありそうです。
今後は弁天様のお祭りをする際は、この掛軸を出すことにしました。
核家族化が進み、「家」というものについての考え方も日本人は大きく変わってしまったように思います。
神社の神様も、お寺の仏様も、皆さん誰にでも必ず存在するご先祖神も同じかと思いますが、「家の中の祭りごと」を忘れてしまった人ばかりになってしまいました。祭りごととは、自分が信じる神仏や御先祖に感謝し、一緒になって楽しむものです。
弁天箱と向き合うことは、実は家の中で行うことが出来る祭ごとであり、弁天様との遊びでもあります。
遊びとは義務でやるものではなく、やってみるととても楽しいものです。商いを通じてそんな日本の忘れられた文化も発信出来たらなと思います。
※紅葉屋呉服店はこちらまで
元々、丸まった紙の状態でしたので、じっくりと観察したことはなかったですが、今回掛軸に表装して床に掛けれたことで図案の隅々までしっかりと観ることが出来ました。

宇賀弁才天です。弁才天のお姿は、主に腕が二本に琵琶を持つ姿と、腕が八本に頭上に鳥居がある姿があります。他にも腕が二本で剣や宝珠を持った姿もあります。
この版画の場合、腕が八本、頭上に鳥居と宇賀神がいらっしゃるので宇賀弁才天という御姿になります。

鳥居の奥に蛇がとぐろを巻いて鎮座していますが、こちらが宇賀神です。宇賀神とは神道で言う宇迦之御魂之神(うかのみたまのかみ)、我々庶民にとって馴染み深いのはお稲荷さんですね。
宇賀弁才天とは密教の弁才天と、神道の宇迦之御魂之神(宇賀神:稲荷神)が集合した天部です。

手には様々な持物があります。魔を退ける武器や、願ったものが出てくると言う如意宝珠、願いを必ず叶えるという意味もある弓矢(的中する)、仏様の知恵が詰まった宝の蔵を開ける為の鍵などがあります。
改めてこの版画をじっくり観ると、かなり線の細い緻密な仕事がしてあると分かります。

弁才天の周りには様々な神々がいらっしゃいます。この上の画像は弁才天の身の回りのお世話をしているという15柱の子供の姿をした神々、十五童子です。

弁才天のむかって左側には毘沙門天が鎮座します。
右側には大黒天です。

弁才天も大黒天も毘沙門天も庶民に馴染のある仏様です。現世利益の強い天部の皆さまです。このお三方は一つに習合すると三面大黒天になります。
そういえば毘沙門天も大黒天も弁才天も七福神の中に入っていますね。

弁才天の頭上には大きな龍がいました。弁才天は水の神でもあります。また龍神の中の龍神とも言えます。
日本には古くから、「日本五大弁天」という言葉があります。
・広島県の厳島神社
・奈良県の天河弁才天
・神奈川県の江の島弁才天
・静岡県の浅間神社
・滋賀県の竹生島弁才天
です。富士山の麓にある浅間神社の総本宮は、現在は木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祀っている神社ですが、かつては弁才天を祀っていたようです。
この版画は竹生島弁才天を表します。

竹生島は琵琶湖の中にある島です。滋賀県の古い密教寺院は圧倒的に天台宗が多いですが、琵琶湖の宝厳寺は真言宗のお寺です。
この版画は竹生島弁才天が現れ出でた様子を表しているようです。弁天様のお姿の下は、琵琶湖の水面を表しているのでしょう。
しかし細かく彫られている版画です。湖の波の中を観察していたら龍がいました。

顔は確認出来ませんが、明らかに龍です。
また、弁才天が座るその下も龍になっていました。頭が九つある九頭竜です。

仏像のほとんどは蓮の花の上に立っていたり、座っていたりするのが普通です。弁才天の仏像も蓮の花に坐っていることが多いと思いますが、竹生島の弁才天は龍の上に坐っています。これはカッコイイですね。
当店では祖母の縁ありて、三河に伝わる弁天箱を販売しておりますが、その箱を確実に使うにはやはり弁天様を信じないとうまく箱は動いてくれません。
また、弁天様が一体どういう神様なのかもよく知らないと、お参りの仕方も誤った仕方をしてしまうこともあるでしょう。
この版画をじっくり観察することは、弁天様を理解する上で役立つこともありそうです。
今後は弁天様のお祭りをする際は、この掛軸を出すことにしました。
核家族化が進み、「家」というものについての考え方も日本人は大きく変わってしまったように思います。
神社の神様も、お寺の仏様も、皆さん誰にでも必ず存在するご先祖神も同じかと思いますが、「家の中の祭りごと」を忘れてしまった人ばかりになってしまいました。祭りごととは、自分が信じる神仏や御先祖に感謝し、一緒になって楽しむものです。
弁天箱と向き合うことは、実は家の中で行うことが出来る祭ごとであり、弁天様との遊びでもあります。
遊びとは義務でやるものではなく、やってみるととても楽しいものです。商いを通じてそんな日本の忘れられた文化も発信出来たらなと思います。
※紅葉屋呉服店はこちらまで
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2021-06-03
◆地蔵寺釈厄外伝記 その7
◎六世戒心玉圓尼和尚の詠みし七首の歌
知らしめす 白旗稲荷の 呪法とは
ハタと飛び交い 歌に詠む
稲荷の呪法といえば「御玉転がし」白旗稲荷の御神号は、しら鳥がハタハタと舞い飛び歌を詠みて、その霊力と白旗の謂れを知らしめすと言ふ。
襤褸なる 纏いし衣の在の衆
残りし物は 白き玉石
襤褸(らんる)とは漢語でボロの意と聞く。ボロを纏った村人ですが、残ったお宝は白き稲荷の御宝玉、有難や有難や
礑(はた)と見た 大明神の おん奇跡
玉圓尼とて 思いもせずに
次々と起きる稲荷大明神の奇跡。しかし明治四十五年の火災で玉圓尼の詠みし歌帖も焼失した。その歌が今またここに再現されるとは。この奇跡、玉圓尼とて思いもせずに。
旅立や 稲荷背にしょふ 峠越え
五月の空に 狐雲浮く
大和の峠を越える玉圓尼の肩に確り寄り添う白狐、そのお姿が五月の空の白雲となって、玉圓尼にどこまでもどこまでも付いて行きました。
いざ付かん 半田の港の 賑わいに
白狐の霊ぞ 尻尾で隠す
半田の港に着きました。又、稲荷を置いてゆけと言われても困ります。又、眼力ある人に狐が背に付いていると言われても困ります。白旗稲荷の大明神は、ふさふさの太い尻尾をピンと真っ直ぐ立てました。もはや姿は誰にも見えません。玉圓尼を思う大明神の優しい思いやり、尼さんだけの一人旅に見えました。
成田かや 海老屋の不動 運ばれて
明神力の 益ます増して
尾張名古屋の地蔵寺にご到着の玉圓尼、ほどなく時代は明治の時代、文明開化となりました。そこへ海老屋の山本□和吉の、お不動さん。うんこらせっと運ばれてドンと鎮座ましました。恐らく成田不動でございましょうか。これで白旗稲荷の神通力も増す□増して、枡より溢れる御霊力。
理不尽な 廃藩置県の 悪政に
明神力を 今また見せん
廃藩置県のその時に、地蔵堂の土地まで召上げられた。何と理不尽な事でしょう。白旗稲荷、どうかどうかお力を。この七首の歌は、地蔵寺守護神、白旗稲荷の歴史をも語ります。稲荷の呪法「御玉転がし」で、六世玉圓尼和尚詠みし歌を聞き取りましたが、今回は確り七首まで書き留めました。
稲荷の呪法「御玉(みたま)転がし」は、平安の超人、安倍晴明や弘法大師がその修行中に考案したものとも言われますが、何れにせよ先人の残した文行を、一行二行その上から筆で準えれば、後の続きは自然出てくると云う摩訶不思議なる呪法であります。
昔は「御玉転玉(みたまてんぎょく)」の術とも言われた霊狐の呪法でありますが、今、病み上がりの自分にとって、昔のように出来るとは到底思えなかったが、恐る恐る行じてみれば、これ程に上手く出来るとは、唯唯驚くばかりでございます。
その後、体は小刻みに震えるばかりで暫く何も出来なかったが、熟つら考えるに、深草、最上、白旗稲荷と三狐の霊の御力を戴き、それ故の事の結果と感じ入る次第であります。最早これなるは白旗稲荷の霊験であり驚くばかりでございます。
思えるに平成十二年、病に伏して後、我が霊力の低下如何ともしがたく、思い悩みておりましたが、本年六月、十世戒心宗賢尼和尚より、地蔵寺縁起書の作成と世代記の活字化を御下命くだされました。その機を縁に我が霊力も嘗ての力が蘇るような気が致して参りました。
追記
大切な事を見過ごしておりました。玉圓尼様の七首の歌に、お稲荷様が隠れていたのです。驚きました。それぞれの歌の、最初の文字を七つ並べてみましょう。
知らしめす
襤褸なる
礑と見た
旅立ちや
いざ付かん
成田かや
理不尽な
このようになります。一字づつ横読み致しますと、なんとそこには「しらはたいなり」の七文字が出現致しました。更にこうも読めます。襤褸(ボロ)と言う漢語が使用されております。ここから各行の最後の言葉を詠み拾うとすれば、こうなります。
歌に詠む 七
白き玉石 一
おん奇跡 五
思いもせずに 二
狐雲浮く 三 ※三は三文字より上を見よとの仰せでした。
尻尾で隠す 四
益ます増して ※増すばかりで一文字も取る事は無し
今また見せん 六
一より詠み下してみましょう。
玉石に 狐隠すや おん奇跡
今また見せん 歌に詠むとて
とこんな歌となりました。歌文字下の番号は「御玉転がし」秘行の数字、白狐の尻尾が指し示す。ころころころころ転がって、右に左に左に右に不思議な動きでございます。くるくるくるくる目も回る、ときます。まあ、こんな訳でして、歌意は大和に置いて来た、白い玉石にも稲荷の霊力を入魂した。
その奇跡を歌に詠んでお見せ致そうぞ、との意味合いに取れましょう。全く摩訶不思議なる霊歌と申せます。最後に某の愚作の一首で締めまして終りと致します。これには、何の霊力もござらねば案心してお読み下されませ。
玉圓尼 七首の歌を 並ぶれば
稲荷の姿 そこにかしこに
平成十七年乙酉七月七日 瑠須庵

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知らしめす 白旗稲荷の 呪法とは
ハタと飛び交い 歌に詠む
稲荷の呪法といえば「御玉転がし」白旗稲荷の御神号は、しら鳥がハタハタと舞い飛び歌を詠みて、その霊力と白旗の謂れを知らしめすと言ふ。
襤褸なる 纏いし衣の在の衆
残りし物は 白き玉石
襤褸(らんる)とは漢語でボロの意と聞く。ボロを纏った村人ですが、残ったお宝は白き稲荷の御宝玉、有難や有難や
礑(はた)と見た 大明神の おん奇跡
玉圓尼とて 思いもせずに
次々と起きる稲荷大明神の奇跡。しかし明治四十五年の火災で玉圓尼の詠みし歌帖も焼失した。その歌が今またここに再現されるとは。この奇跡、玉圓尼とて思いもせずに。
旅立や 稲荷背にしょふ 峠越え
五月の空に 狐雲浮く
大和の峠を越える玉圓尼の肩に確り寄り添う白狐、そのお姿が五月の空の白雲となって、玉圓尼にどこまでもどこまでも付いて行きました。
いざ付かん 半田の港の 賑わいに
白狐の霊ぞ 尻尾で隠す
半田の港に着きました。又、稲荷を置いてゆけと言われても困ります。又、眼力ある人に狐が背に付いていると言われても困ります。白旗稲荷の大明神は、ふさふさの太い尻尾をピンと真っ直ぐ立てました。もはや姿は誰にも見えません。玉圓尼を思う大明神の優しい思いやり、尼さんだけの一人旅に見えました。
成田かや 海老屋の不動 運ばれて
明神力の 益ます増して
尾張名古屋の地蔵寺にご到着の玉圓尼、ほどなく時代は明治の時代、文明開化となりました。そこへ海老屋の山本□和吉の、お不動さん。うんこらせっと運ばれてドンと鎮座ましました。恐らく成田不動でございましょうか。これで白旗稲荷の神通力も増す□増して、枡より溢れる御霊力。
理不尽な 廃藩置県の 悪政に
明神力を 今また見せん
廃藩置県のその時に、地蔵堂の土地まで召上げられた。何と理不尽な事でしょう。白旗稲荷、どうかどうかお力を。この七首の歌は、地蔵寺守護神、白旗稲荷の歴史をも語ります。稲荷の呪法「御玉転がし」で、六世玉圓尼和尚詠みし歌を聞き取りましたが、今回は確り七首まで書き留めました。
稲荷の呪法「御玉(みたま)転がし」は、平安の超人、安倍晴明や弘法大師がその修行中に考案したものとも言われますが、何れにせよ先人の残した文行を、一行二行その上から筆で準えれば、後の続きは自然出てくると云う摩訶不思議なる呪法であります。
昔は「御玉転玉(みたまてんぎょく)」の術とも言われた霊狐の呪法でありますが、今、病み上がりの自分にとって、昔のように出来るとは到底思えなかったが、恐る恐る行じてみれば、これ程に上手く出来るとは、唯唯驚くばかりでございます。
その後、体は小刻みに震えるばかりで暫く何も出来なかったが、熟つら考えるに、深草、最上、白旗稲荷と三狐の霊の御力を戴き、それ故の事の結果と感じ入る次第であります。最早これなるは白旗稲荷の霊験であり驚くばかりでございます。
思えるに平成十二年、病に伏して後、我が霊力の低下如何ともしがたく、思い悩みておりましたが、本年六月、十世戒心宗賢尼和尚より、地蔵寺縁起書の作成と世代記の活字化を御下命くだされました。その機を縁に我が霊力も嘗ての力が蘇るような気が致して参りました。
追記
大切な事を見過ごしておりました。玉圓尼様の七首の歌に、お稲荷様が隠れていたのです。驚きました。それぞれの歌の、最初の文字を七つ並べてみましょう。
知らしめす
襤褸なる
礑と見た
旅立ちや
いざ付かん
成田かや
理不尽な
このようになります。一字づつ横読み致しますと、なんとそこには「しらはたいなり」の七文字が出現致しました。更にこうも読めます。襤褸(ボロ)と言う漢語が使用されております。ここから各行の最後の言葉を詠み拾うとすれば、こうなります。
歌に詠む 七
白き玉石 一
おん奇跡 五
思いもせずに 二
狐雲浮く 三 ※三は三文字より上を見よとの仰せでした。
尻尾で隠す 四
益ます増して ※増すばかりで一文字も取る事は無し
今また見せん 六
一より詠み下してみましょう。
玉石に 狐隠すや おん奇跡
今また見せん 歌に詠むとて
とこんな歌となりました。歌文字下の番号は「御玉転がし」秘行の数字、白狐の尻尾が指し示す。ころころころころ転がって、右に左に左に右に不思議な動きでございます。くるくるくるくる目も回る、ときます。まあ、こんな訳でして、歌意は大和に置いて来た、白い玉石にも稲荷の霊力を入魂した。
その奇跡を歌に詠んでお見せ致そうぞ、との意味合いに取れましょう。全く摩訶不思議なる霊歌と申せます。最後に某の愚作の一首で締めまして終りと致します。これには、何の霊力もござらねば案心してお読み下されませ。
玉圓尼 七首の歌を 並ぶれば
稲荷の姿 そこにかしこに
平成十七年乙酉七月七日 瑠須庵

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