2010-11-30
ぽちの御転玉 その3
~続き
以後も続くが、本人が辛くなるとのことであったので、ここまでとする。
父が子供の頃に書かれた御転玉を紹介したが、この続きは何処かにしまってあるそうだ。
読んで頂いた方は気付いたと思うが、全ての言霊の数が「5」や「7」で区切られている。
話は変わるが以前購入した本で「ホツマツタエ」というものがある。
難解な本なのでまだ未読だが、何でも日本国の創建と古代日本の文明が詳細に書かれているという。
最古の文献が江戸時代中期頃に書かれたと云われ、現在でも研究者の間で真偽の程が争われているそうだ。
もみじは、これを少し読んでみたが、言葉が「5」や「7」で全て区切られていた。
誰が記したのかは不明だが、これは多分、先祖代々残された口伝や書の類から編纂されたものではなく、
父のような何かしらの能力を持った人により書かれた、「御霊転(みたまころがし)」だと思う。
これの凄い所は、書く本人が歴史や諸々の知識に全く無知でも、物語を完成させることが出来るのである。
話をぽちの御転玉に戻す。
御転玉の中に「魂魄」という言霊が登場した。そして「魂(こん)」の部分は天上へ、
「魄(はく)」の部分は地上に残るとあった。
「魄」とは何ぞやと思い考察してみた。まずこの「魄」という文字は、漢字が生まれた中国では
「魄とは、人が死に魂が抜け出た身体、それがやがて朽ちて残ったもの」であると云う。
これはつまり「骨」を指している言葉のようだ。ただ、「ぽちの御転玉」を読むに、
「魄」とは強い悲しみ、あるいは恨み等の『想い・念』のように思う。
ぽちの話を父から聞かされた時は大変ショックであった。
とても自分には理解出来なかった。
昨今は日本の子供の人口よりペットの数のが上回っているという。
ペットショップも増えて手軽になったが、縁のあった命は最後まで看るのが勤めである。
また、残された想いがこもった物も扱いを考えねばなるまい。
「命を大切に」「物を大切に」昔の人が残した教えは本当に深いと思った。
おしまい。
以後も続くが、本人が辛くなるとのことであったので、ここまでとする。
父が子供の頃に書かれた御転玉を紹介したが、この続きは何処かにしまってあるそうだ。
読んで頂いた方は気付いたと思うが、全ての言霊の数が「5」や「7」で区切られている。
話は変わるが以前購入した本で「ホツマツタエ」というものがある。
難解な本なのでまだ未読だが、何でも日本国の創建と古代日本の文明が詳細に書かれているという。
最古の文献が江戸時代中期頃に書かれたと云われ、現在でも研究者の間で真偽の程が争われているそうだ。
もみじは、これを少し読んでみたが、言葉が「5」や「7」で全て区切られていた。
誰が記したのかは不明だが、これは多分、先祖代々残された口伝や書の類から編纂されたものではなく、
父のような何かしらの能力を持った人により書かれた、「御霊転(みたまころがし)」だと思う。
これの凄い所は、書く本人が歴史や諸々の知識に全く無知でも、物語を完成させることが出来るのである。
話をぽちの御転玉に戻す。
御転玉の中に「魂魄」という言霊が登場した。そして「魂(こん)」の部分は天上へ、
「魄(はく)」の部分は地上に残るとあった。
「魄」とは何ぞやと思い考察してみた。まずこの「魄」という文字は、漢字が生まれた中国では
「魄とは、人が死に魂が抜け出た身体、それがやがて朽ちて残ったもの」であると云う。
これはつまり「骨」を指している言葉のようだ。ただ、「ぽちの御転玉」を読むに、
「魄」とは強い悲しみ、あるいは恨み等の『想い・念』のように思う。
ぽちの話を父から聞かされた時は大変ショックであった。
とても自分には理解出来なかった。
昨今は日本の子供の人口よりペットの数のが上回っているという。
ペットショップも増えて手軽になったが、縁のあった命は最後まで看るのが勤めである。
また、残された想いがこもった物も扱いを考えねばなるまい。
「命を大切に」「物を大切に」昔の人が残した教えは本当に深いと思った。
おしまい。
スポンサーサイト
2010-11-27
ぽちの御転玉 その2
■ぽちの御転玉
突然来るは二人の男 とつぜんくるはふたりのおとこ
一人は肥えて一人は眼鏡 ひとりはこえてひとりはめがね
冷たい眼差し殺気に満ちて つめたいまなざしさっきにみちて
前足二つ付け根に皮紐 まえあしふたつつけねにかわひも
首枷口枷八重に十重 くびかせくちかせやえにとえ
身動き成らぬ封じの枷に みうごきならぬふうじのかせに
引き摺り出されて檻の中 ひきずりだされておりのなか
立ち去る車の音残し たちさるくるまのおとのこし
犬(ぽち)の姿は消え失せる ぽちのすがたはきえうせる
役所の人が紙差し出せば やくしょのひとがかみさしだせば
爾の父は擦る擦ると なんじのちちはするすると
姓は加藤と名はさむろふと せいはかとうとなはさむろふと
書きて渡すや家のなか かきてわたすやいえのなか
殺すと決めたは爾の父ぞ ころすときめたはなんじのちちぞ
犬にあるかや罪咎が ぽちにあるかやつみとがが
犬を屠りて安堵する ぽちをほふりてあんどする
父の心ぞ何とする ちちのこころぞなんとする
犬は死すとも其の魂魄は ぽちはしすともそのこんぱくは
弐魂に分かれて御転玉 ふたつにわかれておてんぎょく
壱魂の魂はこんこんと ひとつのこんはこんこんと
天上遥か上の上 てんじょうはるかうえのうえ
上がりて光の魂となり あがりてひかりのこんとなり
此の地に残るは魄と成る このちにのこるははくとなる
首輪に犬小屋阿瑠魅の盌も くびわにいぬごやあるみのわんも
共に付喪神と成り果てて ともにつくもとなりはてて
犬の走りし草の地の いぬのはしりしくさのちの
小石や砂の一粒だにも こいしやすなのひとつぶだにも
枯木の梢や草葉の先も かれきやこずえのくさばのさきも
屠られし犬の悲しき魂 ほふられしいぬのかなしきたましい
声ぞ爾に聞かせると こえぞなんじにきかせると
皆一斉に語り出す みないっせいにかたりだす
・・・・・・・・・・・・。
続く~
突然来るは二人の男 とつぜんくるはふたりのおとこ
一人は肥えて一人は眼鏡 ひとりはこえてひとりはめがね
冷たい眼差し殺気に満ちて つめたいまなざしさっきにみちて
前足二つ付け根に皮紐 まえあしふたつつけねにかわひも
首枷口枷八重に十重 くびかせくちかせやえにとえ
身動き成らぬ封じの枷に みうごきならぬふうじのかせに
引き摺り出されて檻の中 ひきずりだされておりのなか
立ち去る車の音残し たちさるくるまのおとのこし
犬(ぽち)の姿は消え失せる ぽちのすがたはきえうせる
役所の人が紙差し出せば やくしょのひとがかみさしだせば
爾の父は擦る擦ると なんじのちちはするすると
姓は加藤と名はさむろふと せいはかとうとなはさむろふと
書きて渡すや家のなか かきてわたすやいえのなか
殺すと決めたは爾の父ぞ ころすときめたはなんじのちちぞ
犬にあるかや罪咎が ぽちにあるかやつみとがが
犬を屠りて安堵する ぽちをほふりてあんどする
父の心ぞ何とする ちちのこころぞなんとする
犬は死すとも其の魂魄は ぽちはしすともそのこんぱくは
弐魂に分かれて御転玉 ふたつにわかれておてんぎょく
壱魂の魂はこんこんと ひとつのこんはこんこんと
天上遥か上の上 てんじょうはるかうえのうえ
上がりて光の魂となり あがりてひかりのこんとなり
此の地に残るは魄と成る このちにのこるははくとなる
首輪に犬小屋阿瑠魅の盌も くびわにいぬごやあるみのわんも
共に付喪神と成り果てて ともにつくもとなりはてて
犬の走りし草の地の いぬのはしりしくさのちの
小石や砂の一粒だにも こいしやすなのひとつぶだにも
枯木の梢や草葉の先も かれきやこずえのくさばのさきも
屠られし犬の悲しき魂 ほふられしいぬのかなしきたましい
声ぞ爾に聞かせると こえぞなんじにきかせると
皆一斉に語り出す みないっせいにかたりだす
・・・・・・・・・・・・。
続く~
2010-11-26
ぽちの御転玉 その1
「蜻蛉の滝」にて遭遇した不思議な白い犬と黒い犬。
父は、内一匹が子供の頃、飼っていた犬「ぽち」に似ていると思った。
そう思いながら筆をとると、当時の記憶と共に、父の手を借り、
言霊が(本人の意思とは関係なく)ころころと転がり現れた。
言葉は言霊である。霊は「たま」と読む。ここからは今の自分が考えていることを
踏まえて説明するが、「たま」は魂でもあり、弁財天や吉祥天、稲荷神などが、
その力の象徴として持っている「宝珠(ほうじゅ)」の「珠(たま)」も関係していると思う。
言霊が弾むように転がり、本人の意思とは関係なく、文字化し次々と現れることを
父は御転玉(御霊転:みたまころがしとも云う。あるいは稲荷神の場合は御転玉かも)と言っていた。
50年以上前、我家にいた一匹の犬、「ぽち」はある日重い病(癌だったとか)になる。
父が学校に出かけていない間に、祖父は保健所に頼んで犬を処分してしまった。
学校から帰った父は、犬がいないのに気付き両親に問いただす。
しかし、二人とも知らぬと云う。
一週間程して、祖父は犬の小屋や食器を捨てようとする。
「いつか帰ってくるから、そのままにしておいて」と懇願する父を無視して、
犬の記憶が残る遺品は尽く捨てられてしまった。
ぽちが何故いなくなったのかは、本人には語られなかった。
しかし、父は残された食器、犬小屋、鎖などから一体何が起こったのかを知らされたと云う。
子供の時から特異な能力を持っていた故、犬の念を受け※「付喪神(つくもがみ)」となった
遺品からメッセージを受け取ったのだ。
大変悲しい言霊だが、次回紹介します。
※「付喪神(つくもがみ)」…古来より、長年使った物に神や霊魂が宿ることがあると信じられた。
父は、内一匹が子供の頃、飼っていた犬「ぽち」に似ていると思った。
そう思いながら筆をとると、当時の記憶と共に、父の手を借り、
言霊が(本人の意思とは関係なく)ころころと転がり現れた。
言葉は言霊である。霊は「たま」と読む。ここからは今の自分が考えていることを
踏まえて説明するが、「たま」は魂でもあり、弁財天や吉祥天、稲荷神などが、
その力の象徴として持っている「宝珠(ほうじゅ)」の「珠(たま)」も関係していると思う。
言霊が弾むように転がり、本人の意思とは関係なく、文字化し次々と現れることを
父は御転玉(御霊転:みたまころがしとも云う。あるいは稲荷神の場合は御転玉かも)と言っていた。
50年以上前、我家にいた一匹の犬、「ぽち」はある日重い病(癌だったとか)になる。
父が学校に出かけていない間に、祖父は保健所に頼んで犬を処分してしまった。
学校から帰った父は、犬がいないのに気付き両親に問いただす。
しかし、二人とも知らぬと云う。
一週間程して、祖父は犬の小屋や食器を捨てようとする。
「いつか帰ってくるから、そのままにしておいて」と懇願する父を無視して、
犬の記憶が残る遺品は尽く捨てられてしまった。
ぽちが何故いなくなったのかは、本人には語られなかった。
しかし、父は残された食器、犬小屋、鎖などから一体何が起こったのかを知らされたと云う。
子供の時から特異な能力を持っていた故、犬の念を受け※「付喪神(つくもがみ)」となった
遺品からメッセージを受け取ったのだ。
大変悲しい言霊だが、次回紹介します。
※「付喪神(つくもがみ)」…古来より、長年使った物に神や霊魂が宿ることがあると信じられた。
2010-11-24
吉備津神社 番外編
吉備津神社には初めて行ったが、両親も訪れている。
昨年のこと、境内駐車場にあった食事処(兼おみやげ屋さん)入り口に、
吉備津神社らしい、等身大の鬼が看板代わりに置いてあったそうだ。
これがその時の画像である。

着物を纏った赤鬼(首が取れそうだったとか)がアイスクリームの宣伝をしていた。
この鬼の話を聞いていたので、もみじが現地を訪れた時に気になったので
探してみた。しかし目立ちそうなのにどこにも見当たらない。
「あれ? 何処にあるんだろう?」と思い辺りを見渡したら、怪しいものが目にとまった。

お気づきだろうか?何と赤鬼は桃太郎にリニューアルされていたのだ
白い布が被され、手作りのお面が装着されている。
白い布から除く手は赤鬼だった。
ソフトクリームの代わりに載せられたこぼれんばかりの数の
アンパンマンが、桃太郎の配下に見える。
まぁとにかく無茶苦茶でした。
昨年のこと、境内駐車場にあった食事処(兼おみやげ屋さん)入り口に、
吉備津神社らしい、等身大の鬼が看板代わりに置いてあったそうだ。
これがその時の画像である。

着物を纏った赤鬼(首が取れそうだったとか)がアイスクリームの宣伝をしていた。
この鬼の話を聞いていたので、もみじが現地を訪れた時に気になったので
探してみた。しかし目立ちそうなのにどこにも見当たらない。
「あれ? 何処にあるんだろう?」と思い辺りを見渡したら、怪しいものが目にとまった。

お気づきだろうか?何と赤鬼は桃太郎にリニューアルされていたのだ

白い布が被され、手作りのお面が装着されている。
白い布から除く手は赤鬼だった。
ソフトクリームの代わりに載せられたこぼれんばかりの数の
アンパンマンが、桃太郎の配下に見える。
まぁとにかく無茶苦茶でした。
2010-11-22
吉備津神社 その4
~続き
最近の出来事だが、記憶があいまいなので、建物の位置関係がはっきりしない。
次に向かった社は、複数の神様が祀られていた。多分本殿の裏側になる。

その中の一柱の神に、何と温羅神として祀られているのを発見した。
帰り際になり、神社を出ようとしたが、偶然神楽を行っていた。
時間の都合で全て見れなかったのは残念だが、その神楽は「温羅神楽」と云う。

勝った側の吉備津彦命を祀る神社なのに、こっそり滅ぼされた温羅が祀られていたり、
境内で昔から行われている神楽の題名が、吉備津彦命の名ではなく、
温羅が取り上げられている。そういえば、肝心の吉凶を告げる神も温羅なのだ。
また、売店で吉備津彦命の温羅退治の絵本が売っていた。

表紙からして、主人公の吉備津彦命より温羅のが大きく描かれている。
中を開けると…

A4サイズの紙面目一杯使って温羅が「ドン」と描かれていた。結構カッコイイぞ。
対照的に主役の吉備津彦命は「ちょこん」と描かれていた。
他には、珍しい、多分ここでしか売ってない土鈴があった。

(鳴釜神事で火を焚いた灰を釉薬に混ぜてある)
まるで晒されたと云う温羅の首を連想させる鈴だった。
鬼が単純な悪ではないというのが、この画像から分かるが、
鬼は魔よけにもなるのである。
勝った方の神社に負けた方の神が祀られていたり、神楽の名前や
絵本に登場する温羅の扱い、そして「酷い仕打ちをされた事を忘れまい」という
想いが乗り移ったかのような晒し首のような鈴。
これは今に生きる岡山の人々の中に、しっかりと温羅を慕う気持ちが残っていると思った。
滅ぼされ、悪鬼とされた温羅は彼らにとって偉大な王であったのだ。
おしまい。
最近の出来事だが、記憶があいまいなので、建物の位置関係がはっきりしない。
次に向かった社は、複数の神様が祀られていた。多分本殿の裏側になる。

その中の一柱の神に、何と温羅神として祀られているのを発見した。
帰り際になり、神社を出ようとしたが、偶然神楽を行っていた。
時間の都合で全て見れなかったのは残念だが、その神楽は「温羅神楽」と云う。

勝った側の吉備津彦命を祀る神社なのに、こっそり滅ぼされた温羅が祀られていたり、
境内で昔から行われている神楽の題名が、吉備津彦命の名ではなく、
温羅が取り上げられている。そういえば、肝心の吉凶を告げる神も温羅なのだ。
また、売店で吉備津彦命の温羅退治の絵本が売っていた。

表紙からして、主人公の吉備津彦命より温羅のが大きく描かれている。
中を開けると…

A4サイズの紙面目一杯使って温羅が「ドン」と描かれていた。結構カッコイイぞ。
対照的に主役の吉備津彦命は「ちょこん」と描かれていた。
他には、珍しい、多分ここでしか売ってない土鈴があった。

(鳴釜神事で火を焚いた灰を釉薬に混ぜてある)
まるで晒されたと云う温羅の首を連想させる鈴だった。
鬼が単純な悪ではないというのが、この画像から分かるが、
鬼は魔よけにもなるのである。
勝った方の神社に負けた方の神が祀られていたり、神楽の名前や
絵本に登場する温羅の扱い、そして「酷い仕打ちをされた事を忘れまい」という
想いが乗り移ったかのような晒し首のような鈴。
これは今に生きる岡山の人々の中に、しっかりと温羅を慕う気持ちが残っていると思った。
滅ぼされ、悪鬼とされた温羅は彼らにとって偉大な王であったのだ。
おしまい。
2010-11-21
吉備津神社 その3
~続き
占いを執り行う御釜殿内は写真撮影禁止なので文章で述べるが、
釜の奥に人間大のしゃもじがあった。巫女さんに聞いたら、
「人々を救うために大きなしゃもじが必要なのです」と教えてくれた。
温羅は敬意を表す人間には福の神になるのである。
御釜殿をお参りした後、トイレに行きたくなった。
辺りを見渡したら、すぐ近くにあったので用を足そうとしたが、
便器の向きが御釜殿に向かっていたので、これはいかんと思い、
我慢することにした。
あの位置にトイレを設置しては非常にマズイ。何を思って設けたのだろうか?
吉備津神社の広い境内の一角は寺になっていた。
そこの寺には池があり、赤い御堂があった。

看板を読むと、県内最古の宇賀神(人頭蛇神の神。稲荷神と同じと云われる)であるとあった。

根拠はないが、元々は弁財天が祀ってあったように思う。
神社の敷地と寺の敷地の境に、石柱2本と注連縄で構成された珍しい鳥居があった。
そこの柱に、興味深い彫り物を発見した。

「犬養毅(いぬかいつよし)」とある。人の名前だ。額の文字か何かを揮毫したのだろう。
時間の兼ね合いもあったので神社で働く人に確認出来なかったが、
この名前は、おそらく日本初の暗殺された総理大臣であると思う。
ここで、吉備津神社に残る、温羅退治の伝説に再度着目する。
打ち取られた温羅は、晒し首になり、死後も唸り続けたと前回紹介したが、
唸りが治まらない首に、吉備津彦命は部下に無茶苦茶な命令を下す。
「犬に首を食わせよ」言ったのだ。
温羅は数年晒されるだけではなく、犬に食われたのである。
死者に鞭討つとはこのことだろう
その時に命じられた部下の名前が「イヌカイタケル」と云うのだ。
また、このイヌカイタケルの子孫が暗殺された犬養毅であるという説もあった。
(イヌカイタケルも恐らく王権側に平伏した人物だと思われる。
負けた者、降参した者は、常に酷い命令ばかり回ってくるのだ)
真偽の程は定かではないが、もし真実なら、巡り巡って…と考えられなくもない。
再び神社の方に戻り、御釜殿の更に奥に行ってみた。
続く~
占いを執り行う御釜殿内は写真撮影禁止なので文章で述べるが、
釜の奥に人間大のしゃもじがあった。巫女さんに聞いたら、
「人々を救うために大きなしゃもじが必要なのです」と教えてくれた。
温羅は敬意を表す人間には福の神になるのである。
御釜殿をお参りした後、トイレに行きたくなった。
辺りを見渡したら、すぐ近くにあったので用を足そうとしたが、
便器の向きが御釜殿に向かっていたので、これはいかんと思い、
我慢することにした。
あの位置にトイレを設置しては非常にマズイ。何を思って設けたのだろうか?
吉備津神社の広い境内の一角は寺になっていた。
そこの寺には池があり、赤い御堂があった。

看板を読むと、県内最古の宇賀神(人頭蛇神の神。稲荷神と同じと云われる)であるとあった。

根拠はないが、元々は弁財天が祀ってあったように思う。
神社の敷地と寺の敷地の境に、石柱2本と注連縄で構成された珍しい鳥居があった。
そこの柱に、興味深い彫り物を発見した。

「犬養毅(いぬかいつよし)」とある。人の名前だ。額の文字か何かを揮毫したのだろう。
時間の兼ね合いもあったので神社で働く人に確認出来なかったが、
この名前は、おそらく日本初の暗殺された総理大臣であると思う。
ここで、吉備津神社に残る、温羅退治の伝説に再度着目する。
打ち取られた温羅は、晒し首になり、死後も唸り続けたと前回紹介したが、
唸りが治まらない首に、吉備津彦命は部下に無茶苦茶な命令を下す。
「犬に首を食わせよ」言ったのだ。
温羅は数年晒されるだけではなく、犬に食われたのである。
死者に鞭討つとはこのことだろう

その時に命じられた部下の名前が「イヌカイタケル」と云うのだ。
また、このイヌカイタケルの子孫が暗殺された犬養毅であるという説もあった。
(イヌカイタケルも恐らく王権側に平伏した人物だと思われる。
負けた者、降参した者は、常に酷い命令ばかり回ってくるのだ)
真偽の程は定かではないが、もし真実なら、巡り巡って…と考えられなくもない。
再び神社の方に戻り、御釜殿の更に奥に行ってみた。
続く~
2010-11-19
吉備津神社 その2
参拝を済ませ、今回の吉備津神社境内で、最も興味深い場所へ向かった。
そこは本殿を中央にして見ると、鬼門に当たる丑寅(北東)にある。
道中長い回廊がその建物まで続いていく。見事なものだ。

途中、社殿の方を振り返って見た。

荘厳な社殿である。広い境内にはこんな狛犬もあった。

「こんにちは」と言わんばかりの御顔である。
年代は分からないが、かなり古そうだ。愛知県ではあまり見かけない御姿の狛犬だ。
そうこうしている内、目的の建物に行き着いた。

ここが、知る人ぞ知る有名な「鳴釜神事」を行う場所で、
伝説では吉備津彦命に討たれた鬼、温羅(うら)の首が埋められているという。
釜で湯を沸かし、それにより鳴く釜の音で吉凶を占う神事があり現在も行われている。
温羅が討たれた後、その首は串に刺して晒された。
温羅の恨みは凄まじく、晒された後も何年も唸り続けた。
吉備津彦命は辛抱出来ず、釜殿の下に首を埋めてしまった。
それでも唸りは治まらず、実に13年間も続いた。
そんなある日、ほとほと参った吉備津彦命の夢枕に温羅が現れる。温羅は、
「私の妻、阿曽媛(あぞひめ:あそめとも伝わる)に御釜殿の火を焚かせよ。
釜は幸福が訪れるなら豊かに鳴り響き、災いが訪れるなら、荒々しく鳴るであろう」
と言った。社伝に残る温羅は、どうしようもない悪鬼とされている。
しかし、自ら恨みを捨て吉凶を告げる神となったのは、領民を想ってのことでは…と思う。
そこは本殿を中央にして見ると、鬼門に当たる丑寅(北東)にある。
道中長い回廊がその建物まで続いていく。見事なものだ。

途中、社殿の方を振り返って見た。

荘厳な社殿である。広い境内にはこんな狛犬もあった。

「こんにちは」と言わんばかりの御顔である。
年代は分からないが、かなり古そうだ。愛知県ではあまり見かけない御姿の狛犬だ。
そうこうしている内、目的の建物に行き着いた。

ここが、知る人ぞ知る有名な「鳴釜神事」を行う場所で、
伝説では吉備津彦命に討たれた鬼、温羅(うら)の首が埋められているという。
釜で湯を沸かし、それにより鳴く釜の音で吉凶を占う神事があり現在も行われている。
温羅が討たれた後、その首は串に刺して晒された。
温羅の恨みは凄まじく、晒された後も何年も唸り続けた。
吉備津彦命は辛抱出来ず、釜殿の下に首を埋めてしまった。
それでも唸りは治まらず、実に13年間も続いた。
そんなある日、ほとほと参った吉備津彦命の夢枕に温羅が現れる。温羅は、
「私の妻、阿曽媛(あぞひめ:あそめとも伝わる)に御釜殿の火を焚かせよ。
釜は幸福が訪れるなら豊かに鳴り響き、災いが訪れるなら、荒々しく鳴るであろう」
と言った。社伝に残る温羅は、どうしようもない悪鬼とされている。
しかし、自ら恨みを捨て吉凶を告げる神となったのは、領民を想ってのことでは…と思う。
2010-11-17
吉備津神社 その1
先日、休暇を利用して岡山県は吉備津神社に行ってきた。
日本で一番有名な昔話、桃太郎のモデルになったという、
『吉備津彦命(きびつひこのみこと)』が祀られている、素晴らしい神社である。

なかなかに雰囲気のある神社だ。
入り口の脇に大きな岩があり、結界が施してあった。

この岩、戦争の時に吉備津彦命が矢を置いたそうだ。

岡山には吉備津彦命と温羅の戦争にちなんだものや伝説が多く残っている。
中には、温羅が投げた大岩と、吉備津彦命が射た矢が空中で激突し落ちたものもあるそうだ。
(矢喰宮という社があったりする)
これらは、古代に起こった戦争が、いかに凄まじかったのかを物語っている。
また、こういった神、あるいは鬼の能力を称えるという意味もあると思う。
それだけ『凄い存在』ということだ。

山門があった。どことなくお寺の雰囲気に似ている。少し急な階段を上ると本殿があった。
愛知県ではまず見られない珍しい造りの社殿だった。

本殿は国宝に指定されていた。
拝殿はこんな感じだ。

大きな額で『平賊安民』とあった。賊を平らげて、民は安心した。
これはつまり、岡山の豪族であった温羅が吉備津彦命に滅ぼされたことを意味している。
以前、このブログでも桃太郎について取り上げてみた。
(カデゴリー「桃太郎」を遡るとあります。興味のある方はどうぞ)
桃太郎を読み進むと、個人的に温羅に同情するようになった。
日本の神社を学ぶ内、王権側に滅ぼされた神々が少なくないのに気付いた。
しかし、それらの物語は抹消されている事が非常に多い。
だが、ここ吉備津神社は異例で、滅ぼされた側がどうなったかがよく残っている。
勝った方の吉備津神社に、温羅の痕跡がないか注意してみた。
続く~
日本で一番有名な昔話、桃太郎のモデルになったという、
『吉備津彦命(きびつひこのみこと)』が祀られている、素晴らしい神社である。

なかなかに雰囲気のある神社だ。
入り口の脇に大きな岩があり、結界が施してあった。

この岩、戦争の時に吉備津彦命が矢を置いたそうだ。

岡山には吉備津彦命と温羅の戦争にちなんだものや伝説が多く残っている。
中には、温羅が投げた大岩と、吉備津彦命が射た矢が空中で激突し落ちたものもあるそうだ。
(矢喰宮という社があったりする)
これらは、古代に起こった戦争が、いかに凄まじかったのかを物語っている。
また、こういった神、あるいは鬼の能力を称えるという意味もあると思う。
それだけ『凄い存在』ということだ。

山門があった。どことなくお寺の雰囲気に似ている。少し急な階段を上ると本殿があった。
愛知県ではまず見られない珍しい造りの社殿だった。

本殿は国宝に指定されていた。
拝殿はこんな感じだ。

大きな額で『平賊安民』とあった。賊を平らげて、民は安心した。
これはつまり、岡山の豪族であった温羅が吉備津彦命に滅ぼされたことを意味している。
以前、このブログでも桃太郎について取り上げてみた。
(カデゴリー「桃太郎」を遡るとあります。興味のある方はどうぞ)
桃太郎を読み進むと、個人的に温羅に同情するようになった。
日本の神社を学ぶ内、王権側に滅ぼされた神々が少なくないのに気付いた。
しかし、それらの物語は抹消されている事が非常に多い。
だが、ここ吉備津神社は異例で、滅ぼされた側がどうなったかがよく残っている。
勝った方の吉備津神社に、温羅の痕跡がないか注意してみた。
続く~
2010-11-12
虻と蜻蛉
『蜻蛉の滝(せいれいのたき)』に残る二つの伝説。一つは豊臣秀長が身投げしたというもの。
もう一つが、虻(あぶ)と蜻蛉(とんぼ)に纏わる伝説である。
それはこのようなものであった。
第二十一代、雄略天皇がこの地に※行幸の際、狩りを楽しんでいた。
一匹の獣に狙いを定め、自らが射ようとした時、突然大きな虻が現れ、
天皇の肘に喰らいついた。
すると、何処からともなく蜻蛉が現れ、その虻を咬み殺してしまった。
雄略天皇はたいそう喜び、この地は以来、蜻蛉野(あきつの)と呼ばれるようになった。
文字にすると短いものだが、この話には隠された古代史が観えるような気がする。
まず雄略天皇なる人物を調べてみた。
雄略天皇は418~479年に存在し、天皇在位期間は456~479年であった。
その気性は激しく、先代天皇の安康天皇(あんこうてんのう:401~456年)が、
次の皇位を雄略天皇の従兄にあたる市辺押磐皇子(いちのべおしはみこ)にしようと
しているのが判明するや、雄略天皇は市辺押磐皇子を射殺してしまう。
また安康天皇の最後も、皇后の連れ子の手により暗殺されている事が分かった。
いつの世も権力争いはドロドロしている
では虻と蜻蛉とは何か?
これは、虫の姿をとっているが、もみじは人間だと思う。
そして狩りをしているという話は、狩りではなく戦争だったのではないのだろうか?
そうするとおぼろげながら話が観えてくる。
獣とは虐げられた民のことであり、それを阻止せんと虻にされた豪族が戦いを挑む。
そしてその虻と戦った、あるいは裏切ったのが蜻蛉にされた人物だった。
つまり、朝廷に逆らったものは人ではなく虫に(あるいは鬼、妖怪)され、
反逆した虫を迎え撃つのも、朝廷にひれ伏した虫(一族)が当たるということなのだろう。
勝った方も負けた方も、朝廷側からは蔑視された虫なのである。
蜻蛉の滝で、実際に誰と誰が戦ったのかは分からない。
名前を調べても出てきそうもない。
ただ、あの写真から伝わる、どこか重苦しい雰囲気は、かつてこの地に
只ならぬ出来事があったことを今に伝えていると思った。
※行幸…天皇が外出すること
もう一つが、虻(あぶ)と蜻蛉(とんぼ)に纏わる伝説である。
それはこのようなものであった。
第二十一代、雄略天皇がこの地に※行幸の際、狩りを楽しんでいた。
一匹の獣に狙いを定め、自らが射ようとした時、突然大きな虻が現れ、
天皇の肘に喰らいついた。
すると、何処からともなく蜻蛉が現れ、その虻を咬み殺してしまった。
雄略天皇はたいそう喜び、この地は以来、蜻蛉野(あきつの)と呼ばれるようになった。
文字にすると短いものだが、この話には隠された古代史が観えるような気がする。
まず雄略天皇なる人物を調べてみた。
雄略天皇は418~479年に存在し、天皇在位期間は456~479年であった。
その気性は激しく、先代天皇の安康天皇(あんこうてんのう:401~456年)が、
次の皇位を雄略天皇の従兄にあたる市辺押磐皇子(いちのべおしはみこ)にしようと
しているのが判明するや、雄略天皇は市辺押磐皇子を射殺してしまう。
また安康天皇の最後も、皇后の連れ子の手により暗殺されている事が分かった。
いつの世も権力争いはドロドロしている

では虻と蜻蛉とは何か?
これは、虫の姿をとっているが、もみじは人間だと思う。
そして狩りをしているという話は、狩りではなく戦争だったのではないのだろうか?
そうするとおぼろげながら話が観えてくる。
獣とは虐げられた民のことであり、それを阻止せんと虻にされた豪族が戦いを挑む。
そしてその虻と戦った、あるいは裏切ったのが蜻蛉にされた人物だった。
つまり、朝廷に逆らったものは人ではなく虫に(あるいは鬼、妖怪)され、
反逆した虫を迎え撃つのも、朝廷にひれ伏した虫(一族)が当たるということなのだろう。
勝った方も負けた方も、朝廷側からは蔑視された虫なのである。
蜻蛉の滝で、実際に誰と誰が戦ったのかは分からない。
名前を調べても出てきそうもない。
ただ、あの写真から伝わる、どこか重苦しい雰囲気は、かつてこの地に
只ならぬ出来事があったことを今に伝えていると思った。
※行幸…天皇が外出すること
2010-11-04
白い犬と黒い犬
蜻蛉の滝で父が遭遇した二匹の犬。
本人に分からないものを、自分が理解することは困難だが、
日本の昔話を探っていたらヒントが出てこないかと考えた。
愛知県の昔話でよく見かける、吠える犬に腹を立て、主人が刀で犬の首をはね、
飛んだ首が主人の背後にいた大蛇に咬みつき殺すというものがあるが、これに登場する犬は白い犬である。
一匹で登場する犬は白。しかし二匹で登場する場合を調べたら、二匹目は黒であることが多いと分かった。
これは高知県の昔話でタイトルは「白べん、黒べん」というもの。
猟師が可愛がっていた二匹の犬がいた。
その名は、犬の色に因み「白べん。黒べん」と呼んでいた。
ある日、猟に出かけた時、巨大なうわばみ(大蛇)と遭遇。
犬二匹と共に、これを殺すが、その夜家に別のうわばみが復讐に来る。
うわばみは、昼間殺されたのは自分の女房だったと言い、家ごとぐるぐるに
巻き上げ、絞め殺そうとする。犬二匹は殺されてしまうが、
猟師は何とかこれを仕留めた…。と云うものだ。
(蛇は被害を出していないのに殺されている)
また、弘法大師が高野山に入った時、猟師の姿をした高野明神が案内に現れるが、
連れていた眷属が白黒二匹の犬の姿をしていた。
昔話に登場する犬には、何か法則のようなものがあるようだ。
蜻蛉の滝に現れた白・黒の犬。もみじが思うに、そこの神の眷属なのかもなと思った。
本人に分からないものを、自分が理解することは困難だが、
日本の昔話を探っていたらヒントが出てこないかと考えた。
愛知県の昔話でよく見かける、吠える犬に腹を立て、主人が刀で犬の首をはね、
飛んだ首が主人の背後にいた大蛇に咬みつき殺すというものがあるが、これに登場する犬は白い犬である。
一匹で登場する犬は白。しかし二匹で登場する場合を調べたら、二匹目は黒であることが多いと分かった。
これは高知県の昔話でタイトルは「白べん、黒べん」というもの。
猟師が可愛がっていた二匹の犬がいた。
その名は、犬の色に因み「白べん。黒べん」と呼んでいた。
ある日、猟に出かけた時、巨大なうわばみ(大蛇)と遭遇。
犬二匹と共に、これを殺すが、その夜家に別のうわばみが復讐に来る。
うわばみは、昼間殺されたのは自分の女房だったと言い、家ごとぐるぐるに
巻き上げ、絞め殺そうとする。犬二匹は殺されてしまうが、
猟師は何とかこれを仕留めた…。と云うものだ。
(蛇は被害を出していないのに殺されている)
また、弘法大師が高野山に入った時、猟師の姿をした高野明神が案内に現れるが、
連れていた眷属が白黒二匹の犬の姿をしていた。
昔話に登場する犬には、何か法則のようなものがあるようだ。
蜻蛉の滝に現れた白・黒の犬。もみじが思うに、そこの神の眷属なのかもなと思った。
Powered by FC2 Blog
Copyright © ◆ 『神仏御縁結』 紅葉屋呉服店の店主のブログ All Rights Reserved.