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2012-07-30

滝山寺 その1

本年5月、岡崎市の滝山寺が、本尊薬師如来が御開帳だったのでお参りに行った。

滝山寺 2

このお寺は昨年の11月頃に行ったので今回が二回目だ。

建物は古く、鎌倉時代のもので愛知県下では最古と言われている。
とても美しい建物である。

創建は建物より古い奈良時代。役行者が滝壺から金銅仏を見つけ、
それを祀ったのが最初だそうだ。

公開されていた御本尊は素晴らしい木造薬師如来で平安時代のものであった。
この仏像の中に金銅仏が収められているが、これは絶対秘仏なのであろう。

境内には徳川家康を祀る東照宮もあった。
滝山寺 3

滝山寺は衰退と発展を繰り返し、江戸期には徳川家の信仰と擁護を受けていた。
寺伝を読んでみて興味深かったのが、この時滝山寺の住職をしていた亮盛上人は、
徳川家三代に亘って陰で支えてきた天才僧侶、天海上人の命で滝山寺に来ていたことである。

この天海という人物、調べれば調べるほど謎が出てくる僧侶で、
家康公も心から尊敬し頼りにしていたようである。

名古屋城下町の風水、大須観音の移築、家康公が亡くなった後の不思議な儀式も
天海上人が絡んでいた。徳川家の重要な取り決め事にはよく顔を出すのである。
その天海がこの滝山寺の僧侶を指名しているのだ。
これは天海上人が滝山寺は(いろいろな意味で)重要な
場所だと認識していたのではと思う。

滝山寺は天台宗の寺院らしく仏像が多い。これは仏像好きにはとても魅力的である。
しかし、滝山寺の魅力は何も仏像だけではない。

次回からは実際にお参りに行って気付いた事を紹介します。


続く~


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2012-07-14

一番はじめは… 「追記」しようと思ったら…。

随分前にこのブログで童歌の「一番始めは・・・」について紹介した。
※前回部分はこちらまで

その記事を読んで下さった方から本年の6/1にコメントを頂いた。
それが切っ掛けとなり、2007年にアップした自身のブログ記事を読んでいたら、
ふつふつと好奇心が湧いて来た。

自分なりに佐倉惣五郎と童歌についての疑問が幾つか出て来たのだ。

そこで佐倉惣五郎について、主に殺された後どうなったかを調べてみた。
すると千葉県に彼を祀る寺があることを知った。

その場所は宗吾霊堂である。

また全国に佐倉惣五郎を祀る神社があることも判明した。
ブログを書くにあたり、これは実際に現地に赴き、聴き、観て、感じる事が必要になってきた。
ネットの情報では不十分なのである。

いつになるか分からないが、

・佐倉惣五郎を祀ったと云う将門山の神社
・宗吾霊堂

この二つは行ってみたくなった。

それを踏まえて何故あの童歌が出来たのかを考えてみたい。

いつか続く…

2012-07-06

鶴岡八幡宮の辨財天 最終回

~続き

弁財天に関する昔話を拾っていくと、「そんな願いでも聴くの?」と思う事がある。
今回の例も、相手を滅ぼす願いをするのは人間であるが、結果的にはそれを聴き、
為し遂げている。(源氏の天下も途絶えてしまったが)

何故、弁財天は人を滅ぼす願いをも叶えてしまうのか?

ヒントは意外なところで出会った。
昨年、滋賀県の常楽寺にお参りに行ったとき、堂内にびんずる尊者像があった。
びんずる尊者像はお寺でよく見かける羅漢さんで、病の箇所を触ると治るとされている。

この時も、「びんずるさんか・・・。」位にしか思わなかったが、常楽寺さんには説明書きがあった。
それは、びんずる尊者は神通力(病や怪我を治した)を使った為、釈迦から破門され、
今なお涅槃に入ることを許されていないと言うものだった。

これを知った時は衝撃的だった。
釈迦の有能な弟子が、教えを知らずにいたとは思えない。

びんずる尊者は神通力を使用した際、覚悟を決めていたのだと思う。
目の前の苦しむ人を、まずは救うと決めた。例え釈迦に破門になっても・・・。

お釈迦さまが言わんとした事は理解出来る。人が真の苦しみから脱却するには、
表面的な事では無く、心の問題を解決しなければならないからだ。
かと言ってびんずる尊者が100%悪いとは言えない。
奇跡ばかりを求めてはいけないとは思うが、奇跡を体験することで御仏を信じる人もいるからだ。

愛弟子を破門にしたお釈迦様も、破門覚悟で神通力を使ったびんずる尊者もどちらも凄い。
そこにはそれぞれの覚悟と信念が観えた。

話を戻すが、弁財天の場合は己自身に強烈な願掛けをされたのだと思う。
願いの根底にあるのは苦しみである。人間は目の前に苦しみがあるとそれに囚われてしまう。

囚われたままでは、本来の人がしなければならない悟りへの道へは進めない。
「まずは苦しみは減らす事を優先せねばならない」と、弁天様は考えたのではと思う。

故に「どんな願いも聞く」と覚悟を決められたのだ。

弁財天の「弁」の字は「辨」とも書く。

「辨」の字は」「辛」「リ」「辛」からなる。「リ」は刀、これは弁財天が持つ因縁を断ち切る刀だろう。
「辛」が二つある意味は、願いによっては、例えば相手の不幸を願う場合、
それを聞く弁財天も「辛い」し、呪われた相手、あるいは呪った方も「辛い」となる・・・。

平氏滅亡を願った北条政子の願いは、裏返せばそれが苦しみだった。
しかし、それでも人を呪う願いを神仏に託すというのはいけない。
自分も相手も喜べる願いの方が健全だ。

弁天様へのお参りを続ける内、気付き考えた事を纏めてみたが、
この解釈が正しいかどうか分からない。しかし、どうもそんな気がしてならない。

おしまい。

プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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