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2021-02-19

◆弁才天像の修理 ~弁天様との御縁の話~  その後

前回はこちら

発遣・修理・開眼を終えた宇賀弁才天像。

毎日手を合わせていますが、厨子を閉じることにしました。


弁才天像 外厨子



画像は外厨子。この中に更に修理した厨子があり、その中に弁才天像が納入されています。


弁才天のことが段々分かって来たので、在家で祀るにはどうしようかと父と話し合いました。


結論は家族でお参りする分には開いていても構わないが、たまにお客様でお参りしたいという方もみえるので、そうであるなら厨子を閉じておいた方が良いのかもしれないということになりました。


我々庶民に馴染み深い神仏には、稲荷神や弁才天などがいらっしゃいますが、どちらも仏教で言えば天部とか諸天善神と呼ばれる存在です。ここ数年、多分もっと学べということなのだと思いますが、少しずつ神仏との接し方が分かってきました。


具体的に説明せよと云われても、お坊様ではないので言葉での説明は難しいですが、在家で開眼した天部像を祀るのは止めた方が良いという意見も、なんとなく分かる様になりました。(実際のところ、何か我が家に起こっているということは全然ないです)


ただ、締めっぱなしというのも寂しいので、弁才天の縁日でもある己巳(つちのとみ)の日と、己亥(つちのとい)の日は開帳してささやかですがちょっとしたお祭をしようかと計画中です。


己巳の日は年間6回、己亥の日も年間で6回あります。丁度、毎月一回開帳日がある計算になります。お参りの仕方も少しずつ分かってきたので、ある意味楽しみながらやれたらと思います。


思えば私は人生の随分早い段階で仏縁を頂きました。今振り返るに、今まで色々な御縁、人の縁、物の縁、動物の縁などなど頂きました。どれも有難い御縁ですが、こと仏縁に関しては本当にあって良かったなとしみじみ思います。






 
 
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2021-02-09

◆弁才天像の修理に至るまでの経緯   ~弁天様との御縁の話 最終回~

前回その6はこちら

修理前の弁才天です。開眼後の写真はちょっと撮れないと思いましたので、発遣後のお写真です。


私は仏像好きなので、今までお参りにいったお寺で撮影の許可を頂いたら仏像の写真を撮っていましたが、今後はそういうこともより慎重になりそうです。やはり寺院で祀られる仏像は全て開眼されているので、そう気軽に撮ってはいけないものだと、自分が弁才天像の供養に立ち会ったことで、勉強・・・というより思い知らされました。

弁才天像 修理前

厨子は新品同様の直しをしましたが、弁才天は現状を維持したまま、古色を保ったまま直すことにしました。やはり様々な人が拝んだと思いますので、そういう歴史を感じるような直しにするのも大事かなと思った次第です。
 
 
手を入れた個所を言えば、まずは全体的に埃が堆積しているので、お掃除ですね。

 
弁才天像 修理前②

それと亡失した個所の修復です。青○部分には鳥居があったはずです。宇賀弁才天像は、弁天様の頭上に宇賀神というお顔が老人、体が蛇の神様が乗っています。この神様の由来をしらべたら、どうも稲荷神と同体であるようです。
 
 
それと青矢印の部分。頭に被る宝冠ですが、頭に刺さって固定してありますので、これをまず抜くことにしました。何か仏像の頭に飾りを刺して固定するというのが、どうにも辛そうというか、いけないような気がしたからです。
 
 
仏師さんに聞けば、当時の仏像の作り方でこういう差し込むというのは、割とあったそうです。
 
 
古美術品として見れば、当時の作り方を忠実に踏まえて直さねばならないでしょうが、信仰の対象としてこれからも祀っていきたいので、心の声に従いました。冠の飾りは引き抜き、残った穴は埋めてもらい、亡失した鳥居共々新造することにしました。
 
 
新造した冠は輪っか状にしてもらい、上から被せる形にしました。
 
 
弁天様の背後の円光背は、中心がずれているので正面にくるようにしてもらい、光背の飾りの一部変形している個所も元通り直してもらいました。
 
 
弁才天像 修理前③

宇賀弁才天は八本の腕がありますが、それぞれの手には持物があります。画像で言えば上が鍵、下が矢です。鍵は宝蔵の印やくとも言いますが、悟りを開くための知恵が詰まった蔵を開ける鍵、矢は愛染明王が持っている弓矢の矢です。(確か)
 
 
これもひん曲がっていましたので、元通り直してもらいました。折れたら新造して下さいと伝えましたが折れなくて良かったです。こういう仏像はそうそう触ることは出来ないので、何故にこんなに持物が変形しているのか謎でしたが、頻繁に持ち運びで移動していたとすれば、揺れる度にぶつけて曲がったのかもしれないですね。
 
 
弁才天像 修理前④

蓮花台の下の板裏も漆が剥がれてボロボロだったので、一旦剥いで塗り直してもらいました。
 
 
弁才天像 修理後①

こちらが修理を終えた弁才天像。写真の撮り方のせいかもしれませんが、修理前と随分印象が変わったような・・・。


全体的に掃除をしてもらったことで、思った以上に色彩が豊かな像だと分かりました。変形した持物、光背も当初の様相に近付いたかと思います。
 
 
弁才天像 修理後②

鳥居付の宝冠も立派です。仏師さんからは金色のままか、あるいは古色仕上げにするか聞かれたので、古い像に冠だけピカピカはおかしいかなと思い、古色仕上げにしてもらいました。
 
 
家に弁才天像を持ち帰り、良くなったなぁと眺めていた所「あれっ?」と思う箇所を見つけました。手に持つ剣です。


弁才天像 修理後④

修理前の剣はくの字に折れ曲がっており、修理後はまっすぐになっていましたが、冠から垂れる衣(?)が剣の前にあったのです。

弁才天像 修理後③

この場合、衣は剣の後ろにあるのが自然です。蔵書の中から弁才天像の写真を探しましたが、同じような形状の冠の場合、やはり剣の後ろに衣が来ているのが正しいようでした。
 
 
「どうしよう。直すか?」
 
 
と考えましたが、自分よりもはるかに仏像の造形に詳しい仏師が、果たして間違えるだろうか?これは理屈が分かっている仏師でも、こういう形にさせられたのでは?と思いました。


こちらの宇賀弁才天様は、滅多なことでは剣を振るいたくないのではと解釈しました。
 
 
父に聞けば、「在家で祀るには、この姿の方がよりマイルドになるからもう触らない方が良い」というのが見解でした。
 
 
弁才天は七福神として、紅一点の女神として庶民の神様となりました。御利益的には金運・財運・芸事の神様とされました。しかし、本来は才能の神、弁舌の神であり、うんと古い時代は「怨敵退散」の御利益があるとされてきました。
 
 
そういう歴史を踏まえると、聞きたくもない願いを聞いた可能性も否定できません。その傷んだ姿からすれば、かなりご苦労された弁天様ではないか?と推測しました。
 

さて、こうして完成した弁才天像。開眼の儀式もA和尚に御尽力頂き、無事終わりました。

 
現在、毎日お参りしておりますが、ここまでこれたのも、遠方よりお経を上げに来てくれたお坊様、また丁寧な直しをして頂いた仏師さん、私の行動を理解してくれた家族、そして直すチャンスを与えて下さった弁天様のお陰です。何が一つ欠けてても成し遂げれなかったでしょう。本当にありがとうございました。
 
 
ただ、これからがまた大変でもあります。頂いた御縁をどうするか、どう繋げていくか、そして私自身も心の勉強をしなければと思う今日この頃です。
 
 
今回のテーマはこれにて終わりです。最後まで読んで頂きありがとうございました。



2021-02-08

◆弁才天像の修理に至るまでの経緯   ~弁天様との御縁の話 その6~

前回その5はこちら

修理に出すにあたり、何かの役に立つかなと記録をとることにしました。発遣供養をした後に撮影です。

弁才天の厨子 修理前①

修理に出す前の厨子。修理を終えた今見ると、かなり酷い状態でした。厚めに塗ってある漆はあちこち剥がれています。


厨子の上部、丸みのある所は真っ白に光が反射してますが、これは埃ですね。
 
 
中の弁才天像とほぼ同時代、当初から仏像と一緒にあったと思われる厨子ですので、どういう直しをするか悩みましたが、仏師さんと相談し、漆を全部はいで塗りなおすことにしました。


完成したのがこちらの画像です。

弁才天の厨子 修理後①


もう新品同然になりました。蝶番などの金具類は新品に見えますが、当時のものを磨いてもらいました。ピカピカです。

弁才天の厨子 修理前④

扉の内側もボロボロです。向かって左側です。これが修理後は・・・

弁才天の厨子 修理後②

こうなりました。

弁才天の厨子 修理前⑤

向かって右側も酷い状態です、金箔もしわしわ。剥がれもあります。


弁才天の厨子 修理後③

ピカピカですね。扉の上部も一部欠損しており、閉めても中が見えるような状態でしたがこれも修理してもらいました。


職人の技術は凄いなと思いました。宇賀弁才天像と縁を頂いてから、この写真を撮る時でも気づきませんでしたが、「修理が終わったよ」と電話をもらった時、「厨子についてた輪っかはどうしよう?」と言われました。
 
 
「あれ、輪っかなんかついてたっけ?」
 
 
「取りに来た時に説明しますよ」
 
 
という事で、説明を聞いたら、こんな所にあったのかという場所にありました。
 
 
弁才天の厨子 修理前②

写真はないかなとよく見たら、ありましたね。画像黄色の〇の部分ですね。厨子に施してありました。
 

「この厨子についていた輪っかだけど、どうします?元通りにするなら今から穴を開けて取り付けますよ」


漆を塗る時は、一度金属部品を全部外してから行うので、こういうことになったのでしょう。
 
 
「厨子の上に輪っかを施すというのは、結構あること?あんまり見た記憶がないけど・・・」
 
 
「少ないけど、修理をやってるとたまにありますよ。小さい厨子だし、おそらく携帯用、よく持ち運んでいた弁天様じゃないかな?」


と言う見解でした。
 
 
なるほどなと思いました。言われるまで疑問をもつことすら無かったですが、確かに寺院で一か所にずっと置かれて祀られているのであれば、これほどボロボロにはならないでしょう。厨子の上下が酷く剥がれているのは何かの荷物と一緒に紐二本でぐるぐるとよく縛っていたのかも・・・。落ちないようにきつく縛ったので、扉の上部が欠けてしまったのでしょう。
 
 
寺を持たぬ修験者か僧侶か。あるいは他所で拝むことを生業とする行者さんの念持仏だったのかもしれません。一般の人がお守りで持ち歩いていたとは思えないし・・・。


しばし考えましたが、輪っかは取り付けるのを止めることにしました。
 
 
つけないことで、持ち運びする厨子ではなく、一か所で祀る為の厨子になるかなと思ったからです。


次回は弁才天像についてご紹介します。お読み頂きありがとうございました。

 
 
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2021-02-07

◆弁才天像の修理に至るまでの経緯   ~弁天様との御縁の話 その5~

前回その4はこちら

修理を終えた今の状態から思えば、何故10年近くも修理せずにそのままだったのかな?と考えてみました。


家の祭りごとは父が主になっていたので、私が前面に出ることはなかったことが、まず要因の一つでしょうか。個人的にも余裕がなかったのもあります。
 
 
昨年、「修理しよう」と突然思ったのは、いろんな意味で準備が整ったからだと今では理解しています。

 
父が一線を引き、体力的にも弱くなってきたこと。家の祭り事を自分が中心に行うことになったこと。そして密教系の古い仏像について、主に専門書を何冊も読み、少しずつですが分かってきたからだと思います。

 
弁才天像は推定江戸の中期頃はありそうです。一体誰が何の為に拝んだのか、どんなお坊様が開眼したのかは一切分かりません。(故に古い仏像を家に招くにはよく考えることが必要かと。特に天部像)その場合、弁才天は主に密教で祀られる仏様ですので、きちんと祀るにはやはり密教系のお坊様に一度拝んで頂いた方が良いことが分かってきました。


新しい仏像を鑑賞目的の美術品ではなく信仰の対象として祀る場合、しかるべき僧侶に開眼(仏様の魂を入れる)してもらわないといけません。また、既に開眼を済ませている古い像を修理するとなると、今度は発遣(はっけん:魂を抜く)してもらってから、仏師のもとへ修理に出さねばならないのです。

 
また、そんな理屈が分かっても、それではどんなお坊様に発遣・開眼の供養をお願いするかも大事です。お坊様からすれば、頼まれれば誰でもそういうことをするかと言えば、多分そんなことはないと思います。やはりご縁を大切にるのでは?
 
 
うちの近所には密教寺院はないので、そんなお願いを聞いてくれるお坊様も探さねばならないのです。密教系の仏像の発遣・開眼となるとうちの檀家寺(浄土真宗)では、話をしても断られるのは聞くまでもないことでした。
 
 
そんなこんなで、全ての条件が整ったのが去年でした。


発遣をお願いしたのは愛知県から遠く離れたとある密教寺院のA和尚でした。今思えばよくご縁が繋がったなと思いますが、こちらの和尚さんと出会ったことで、弁天箱の不明だった点を教えて頂きました。A和尚に弁天箱を観て頂いたところ、一連の所作や箱の中身から、密教の考え方がかなり取り込まれていることが分かりました。
 
 
また、家で祀っている観音様をお坊さんの目線で観て頂きましたが、こちらも見落としていたことを教えて頂きました。余談ですが、身内の家に祀ってあった新しい不道明王像を開眼することになった際も、A和尚にやって頂きました。
 
 
昨年のいつだったか、弁才天像の修理をやるかと思い立った時、発遣供養を誰にしてもらおうかと悩みました。真っ先にA和尚の顔が浮かびましたが、何しろ遠方の方なので気軽に声をかける訳にもいかず、当初は名古屋市内にどこか無いかと当たりましたが、諦めました。
 

縁の無いお寺にいきなり話せる案件でもないですし、弁天様の顔を見ていたら、何となくA和尚にお経を上げてもらって欲しそうな感じがしましたのでA和尚に頼むことにしました。
 
 
ただ、流石に電話やSNSで気軽に声を掛けるのはどうかと思い、ご多用のところアポをとり、こちらからお参りがてらお邪魔させて頂きました。話の途中で弁天様の発遣供養の話をしたら、快く引き受けて下さいました。(内心ちょっとまずいかなと思ってました)
 
 
発遣供養の日は、もうお任せしました。和尚さんのご都合の良い日が弁天様の望む日だろうということで丸投げしました。
 
 
その日は珍しく雨の日でした。弁天様は水の神なので、ああいい日になったなと思いました。A和尚も「弁天様に相応しい日になりましたね」とおっしゃってました。(車での移動は大変だったと思います。ありがとうございます)
 
 
生まれて初めて見る発遣供養でした。聞いたことのない仏様の真言もたくさんありました。
 
 
弁才天像の発遣ですが、私のイメージですと弁天様に弁天像から出て頂いて、一度弁天様の世界に帰って頂く感じでしょうか。
 

こうしてA和尚の御尽力もありまして、無事宇賀弁天像は修理に出せることになりました。
 
 
もし、発遣供養もなしに修理に出していたら、怒られていたかもしれません。修理を出したタイミングは、弁天様からしたら「ようやく準備できたなぁ」と思われていたかも・・・。
 
江の島弁財天社
※画像は江の島弁才天



 
ここまでお読み頂きありがとうございました。次回に続きます。

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2021-02-06

◆弁才天像の修理に至るまでの経緯   ~弁天様との御縁の話 その4~

前々前回その1はこちら

前々回その2はこちら

前回その3はこちら

弁天箱について大きなミスをやってしまったことの反省が、これからお話しする行動のきっかけとなりました。


仏像好き、仏教や神道好きと言っても、そういう世界に明るい人から見れば素人同然の私ですが、あの頃は今の自分よりももっと良く分かっていなかったと思います。
 
 
ある意味、分かっていなかったから出来たこととも言えます。
 
 
どうやったら正しく箱を使え、理解を更に深めることが出来るか?弁天箱は口伝の世界で、資料、教科書の類はありません。


ただ、漠然とですが、きっちり正しく箱を使うには、もっと弁天様の懐に飛び込まないといけない気はしていました。


そこで私がとった行動は、弁天様の前で想いの全てを言葉にして吐き出すことでした。


弁才天像の前に坐り、般若心経を唱え終わるとこんなような内容を言葉にしました。






「御縁を頂きありがとうございます。弁天様の箱に関して大きなミスをやらかしました。もう二度とああいうことがないよう気を付けます。すいませんでした。改めて自分の携わっている、祖母の縁で繋がった弁天箱の商いですが、どういう気持ちで御箱を扱わねばならないかがやっと分かりました。


これからこの商いを続けていきますが、それにはもっと正しく理解し使えるようにならねばなりません。誤った解釈をお客様に伝えると、世の中に悪い種をまくことになると気付きました。そうなれば世間にご迷惑をおかけすることになります。
 
 
もし私が間違った振る舞いをすれば、それは大変なことになるとよく分かりました。ですので、私が道を外さぬよう、正しくきっちりとお箱を理解し使えるように、私を見張っていて下さい。つきましては、私、まだ生きておりますけど、末席の末席で良いので弁天様の門下に加えて下さい。よろしくお願い致します。」






よくあんなことをその場で言葉にしたなと、今振り返ると思います。畏れ多いと今では思います。


そんな言葉を言い終えた後、不思議なことが起きました。弁天様の厨子から何か出て来たのです。目を閉じていたので見えませんでしたが(開けててもみえなかったと思いますが)、何か前の方から空気の塊みたいなものが出てきて全身を包み、やがてまた厨子の中に戻っていくような感覚でした。思い込みだといわれればそれまでですが、確かに何かに触れました。


坐ったまましばし呆然としていました。
 
 
と同時に、「俺は大変なことを言葉にしたのでは?」と思いました。もう死ぬまで弁天様についていこうと決めました。


その後、現在に至るまでいろいろな気付き、学び、御縁が増えていきました。疑問に思ったことの答えが意外なところで分かったり、箱の理解も前よりも進むようになりました。点と点が繋がり始めるようになり、これはいったいどういうことだ?と行き詰るとたまたまお客様に教えてもらった本に答えがあったりと、私に必要なことは次々と舞い込むようになりました。
 
 
本来は仏門に入ってきちんと修行せねばならないのでしょうが、あくまで私は在家なので、在家に身を置いたままで箱を動かすのに必要な知恵を、本やテレビ番組、お客様が繋いでくれたご縁などで足りない部分を補っていきました。
 
 
一番驚いたことは、弁天様にのめり込んで行ったら、不動明王に引っ張られていたことでした。とあるお客様から、弁天様の法要がこのお寺でやってるから行ってみない?と声を掛けられ、これも何かの縁かなと参加させてもらいましたた。滋賀県の山の中のこじんまりとした修行寺で、不動明王を本尊で祀る密教寺院でした。
 
 
何の気なしに法要に参加させて頂きましたが、非常に気さくで接待もしっかりやって下さるお坊様でした。なんか申し訳ないという気持ちになるあったかいお寺でした。初めて見る弁才天の法要はとても神秘的でした。
 
 
いい意味で衝撃を受けたお寺だったので、後で色々と調べてみたら千日回峰行を満行した大阿闍梨が住職をしている寺であると知り、大変驚きました。(きちんと調べるまで、千日回峰行や大阿闍梨という言葉の意味は分かってなかった)生まれて初めて何となく参加した弁才天の法要が、まさかそんなお坊様のいる寺だったとは・・・。
 
 
今でもそのお寺には年に2回ほどお不動さんのお護摩に参加させて頂いていますが、ご住職の言葉、厳しい行者の姿、超パワーのお不動様へのお参りなどで、結果的に神仏に向き合うということを目で耳で学ばせて頂きました。
 
 
そして弁天様への信仰心を持つことは誰にでもお勧めできますが、(本当に凄い仏様)天部である弁天様だけ信仰をもつというのもそれはそれで全然構わないですが、出来ればそれに加えて観音様かお不動さんも併せてお参りしたり、信心するのが尚良いのでは?と思うようになりました。
 

今では私も我が家の観世音菩薩像にも改めて着目し、もっと観音信仰を深めていければと思います。


また、こちらのお寺のお不動さんに御縁があったことで、高校時代にお不動さんに出会わなければ、とっくに命が終わってたという出来事があったことを思い出しました。振り返れば、随分昔に不動明王とのご縁があったのです。これは意識せよということだと思いましたので、お不動さんも毎日拝むように(たまにさぼるけど)しております。


さて、忘れてしまったこともあるかと思いますが、こんな背景があり我が家では弁天様を祀ることになりました。弁天様への出会いというとても大きな御縁を私は頂いた訳です。素直に有難いと思っています。(後は頂いたものをどうするか・・・)

 
 
不思議な経験をしてから時は流れ2020年。いつもの日課で弁天様をお参りしている時、ふと「弁天様、大分傷んでるな。直してあげたいな」と思うようになりました。


伊崎寺5
※始めて弁天様の法要に参加した際に見た、琵琶湖にかかる虹の写真

次回に続く・・・。最後まで読んで頂きありがとうございました。

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2021-02-05

◆弁才天像の修理に至るまでの経緯   ~弁天様との御縁の話 その3~

※前々回その1はこちら

※前回その2はこちら

家でまつることになった宇賀弁才天像


後で知ることになりますが、在家で生の入った天部像※を祀るというのは中々ハードルが高いことです。お坊様によっては天部像は在家で祀ってはならないという話もあります。しかもそれが古い仏像なら尚更です。弁才天をお参りしたいという気持ちがあるならお札で十分であると。
 
 
以後、自分なりに弁才天に纏わる文献を読みあさったり、各地の弁才天の参拝に出かけることで、また人を介して学ぶ切っ掛けを頂いたりして、何故そう言われるのか段々と分かってきました。
  
 
ただ、この時はそんなことは知りもしませんでした。


元々厨子付きの小ぶりな弁才天像でしたが、その厨子がボロボロだったこと、それと何らかの神意を受け取ったからか、父は家に余っていた少し大き目の空の厨子の中に弁才天をその逗子ごと納めました。聞けばこの方が喜ぶからだとのこと。
 
 
箱を使うには、箱が動いてくれるには弁才天の信仰心が欠かせない・・・。そう結論付けた矢先に出会った宇賀弁才天像。もともと先祖より神仏を祀る家で育ち、手を合わせることが普通になっていた私でしたが、ここで改めて信仰するとはどういうことか?を考えさせられることになりました。
 
 
弁天様を毎日お参りするようになってから、箱が動きかけました。マニュアル通りの所作から少しずつ前に進むようになりました。詳細は今回のブログテーマと関係がないので省きますが、結果なかなか結婚したくとも出来なかった私ですが、今までの苦労はなんだったのか?というような感じで妻と出会い結婚しました。(弁天箱を用い、弁天様に結婚できるように願掛けしたということです)


出会った日の名前を聞いた瞬間の驚きは今でも忘れません。弁才天に所縁の深い「宇賀神」の文字を生まれながらに名付けられた人だったからです。


結婚してから2年ほど経ったある日、父に激しく叱責される出来事がありました。弁天箱に纏わる大きなミスを私がしていたのです。この時、「自分が誤った箱の覚え方をしたり、正しい使い方を知らないままだと、それをお客様に発信すると、世の中に良くない種をばら撒くな」という事を思い知らされました。


そして改めて信仰するとはどういうことか?を考えさせられました。

 
普通に生活していてまず聞かれることはないですが、もし私が誰かに「あなたは信仰しているものはありますか?」と聞かれれば、「私は観世音菩薩や稲荷神、天神様、弁天様を信仰してます」と答えます。

 
答えますが、では「信仰とは何ですか?」と聞かれると困るなと気づいたのです。新しく招いた弁天様に向き合った時、弁才天を信仰するとはどういうことか?また、そもそも先祖から祀る神仏を信仰するとはどういうことか?どういうつもりで今までお参りしていたのかを良い年になって考えさせられることにもなりました。
 

自分は一体何を観ていたのか?
 
 
この何を以て信仰するという自分なりの答えは、何年か経って結論が出ましたが、この時はまだ分かりませんでした。
 
 
箱を正しく使い、正しく知らなければ、それを発信する自分としては場合によっては悪い種を世間にばら撒くことになります。


箱の使い方を教えてくれたのは父なので、師匠は父ということになりますが、そもそもあの不思議な箱「十種神宝の箱」は祖母の地元では密教の弁才天と習合し、弁天箱となりました。そう、弁天様の信仰ありきの箱なのです。


弁才天をよくお参りしたり、祀ることも大切でしょうが、それよりももっと自分の身近に、自分の中に弁天様を置かねばならないのでは?という結論になりました。世の中に弁天箱の縁繋ぎ、橋渡し役をすることに、どうも気付けばなってしまったようなので、それはもう重々注意せねばならないことなのです。
 
 
「どうする?ここで引くか?それとも行くか?行くならば・・・」
 
 
自分の師でもある父は、稲荷神と話したり稲荷の言葉を文字に起こすという「お筆先」という才能をもっております。簡単に言えば霊能の力です。
 
 
そんな特異な才能を産まれながらに持つ父と違い、私は凡人です。その凡人が父のように弁天箱を使いこなし、御縁のあった人に教えることが果たして可能なのか?
 
 
その弁天様との橋渡し役を続けるのであれば、覚悟を決めねばならないと気付きました。自分が脱線しないよう、きちんと正しく弁天様の箱を使えるようになるよう、弁天様に見張ってもらうしかない。という事は、弁天様の門下生として入門するしかないのでは?・・・という結論になったのです。
 

長くなってきたので次回に続く。最後までお読み頂きありがとうございました。
 
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天部・・・ざっくり言いますと、仏教世界では上から如来、菩薩、明王、天部という位に分かれます。弁才天とか吉祥天のように名前に天がついたり、龍神とか鬼子母神という神がつく仏を天部とか諸天善神とか言います。(違ってたらごめんなさい)

 
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プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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