2011-07-17
玉圓尼の厨子 最終回
~続き
今回は玉圓尼の厨子に纏わる昔話を紹介してきた。
最後に厨子の中身の写真を撮ったので少し載せる。

向かって左が地蔵菩薩。右が三宝荒神(荒神様)。
真ん中に秘仏の金銅仏が鎮座する。
荒神様は文字通り荒ぶる神であり、元は恐らく祀られぬ祟り神であった。
仏教に出会った事で仏とその教えを守る守護神となった。
守護神とはいえ、元の姿を考えるに厳しい神様と云える。
玉圓尼は加持祈祷を得意とした。その中でも祟り神の障りを納めることもあった。
相手が祟り神ならば、こちらも強い神の力が必要になるのだろう。

復元した秘仏が入っていた厨子。
およそ仏像の入る厨子に縄が縛ってあるのは見た事が無い。

厨子を修理する際取り出した秘仏。布に包まれている。
中身はここまでしか見る事はしなかった。
この度、まるはちの日に公開となった、玉圓尼の笈厨子。
強力な御利益のある秘仏の御徳を餅投げでお分けします。
ご興味のある方は、人から人へお伝え頂き、一人でも多くの方が
御参加出来ればと思います。
おしまい。
■まるはちのイベント情報
8月8日(月) 18時より餅投げ開始します。
場所 愛知県名古屋市西区押切町 押切北交差点から東へ約30メートル
「ひふみどんぐり広場」
今回は玉圓尼の厨子に纏わる昔話を紹介してきた。
最後に厨子の中身の写真を撮ったので少し載せる。

向かって左が地蔵菩薩。右が三宝荒神(荒神様)。
真ん中に秘仏の金銅仏が鎮座する。
荒神様は文字通り荒ぶる神であり、元は恐らく祀られぬ祟り神であった。
仏教に出会った事で仏とその教えを守る守護神となった。
守護神とはいえ、元の姿を考えるに厳しい神様と云える。
玉圓尼は加持祈祷を得意とした。その中でも祟り神の障りを納めることもあった。
相手が祟り神ならば、こちらも強い神の力が必要になるのだろう。

復元した秘仏が入っていた厨子。
およそ仏像の入る厨子に縄が縛ってあるのは見た事が無い。

厨子を修理する際取り出した秘仏。布に包まれている。
中身はここまでしか見る事はしなかった。
この度、まるはちの日に公開となった、玉圓尼の笈厨子。
強力な御利益のある秘仏の御徳を餅投げでお分けします。
ご興味のある方は、人から人へお伝え頂き、一人でも多くの方が
御参加出来ればと思います。
おしまい。
■まるはちのイベント情報
8月8日(月) 18時より餅投げ開始します。
場所 愛知県名古屋市西区押切町 押切北交差点から東へ約30メートル
「ひふみどんぐり広場」
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2011-07-14
玉圓尼の厨子 その5
~続き
もう一つの話は少し怖い話。
玉圓尼が厨子の金銅仏を巡回仏にした際も、厨子を担当した各家の約束事として
絶対に中を見てはならないとした。
それは中を見ると良くない事が起こると言われていたからだった。
巡回が始まった時から、これは頑なに守られてきたが、昭和の20年にどうしても
好奇心に勝てず、中を開けた人達がいた。

周りの反対を押し切り、そんなことは迷信だと秘仏の封を説いたのだ。
それから数日後、名古屋大空襲が起き、辺り一面焼け野原になったという。
以来、玉圓尼の厨子の巡回の風習は途切れた。
幸い、厨子と仏像は無事であった。
偶然と言えば偶然だが、当事者達にとっては心底恐れた出来事であっただろう。
何やら怖い秘仏に聞こえるが、これは誤りで、
むしろこれは大きな災厄を事前に示すということだと思う。
続く~
もう一つの話は少し怖い話。
玉圓尼が厨子の金銅仏を巡回仏にした際も、厨子を担当した各家の約束事として
絶対に中を見てはならないとした。
それは中を見ると良くない事が起こると言われていたからだった。
巡回が始まった時から、これは頑なに守られてきたが、昭和の20年にどうしても
好奇心に勝てず、中を開けた人達がいた。

周りの反対を押し切り、そんなことは迷信だと秘仏の封を説いたのだ。
それから数日後、名古屋大空襲が起き、辺り一面焼け野原になったという。
以来、玉圓尼の厨子の巡回の風習は途切れた。
幸い、厨子と仏像は無事であった。
偶然と言えば偶然だが、当事者達にとっては心底恐れた出来事であっただろう。
何やら怖い秘仏に聞こえるが、これは誤りで、
むしろこれは大きな災厄を事前に示すということだと思う。
続く~
2011-07-08
玉圓尼の厨子 その4
~続き
祖父が買おうとした土地は、場所、広さ的に申し分ないものであった。
また、何故かこの一角だけがこの界隈の他の土地より安かったのも魅力だった。
不動産屋さんが言うには、この土地は昔から「鬼家(おやや)の地」と昔から言われ、
あまり買い手がいなかったという。
もし、この土地を提示した値段で買うのなら、この厨子も管理して欲しい。
それが条件だと言われた。その厨子こそ玉圓尼の厨子であった。
こうして1年毎の持ち回りで各家で祀られていた厨子は我が家に落ち着くことになった。
…とまぁこんな感じの伝来である。次に厨子の中身について紹介しようと思うが、
その前にもう少し伝来について父から聞いた話を二つ付け加えておく。
一つは、この厨子は祖父の手元に来てから、一度行方不明になったということだ。
昔、家に泥棒が入ったことがあり、着物やお金が沢山盗まれた事があった。
(確か祖父の話だと二回泥棒が入ったとか)
その時、この大き目の厨子も中身を出され、収納ケース代わりに盗られてしまった。
放り出された中身の中に、厨子の内貼りの残り裂もあった。
それから数十年が経過する。
昔から骨董品が好きであった父は、よく通っていた骨董店で空っぽの古い厨子を発見する。
一目見て気に入り、厨子の中を見せてもらったら、どこか見覚えのある裂地が内側に
貼ってあった。そう、昔盗まれた厨子が偶然に再会することになったのだ。
厨子を購入し祖父に見せたら、間違いなく盗まれた厨子であった。
続く~
祖父が買おうとした土地は、場所、広さ的に申し分ないものであった。
また、何故かこの一角だけがこの界隈の他の土地より安かったのも魅力だった。
不動産屋さんが言うには、この土地は昔から「鬼家(おやや)の地」と昔から言われ、
あまり買い手がいなかったという。
もし、この土地を提示した値段で買うのなら、この厨子も管理して欲しい。
それが条件だと言われた。その厨子こそ玉圓尼の厨子であった。
こうして1年毎の持ち回りで各家で祀られていた厨子は我が家に落ち着くことになった。
…とまぁこんな感じの伝来である。次に厨子の中身について紹介しようと思うが、
その前にもう少し伝来について父から聞いた話を二つ付け加えておく。
一つは、この厨子は祖父の手元に来てから、一度行方不明になったということだ。
昔、家に泥棒が入ったことがあり、着物やお金が沢山盗まれた事があった。
(確か祖父の話だと二回泥棒が入ったとか)
その時、この大き目の厨子も中身を出され、収納ケース代わりに盗られてしまった。
放り出された中身の中に、厨子の内貼りの残り裂もあった。
それから数十年が経過する。
昔から骨董品が好きであった父は、よく通っていた骨董店で空っぽの古い厨子を発見する。
一目見て気に入り、厨子の中を見せてもらったら、どこか見覚えのある裂地が内側に
貼ってあった。そう、昔盗まれた厨子が偶然に再会することになったのだ。
厨子を購入し祖父に見せたら、間違いなく盗まれた厨子であった。
続く~
2011-07-07
玉圓尼の厨子 その3
~続き
全国を行脚していた玉圓尼。何時の頃からか定かではないが、
銀毛の大狐神、白旗稲荷大明神が憑いていた。そして共に修行をし、旅は続いた。
そんな道中、たまたま立ち寄った現愛知県半田市界隈で地蔵寺5世の寿教尼が、
玉圓尼と出会い、その才能に惚れ込んで現名古屋市西区にある地蔵寺の跡取りを願い出た。
(奈良県~愛知県半田市~名古屋市の地蔵寺までの道中の話が『地蔵寺縁起書稲荷玉圓尼縁起』になる)
これを快く引き受けた玉圓尼は長い修行の旅の果て、始めて寺の住職となった。
と同時に、人から人へ憑き、共に修行をしてきた白旗稲荷大明神も
地蔵寺守護神として落ち着くことになった。
しかしここで一つ問題が起きた。
玉圓尼が厨子を担いだまま地蔵寺の門を潜ろうとすると、辺り一面唸り出し、
どうしても寺に入る事が出来なかった。
その原因は厨子の中の秘仏にあった。長い玉圓尼との修行生活に於いて
途轍もない力を秘めた仏像になり、寺に治まらなかったという。
玉圓尼は白旗稲荷大明神と相談し、この厨子の仏像を地蔵寺から見て
辰巳(南西)の方角にある弁財天を祀る、宝周寺周辺の数件の家々で管理することとした。
数件の家で1年ごと巡回させ祀る事になったのである。
この風習は嘉永年間から昭和の初めまで行われていたが、
戦時中の名古屋大空襲が起ってから途絶えてしまった。
名古屋が焼け野原になった昭和20年。終戦を経てもみじの祖父が現在の
土地を購入した。その時、不動産屋さんから不思議な話を聞いた。
続く~
全国を行脚していた玉圓尼。何時の頃からか定かではないが、
銀毛の大狐神、白旗稲荷大明神が憑いていた。そして共に修行をし、旅は続いた。
そんな道中、たまたま立ち寄った現愛知県半田市界隈で地蔵寺5世の寿教尼が、
玉圓尼と出会い、その才能に惚れ込んで現名古屋市西区にある地蔵寺の跡取りを願い出た。
(奈良県~愛知県半田市~名古屋市の地蔵寺までの道中の話が『地蔵寺縁起書稲荷玉圓尼縁起』になる)
これを快く引き受けた玉圓尼は長い修行の旅の果て、始めて寺の住職となった。
と同時に、人から人へ憑き、共に修行をしてきた白旗稲荷大明神も
地蔵寺守護神として落ち着くことになった。
しかしここで一つ問題が起きた。
玉圓尼が厨子を担いだまま地蔵寺の門を潜ろうとすると、辺り一面唸り出し、
どうしても寺に入る事が出来なかった。
その原因は厨子の中の秘仏にあった。長い玉圓尼との修行生活に於いて
途轍もない力を秘めた仏像になり、寺に治まらなかったという。
玉圓尼は白旗稲荷大明神と相談し、この厨子の仏像を地蔵寺から見て
辰巳(南西)の方角にある弁財天を祀る、宝周寺周辺の数件の家々で管理することとした。
数件の家で1年ごと巡回させ祀る事になったのである。
この風習は嘉永年間から昭和の初めまで行われていたが、
戦時中の名古屋大空襲が起ってから途絶えてしまった。
名古屋が焼け野原になった昭和20年。終戦を経てもみじの祖父が現在の
土地を購入した。その時、不動産屋さんから不思議な話を聞いた。
続く~
2011-07-05
玉圓尼の厨子 その2
~続き
厨子の中に入っているのは金銅仏だ。
伝来はこのようなものだ。
奈良時代の話。行基が彫った霊木仏があった。
それから時が流れて平安の始め、この仏像が祀ってある寺が火災になった。
その時、慈覚大師円仁がこの寺の噂を聞き赴いたおり、
焼け残り炭と化した霊木仏の胎内から一体の小さな金銅仏を見つけた。
その金銅仏は釈迦如来であり、これが尋常ではない仏像と気付いた円仁は
すぐさま裂に包み、それから完全秘仏とした。
それから更に数百年の時が流れる。
江戸時代の頃、この金銅仏は後に地蔵寺6代目住職となる玉圓尼和尚の念持仏となっていた。
(円仁が秘仏としたこの仏像が、どういう経緯で玉圓尼の元に辿りついたのかは不明)
玉圓尼和尚は遊行僧で、旅をしながら人々の苦しみを類稀なる法力で解決していった。
玉圓尼は地蔵菩薩の生まれ変わりと言われ、殆どの宗派の経に通じ、
加持祈祷を得意とした。
玉圓尼が旅の道中担いでいた厨子には、中に秘仏の金銅仏が入り、
それ以外に荒神像と地蔵菩薩像が脇侍に祀られる珍しい三尊像になっていた。
この特異な三尊像と経の力により、障りや祟りで苦しむ人々を助けていたという。
続く~
厨子の中に入っているのは金銅仏だ。
伝来はこのようなものだ。
奈良時代の話。行基が彫った霊木仏があった。
それから時が流れて平安の始め、この仏像が祀ってある寺が火災になった。
その時、慈覚大師円仁がこの寺の噂を聞き赴いたおり、
焼け残り炭と化した霊木仏の胎内から一体の小さな金銅仏を見つけた。
その金銅仏は釈迦如来であり、これが尋常ではない仏像と気付いた円仁は
すぐさま裂に包み、それから完全秘仏とした。
それから更に数百年の時が流れる。
江戸時代の頃、この金銅仏は後に地蔵寺6代目住職となる玉圓尼和尚の念持仏となっていた。
(円仁が秘仏としたこの仏像が、どういう経緯で玉圓尼の元に辿りついたのかは不明)
玉圓尼和尚は遊行僧で、旅をしながら人々の苦しみを類稀なる法力で解決していった。
玉圓尼は地蔵菩薩の生まれ変わりと言われ、殆どの宗派の経に通じ、
加持祈祷を得意とした。
玉圓尼が旅の道中担いでいた厨子には、中に秘仏の金銅仏が入り、
それ以外に荒神像と地蔵菩薩像が脇侍に祀られる珍しい三尊像になっていた。
この特異な三尊像と経の力により、障りや祟りで苦しむ人々を助けていたという。
続く~
2011-07-04
玉圓尼の厨子 その1
8月8日は※まるはちの日という事で、
当店、紅葉屋も所属している押切商店街のイベントが行われる。
毎年、お抹茶やお菓子が振る舞われ、餅投げを行ったりする。
そんなまるはちのイベントだが、今年はひょんな事から例年と若干違う事を行う。
それは、祖父の代から我が家で管理、祀ってきた元客仏が入った厨子を初公開するというものだ。

客仏とは家で代々祀って来た仏様ではなく、縁あってやって来た仏様のこと。
厨子(ずし)とは仏像を収めるケースのことだ。
この厨子の中には、見てはならない秘仏の金銅仏が入っている。
うちの家族も中を見ては行けないとの話を亡くなった祖父から聞いている。
写真を見ると分かるが、厨子の上から注連縄がしてある変わった厨子だ。
今回からこの厨子の話をしていきます。
続く~
※まるはちというのは、名古屋市のマークから来ている。
当店、紅葉屋も所属している押切商店街のイベントが行われる。
毎年、お抹茶やお菓子が振る舞われ、餅投げを行ったりする。
そんなまるはちのイベントだが、今年はひょんな事から例年と若干違う事を行う。
それは、祖父の代から我が家で管理、祀ってきた元客仏が入った厨子を初公開するというものだ。

客仏とは家で代々祀って来た仏様ではなく、縁あってやって来た仏様のこと。
厨子(ずし)とは仏像を収めるケースのことだ。
この厨子の中には、見てはならない秘仏の金銅仏が入っている。
うちの家族も中を見ては行けないとの話を亡くなった祖父から聞いている。
写真を見ると分かるが、厨子の上から注連縄がしてある変わった厨子だ。
今回からこの厨子の話をしていきます。
続く~
※まるはちというのは、名古屋市のマークから来ている。
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