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2013-02-17

奈々美神社 ~朝田寺周辺の神社③~

穴師神社の次に発見したのがこの「奈々美神社」だった。

神社巡りをしていると、よく見かける社名は、

神明社、八幡社、稲荷社、白山社、浅間社、住吉社、
天神社などだ。

故に、この朝田寺周辺の神社はそれらに当てはまらない、
おそらくこの地域にしかない社名の神社はとても珍しい。

奈々美は「ななみ」と言い、この神社がある町名は「七見」であった。
七見神社①

厳密に言うと「上七見」で、この隣町に「下七見」がある。

七見が先か、奈々見が先かは分からない。
どちらかが当て字か、それとも両方ともか・・・。

七見神社⑥

境内は先の二つの神社より広かった。
現在では境内にも家が建っている。

七見神社⑦

余談だが神社の境内に住むという事は有り難い事だ。
ただ、住む人が感謝しているか、それとも不敬を働いているかでは、
「運」というものが違ってくるように思う。

奈々美神社の御祭神は分からなかった。
社歴も見当たらない。境内に住んでいるお婆さんに聞いたが、
さっぱり分からないとの事だった。

七見神社②

ここの狛犬は新しいものだが、何とも面白い顔をしている。
出来が凄く良い。

七見神社③

見ていると思わず笑みがこぼれる。

結局、滞在時間内では神様の名前は分からなかったが、後で分かった。
この日同行した父と狐童女(きつねめ)さんが気付いたようだ。

結論を先に言えば、御祭神は「天神七代」という七柱の神々だった。
天神七代とは、日本神話において、天地開闢(かいびゃく)の初めに現れた7代の天の神々のことだ。

日本で一番有名な「伊勢神宮」の天照大神よりも更に古い神々だったのである。

天神七代の神々は、神仏習合の考え方により、
その姿は蛇体で表されるようにもなった。

それを踏まえて神社の境内の写真を眺めていると、いろいろと気付かされた事があった。
七見神社⑤

まずはこの注連縄。まるで大蛇のようである。
そして注連縄に取り付けられた房は七つあった。

七見神社④

房は雪洞ともいう。雪洞は珠ともいう。
珠は御霊に通じる。七つの房は七柱の神を表しているように思う。

次に社名について考えてた。
奈々美は七見、七つを見る。
もしくは七つのヘビ(巳)で七巳ではないだろうか。

七つの蛇体の神々を祀っていたから「ななみ」神社になったのではと思う。

訪れた三カ所の神社は、何れも大事にされている素晴らしい神社だった。
周辺にはまだまだ古い神社がありそうだ。

機会があれば、またこの地域には訪れてみたい。
そこは、神と仏と人が一緒に住んでいる、そんな印象を強く感じる場所だった。


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2013-02-09

穴師神社 ~朝田寺周辺の神社② ~

意非多神社の次に向ったのが、ナビ画面で発見したこちらの神社、
「穴師神社」。聞いたことのない神社だ。

穴師神社⑨

穴師神社⑤

意非多神社と同じく、こちらも境内に足を踏み入れたら全体が見渡せるほどの
小さな神社だが、歴史は古い。

穴師神社②

鳥居が狭い間隔で3本建っている。
お稲荷さん以外ではあまり見た事がない。
本殿に向う方に段々と低くなっている。

穴師神社①

御祭神は、

・建速須佐之男命
・穴織神
・萬幡豊秋津姫命

であった。鳥居が三本ある理由はこの三柱の神様に因んでいるのかも。
最初の「タケハヤスサノオノミコト」と3番目の「ヨロズハタトヨアキツ(シ)ヒメノミコト」
は古事記や日本書紀に登場する神様だ。後者は織物に因んだ神様であると分かった。

『日本の神様読み解き辞典』によれば、萬幡豊秋津姫命の漢字の意味を
一つ一つ拾っていくと、「織地の縮んだ精巧な織物」という意味になると云う。

さて問題は2番目の神様だ。これは手元にある辞典にも掲載されていない。
ただ社歴によるとこちらの神社は地元豪族「穴師族」が守っていた神社だと分かる。
穴師族は金属鉱を採掘していた一族であったようだ。

穴織神という名前からは「織物」と「穴師族」を連想させる。
社歴にも「穴師は綾師に通じ織物技術に長じた集団」とあった。

これは金属鉱で力をつけてきたタタラの集団がやがて織物に変わって行ったということなのか。

穴師神社⑧

いずれにせよ、このような古い神社で地元の豪族に因んだような神様がが祀られたり、
豪族名が分かっていると言う事は、王権側の神様であり一族だったのだろう。

何故なら滅ぼされたり、虐げられた側の神社だと、ここまでハッキリ残されていないからだ。

穴師神社③

穴師神社④

穴師神社の狛犬。この辺りは狛犬に彩色を施す習慣があるのか。
それ以上に気になったのは、狛犬の「阿吽」が反対のような・・・。

穴師神社⑦

この神社の境内にはこんなものもあった。
石仏だ。三宝荒神だろうか。

穴師神社⑥

他にも珍しいものがあった。これは石仏と言うより
石神と言った方が正しいか。鳥居がそれぞれ設けてあるのが面白い。
こんな光景は京都の伏見稲荷で見た。

時間が限られていたので長居は出来なかったが、その歴史も含めて
じっくり調べてみたい神社です。

2013-02-06

意非多神社 ~朝田寺周辺の神社①~

三重県の朝田寺にお参りに行った。
事前に問い合わせたところ、御住職から15時30分過ぎなら大丈夫ということで、
現地に向かったが到着したのは14時30分。

1時間の時間が出来たのでお寺の周辺を散策する事にした。

ナビ画面を頼りに捜したら聞いた事のない社名の神社をいくつか発見。
その中の一つがこの「意非多(おいた)神社」だ。

意非多神社②

周りは田んぼ。町というより昔ながらの村の鎮守さまという何とも落ち着く神社だ。
意非多神社③

意非多神社の歴史は古い。それもこちらが思っている以上に歴史ある神社だった。

意非多神社①

神社の楽しみの一つとして、「どんな神様がまつられてるか?」がある。

この意非多神社で言うなら、祀神の欄に記された三柱の神々が御祭神だが、
特に興味を引かれたのは「埴安神」であった。祈願する際に土団子を供えるというのが面白い。

普通、お供えするものは人間が食べるものが多い。
何故ならお下がりとして後で頂くからだ。
今回のケースのように食べれない者を供えるというのはたまに見かけるが、
土団子と言うのは初めて見た。

故にこの埴安神の事を地元では「土の宮」と言う。

意非多神社⑦

「土団子を供える」というのは、重要なメッセージだ。

神社事態は小さな神社であるが、近隣の人々に大切に守られているのが分かる。
狛犬も新調されていた。

意非多神社⑥

意非多神社⑤

彩色を施された石造の狛犬は初めて見たが、これはこれで良い。
大事にされてるなぁと思った。

帰宅後、埴安神(はにやすのかみ)について調べてみた。
すると、この神様は古事記に登場する神で、イザナギノミコトが火の神を産み、
火傷を負って病床についた時、大便から生まれた神であることが分かった。

また埴安神は陶器、土に纏わる神で、神徳としては製陶業、土木業、
開墾業に御利益ありとのことだった。
(土のイメージは大便からきているのかも)

それで御供え物に土団子を供える訳だ。

団子常に丸くするのは、地元に伝わる御利益、
「イボ取り」のイボに見立てているのかもしれない。

ここからは推測になるが、元々この神社には地元の豪族も祭られていたと思う。
どうも現在の境内付近に、嘗ては古墳があったような気がする。

それが別名として残っていた「森塚」や「天王塚」だ。

社歴に記された天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)や、
国之常立神(くにとこたちのかみ)は古事記にも登場する超古い神であるが、
神社として祀られるうになったのはそれ程古くない事が分かった。

古代豪族の収入源は米と鉄であった事から、よりこの二つの要望に近い神、
最初からこの神社で祭られていた神様は、埴安神であるように思う。
もしくは最初に豪族が祀られ、後に地元産業に因んだ埴安神を祀ったのだろう。

意非多神社④

まぁそれが特定出来たとして、現在祭られている神様が有り難い事には変わらない。
氏神様はその地域に住む氏子を守ってくれている訳なので、こちらの神社のように、
末永く大事に守っていきたいものです。

プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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