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2017-04-28

◆神社のお参りについて その4 (氷上姉子神社 前編)

萱津神社を紹介しようとすると、必然的に日本武尊の話になり、そうなるとこの神社の話に繋がることになる。

それは名古屋市緑区にある古社、「氷上姉子神社(ひかみあねごじんじゃ)」だ。

御祭神は宮簀媛命(みやずひめのみこと)と云う。あの日本武尊の奥さまを祭る神社だ。

この神社、名古屋で最も有名な神社、熱田神宮の元宮だ。熱田神宮より古い神社である。

元宮とは、元々その場所にあった神社の事。氷上姉子神社は元々の熱田神宮と言える。

氷上姉子神社④

26歳を過ぎたあたりから父と一緒に神社のイロハを学び始め、関心をもつようになったが、個人的に大きなご縁を頂いたのがこの神社だった。この神社で不思議な体験をしたのだ。


初めて行ったのが今から15年も前の事か。

この神社を知ったのは仕事の帰り道で、カーナビの画面に社名が表示されたことだった。

「氷上姉子神社・・・氷の名前がつく神社か」

と名前に強くひかれ、日を改めてお参りに行くことになった。


その日、何か用事を済ませた後に神社へと向かった。16時頃に神社についた。


広い境内の半分位は住宅地になっており、社が建つ森に足を踏み入れてからどこか尋常ではない雰囲気を感じていた。空気が張り詰めているというのか、ビリビリしたものを肌で感じていた。


(ここは・・・何ときつい神社か。きちんと礼をもってお参りしないと怒られるな。これは・・・)


この頃は基本的な参拝の作法が分かりかけて来た頃だったので、鳥居の端を潜り、手と口を清め、塩を持っていたので軽く体に塩で祓ってから本殿の前に立った。


そして参拝に来た要件を言葉で述べた。何故そうしたのか今考えても分からないが、神様に向かって話しかけたのだ。


「名古屋で長年商売をして来ましたが、尾張の大神様でもある熱田の神様の、この元宮に来たことは一度もありませんでした。本日は、今まで名古屋に住まわせて頂いたお礼と、父の執筆の関係で、どうしてもこちらの神社のお写真を2、3枚頂きたいです。どうぞお許し下さいませ。」


一言一句合っている訳ではなないが、こんなような言葉を述べた。後で知ったがこれを神道では「言挙(ことあげ)」と言う。


お参りが終わった後、写真を撮った。2、3枚と言ったので最大3枚までしか撮れないなと気付き、少し後悔したが、自分でそう言葉にしたので、撮影は3枚までと決めた。


一枚は本殿の写真。


2枚目は本殿の横にあった立て看板。

氷上姉子神社①

そして最後に何を撮ろうかと辺りを見渡すと、鳥居の近くに社歴が彫ってある石があったのでそれを撮ろうとカメラを向けた。

氷上姉子神社②

この時、異変が起こった。デジカメのモニターがぶれるのである。と同時に頭が重くなりクラクラして来た。何かが出てくると思った。


恐る恐るカメラを構え、「お写真を頂きます」と言葉を発してカメラのスイッチを押した。


その後は頭がずっと重かったが、境内の全ての社をお参りしようと見つけた社は全て立ち止まり手を合わせた。


帰り際に気付いたが、境内の一角に小さな山があり、その入り口に「奥宮」とあったので、山を登った。

氷上姉子神社③

数分で登れるような山だが、一番上に開けた場所があり、この氷上姉子神社で最も神聖な奥宮についた。


この時点で、気配と言うか何というか、体にのしかかる様な重みは最大に達していた。


こんな経験は初めてだったので、怒られているのかと思いつつ、何とかお参りを終えたので、第一鳥居を目指して歩いた。口では観音様の真言を唱えながら・・・。


その鳥居を潜って神社の境内から出た途端、重みがベリベリと剥がれるように一気に体が楽になった。


帰宅後、早速撮影した三枚の写真を印刷してみたが、3枚目の社歴が彫られた石の写真には、やはりと言うか御神体(?)が写っていた。それは真っ白い光の片目だった。カメラ目線でしっかりとこちらを見詰めていたのである。(ブログでの公開は控えます)


片目で写るということは、こちらへの分かり易いメッセージだと直ぐに気付いた。


それは宮簀媛命達、つまり古代の尾張氏は蹈鞴(たたら)、製鉄集団だということだ。古代の豪族の力の象徴は鉄と稲である。銅剣を凌ぐ強力な鉄剣、そして安定的な食料を約束する米は大きな豪族には無くてはならないものだからだ。


蹈鞴の職業病とも言えるのが、目と足の病である。何故かと言うと、鉄を溶かすため、風を送るふいごを利き足で踏んだり、鉄の溶け具合を見る為溶鉱炉を片目で覗くからだ。

故に片方の目や足を痛めるのである。片目、片足の昔話は全国に残っている。妖怪で言うと一つ目小僧や唐傘お化けなどは有名だが、彼らは零落した古代の蹈鞴神なのだ。


このことから、氷上姉子神社の神様の得意分野が見えて来る。鉄(金属)関係の仕事の方や、米を生業とする人達にはとても良い神様だと言える。


氷上姉子神社の「氷」は昔はこの字を使わず「火」の文字が使われていたという。「火上姉子神社」だ。これが氷になったのは、よくこの周辺で火事が起こったり、神社も火災で燃えたことがあったことを踏まえて、「氷」と言う字を充てたら火事がおさまったと云う。


本来の文字を考えても製鉄を連想させる一族の神様だと言える。


しかし、氷上姉子神社の御祭神、宮簀媛命の最も得意とする分野、御利益は他にあると知ったのは、この日から暫く経ってたまたま訪れた、あま市の萱津神社(前回のブログ)へお参りに行った後のことだった。


萱津神社には宮簀媛命に纏わる悲しい伝説が残っていたのである。
 
 
次回「氷姉子神社 後編」です。




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2017-04-27

◆神社のお参りについて その3 (萱津神社 後編)

社歴や神名から神様の得意分野を確認してみたが、「相手を知る」ということは何もそれだけではない。

次に境内に目を移してみる。

萱津神社5

池があり龍神様が祀られている。神社に古くからある訳ではない。昭和になってから近隣の人達がこの池に祀ったもの。小さい祠だが確かにいらっしゃると思った。


萱津神社9

境内には社務所があり、お守りなどが販売していた。その社務所の前に超珍しい神様が祀られていた。歳徳神、恵方の女神である。神道の神社に陰陽道の神様が祀られていたのだ。まさかあま市の甚目寺町に歳徳神様が祀られているところがあるとは・・・。


歳徳神様については私の過去ブログ「恵方巻について」にあるので興味のある方はそちらをどうぞ。


この歳徳神様の祠、左右に稲荷像が祀られていた。豊川稲荷か。


画像は直した後だが、私が参拝した時、稲荷の左右が入れ替わっていた。お尻が祠に向いていたのだ。これはおかしいと神職の方に話したら、「あっ!ありがとうございます」とすぐに入れ替えていた。多分直さねばと思っていたものの、忘れてしまっていたのだろう。


こうやって境内にある祠を一つ一つ参拝して回っていると、意外な発見があったりする。


さて、ここで今一度社歴に話を戻す。


萱津神社には日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の伝説が残っている。古代の英雄神だ。


日本武尊はその性格の激しさ、力の強さもあり、父親の景行天皇からは、いつ死ぬか分からない戦場へと何度も送り出されていた。ある意味日本武尊は、親からは良い扱いをされていなかったと私には思える。


その日本武尊、最後の戦場が伊吹山で、伊吹山の神の攻撃で重傷を負い、それがもとで命を落としてしまう。その伊吹山での戦いの前に寄ったのがこの萱津の地であった。


その時、地元の人達は日本武尊一行をもてなし、その中で漬物を出した。


日本武尊はそれを食し、大層気に入りこう言ったとある。


「藪に香の物だな」


この日本武尊の言葉(言霊)からも、その背景を読み取ることが出来る。

最初にこの言葉を知った時「これは差別用語だ」と思った。


古語辞典によれば、「藪」とは雑草、雑木、竹などのことを指す。もてなした人たちに対する大変無礼な言葉だ。


「藪のようなお前らにしては、美味いものを出すではないか」


というような意味にもとれる。また、御祭神の鹿屋野比売神は「野の神」「草の神」でもあるので、この神様やそれを祀る人達を皮肉った言葉ともとれる。


萱津神社2

そして最後にこの本殿が建っている位置。


大変低い位置になっている。


この地へ足を運ぶと分かるが、隣がすぐ庄内川だ。川の堤防の間近、それもかなり低い位置にこの神様は祀られているのである。

現在でこそ、この堤防もしっかり造られているので、大雨でも洪水の心配はないのかもしれないが、今ほど堤防がしっかりしていなかった時代はよく水害があったと思う。

地元の古代神を祀る場所には適さない。水害の危機がすぐ傍なのである。


日本武尊の発した言葉や、この神社の位置から考えるに、こちらの神様や、かつてこの神を祀っていた古代人達は言われなき差別を受けていたのではと思う。

鹿屋野比売神も大変苦労されていたのかもしれない。このことも相手を知るという意味では大切なことだ。



甚目寺町は今でこそ聞かなくなったが、私の父が子供だった頃は部落問題があったと聞いたことがある。

昔、川沿いの堤防を車で走っていた時、ふと堤防の下が視界に入った。


走行中だったので一瞬だったが、そこには驚くべきものが有った。

河原に墓地があったのだ。


堤防の下の萱津神社しかり、そこにしか祀れなかったのかと考えると、とても辛い気持ちになる。


昨今では日本でもヘイトスピーチが問題になっているが、なかなかこういう意識は無くならない。あってはならないことだ。言われた方の気持ちになると駄目なことはすぐに分かりそうなのに・・・。


テーマと話がそれてきたので戻そう。

神社の神様と仲良くなろうとすることは、相手を知るということが第一歩だと述べた。相手を知るには調べないといけないし、目や耳に飛び込んできた情報の点と点を結ぶことも欠かせない。そして結んだ情報を元に想像することも必要だ。


こうして、考え始めると、神様も苦労されたのだと分かる。

またそんな神様を崇め、祀って来た人達も沢山いた。

そんな心情になると、もう手を合わせた時の感じが、調べる前とでは大きく変わってきていると思います。



次回はこの萱津神社と所縁の深い、もう一つの神社をもとに解説していきます。








2017-04-23

◆神社でのお参りについて思うこと その2 (萱津神社 前編)

愛知県あま市にある古社「萱津神社(かやづじんじゃ)」。

今回はこの萱津神社を例に、相手、即ち御祭神について知ろうというお話をします。

どこの神社にも必ず神様がいます。

その神様を知ることが、神様に対して愛着をもつ切っ掛けにもなりますし、そんな気持ちで手を合わせると自然と感謝の気持ちが湧いてくると思います。

萱津神社11

で、今回紹介する萱津神社。

ここの神社、日本で唯一の漬物の神様を祀っている。

萱津神社3

これが漬物を貯蔵している蔵のような建物。

毎年4回、熱田神宮の御祭りにあわせて今でも特殊神饌として、奉納されている。

萱津神社8

この神社の境内には、神様の姿の像が建っていた。これはとても珍しいこと。


御祀神は鹿屋野比売神(かやぬひめのかみ)と云う。女性の神、姫神様だ。

神社の神様は、大きく分けると自然が神様になっている場合と、神話に登場する男神、女神のように、人の姿をイメージするような場合がある。また、実際に歴史上に存在した人が神様になっていることも。菅原道真公や徳川家康公などがそうだ。また変わった所では動物や、体の一部が神様になっていることもある。

この萱津神社の創建は不明だが、相当古い神社だと思う。

神社に残る由緒によれば、


太古民族が沃野(よくや:作物が良く育つ平野)を求めて土地を開拓した頃、田畑を守る農耕の神「鹿屋野比売神」を祀る神社で、我が国唯一の漬物の神であり、諸病免除の神、縁結びの神と御神慈深き神として御神徳あり


とあった。初めて訪れた神社で最初にみて頂きたいのがこの社歴だ。神社側がホームページを持っているなら、事前に調べることも可能なので、そういう時は事前に調べてから行くのをお勧めする。

社歴は、そこの神社を知ることが出来るし、神名も分かる。そして御利益が分かることもある。ご利益について触れてなくとも、御祀神さえ分かれば、調べれば神様の性質から得意分野が見えてくる場合もある。

萱津神社7


この地に残る伝説などを踏まえて考えると、萱津神社の神様の得意分野(ご利益)は、やはり社歴の記述通り3つに絞られる。

①漬物関係
・漬物業者の方がお参りするのは◎ 拡大解釈して飲食店の人でも良いかもしれない。


②諸病免除

・神社に残る話では、初めてこの地で偶然漬物が生まれた。当初それは神からの賜り物として万病を治すお守りとしたとある。現在病気で悩んでいる方や、医療関係の方がお参りすると良さそう。


③縁結びの神

境内に縁結を象徴するご神木があることから、この御利益も強いと思う。


柏書房の「日本の神様読み解き辞典」によれば、鹿屋野比売神は伊弉諾(イザナギ)・伊弉冉(イザナミ)の夫婦神の御子で、野の神、または草の神であるとあった。そうなると・・・

④園芸関係のお仕事の方も良いかも。


となる。神社の神様には個性がある。全ての願いに対応できるという訳でもない。神様にも得手不得手があるのだ。鹿屋野比売神には上記4つの得意分野があるので、商売繁盛やお金儲け、学業成就などをお願いするのはちょっと違うと思う。


以上、「相手を知ること」を、社歴と神名から神様の得意分野を調べてみた。しかしこれで終わらない場合もある。神社によっては目線を変えるともう少し掘り下げることが出来たりするからだ。


次回は萱津神社 後編です。




2017-04-14

◆「神社でのお参り」について思うこと   その1 

両親の話では、2歳から仏像に興味を持っていた私。

仏像好きから祖父や父の影響で、仏様への信仰心を持ち、やがて興味は神社へ・・・。

その後、神社について研究していた父から色々とイロハを教えてもらい、神社の神様への理解が深まるにつれ、仏教の凄さと神の力を再認識。


今日でも寺社へ参拝は良く出かける。この世で最も面白いものを早く気付けて自分はラッキーだとつくづく思う。



昨今はスピリチュアルという言葉も普通に浸透していると感じる。

大きな、観光地化している、人が沢山訪れる神社に参拝に行くと、鳥居の中央を避けて通っている人や、鳥居を潜る前にお参りしている人が、昔と比べると随分増えたような気がする。


子供の頃から神仏に囲まれた生活をしていたお陰で、寺社への興味が増すにつれ、寺と神社のお参りの仕方、その違いも分かるようになってきた。

特に神社では寺と比べると、参拝する時のマナーが多い。


今回のブログは、神社の参拝する時のマナーとはちょっと違うが、「ここを抑えてお参りすると良いかも?」という話をします。



その前に、これをお読みの皆様は、寺社へ参拝の折、神仏へお願い事をしたことはあるでしょうか?

ことお願いごとに関しては、神社の神様とお寺の仏様では後者の方が良いでしょう。


長年神仏が身近にいる環境で育ち、幼少の頃から現在まで寺社へ赴きお参りをしてきた結論から申しますと、仏教の仏様と神道の神様では明らかに違います。

何故かは説明すると長くなるので割愛しますが、神社は基本的には、お願い事をする所ではないように思います。


しかし、神社の神様が、「願い事について後押ししてくれないのか?」という訳ではありません。

お参りする人によっては、後押ししてくれます。(人によっては敵に回ることも・・・)


では、自分の願いに対して、どうしたら後押ししてもらえるのか?

それはいくつか方法がありますが、最も重要なのは「神様と仲良くなる」ということです。


では、どうしたら神様と仲良くなれるか?

それは人付き合いと似ていますが、最初の一歩は相手を知るということです。


次回から、実際にある神社を通じてそんなお話をしたいと思います。



萱津神社10


続く~



プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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