2010-10-31
蜻蛉の滝 その5
~続き

蜻蛉の滝に残る、もう一つの伝説は、滝の名前が何故こうなったのかというもの。
最も古い伝説である。この内容については後日考えてみたい。

しかし、この一帯、行った時間が遅めだったこともあってか、
どの写真を観ても重い感じがする。
神社に夕方以降は行かない方が良いのと同じかもしれない。
両親が遊びに出かける時は、もっぱら父が行きたい所に赴く。
父が望むのは、寺・神社・古代の伝説が残る地だ。
人っ子一人いない、観光地とはかけ離れた場所に行くことが殆どだ。
後で話を聞くと、いつも途中で母がプリプリ怒りだすらしい…。
この日ももっと滞在したい父だったが、母が怒りだしたので渋々帰ることにした。
帰り道も、白黒二匹の犬は離れることなく前後を歩いていた。
そして入り口の鳥居を潜ると、犬二匹は鳥居の向こうで歩を止め、父を見送っていた。
野良なら家で飼おうかと思い、二匹を呼んだが来ることはなかった。
帰り道、母に「利口な犬だったね」と尋ねたが、そんな犬はいないとのこと。
逆に「何を言ってるの?」と返された。
「あの犬はなんだったんだ?」と考えながら家路へと向かった。
帰宅し、着替えた父は、シャツの裾に当たる部分に、不可思議な二か所の穴が空いているのに気付いた。
その穴は等間隔に空いた穴で、どうも滝壺に落ちる寸前で助けてくれた犬の歯形のように思えた。
おしまい。

蜻蛉の滝に残る、もう一つの伝説は、滝の名前が何故こうなったのかというもの。
最も古い伝説である。この内容については後日考えてみたい。

しかし、この一帯、行った時間が遅めだったこともあってか、
どの写真を観ても重い感じがする。
神社に夕方以降は行かない方が良いのと同じかもしれない。
両親が遊びに出かける時は、もっぱら父が行きたい所に赴く。
父が望むのは、寺・神社・古代の伝説が残る地だ。
人っ子一人いない、観光地とはかけ離れた場所に行くことが殆どだ。
後で話を聞くと、いつも途中で母がプリプリ怒りだすらしい…。
この日ももっと滞在したい父だったが、母が怒りだしたので渋々帰ることにした。
帰り道も、白黒二匹の犬は離れることなく前後を歩いていた。
そして入り口の鳥居を潜ると、犬二匹は鳥居の向こうで歩を止め、父を見送っていた。
野良なら家で飼おうかと思い、二匹を呼んだが来ることはなかった。
帰り道、母に「利口な犬だったね」と尋ねたが、そんな犬はいないとのこと。
逆に「何を言ってるの?」と返された。
「あの犬はなんだったんだ?」と考えながら家路へと向かった。
帰宅し、着替えた父は、シャツの裾に当たる部分に、不可思議な二か所の穴が空いているのに気付いた。
その穴は等間隔に空いた穴で、どうも滝壺に落ちる寸前で助けてくれた犬の歯形のように思えた。
おしまい。
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2010-10-29
蜻蛉の滝 その4
~続き
「郡山城主」を調べていて、豊臣性を名乗り気になったのが「豊臣秀保」である。
秀保は豊臣秀吉の姉の子で、秀吉の弟かつ右腕的存在の「豊臣秀長」の養子となった。
豊臣秀長は郡山城主で、死後城主を受け継いだのが養子の秀保だった。
真偽の程は定かではないが、映画「13人の刺客」のごろーちゃんが演じた殿に似ていたとの話もある。
秀保はまだ17歳という若さで変死している。
その死因も諸説あり、病を患い亡くなったと云うものや、
十津川(奈良県)遊覧中、小姓に抱きつかれ秀保もろとも高所から転落したという説まである。
もし後者が正しいとするなら、蜻蛉の滝に落ちて亡くなったという話に似ていなくもない。
蜻蛉の滝にあった説明看板には、「豊臣秀俊」なる人物は文禄年間中に身投げしたとある。
秀保が亡くなった年が文禄4年とあるので、その死に方も含めて該当者に上がったという訳だ。
秀保には子供がいなかった為、大和豊臣家はここで途絶えたと云う。
もみじは秀保が怪しいと思うが、ハッキリ断定することは出来ない。
また、小早川秀秋は慶長7年に亡くなっているし、郡山城主にもなっていないので
こちらの線は消えそうだ。
蜻蛉の滝にあった看板の説明が一部間違っているのか?
それとも全くの別人が後世に伝わると共に変化していったのか?
そうだとすると、戦国の世より遥かに古い話なのかも…。
何れにせよ、人が滝壺に落ちた、あるいは落とされて死んだという事実はあったのだろう。
当時の人々にとって衝撃的な事実があった故に、残った伝説だと思った。
続く~
「郡山城主」を調べていて、豊臣性を名乗り気になったのが「豊臣秀保」である。
秀保は豊臣秀吉の姉の子で、秀吉の弟かつ右腕的存在の「豊臣秀長」の養子となった。
豊臣秀長は郡山城主で、死後城主を受け継いだのが養子の秀保だった。
真偽の程は定かではないが、映画「13人の刺客」のごろーちゃんが演じた殿に似ていたとの話もある。
秀保はまだ17歳という若さで変死している。
その死因も諸説あり、病を患い亡くなったと云うものや、
十津川(奈良県)遊覧中、小姓に抱きつかれ秀保もろとも高所から転落したという説まである。
もし後者が正しいとするなら、蜻蛉の滝に落ちて亡くなったという話に似ていなくもない。
蜻蛉の滝にあった説明看板には、「豊臣秀俊」なる人物は文禄年間中に身投げしたとある。
秀保が亡くなった年が文禄4年とあるので、その死に方も含めて該当者に上がったという訳だ。
秀保には子供がいなかった為、大和豊臣家はここで途絶えたと云う。
もみじは秀保が怪しいと思うが、ハッキリ断定することは出来ない。
また、小早川秀秋は慶長7年に亡くなっているし、郡山城主にもなっていないので
こちらの線は消えそうだ。
蜻蛉の滝にあった看板の説明が一部間違っているのか?
それとも全くの別人が後世に伝わると共に変化していったのか?
そうだとすると、戦国の世より遥かに古い話なのかも…。
何れにせよ、人が滝壺に落ちた、あるいは落とされて死んだという事実はあったのだろう。
当時の人々にとって衝撃的な事実があった故に、残った伝説だと思った。
続く~
2010-10-28
蜻蛉の滝 その3
~続き
蜻蛉の滝に残る二つの伝説。一つは侍が自決したというもの。

この話の紹介はさらっと流そうと思ったが、よくよく考えると、
城主が切腹ではなく投身自殺しているという異常事態だと気付いた。
分かる範囲で調べてみた。すると、該当しそうな人物が二人現れた。
一人は「小早川秀秋(こばやかわひであき)」である。
小早川秀秋は、秀吉の正室「おね(ねね)」の兄の息子。秀吉から見れば甥にあたる。
秀吉に可愛がられ豊臣性を名乗っていたこともあった。
昔の侍は名前がころころ変わっていた人もいた。小早川秀秋もその一人で、
一時は豊臣秀俊と名乗っていた。(以下小早川)
彼の最後は、狂乱死という何とも悲惨な結末を迎えたという説があった。
関ヶ原の戦いの際、小早川は西軍に属していたが、家康の計略に乗り東軍へ寝返る。
敵将の一人、大谷吉継が追い詰められ自害する際、
『人面獣心なり。三年の間に祟りをなさん』
と呪いの言霊を小早川の陣地に向かって吐き、果てた。
その結果、小早川秀秋はその通り死んでしまったと云うのだ。
この話の最後に繋がる場所がこの滝かと思ったが、まだ気になったので
今度は「郡山城主」という単語から引っ張ってみた。
そうして出て来たのが、もう一人の該当人物「豊臣秀保」だ。
続く~
南無阿弥陀仏 合掌
蜻蛉の滝に残る二つの伝説。一つは侍が自決したというもの。

この話の紹介はさらっと流そうと思ったが、よくよく考えると、
城主が切腹ではなく投身自殺しているという異常事態だと気付いた。
分かる範囲で調べてみた。すると、該当しそうな人物が二人現れた。
一人は「小早川秀秋(こばやかわひであき)」である。
小早川秀秋は、秀吉の正室「おね(ねね)」の兄の息子。秀吉から見れば甥にあたる。
秀吉に可愛がられ豊臣性を名乗っていたこともあった。
昔の侍は名前がころころ変わっていた人もいた。小早川秀秋もその一人で、
一時は豊臣秀俊と名乗っていた。(以下小早川)
彼の最後は、狂乱死という何とも悲惨な結末を迎えたという説があった。
関ヶ原の戦いの際、小早川は西軍に属していたが、家康の計略に乗り東軍へ寝返る。
敵将の一人、大谷吉継が追い詰められ自害する際、
『人面獣心なり。三年の間に祟りをなさん』
と呪いの言霊を小早川の陣地に向かって吐き、果てた。
その結果、小早川秀秋はその通り死んでしまったと云うのだ。
この話の最後に繋がる場所がこの滝かと思ったが、まだ気になったので
今度は「郡山城主」という単語から引っ張ってみた。
そうして出て来たのが、もう一人の該当人物「豊臣秀保」だ。
続く~
南無阿弥陀仏 合掌
2010-10-27
蜻蛉の滝 その2
~続き
白・黒二匹の川上犬に前後を挟まれたまま、さらに上を目指す。
一匹の犬は父が小学生の頃に飼っていた犬(ポチ)に良く似ていたそうだ。
きちんと寄りそう犬二匹。「観光客を案内する犬なのかな」と父は思った。
犬には首輪はなかった。
そして目的地の「蜻蛉の滝」に到着した。
滝の近くにはお不動さんが祀られていた。

来歴を読むに、江戸期に祀られてたようだ。
不動明王と蔵王権現、役行者(と前鬼・後鬼)が祀られている。
境内入り口の鳥居に付いていた額を読むと、龍神が祀られているとある。
お堂がないところをみると、滝そのものが龍神なのかもしれない。

後に両親の言葉を借りれば、「少し怖いところ」だったと言う。
滝を見ていた父は、ふいに滝壺を撮りたくなった。
柵があるにはあるが底を撮ろうとすると身体を前のめりにしないと撮れない。
落ちる寸前まで身体を乗り出したら、足元が滑りバランスを崩した。
滝壺に引き込まれそうになる寸前で、後ろに控えた黒い犬が父の服を咬み、
落下を阻止した。「すごく訓練された犬だ
(気付けよ)」と思ったそうだ。

結構な落差である。滝もそうだが、高い山に登った時にも
崖下を覗いてみたくなることがある。人間の心理かもしれない。
道中、この滝に纏わる二つの話が記してある看板があった。
続く~
白・黒二匹の川上犬に前後を挟まれたまま、さらに上を目指す。
一匹の犬は父が小学生の頃に飼っていた犬(ポチ)に良く似ていたそうだ。
きちんと寄りそう犬二匹。「観光客を案内する犬なのかな」と父は思った。
犬には首輪はなかった。
そして目的地の「蜻蛉の滝」に到着した。
滝の近くにはお不動さんが祀られていた。

来歴を読むに、江戸期に祀られてたようだ。
不動明王と蔵王権現、役行者(と前鬼・後鬼)が祀られている。
境内入り口の鳥居に付いていた額を読むと、龍神が祀られているとある。
お堂がないところをみると、滝そのものが龍神なのかもしれない。

後に両親の言葉を借りれば、「少し怖いところ」だったと言う。
滝を見ていた父は、ふいに滝壺を撮りたくなった。
柵があるにはあるが底を撮ろうとすると身体を前のめりにしないと撮れない。
落ちる寸前まで身体を乗り出したら、足元が滑りバランスを崩した。
滝壺に引き込まれそうになる寸前で、後ろに控えた黒い犬が父の服を咬み、
落下を阻止した。「すごく訓練された犬だ


結構な落差である。滝もそうだが、高い山に登った時にも
崖下を覗いてみたくなることがある。人間の心理かもしれない。
道中、この滝に纏わる二つの話が記してある看板があった。
続く~
2010-10-25
蜻蛉の滝 その1
昨年、両親が参拝と取材を兼ねて訪れた奈良県、「蜻蛉(せいれい)の滝」
についての話を記録しておく。不思議な話である。
奈良県の山奥にある蜻蛉の滝。両親がわざわざここに出かけたのは理由がある。
蜻蛉の滝には、遥か古代と思われる昔話が残っている。
現地に赴けば、本や資料では学べない情報を受け取れるらしい。

目的地は山の中だ。山の麓は整備され現在では公園になっていた。
滝を含めた山そのものが神域であることを示すかのように入り口には鳥居がある。
…という事は、何処かに神社がある。

距離は離れているが、この一帯には有名な弁財天、天河弁財天が祀られている。
この山では、『天龍大神』という龍神が御本尊であるようだ。「天」とつくのは、
天河弁財天と関係があるのだろうか?
境内に入り山を登っていく。

もみじはここには訪れたことはない。
しかし、写真から伝わってくるのはここは軽い気持ちでは来てはいけない…ということ。
歩を進めるとお堂が見えて来た。弁天堂だ。

普段から訪れる人は少ないのだろう。荒れた感じがする。
鳥居を潜り入山して、ふと父は気付いた。
いつの間にか自分の前に真っ白の犬がまるで先導するかのように、こちらのペースに合わせて歩いている。
そして後ろを見ると真っ黒な犬が後をついてきていた。まるでガードするかのように…。
どちらも立派な川上犬だったそうだ。
続く~
についての話を記録しておく。不思議な話である。
奈良県の山奥にある蜻蛉の滝。両親がわざわざここに出かけたのは理由がある。
蜻蛉の滝には、遥か古代と思われる昔話が残っている。
現地に赴けば、本や資料では学べない情報を受け取れるらしい。

目的地は山の中だ。山の麓は整備され現在では公園になっていた。
滝を含めた山そのものが神域であることを示すかのように入り口には鳥居がある。
…という事は、何処かに神社がある。

距離は離れているが、この一帯には有名な弁財天、天河弁財天が祀られている。
この山では、『天龍大神』という龍神が御本尊であるようだ。「天」とつくのは、
天河弁財天と関係があるのだろうか?
境内に入り山を登っていく。

もみじはここには訪れたことはない。
しかし、写真から伝わってくるのはここは軽い気持ちでは来てはいけない…ということ。
歩を進めるとお堂が見えて来た。弁天堂だ。

普段から訪れる人は少ないのだろう。荒れた感じがする。
鳥居を潜り入山して、ふと父は気付いた。
いつの間にか自分の前に真っ白の犬がまるで先導するかのように、こちらのペースに合わせて歩いている。
そして後ろを見ると真っ黒な犬が後をついてきていた。まるでガードするかのように…。
どちらも立派な川上犬だったそうだ。
続く~
2010-10-12
いとうルンペン 後日譚
2010年9月29日・30日の二日間に亘って紹介したブログテーマ、
「いとうルンペン」について、新たな情報を入手したので書き留めておく。
今回、S・Ⅰさんの御協力で、「いとうルンペン」のことを詠んだ
短歌があることが判明した。詠み人知らずである。
お寺に何か形として残っていれば良いが(未確認)、
無い可能性が高いので記録として残しておくことにする。
問題の短歌は以下の通り。
押し寄せる 火煙あらば さかよせの 火伏の神ぞ いとうルンペン
この歌で意味が今一つ分からないのが『さかよせ』という言葉だ。
国語辞典に載ってないので古語辞典で調べてみたらあった。
意味は「攻めて来た敵に対し、逆に攻め返すこと。逆襲(参考出典:太平記)」だそうだ。
漢字だと「逆寄せ」と書く。
轟々と燃え盛る火煙を単身で迎え撃つ。その姿はまるで火伏せの神のようだ。
そんな姿が歌から観れる。
よく由緒ある神社にはその神を讃える伝説、大活躍物語が残っている。
こういう話を言葉や文字で残すことは、神の力を強くさせるのかもなと思った。
参考書籍
旺文社 古語辞典
「いとうルンペン」について、新たな情報を入手したので書き留めておく。
今回、S・Ⅰさんの御協力で、「いとうルンペン」のことを詠んだ
短歌があることが判明した。詠み人知らずである。
お寺に何か形として残っていれば良いが(未確認)、
無い可能性が高いので記録として残しておくことにする。
問題の短歌は以下の通り。
押し寄せる 火煙あらば さかよせの 火伏の神ぞ いとうルンペン
この歌で意味が今一つ分からないのが『さかよせ』という言葉だ。
国語辞典に載ってないので古語辞典で調べてみたらあった。
意味は「攻めて来た敵に対し、逆に攻め返すこと。逆襲(参考出典:太平記)」だそうだ。
漢字だと「逆寄せ」と書く。
轟々と燃え盛る火煙を単身で迎え撃つ。その姿はまるで火伏せの神のようだ。
そんな姿が歌から観れる。
よく由緒ある神社にはその神を讃える伝説、大活躍物語が残っている。
こういう話を言葉や文字で残すことは、神の力を強くさせるのかもなと思った。
参考書籍
旺文社 古語辞典
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