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2008-09-20

ゲゲゲの鬼太郎 「なかきよの」番外編②

今年の夏、劇場で公開された映画に、「ゲゲゲの鬼太郎」がある。7月だったか、公開前にテレビで特番をやっていた。夜、仕事が終わってから何気にテレビをつけてたら放送していたので、特に注意することなくボッーと見ていたら、「あれっ?」と思う歌が聞こえてきた。

「かごめかごめ」の童歌だったのだ。ゲゲゲの鬼太郎、サブタイトルが「千年呪い歌」という。この映画は未見だが、特番の説明によると、千年前に「かごめかごめ」によって封じ込められた濡れ女という妖怪が、現代に復活。それを鬼太郎達が何とかするという内容らしい。

原作者の水木しげるさんが何処まで知っているのか分からないが、「かごめかごめ」が封じの歌という箇所と、水の性質を持つ辨財天に対して、濡れ女なる水っぽい妖怪の登場。なかきよの年に「かごめかごめ」が世間で映画によって取り上げられている。偶然にしては・・・と思った。
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2008-09-19

天河神社 「なかきよの」番外偏①

今年が辨財天の御利益を頂けるという「なかきよの魔法」の年だということを理解し、その目線で世の出来事を見ると「おっ」と思うことがある。

日本には、たくさんの辨財天を祭る寺や神社があるが、歴史や有名さで挙げると、奈良県にある「天河弁財天社」が筆頭にあがるだろう。

役行者や空海も修行に訪れたという、1300年の歴史がある由緒ある神社だ。ここの辨財天像は秘仏になっている。ご開帳は60年周期(やはりこの数字)だ。前回は27年前にご開帳だったので、次回は33年後のはずだった。

しかし、この日本で一番有名な辨財天社が、頑なに守ってきた60年周期の約束を急遽覆し、なかきよの年に緊急開帳となった。7月に1週間だけである。

神社側の説明によれば、世の中に悲惨な出来事が多くなってきたので、天河辨財天の神威の甦りを請い、一人でも多くの人々に辨財天の御利益を授けたいというような趣旨だった。

昨年暮れに一度参拝に行ったが、ご開帳のことは一言もうたっていなかった。他にも気になることがあった。



2008-09-18

辨財天「なかきよの」最終回 ご縁

~続き

古くは室町時代には知られていて、江戸時代には知らない人はいないほど有名だった「なかきよの魔法」。当時の人々が知りたくても知りえなかった真の姿を紹介しました。

果たして信じるか信じないかは受け取る人のお任せすることになるが、知り、なおかつそれを作って販売している側の人間としては、とにかく一人でも多くの方に紹介しようと決めました。

60年(またいつか述べるが正確にはもう少し続く)に一度の「なかきよの魔法」興味のある方はぜひ試してみてください。

おしまい。

【おまけ】
ここからは宣伝です。条件にあった「なかきよの」掛軸。様々なことがあってついに完成しました。内容、表装どちらも素晴らしい縁起物の掛軸です。当店で販売しております。
2008-09-17

辨財天「なかきよの」⑮ 不思議な光、そして掛軸完成

~続き

現像した写真には連続して不思議な光が写っていた。時刻は夕刻。太陽は西に沈みかけている。にも関わらず、島のすぐ横に垂直にオレンジ色の強い光が舞い降りていた。よく見てみると、水面に強い光が映っている。またその光が金色の蛇のようになって水面を進んでいた。

水面の波が光が当たった所から、円く波がおこっている。また、垂直の光の中心に人影らしきものがぼんやりと写っていた。空中に誰か(おそらく女性)いるのだ。手には剣らしきものを携えているようにも見える。

今日、辨財天の仏像を観るに、最も馴染み深い姿は、女性が琵琶をもっているものだ。しかし、古い像、特に天台宗や真言宗で祭られる辨財天は甲冑を着たり、手に剣を持っているものがある。

あの時、私は写真を撮る父の横で、同じ景色を眺めていた。しかし肉眼ではこんな光は見えなかった。しかし写真にはしっかりと写っている。(父には写るのが判っていたようだった)

不思議な写真が写ってから数日後、断れまくり、半ば諦めていた「なかきよの軸」、書いてくれる条件のあった方があっさり見つかった。それが京都のD寺の住職だった。

続く~


刈谷市 辨財天
2008-09-15

辨財天「なかきよの」⑭ 刈谷市某神社取材

~続き

昨年5月、父の執筆の関係で、愛知県刈谷市の某神社とその周辺を取材することになった。気になる所を数件まわり、夕方5時頃になった。ぼちぼち帰ろうかなという時、父が「これは何処かに辨財天が祭ってあるはずだ」と言いかけた。

早速地元の人に聞いてみるが、「そんなのはないよ」という返事ばかりだった。周辺の町名を見ると「弁天町」という町名があった。しかし、辨財天はないと言う。町名に残るくらいだから、嘗ては何処かに祭ってあったのだろう。

諦めて帰ることにした。カーナビで自宅を選び帰路につく時、ナビの画面上に、公園の絵とその横に池の絵が現れた。よく見ると池の真ん中に緑色の島のようなものがある。

前回のべたが辨財天は池の中に祭られていることが多い。「これだ!」と思い最後に立ち寄ってみた。そこは小さな池で、ナビの通り、池の中にかなり古い時代に人工的に造られた、お饅頭のような丸い島があり、小さな松が数本植わっていた。思わず合掌したくばるような神々しい島だった。しかし、そこには弁天はおろかお堂も何もない。

間違いなくそこに辨財天があったのだろうが、証拠が欲しかった。辺りを見渡すと近くに畑があり、農作業をしているお爺さんがいた。その方に「昔、あの島に辨財天がなかったですか?」と尋ねたら、「お兄ちゃん、よく分かるね。わしが子供の頃は弁天様が祭ってあったよ。戦後のどさくさの時に無くなっちゃったけどね」という事だった。

池の前にいた父に知らせると、父は無言のままポケットからカメラを取り出し、島の写真を撮りだした。様子がおかしかったが、撮り終わると家に帰った。

翌日、現像に出した写真を取りに行き、アルバムの整理をしていたら、最後に撮った島の写真にとんでもないものが写っていた。

続く~



2008-09-14

辨財天「なかきよの」⑬ 掛軸作成

~続き

以上、「なかきよの魔法」を紹介してきた。これに気付いてから、この掛軸を作ろうということになった。秘密性が高い為、紹介してもいいかためらったが、知ったのも何かの縁。駄目なら出来ないだろうという事で踏み切ることにした。

我が家は着物と古美術品、新古茶道具を扱っている。そのつてを利用して縁のあったお坊さん数人に「なかきよの とおのねふりの みなめざめ なみのりふねの おとのよきかな」の詩と「宝船」の絵を書いてもらおうと声をかけた。(書き手の条件はこちらを参照)

しかし、ここで問題がおきた。「なかきよの」掛軸自体はポピュラーなものだ。しかし、辨財天の話をすると、どのお坊さんも「それは出来ない」と言うのだ。理由は二つあった。

①宝船に乗れる人はいいが、乗れない人はどうなるのか?それは差別になる。
②どこで調べたか知らないが辨財天のことは語るな。

困ったことになった。結論を先に言えば、苦労はしたが京都の有名な禅宗の寺、D寺に条件にあうお坊さんがいらっしゃって、その方に書いてもらうことになった。このお坊さんと縁が出来る数日前、不思議なことが起こった。それは愛知県刈谷市の某所を取材に行った時のことだ。

続く~


2008-09-13

辨財天「なかきよの」⑫

~続き

籠目籠目 籠の中の酉(鳥居)は 何時何時 出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が(つるっと亀が) 崇部った 後ろの正面誰

以上、歌の神意を踏まえて、辨財天を主人公にして物語風にまとめるとこんな感じだ。

辨財天(以下 弁) 金神様(以下 金) 大将軍(以下 大)

弁「金神様、大将軍様。真に真に申し訳ございませんが一日だけ鳥居の中に入って下さい」
金「どうしたものか」
大「金神殿、腹に据えかねぬのは分かるが今年は母者(歳徳神)と辨財天の頼み。聞いてはもらえぬか?」
金「うーん。分かった一日だけだぞ。鳥居を置くと身動きできぬ。人間どもの様子を伝えるようにな」
弁「かしこまりました。(いつ出るのか不安だ)」

辨財天、その隙に「なかきよの」を実行している人間に福徳の宝船を流す。

金「人間の様子はどうだった?」
弁「鶴亀が滑ったようす(真意はすべってない)」
金、大「そうか。それはなによりだ」

辨財天は宝船を流すと同時に「後ろ手の所作」で疫病神(病府)を封じたのでした。人間たちは幸せに過ごしたそうです。

続く~

2008-09-07

辨財天「なかきよの」⑪ 後ろ手

~続き

「後ろ手の所作」とは古事記や神道に出て来る呪いの所作のことだ。
呪いを掛ける相手に背中を向け、両手を後ろにし言霊を唱えるというものがあった。

古事記には後ろ手の所作が出て来る話がある。「海幸彦」と「山幸彦」の話だ。

兄弟神でもある二柱の神で、兄が海で漁をする海幸彦、弟が山で猟をする山幸彦だ。

簡単に紹介すると、ある日山幸彦が兄と一日だけ居場所を交代してとせがんだ。
お互いの大事な道具(神の力)を交換するということなので、
海幸彦は拒んだが、結局一日だけ交代した。

その時、山幸彦は釣り針を無くしてしまう。魚に取られたのだ。
激怒し、海に潜って探してこいという海幸彦。
山幸彦は釣り針を探す旅に出る。その後は・・・

①塩椎神(しおつちのかみ)の力を借りて海神(わたつみ)の元へ
②海神の娘、豊玉姫と結婚
③のんびり快適に過ごしていたが、釣り針の事を思い出す(おいおい
④海神は海の生き物全てに号令をかけ釣り針を捜索
⑤やがてボラが持っていたと判明
⑥釣り針戻る

こうして釣り針は海幸彦の手に戻る訳だが、
釣り針を見つけた海神は、兄に返す時にこうしなさいと助言をした

それが、針に酷い言霊を浴びせ、相手に背中を向け両手で返すという
「後ろ手の所作」だったのだ。山幸彦を言う通りにした。
その後、海幸彦はどんどん運が悪くなり、没落していくことになる。

古事記は神々の歴史だが、ほとんど実際にいた人間の歴史だと思う。
上記の話も、天皇の後継者は長男というのが決まっていただろうから、
弟が継ぐことはなかった。
これは海神が、可愛い娘婿が「継ぐ」ようにした秘策だったのではと思う。

話は戻るが、辨財天は後ろの正面にいる「病府」を後ろ手の所作で封じたのだ。

続く~

2008-09-02

辨財天「なかきよの」⑩ 歌の神意 後編-1

~続き

「かごめかごめ」の童歌、次は「鶴と亀が崇部(すうべ)った」についてだ。鶴亀は縁起物の象徴である。とてもメデタイことが、すべった訳だ。言葉通りに解釈すると悲惨なイメージがある。

しかし、これは「ツルッと(昔の言葉だと「つーっと」)亀が崇部った」であった。そう、鶴ではなくコケタ時の擬音を意味しているのだ。滑ったのは鶴亀でななく、亀だけだという訳だ。

だが、亀のお腹は平だし、四足である。亀は滑っただけではコケはしない。つまり、表向きでは鶴亀がズッコケタと解釈されがちだが、真の意味は「鶴亀は無事だった」ということになる。

また「崇」は「あがめる」と読む。部をつけると「あかべ」つまり「あっかんべ」であった。この言葉も諸説あるが、相当古い日本語のようだ。現代語だと拒否とか否定という意味になる。

最後に超難関な「後ろの正面誰」である。これも暦を見ればよく分かった。辨財天は蛇と関係が深いと述べた。つまり、暦で言う所の巳の方位、その真反対を見よと言う意味だった。
(辨財天:巳の)後ろ(亥)の正面(亥の前)には何がいるのか?と言う事だ。亥の前には人間を病気にしてしまうという「病府」と言うやっかいな疫病神が回座している。

また、今年は巳の前に「病府」よりも更に恐ろしい「死府」という疫病神がいる。しかし、辨財天は厄除けの神(厄介なものを閉じ込める:籠目のこと)である。辨財天は自らの真後ろにある病府を押さえつける。そうする事によって目の前に死府が来ていても意味をなさなくなるのだ。

人は健康→病気→死という過程を経る。病気が無くなれば死も遠ざかるということだ。神道には呪術の一つとして「後ろでの所作」という、おまじないがある。憎い相手に掛ける呪詛の一つだ。辨財天は「病府」に背を向けたまま、それを無効にしたのである。

長くなってきたので、今日はここまでにします。次回は「後ろでの所作」を紹介します。

続く~
プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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