2020-09-17
◆見仏お断り
「紅葉屋呉服店は個人の家では名古屋最大のパワースポットだね。」
何時だったか、とあるお客様がおっしゃったことです。
住んでいる私ども家族としては何も感じませんが、改めて言われるとそういう感想が出るような家かもしれません。
家で祀っている仏様は、感受性の強いお客様がその前に坐ると、「これは強い力の仏様ですね」と言われることもあります。
昔、とあるお坊様がご来店された際、仏様を観て「ご家族何ともないですか?」と言われたこともありました。
私も生まれた時からずっと一緒に生活しておりますが、特に何もありません。むしろ数えきれないほどお助け頂いたと思います。素人なりに祀り方がうまくいっているのでは?と思います。
インターネットが生活の中に当たり前に浸透してからは、噂が噂を呼び、ご新規の方も仏様を目当てにご来店される方も増えて来ました。
前回のブログで「見仏」と「拝観」について考えてみました。
これまでは、お客様や新規の方、見仏でも拝観でも見たいとおっしゃる方はご案内しておりましたが、今後は見仏目的の御依頼はお断りしようかと考えております。
と言うのも、昨年こんな出来事があったからです。
たまたま店の前を通った数人の新規の方がご来店されました。
店のウィンドウに企画展の案内を出していたので、それを見てのことです。
父が会話の中で、観音様のことを話したら、その人達は見たいとおっしゃられました。
それを聞いて、父も何か気になったのか意外なことを訊ねました。
内容的には、よく寺社へお参りに出かけるかどうか、真言や名号を唱えたことがあるか、などです。
その人達はそのどちらにも当てはまりませんでした。
結果だけ述べれば、手を合わすことも無く仏様の前で座ることも無く、真言も名号も唱えませんでした。ただ立ったまま見ていました。
そのせいかどうか分かりませんが、帰られる頃は調子が悪そうでした。フラフラになっていたのです。
これは推測ですが、我が家にある仏様は相当の力があります。初めて見る人は恐怖心を抱くこともあり得ます。そういう恐怖心というのは仏様は受け取らないので、全て跳ね返します。結果、自分の出したものが自分に返るということです。
実際、我が家では誰一人一緒に生活していてもフラフラにはなっていません。これは恐らく家族全員が恐怖の目で見てないからだと思います。この話はお寺に祀っているどの仏像にも当て嵌まります。仏像を見て最初は怖く見えても、対峙するこちらが素直に受け入れる気持ちが出来ると、仏像の顔がいきなり変わることもあります。怒っていたように見えた顔が笑うのです。
仏像はその人の姿を映す、鏡のような一面もあると思います。
紅葉屋呉服店では、仏様をお参りしたいとおっしゃる方は是非どうぞとご案内致しますが、ただ見たいとおっしゃる方はお断りすることにしました。今まで物とか美術品でしか仏像を見たことが無いと言う方、信仰心もなければ手も合わせたことも無いと言う方は、万が一調子が悪くなってもいけないので。
信仰心は個人で気付いて持つもので、強制するのも勧めることもしない方が良いと思います。なので仏像を見ることは見仏でも拝観でもどちらでも良いことです。しかし、特にもともとが強い力を秘めた霊像であるなら、やはりお参りする方もそれなりの気持ちでないといけないのでは?と思った次第です。

仏像をお参りに行って、フラフラになるという経験は、まぁ滅多にないことですけどね。
2020年度創業以来初の企画展開催中です。
何時だったか、とあるお客様がおっしゃったことです。
住んでいる私ども家族としては何も感じませんが、改めて言われるとそういう感想が出るような家かもしれません。
家で祀っている仏様は、感受性の強いお客様がその前に坐ると、「これは強い力の仏様ですね」と言われることもあります。
昔、とあるお坊様がご来店された際、仏様を観て「ご家族何ともないですか?」と言われたこともありました。
私も生まれた時からずっと一緒に生活しておりますが、特に何もありません。むしろ数えきれないほどお助け頂いたと思います。素人なりに祀り方がうまくいっているのでは?と思います。
インターネットが生活の中に当たり前に浸透してからは、噂が噂を呼び、ご新規の方も仏様を目当てにご来店される方も増えて来ました。
前回のブログで「見仏」と「拝観」について考えてみました。
これまでは、お客様や新規の方、見仏でも拝観でも見たいとおっしゃる方はご案内しておりましたが、今後は見仏目的の御依頼はお断りしようかと考えております。
と言うのも、昨年こんな出来事があったからです。
たまたま店の前を通った数人の新規の方がご来店されました。
店のウィンドウに企画展の案内を出していたので、それを見てのことです。
父が会話の中で、観音様のことを話したら、その人達は見たいとおっしゃられました。
それを聞いて、父も何か気になったのか意外なことを訊ねました。
内容的には、よく寺社へお参りに出かけるかどうか、真言や名号を唱えたことがあるか、などです。
その人達はそのどちらにも当てはまりませんでした。
結果だけ述べれば、手を合わすことも無く仏様の前で座ることも無く、真言も名号も唱えませんでした。ただ立ったまま見ていました。
そのせいかどうか分かりませんが、帰られる頃は調子が悪そうでした。フラフラになっていたのです。
これは推測ですが、我が家にある仏様は相当の力があります。初めて見る人は恐怖心を抱くこともあり得ます。そういう恐怖心というのは仏様は受け取らないので、全て跳ね返します。結果、自分の出したものが自分に返るということです。
実際、我が家では誰一人一緒に生活していてもフラフラにはなっていません。これは恐らく家族全員が恐怖の目で見てないからだと思います。この話はお寺に祀っているどの仏像にも当て嵌まります。仏像を見て最初は怖く見えても、対峙するこちらが素直に受け入れる気持ちが出来ると、仏像の顔がいきなり変わることもあります。怒っていたように見えた顔が笑うのです。
仏像はその人の姿を映す、鏡のような一面もあると思います。
紅葉屋呉服店では、仏様をお参りしたいとおっしゃる方は是非どうぞとご案内致しますが、ただ見たいとおっしゃる方はお断りすることにしました。今まで物とか美術品でしか仏像を見たことが無いと言う方、信仰心もなければ手も合わせたことも無いと言う方は、万が一調子が悪くなってもいけないので。
信仰心は個人で気付いて持つもので、強制するのも勧めることもしない方が良いと思います。なので仏像を見ることは見仏でも拝観でもどちらでも良いことです。しかし、特にもともとが強い力を秘めた霊像であるなら、やはりお参りする方もそれなりの気持ちでないといけないのでは?と思った次第です。

仏像をお参りに行って、フラフラになるという経験は、まぁ滅多にないことですけどね。
2020年度創業以来初の企画展開催中です。
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2020-09-16
◆見仏と拝観
神社に出かけてお参りすることは参拝。
お寺で祀られている仏像をお参りすることは拝観と言います。
うちは昔から仏像を祀っていますが、家族にとっては信仰の対象です。
私もそんな環境で育ったので、仏像は手を合わせるものだと、人生のかなり早い段階(両親の話では2歳くらい)で気付かせてもらえました。同時に神仏は存在すると信じれるようにもなりました。
大人になって自動車の免許を取得し、行動範囲が広がると方々のお寺や神社へ参拝に行くようになりました。結婚してからは独身時代の頃のように出かけることは減りましたが、それでも行ける時は家族でお参りに出かけております。
昔、仏像の拝観ツアーというのがあり参加したことがありました。福井県の普段は拝観出来ない秘仏を、特別に開けてくれてお参り出来るというものです。なかなかない機会なので楽しみに出かけました。
ツアーに参加して衝撃と共に知りました。仏像は拝観するものだと認識していましたが、その認識が一気に崩れました。それは世の中には仏像を拝観するのではなく見るだけ、「見仏」する人が結構多いという事実でした。
秘仏の御開帳ツアーに参加するような人達ですから、当然仏像が大好きな人ばかりです。しかし、参加した人数の7割、8割位の人達はただ見るだけ・・・。それは信仰の対象ではなく、美術品として見ているということだと理解しました。
手を合わすことも、真言や名号を唱えることもありません。ただ見て写真をバシャバシャ撮るだけです。ランチの時間の時に参加した人達数人と話をする機会がありましたが、知識は凄いですが、造形物として捉えている人もいました。
その時拝観した仏像は少なくとも数百年、1000年近く拝まれてきた尊い仏様です。
帰宅後、しばらく納得出来ませんでしたが、時間が経つにつれ信仰とは強制するものではなく、自主的に気付いてやるものだし、仏像を美術品として見るのもまぁそれはそれで楽しみ方の一つなので、自分がとやかく言う事ではないと思うようになりました。
拝観と見仏、どちらも仏像を見に行くことには違いありませんが、私は拝観という言葉の方が好きですね。

見仏と拝観。どっちでも良いことですが、もし寺院に出かけ、目の前にある仏像から気付き、学び、霊験を頂きたいのなら「見仏」ではなく「拝観」の方だと思います。
※紅葉屋呉服店はこちらまで
お寺で祀られている仏像をお参りすることは拝観と言います。
うちは昔から仏像を祀っていますが、家族にとっては信仰の対象です。
私もそんな環境で育ったので、仏像は手を合わせるものだと、人生のかなり早い段階(両親の話では2歳くらい)で気付かせてもらえました。同時に神仏は存在すると信じれるようにもなりました。
大人になって自動車の免許を取得し、行動範囲が広がると方々のお寺や神社へ参拝に行くようになりました。結婚してからは独身時代の頃のように出かけることは減りましたが、それでも行ける時は家族でお参りに出かけております。
昔、仏像の拝観ツアーというのがあり参加したことがありました。福井県の普段は拝観出来ない秘仏を、特別に開けてくれてお参り出来るというものです。なかなかない機会なので楽しみに出かけました。
ツアーに参加して衝撃と共に知りました。仏像は拝観するものだと認識していましたが、その認識が一気に崩れました。それは世の中には仏像を拝観するのではなく見るだけ、「見仏」する人が結構多いという事実でした。
秘仏の御開帳ツアーに参加するような人達ですから、当然仏像が大好きな人ばかりです。しかし、参加した人数の7割、8割位の人達はただ見るだけ・・・。それは信仰の対象ではなく、美術品として見ているということだと理解しました。
手を合わすことも、真言や名号を唱えることもありません。ただ見て写真をバシャバシャ撮るだけです。ランチの時間の時に参加した人達数人と話をする機会がありましたが、知識は凄いですが、造形物として捉えている人もいました。
その時拝観した仏像は少なくとも数百年、1000年近く拝まれてきた尊い仏様です。
帰宅後、しばらく納得出来ませんでしたが、時間が経つにつれ信仰とは強制するものではなく、自主的に気付いてやるものだし、仏像を美術品として見るのもまぁそれはそれで楽しみ方の一つなので、自分がとやかく言う事ではないと思うようになりました。
拝観と見仏、どちらも仏像を見に行くことには違いありませんが、私は拝観という言葉の方が好きですね。

見仏と拝観。どっちでも良いことですが、もし寺院に出かけ、目の前にある仏像から気付き、学び、霊験を頂きたいのなら「見仏」ではなく「拝観」の方だと思います。
※紅葉屋呉服店はこちらまで
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