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2010-07-28

紅葉の話 その10

~続き

■脇差「童子切り」の話

平維茂が紅葉征伐の際、用いた刀が「童子切り」である。
最古の刀工、伯耆安綱(ほうきやすつな)作というこの刀は戸隠神社に奉納された。
その後、紆余曲折あり現在は松巌寺に残っている。

この「童子切り」という銘は深い意味があるような気がしてきた。

「童子」という言葉は二つの意味を指していると思う。

一つは「鬼」のことだ。昔話に登場する数々の鬼には名前があることが多いが、
○○童子という鬼が結構いるのである。

例えば「大江山の酒呑童子」、「羅生門の茨木童子」、「伊吹山の伊吹童子」などだ。
(…弁財天の十五童子にも隠された意味がある気がしてきた)

紅葉は鬼女と云われた。その鬼(童子)を切ったことを意味しているように思う。

二つ目は、文字そのままの「子供」のことだろう。紅葉には一児がいた。
紅葉が殺された後、二度と逆らえないよう、その子供を切り伏せたという意味だ。


戸隠周辺が重要な踏鞴場だとすると、貴重な労働力である村人は根絶やしには出来ない。
あえて無抵抗な子供を、見せしめに殺すことによって抵抗は無駄だと植えつけたのかもしれない。

1000年以上経った現在、「童子切り」という異様な銘を持つ刀が残っているのは、
ここで起こった事を未来永劫忘れないように…という名をつけた人の意志を強く感じる。


続く~


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2010-07-27

紅葉の話 その9

~続き

紅葉が大六天魔王と結びついた事については、二つの可能性があると思う。

一つは攻め入る側の大義名分である。キリスト教圏における中世の魔女狩りのように、
魔王を信仰しているとした方が、格好がつくと云うものだろう。

二つ目は史実通り、紅葉が大六天魔王を信じていたとすると、その理由を考えてみた。
いかに才女の紅葉と言えど、相手は百選練磨の平維茂と選りすぐりの戦闘集団である。

そんな大軍と戦うには、魔王の力を借りてでも、鬼にならざるを得なかったのではないのだろうか?

いずれにせよ、紅葉が大六天魔王の申し子と云われていることが、真実がどうかは分からない。
「紅葉狩」を読む人に判断は委ねられてしまうのだ…。


話は変わるが、紅葉がいた地域には、彼女が自らの信仰の対象として手を合わせていたという伝説が残る、
一体の仏像が残されている。

それは大六天魔王の像ではなく、空海が彫ったという地蔵菩薩だそうだ。


ぼちぼち私が考える「紅葉狩」の話をまとめたいと思うが、
その前に、後一つだけ気になるものが出て来たので、それを先に考えてみたい。

それは一振りの脇差で、何とも意味ありげな銘がついたものだった。

その小太刀の銘は「童子切り」と云う。


続く~





2010-07-26

紅葉の話 その8

~続き

「紅葉狩」の話を勝った側と負けた側から観たことによって、
なんとなくだが、話の筋が解ってきた。

物語の内容はともかく、未だ気になる点があるのでそれを調べてみることにする。
それは物語に度々登場する「大六天魔王」についてだ。

■大六天魔王について考える。

またの名を自在天。大六天魔王として信仰していた人物には、
あの織田信長がいた。信長は自らを大六天魔王と名乗っていたとも云う。

調べると驚異的な話がごろごろ出て来た。シヴァ神ともルドラ神とも云われ、
共通しているのはどちらも破壊神である。

インドに残る釈迦の一代記には、菩提樹で悟りを開いた釈迦を徹底的に邪魔していた。
瞑想する釈迦の前に様々な誘惑を見せるも効果は無く、最後は自ら武器を持って斬りかかる。
しかし、その武器は釈迦に触れる寸前で蓮の花に変化する。
これには流石の大六天魔王も諦めたと云う。

また、悟りを得た釈迦が入滅(亡くなる)際、多くの弟子達、動物達、そして天上の神仏達が
最後を看取ったと云うが、※1大六天魔王とその妃のみが「釈迦入滅何するものぞ!」とその場に出席しなかった。

後でそれを知った※2降三世明王(ごうざんぜみょうおう)は激怒し、
妃共々踏み殺してしまったという話もあった。(後に十一面観音の慈悲の力で蘇った)

また仏教の世界観には※3六道(りくどう)という考えかたがある。
その中の頂上に位置するのが天界(帝釈天、吉祥天、四天王などの神々がいる世界)だが、
天界も幾つかの世界で成り立っている。その最上位に住むのが大六天魔王という驚きの話もあった

様々な解釈が出来る大六天魔王だが、もみじ的には、仏教に取り入れられた善神の一面が「自在天」。
仏教を憎み、徹底的に破壊尽くす魔王という一面が「大六天魔王」ということなのかと思った。

これを日本の神道で言うなれば、神社に祀られる「有難い神様」と、
「祀られない祟り神」が表裏一体であることに似ている気がする。

今まで様々な寺に参拝に行ったが、大六天魔王を祀っているのは観たことが無い。
また同神でもある自在天も、滅多に御目にかかれない。たまに祀ってある寺もあるが、
どうやら自在天単独を本尊とするのは禁止されているようである。

続く~


※1…大日如来が全ての生きとし生けるものを教化する際、己こそが最も尊いと教えに従わなかったので
  踏み殺されたという話もある。いずれにせよ、反仏教の立場なのだろう。

※2…五大明王の内の一つ。明王とは力の仏。人間の家庭で言えば、子供がきちんと育つには母の慈悲と
   親父の拳骨がいるのと似ている。優しさだけでは人は救えないという考え方から生まれたのかも。

※3…仏教ではこの世は六つの世界、即ち、天界・人間界・畜生界・餓鬼界・修羅界・地獄からなるという考え方。
2010-07-25

紅葉の話 その7

~続き

紅葉の配下にも注目してみた。
その中には、どうも踏鞴(たたら:製鉄集団)や虐げられた人たちが集まっていたようである。

例えば、紅葉の話 その4で少し紹介したが、平将門の配下の子孫がいた。

全部で4名いて、名はそれぞれ鬼武、熊武、鷲王、伊賀瀬と云う。
平将門と云えば、朝廷に戦いを挑んだ猛将で、朝廷から見れば逆賊、関東の人々から見れば英雄である。
史実では、奮闘空しく将門は討たれてしまうが、その配下の処遇も良いものではなかっただろう。
遠い辺境の戸隠に逃げ延びていたのかもしれない。

また、紅葉狩の物語の中で、ひときわ活躍したのが※「鬼のおまん」であった。
おまんは健脚を誇り、勇猛果敢な配下であったが、足を怪我している。

紅葉は目を撃たれたという話があるが、足や目を無くす、怪我をするという話は、
踏鞴の伝説にはつきものなのだ。

以上を踏まえると、戸隠や別所の辺りは、踏鞴場であり、
そこには朝廷と戦うも敗北し隷属した人達が大勢いたように思える。


続く~


※「鬼のおまん」のその後…戦いを生き延びたおまんは出家し、尼となる。
             贖罪と人々の供養に残りの生涯を捧げ、最後は自ら首を落としたと云う。
             自分の首を落とすとは、冷静に考えればありえない話である。
             疑問が残る最後だ…。



2010-07-25

紅葉の話 その6

~続き

何故挙兵しなければならなかったのかを考える上で土地に注目してみた。

紅葉が住んでいた地には「別所(べっしょ)」という町名が残っている。
別所という地名は全国に散らばっているという。
文字から察するに、別の場所、他とは違う場所という意味合いがあるのだろう。

鉄と俘囚の古代史 柴田弘武著」によれば、全国500箇所の「別所」を調査した所、
古代の金属産地、もしくは加工地であると分かったとあった。
因みに「俘囚(ふしゅう)」とは朝廷に逆らい、やがて隷属した人達という意味がある。

話は変わるが、○○県○○市にお住まいの方(60代男性)から※同市内にある別所町について
信じられないような話を聞いた。
その方が昔、祖父から聞いた話で、別所の辺りは明治頃まで、町一帯に囲いが設置してあり、
人の出入りが監視されていたというのだ。
これは明らかに差別である。その場所には行った事があるが今は立派な住宅地になっていた。

この町、町が見渡せる所に移動すると分かるが、町全体が大きな穴の中にあるようである。
これは、古代鉄を取るのに掘ったときに出来た穴なのだろう。

想像するに古代では権力者に逆らったものが別所(踏鞴場:たたらば)に移され、
そこで重労働をさせられたのではないのだろうか?

続く~

※…この界隈の歴史調査をした結果、鎌倉時代頃には刀工の集団があったそうです。



2010-07-23

紅葉の話 その5

~続き


民間に伝わる話との相違点を述べる。
紅葉狩

■長野県、地元の人達に伝わるもう一つの紅葉の話。

①源氏の頭領、源経基の養女であった紅葉は宮中にいた時、平氏側の策謀により、
 無実の罪を被せられ、戸隠に追いやられた。


②水無瀬(みなせ)という土地に辿りついた紅葉は、里人に暖かくもてなされる。
 やがて館が建てられそこに住む。里人は内裏屋敷と呼んだ。

紅葉は加持祈祷や医学の知識を用い、病人を治す。また裁縫や手芸、読み書きなど
 都の文化を里人に伝えた。

 ※村人からは内裏様と呼ばれ、敬愛されていた。

④しばらく平穏に暮らしていたが、帝や都への想いが断てず、近隣の土地に都の名前を
 つけたりしていた。

⑤地元の豪族、野武士らと共に、紅葉達は朝廷に対して決起する。
 (都に上がれると思っていたのかも)

以後は、同じような話で最後は討たれるという展開だ。
凶悪な鬼という印象は、地元の人達には伝わっていないのである。


話は変わるが、何年か前、両親が戸隠へ旅行に行った。
地元の年配の女性に話を聞いたそうだが、今でも紅葉を悪く言う人はいないそうだ。
また、一昔前は秋の紅葉見物を指す言葉「紅葉狩り」も禁句だったようである。

紅葉の最後については、維茂軍の男共に弄ばれ、嬲り殺しになったという悲惨な話もあった

目線が変わると全く違った話になる。ここで気になったのが⑤についてだ。
これは、紅葉が流罪になった土地が、どういった土地だったのかが重要になってくる。

続く~


※…戸隠村の隣に鬼無里(きなさ)村という場所があるが、そこに伝わる紅葉は
  鬼女ではなく「貴女紅葉」と呼ばれている。

2010-07-22

紅葉の話 その4

~続き

■紅葉討伐編

⑩戸隠の地に住むことになった紅葉は深山の岩屋にて子供を産む。
 そしてしばらくは落ち着いていた。

⑪都を忘れられない紅葉はだんだんと鬼の本性を顕にする。
 そして※1配下を徐々に増やしていく。

⑫略奪等の悪事を重ね、だんだんと組織が大きくなっていく。

⑬やがて都まで紅葉の噂が届くと、時の天皇、冷泉天皇が平維茂(たいらのこれもち)に命じ、
 紅葉討伐隊が編成される。


⑭ついに紅葉軍と平維茂軍が激突する。平維茂は当初すぐに片付くと思っていたが、
 大六天魔王から力を授かった紅葉は様々な妖術を駆使し、これを撃退する。

⑮魔を制するには神仏の力を借りるしかないと思った維茂は、北向観音や戸隠権現に祈願する。
 その結果、維茂は観世音菩薩より降魔の宝剣を授かる。

⑯宝剣を手にした維茂は紅葉の妖術を打ち破り、配下を次々と倒す。
 追い詰められた紅葉は逃げようとするが、※2維茂に矢で貫かれついに絶命する。

⑰戦いの後、維茂らは、紅葉や配下を手厚く弔い戸隠の地に鬼塚を築いた。


これが公に残っている「紅葉狩」の内容である。如何にも勧善懲悪の話だ。

しかし、紅葉が住んでいた戸隠の地に、現在伝わっている話は違う箇所が多い。
次回はその話を紹介します。


続く~


※1配下…怪力無双で途轍もない健脚の「鬼のおまん」や、あの平将門の手下の子孫などがいた。
※2矢で貫かれる…戸隠権現の方から金色の光が突如現れ、それに目を貫かれたという話もある。





2010-07-21

紅葉の話 その3

~続き

■都~戸隠編

④都に逃れた呉葉は紅葉(もみじ)と名を変え、化粧品や髪飾りを売る店を開く。
 近隣の子女に琴を教えてもいた。

⑤まもなくその美貌がしれ渡り、源経基(みなもとのつねもと)の奥方の侍女となる。
 そして経基の寵愛を受け懐妊する。

⑥この頃、経基の正妻の体調が著しく悪くなる。

⑦異変を感じた経基は、比叡山の大行法師に祈祷を頼んだ。
 すると、これは何者かによって呪詛されている事が判明した。

⑧法師は一計を案じ、看護しているもの全員に護符を掛けさせる事にした。
 それを拒んだ紅葉を問い詰めた所、ついに紅葉は呪詛を掛けた事を白状する。

⑨紅葉の行ったことは死罪に該当したが、身籠っていたこともあり戸隠に流罪となる。


こうして、奥方暗殺を試みた紅葉は、都から長野県戸隠に流罪となった。

現在では全国至るところに道路が張り巡らされたので、想像出来ないが、
当時としては島流しに近い処罰だったと思う。

ここまでを観るに酷い悪女であった感じである。

次回は物語の後半部分を紹介します。


続く~





2010-07-20

紅葉の話 その2

~続き

鬼女紅葉の言い伝えは長野県の別所温泉近くにある常楽寺
北向山霊験記戸隠山鬼女紅葉退治伝(きたむきやまれいげんき とがくしやまきじょもみじたいじのでん:長いよ)」
として残っている。

調べてみたら意外に細かいところまで残っている話だった。
長い話なので掻い摘んで紹介します。


『鬼女紅葉の話』

■その生い立ち編
①承平7年(937年)、奥州会津にて生を受ける。名は呉葉(くれは)。
 ※1両親は笹丸と菊世という。
 子宝に恵まれなかった二人は大六天魔王に祈願したところ、呉葉を授かった。

②成長した呉葉は、道を歩けば誰もが振り返る程美しかった。
 また才智も兼ね備え、琴の名手でもあった。
 この頃から魔性性もあったと云う。

③成長した彼女は、近隣の豪農の息子に見そめられ、結婚をすることになる。
 しかし、それを良しとしなかった彼女は、大六天魔王に請い、※2妖術を学びそれを使う。
 結果、多額の婚礼支度金を持って両親と共に都に逃げる。
 

一体何が何やらだが、今風に言えば結婚詐欺とも取れる話である。
呉葉が産まれるまでの様子や、成長するまでの話が詳細に残っていることに疑問を感じるが、
ここまで読むだけでも尋常ではない女性だと分かる。

次回は都から長野県は戸隠に向かうまでの話を紹介します。


続く~

※1笹丸と菊世…応天門放火の罪で失脚した右大臣、伴善男の子孫と云われる。
※2妖術…「一人両身」と呼ばれる術だったらしい。分身の術か?




 
2010-07-17

紅葉の話 その1

「もみじ」のネームの由来は、我が家の店名が「紅葉屋」なのでそこからとった。

では「紅葉屋」の名前の由来は何か? それは亡くなった祖父が、江戸時代からある『紅葉屋
(名古屋市の歴史にも登場する、当時の看板が名古屋市博物館にもある)
で働いていた頃の話で、自分で店を持つ際、のれん分けしてもらったことからきている。

では、大元の『紅葉屋』は、何から名前をとったのか?
随分昔に祖父からその話を聞いた。

紅葉屋』の屋号は平安時代に実在した、一人の女性から名前をとっていた。
当時の店の番頭さんに聞いたそうだ。

その女性の名は紅葉(「もみじ」あるいは「くれは」)という。

今日でも紅葉を見物に出かけることを「紅葉狩り」と言うが、これは謡曲の「紅葉狩」からとられている。

「紅葉狩」は大六天魔王(だいろくてんまおう)の申し子と言われ「鬼女」と恐れられた紅葉征伐の物語だ。
妖術を使い屈強な配下を従え、数々の悪事を働いたと伝えられる。

自分の店の屋号については、触りしか知らないと思ったので、
今回は理解が深まるよう、もう少し鬼女紅葉について調べてみることにする。

しばしお付き合い下さいませ。


続く~


プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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