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2009-10-30

鳳来寺 その4

~続き

本堂の裏に階段があり、登った所にお堂があった。
薬師堂

案内を読むと、
案内

とある。こちらのお堂に最も古い本尊があるのだろうか。

どちらにしろ秘仏になっているようで、姿は見えない。

鳳来寺に来て是非、確認したかったのがこの薬師如来だったが、
結局分からなかった。

次回の御開帳の時、壊れてないことを祈ってます

しかし、荒れてる寺でした。
修理をするのも大変そうだった。

おしまい。
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2009-10-29

鳳来寺 その3

~続き

鳳来寺の本堂はコンクリート製だった。

本堂

1300年の歴史がある鳳来寺。
最盛期には、徳川幕府の助力もあり、20を超える塔頭があったが、
現在は数箇所を残すのみになっている。

幕府が倒れた後、火災が相次ぎ殆ど無くなってしまったようだ。
(ここでは述べることは出来ないが、そもそも鳳来寺に来たのは理由があった)

本尊は薬師如来で秘仏になっていた。

石仏

立派な石仏が祀ってあった。
その姿からするに三宝荒神(さんぽうこうじん)だろうか。

台座に見猿、聞か猿、言わ猿があり、上空に太陽と月がある。
三宝荒神とは蔵王権現と同じで、日本独自の神だと思う。

空海が高野山で修行中、目の前に現れた謎の荒ぶる神。
その神は、我を祀れば仏教を守る神となると告げ、
空海は三宝荒神として祀ったというような話を昔読んだ気がする。

辿って行くと、歴史から忘れられた、日本の名も無き古代神なのだろう。
三宝荒神は、神道を取り入れた仏教独特の神様と言える。

続く~


2009-10-28

鳳来寺 その2

~続き

鳳来寺の東照宮、そこの手洗い場に珍しいものがあった。
龍吐水である。

龍吐水

今で言う消火器で、当時としては最新の道具だったのだろう。
流石?東照宮だなと思った。

東照宮を後にして、本堂に向かった。
本堂の手前に、売店があるが、そのすぐ横に、
狛犬が1対であった。
この狛犬が元々どこにあったのかは分からないが、
今まで見た狛犬の中では最も古いものだった。

狛犬

どことなくのん気な顔をしている。
素朴なところがあるが、力強さを感じる。

前足が大きく破損しており、修理されていたが、
へたくそだった

文化財級の狛犬だと思うので、綺麗に直して欲しい。

続く~

2009-10-25

鳳来寺 その1

以前、久しぶりに家族で寺に行った。
愛知県新城市にある古刹、鳳来寺だ。

古い歴史のある寺で、最盛期には20を越える塔頭があったそうだ。
1400段以上ある石段を登って辿りつく山奥の寺だ。
鳳来寺山

ハイキングを兼ねて参拝に来る人も多いが、
車でも上まで行ける。

鳳来寺は徳川家康が生まれた時に纏わる話が残っており、
それもあってか、徳川家の援助を受けていたようである。
境内には家康を祀る東照宮もあった。
鳳来寺 東照宮

本殿の前には狛犬が1対で鎮座しているが、
その狛犬の奥に、以前狛犬として祀られていたであろう、
先代の狛犬のなれの果てが地面に置いてあった。
東照宮狛犬 1

その嘗ての狛犬は、削りに削られ丸い石になっていた。
隣接する看板を観るに、戦地に向かう兵士がお守り代わりに
削っていったのだと理解できた

野ざらしにされていた、丸い狛犬だった石。
悲しい歴史を感じる。どこか部屋の中で安置しておいて欲しいと思った。

続く~





2009-10-06

闇森神社との御縁 その6

~続き

闇森神社は創建を調べると鎌倉時代に遡るという古社だ。
闇森神社

「何かおかしい」と気になりいろいろ調べてみて、おおよその結論が出た。
(これ以上突っ込んだ話は止めておきます)

我が家は商売屋を営んでいるが、年に二回イベントを行っている。
何年か前、この「忘れられた闇森神社の神」を取り上げて紹介した。
(今思えばよくやったよなぁと思う)

イベントを無事終了し、ここの神社にお礼参りに行った。
神様へのお供え物にでも使ってもらえればと思い、
少ないが金一封をもって、きちんと本殿に向かって報告と感謝をした。

ここで話は変わるが、この出来事から2年ほど経ち、
我が家では、建物を造ることになった。
地鎮祭を行う際、建築会社の担当の方に準備をお願いした。

無事神事は終え、神主さんから領収書を頂いた。
領収書を見て「えっ!」と声を出して驚いてしまった。

何とこの神主さん、闇森神社の神主さんだったのだ。
担当のHさんに闇森神社を知っていたのかと聞くと
「いやぁ、何時もお願いしている神主さんが急遽来れなくなり、
 あわてて電話帳で調べて、初めて来てもらったんですよ」
とのことだった。

地鎮祭とは、その土地の神様(氏神、土公神)に工事の許可を頂く
為に行う大切な神事である。例え自分達の土地とはいえ、
広い目でみればそれは皆神々の土地だからだ。

その大事な地鎮祭にわざわざ闇森神社の神主さんが偶然来てくれたのだ。

今では、闇森神社の神様が応えてくれたんだなぁと思っている。

おしまい。




2009-10-05

闇森神社との御縁 その5

~続き

「忘れられた神がいた」そう結論付けたには理由がある。
闇森神社に残る蹈鞴(たたら)の伝説が、熱田や金山の神社に
由来するものなら、どちらかの神様が御祭神になっていた筈だ。

それともう一つ、闇森神社がある中区の
隣の熱田区には大蛇を退治した昔話が残っている。

今で言う「牛巻町」に残るもので、牛をぐるぐる巻きにして平らげる大蛇を
(だから牛巻というそうだ)熱田の神官が弓矢で退治するというものだ。

興味深いのは、熱田神宮の神官が矢で大蛇の片目を射るという描写だ。
殺す方も殺される方も蹈鞴に関係しているのである。

この大蛇はおそらく、人間だったと思う。大蛇というのは豪族だったのだろう。
滅ぼされる側は歴史に残ることは少ないのだ

闇森神社とこの大蛇伝説が結びつくかどうかは確証がない。
しかし、熱田周辺の忘れられた古代神とは無関係ではないように思う。

続く~
2009-10-04

闇森神社との御縁 その4

~続き

八幡神がこの地に祀られる以前、いや古くは
熱田神宮が現在の地に引っ越す以前に、
かなり古い神がいたのではと思うようになった。

その神は地元の歴史から抹消され分からなくなっている…。

神社に残る、昔話、遺物などの中に山伏塚というものが
あった。神社の案内によればそれは嘗てあったようだ。

山伏塚とは、修験道の山伏ではなく、山に伏したという意味、
つまり墓を意味している。

※闇森神社の山伏塚については過去記事カテゴリー
【闇森神社(07年12月)】参照。

 
この墓が何を意味しているのかは、分からないが、
神社の歴史を知る上で、重要な位置にあるのは間違いないと思う。

続く~
2009-10-01

闇森神社との御縁 その3

~続き

片目の鮒意外にもこんな話があった。
「片葉の葦」だ。

闇森にある(あった?)葦は、片方しか葉がつかない
というものだ。

闇森神社の昔話に限らず、全国には片目、片足、
片腕、片葉という話は多い。

共通しているのは、これらの話は、
その昔、製鉄を職業とする一族がいたことを
表しているということだ。

闇森神社の昔話は製鉄集団(蹈鞴:たたら)が、
かつてこの界隈に居たということを連想させる。

その証拠に、この付近の神社は、
金山神社や熱田神宮が有名だが、
どちらも鉄に所縁の深い神様なのである。

ただ、八幡神と蹈鞴の伝説が結びついているのは
何か腑に落ちない。

ひょっとして本来の神が消されてしまったのでは・・・?
と思った。

続く~





プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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