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2020-01-30

◆日本のしきたり・第4回 節分

二月は和風月名で如月という。如月は衣更着とも言い、寒さのため着物を更に着込むという意味だそう。


そんな二月の伝統的なしきたりが節分だ。


元々は平安期に始まった、鬼を祓う儀式「追儺」から始まっていると云う。節分は旧暦で一年の始まりとされた立春の一日前にあたり、季節の変わり目には隙が出来、鬼が入るとされていた。

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江戸期に流行していた、年末から年始に行われる「なかきよの宝船の絵」を枕元に置いて寝る習慣もよく似ている。これは年度の変わり目は魔物が入りやすいという理由で、宝船の絵札を置き結界を張ろうというものだ。


節分には豆を撒く行為がある。調べてみたらこの豆撒き、やるからには以下の約束事があった。


①まず、炒った豆でないといけない。

②撒く豆は前日に神棚に備える。そうすることで福豆となる。

③撒くのは一家の長、厄年の男、年男であること。



というものである。


そもそも豆は「魔目」という文字が当てられることがある。鬼の目に投げつけられたことが由来である。豆は米と並び、神様が宿る大切なものとされた。


その豆を炒るということは、どういうことか?


思うに一つは神聖な豆に、火を通すことで、火の神の力も加えるということか。またそれを投げつける意味は、豆は火を通すことで決して芽を出すことはない。これは生まれることの阻止、復活、再生の阻止という意味もあるのではと思う。


前日に神棚に供えることで、さらに自分が信仰する神の力も加えている。


厄や病を齎すと信じられた鬼に対する恐怖心というものが昔の人の根底にあったのだろう。


③については現代だと男尊女卑的に考えてしまうが、男は家を守るものという認識が今よりももっとあったのだろう。また、方位、家相に関する障りは一家の長に出やすいので、そういうことから自身を守るということもあるのかも。


豆撒きの豆自体が、調べると幾重にも神の力が重なる武器であることが分かる。そして豆まきには言葉が伴う。言葉の力も加えるのだ。


節分は他にも柊と鰯を飾る。焼いた鰯の匂いを鬼は嫌い、柊の尖った葉が鬼を傷つけるという意味がある。


今日、当たり前になっている恵方巻だが、これの歴史は浅い。1970年~1980年くらいに流行した、大阪の方のとある寿司屋さんが始めた風習らしい。神に供えるという大事な要素が欠けているので意味をなさないおまじないだ。


我が家では節分の「鬼は外」は言わない。それは貧乏になるおまじないと言い伝えられている。それを知ってから鬼に興味を持つに至った。次回は鬼について少し考えてみます。


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2020-01-16

◆日本のしきたり・第三回 正月について その3

お正月飾りの続き。今回は鏡餅について考えてみる。


鏡餅の鏡とは、銅鏡のことだ。もっと言えば神社にある御神器としての鏡である。古代の銅鏡は、現代の鏡と違い、自分の身なりを写すものではなく神が宿る依り代という意味がある。


鏡自体が御神体でもあり、自分の御霊を写すものでもある。

高座結御子神社⑪

過去ブログに一度上げたが、昔、熱田神宮の広大な(嘗ての)境内にある古社の一つで、不思議な写真を頂いたことがあった。前回の話に少し重なるが、この神社に参拝に行った際、根元に小さな鳥居がいくつも置いてある御神木があった。


この時「あっ、御神木は神が宿るし、神そのものでもある。神社の木には触ったらいかんな」と言葉で発しながらお写真を頂いたらこのような写真が撮れた。


特に反射するものがあった訳ではないが、まるでそこに鏡があるかのような光が写っていた。鳥居の上にあるのも、神は鳥居に降りるという言い伝えがあるので、この件では神様いるよと教えて頂いたようにも思えた。


鏡が丸いのは、魂の形を表しているのやもしれない。


鏡餅を二つ重ねるのは、福徳が重なる様にという意味がある。


しかし、私は日本の、物部神道に伝わるという二つの鏡、興津鏡と辺津鏡を表していると思う。


神道最大の謎と云う十種神宝(とくさのかむたから)に含まれる、陰陽二枚の御神器の鏡である。


日本の宗教観は、古くは今ほどハッキリ分かれていなかった。神道も仏教も陰陽道も複雑に交じり合っていた。鏡餅を見るに陰陽の考え方も入っていると思う。大きい餅は陽の鏡「興津鏡」。小さい方は陰の鏡「辺津鏡」を表していると思う。


また、米は昔から日本人にとって命の要の農作物だった。古代豪族の権力の象徴は鉄と稲であるように、保存が効き、安定的な食糧源である米は大切なものであった。

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山の神の話を読んでも、普段は山に住み、春になると下りてきて田の神となり秋に帰るというものがある。山の神は稲の神でもあるのだ。この辺りの話が歳神=山の神という話になるのだろう。庶民にとっては歳神(山の神=稲の神)は生命線なのだ。故に稲の神のもたらした餅で、神が宿る鏡の形を作り、正月におもてなしをするのである。


伏見稲荷に残る昔話でも興味深いものがあった。古代豪族の秦氏は、先祖神でもある伏見稲荷を祀っていたが、栄華を極めていた秦氏は慢心になり、あろうことが鏡餅を弓矢の的にして矢を放っていたら、とたんに神罰が下ったというものだ。鏡餅が神聖なものであるという事、そして「誰のお陰で繁栄してると思っているのか!」という神の怒りがよく分かる話である。


正月には当たり前のように餅を食べると思っていたが、調べていたら餅を食べない地域もあった。東京足立区に、落ち武者達が苦労して開墾したことが始まりの集落がある。彼らは貧しく正月も餅が食べれず芋の雑炊を食べていた。その先祖の苦労を思って、今でも正月には餅を食べない。


栃木県にも、鬼怒川から農業用水を引く工事が終わるまで、正月も餅をつかずに働くと願掛けをしたという伝承が残る地域もある。そういう地域では「餅なし正月」を行っているという。足立区の例も栃木県の例も同じで、どちらも苦労した先祖達のことを思って餅を敢えてたべないのである。


正月は政を行う行事であり、お盆的な意味があると気付いた。


先祖のことを思い、地域の神や自身の信仰する神に祈り感謝する各家庭で行う大事なお祭なのだ。先祖神や地域の神、信仰する神を味方につけることで結果的に家の繁栄にも繋がるのである。


※追記

神が宿る鏡餅を食べるという行為は、神と同族になる、守ってもらいたいという発想かと思います。




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2020-01-12

◆日本のしきたり・第2回  正月について その2  

お正月飾りと言えば門松意外にも、注連縄や鏡餅がある。

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注連縄の由来は古事記に遡る。天岩戸に閉じこもっていた天照大神を、天手力男命が引っ張り出した際、岩戸の中に二度と戻らないように施したのが注連縄の起源だと云う。


注連縄は左捻りで、結界という意味がある。


神社の入り口に施してあるのをよく見かけるが、これは不浄を嫌う神様にとって外から不浄なものが入ってこないようにするという意味がある。と同時に、中にいる神様も外の世界(人間の住む世界)に入ってこないようにするという意味もあると思う。


神様の御魂は、荒魂と和魂とある。簡潔に言えば、荒ぶる激しい側面と、穏やかな優しい側面だ。人の発する言葉や行いによって神様は和魂か荒魂に変わる。荒魂が暴れると災いをもたらすと考えられていた。故に注連縄を神社の入り口に設ける意味は、神様は神社の中に留めておきたいということもある。


「注連縄は神を閉じ込めておくと云う意味がある」と気付いたのは、今から20年近く前、愛知県の有名な寺稲荷、豊川稲荷の狐塚にて不思議な体験をさせて頂いたからだ。過去ブログでも述べたかもしれないが、当時、父と歴史好きのお客様の併せて5名で豊川市内の寺社巡りをしたことがあった。


最初に訪れた犬尾神社にて、父が「注連縄や鳥居は内と外、両方に作用する結界だ。神を閉じ込める意味があるのでは?」と言葉で述べたことがあった。その直後で訪れた豊川稲荷の奥の院、狐塚で鳥居が潜れないという体験をした。


お客様3名は、何ともなく普通に鳥居を潜ったが、私と父だけ奥の院の鳥居が潜れないのである。目の前に目には見えぬが厚さ数十センチもあろうかという空気の壁のようなものが前進を妨げ、足が後ろにむかって勝手に下がっていくのである。
 
 
もう感覚的な話であるが、空気の壁が現れる前、狐塚にある無数jの稲荷神像が、一斉にこちらを見たような気がした。頭がグラグラし、広い境内を歩いている間治ることはなかったが、第一鳥居を出たとたん、スポンと頭に入っていた空気が抜けたように軽くなった。元に戻ったのだ。誠に不思議な体験であった。


以来、何度か豊川稲荷へ参拝に行くが、後にも先にも狐塚の鳥居が潜れないということはない。今思えば、注連縄や鳥居の真の意味を言葉で述べたのを豊川のお稲荷さんが聞き、実際に身をもって体験させてくれたのだと思う。


よくお札や、開眼してもらった仏像を祀っているという人に限って、御縁のあった寺社への参拝をしなくなるという話を聞く。本体の神仏に会うのであれば、その場所に参拝に行くことが大変重要であると思う。


話を正月飾りとしての注連縄に戻そう。


各家庭にて飾る注連縄は、歳神が訪れる前に不浄なものが入らないようにする、招いた家の中が神聖であるという意味がある。


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上の画像は奈良県の某寺院の境内にあった注連縄。この地域には、普通の道に思える所にもこのような注連縄があった。これより先は神域であることの目印だ。このタイプの注連縄を初めて見た時は大変驚いた。神すさぶという言葉が浮かぶほどインパクトがあった。


神社の御神木にも注連縄が施してあるものを見かけるが、やはり神が降りる、宿る木は穢れてはならないからだろう。神社の御神木に関しては、注連縄が施してないものもあると思う。参拝者からすれば、どれが神が宿る木かの判断は難しい。また祀ってある神様が穏やかな神様なのか、それとも荒ぶる神様なのかも場合によってはよほど調べないと分からない。(明治期に神様が入れ替わっている場合も多いから)故に神社の木はむやみやたらに触ったり、抱きついたりしてはいけない。


和魂の神様ならいざしらず、祀ってある神様が荒魂の場合、それに触れると障りがあると思う。


注連縄は、本来藁を編んだもの紙垂をつけたものであったが、地域によっては橙や扇、伊勢海老などが加えられていった。(蓬莱飾)


注連縄はそれそのものも神聖であるし、神域であるという目印でもある。穢れを入れないようにしたり、神をそこに留める為に用いるものだ。




2020-01-10

◆日本のしきたり・第1回  正月について  

私の本業は着物屋です。紅葉屋呉服店という店で商いをしております。


寺や神社が好きでこのブログをはじめましたが、もう一つブログを持っています。


そちらは主に仕事に関するものです。


最近、仕事、趣味共に日本に関することと言うことで、日本の文化・しきたり、本業の着物等に関することをブログを用いて考えてみようかということになりました。自分自身、もっと日本に古くからあるものを知りたくなったのです。


まずは日本の、当たり前に受け入れている「しきたり」について考察していくことになりました。これをご覧の皆様にはお付き合いのほどよろしくお願い致します。


さて、初回の一発目は、一年の始まり、お正月についてです。


これも調べてみると、知っているようで知らないことが多々ありました。そもそもお正月とは何なのか?


結論から言えば、お正月とは各家庭にて行う歳神様を迎えるための政だ。


お正月の準備は12月13日~12月28日までにすると良く、13日は歳神様を迎える「正月事始め」と言う。


また、正月事始めに行うこととして「松迎」が行われた。これは門松などの正月飾りに用いる松を山に取りに行くことだ。


今日では、家の前に門松を立てる光景は殆ど見なくなったが、家の前に立てる門松とは歳神様を呼ぶための依り代という意味がある。


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門松と言って頭に浮かぶのが上の画像のような三本の竹を中心とした形だが、この形が出来る前は松の枝を玄関の柱などに括り付けるという質素なものだったようだ。


お正月で迎えるという神様、歳神様はおそらく陰陽道や易学などに登場する福の神、歳徳神のことだと思う。毎年変わる恵方に鎮座する水の性質の女神である。恵方巻というおまじないが有名だが、寿司を黙って丸かじりするだけで、完全にこの神様が忘れられてしまっている。供えて祭るという肝心なものが欠落してしまった恵方巻の神事は、既に意味が全くない。(過去ブログに纏めてあります)


歳徳神は、自身の子供達である恐るべき祟り神「八王子神」から人間を守ると云われる。京都の神泉苑が有名だが、歳徳神様を祭るこの社は、社ごと360度ぐるぐると回転させることが出来るという。これは各方位に対応する陰陽道的なお祭りの仕方があるのだろう。


各家庭で祭る神棚についても調べてみたが、正月用の歳神様を祭る為の神棚も嘗てはあった。


特徴的なのは、高い場所の板などに置くタイプではなく、天井から吊り下げるタイプのもので、神棚自体が回転式になっているものだった。京都の神泉苑の社と同じ発想である。


お正月に迎える歳神という神様を調べると、まず陰陽道の神様で間違いないと思うが、実際の現場(各家庭)では様々な考え方が習合したようである。


つまり、本来陰陽道の神である歳徳神だが、地域によっては陰陽道の神ではなく先祖神であったり、山の神であったりする場合がある。むしろそっちのイメージのが強いようだ。


民俗学的な考え方だと、人は亡くなるとその魂は山に帰る。山(海とかも)は異界であり、神そのものであったり神が降りる巨大な依り代でもある。山に帰った魂達はやがて習合し、一つの先祖神になると云われる。地域で祭られる氏神様の元祖だ。


古代からある豪族の墓、古墳も死して山になろうという発想があったのかもしれない。


日本の宗教観は様々なものを一つに纏めているので、お正月に迎えるという歳徳神だけを調べてみても、様々な解釈が出来る。どれが正解だろうと決めるのはあまり意味がないように思う。お正月の招く歳神様とは、陰陽道の福の神であり先祖神であり、氏神であり、自身が信仰する神様でもあるからだ。


そんな神様達を各家に招くため、依り代となる門松を家の前に立てるのである。


・・・こんな感じで日本の文化、しきたりを考察していきたいと思います。





プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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