2010-01-10
力寿姫の命日 その2
~続き
財賀寺は豊川市にある。
聖武天皇の勅願で、行基が開いた名門の寺だ。
山門と仁王様がとても見応えがあり、
しばし時間を忘れる程だ。
千手観音が御本尊で秘仏となっている。
訪れた日は、たまたま人が見当たらず、
気になった阿弥陀如来はお参りすることが出来なかった。
何処の御堂かは忘れたが、とある御堂(多分阿弥陀堂)に、
この仏様の祭事は新暦で(確か)4月29日とあった。
この日付を見て、「あっ
」と気付いた。
財賀寺を訪れる前、このブログでも紹介したが、
岡崎市にある、姫ヶ城跡の稲荷神社のお祭りに参加した事があった。
その祭り日は、財賀寺と同じ4月29日だったのだ。
また、稲荷神が祭られている姫ヶ城の在りし日の城主は、
なんと大江定基だった。
以来、力寿姫の命日は4月29日だったのでは?
と思うようになった。
おしまい
財賀寺は豊川市にある。
聖武天皇の勅願で、行基が開いた名門の寺だ。
山門と仁王様がとても見応えがあり、
しばし時間を忘れる程だ。
千手観音が御本尊で秘仏となっている。
訪れた日は、たまたま人が見当たらず、
気になった阿弥陀如来はお参りすることが出来なかった。
何処の御堂かは忘れたが、とある御堂(多分阿弥陀堂)に、
この仏様の祭事は新暦で(確か)4月29日とあった。
この日付を見て、「あっ

財賀寺を訪れる前、このブログでも紹介したが、
岡崎市にある、姫ヶ城跡の稲荷神社のお祭りに参加した事があった。
その祭り日は、財賀寺と同じ4月29日だったのだ。
また、稲荷神が祭られている姫ヶ城の在りし日の城主は、
なんと大江定基だった。
以来、力寿姫の命日は4月29日だったのでは?
と思うようになった。
おしまい
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2010-01-09
力寿姫の命日 その1
大江定基と力寿姫の話が出たので、
関連事項をもう一つ…。
伝説によれば、悲しみのどん底が続いたある夜、
眠りに入っていた大江定基は不思議な夢を見る。
文殊菩薩(の眷属?)が現れたのだ。
菩薩は、執着を絶たねば姫が成仏出来ぬと諭し、
その霊夢が切っ掛けで仏門に入ったそうだ。
国司であった為、財力はあったのだろう。
大江定基は姫を弔う寺も建立していた。
寺の名は「舌根寺(ぜっこんじ)」と言う。
何とも奇妙な名前の寺だが、これは多分、遺体の一部を
寺の根幹となる部分に埋めたことから付いたのでは…。
それが「舌」だったのではと思う。
戦国武将に因んだ塚等の遺跡を見るに、
身体の一部分を埋め、祀られることがある。
そういえば、釈迦の骨も仏舎利としてあちこちに分けられ、
祀られているようだ。
舌根寺については、まだ調べきれていない。
(既に廃寺か?)
昨年だったか一昨年だったか、
舌根寺に祀られていた阿弥陀如来が、
豊川市の財賀寺にあると知ったので行ってみた。
続く~
関連事項をもう一つ…。
伝説によれば、悲しみのどん底が続いたある夜、
眠りに入っていた大江定基は不思議な夢を見る。
文殊菩薩(の眷属?)が現れたのだ。
菩薩は、執着を絶たねば姫が成仏出来ぬと諭し、
その霊夢が切っ掛けで仏門に入ったそうだ。
国司であった為、財力はあったのだろう。
大江定基は姫を弔う寺も建立していた。
寺の名は「舌根寺(ぜっこんじ)」と言う。
何とも奇妙な名前の寺だが、これは多分、遺体の一部を
寺の根幹となる部分に埋めたことから付いたのでは…。
それが「舌」だったのではと思う。
戦国武将に因んだ塚等の遺跡を見るに、
身体の一部分を埋め、祀られることがある。
そういえば、釈迦の骨も仏舎利としてあちこちに分けられ、
祀られているようだ。
舌根寺については、まだ調べきれていない。
(既に廃寺か?)
昨年だったか一昨年だったか、
舌根寺に祀られていた阿弥陀如来が、
豊川市の財賀寺にあると知ったので行ってみた。
続く~
2010-01-08
三明寺の歴史
三明寺の歴史について触れたい。
三河の歴史を調べると、とある人物が度々浮かんでくる。
大江定基だ。
平安時代に実在した人物で、
三河国の国司をしていた。
三河に赴任してきた大江定基は、一人の女性に心を奪われる。
その女性は「力寿姫(りきじゅひめ)」と言う。
仲睦まじく過ごしていた二人だが、
ある時、力寿姫は病で亡くなってしまう。
嘆き苦しむ大江定基。
姫の亡骸は、悲しみのあまり、暫く埋められる事はなかったそうで、
徐々に腐敗して行く
あの美しかった姫の憐れな姿を観た大江定基は、
「無常」を強く感じたのだろう。
その後、貴族の地位を捨て出家し、天台宗の扉を叩き、
最後は修行の為、中国(宋)に渡り、日本に帰る事無く没したと言う。
三明寺の辨財天は、力寿姫の供養の為、
生前の美しかった姫の姿を写した仏像だそうだ。

何時の時代の人間も、苦しみは同じだよなぁと思った。
三河の歴史を調べると、とある人物が度々浮かんでくる。
大江定基だ。
平安時代に実在した人物で、
三河国の国司をしていた。
三河に赴任してきた大江定基は、一人の女性に心を奪われる。
その女性は「力寿姫(りきじゅひめ)」と言う。
仲睦まじく過ごしていた二人だが、
ある時、力寿姫は病で亡くなってしまう。
嘆き苦しむ大江定基。
姫の亡骸は、悲しみのあまり、暫く埋められる事はなかったそうで、
徐々に腐敗して行く

あの美しかった姫の憐れな姿を観た大江定基は、
「無常」を強く感じたのだろう。
その後、貴族の地位を捨て出家し、天台宗の扉を叩き、
最後は修行の為、中国(宋)に渡り、日本に帰る事無く没したと言う。
三明寺の辨財天は、力寿姫の供養の為、
生前の美しかった姫の姿を写した仏像だそうだ。

何時の時代の人間も、苦しみは同じだよなぁと思った。
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