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2008-08-25

辨財天「なかきよの」⑨ 歌の神意 中編

~続き

60年周期の酉の方位には「金神」と「大将軍」がいる。(詳しくはこちら

金神(こんじん)とは「丑寅の金神」として、鬼門にいるとされる、易学に登場する神の中でも、最も恐ろしい神(所謂、祟り神)の一柱である。易学に登場する神々は大陸からやってきたようだが、金神様に限っては日本の古代神だと思う。

次に大将軍だが、こちらも金神様に勝るとも劣らないという強烈な祟り神である。暦によると「万物を殺伐する大凶神」とあるくらいだから、かなり恐ろしい神だ。

1月の恵方巻きに関する記事で紹介したが、日本と日本人の周囲には福の神もいれば、祟り神もいると考えられてきた。昔の日本人は、特に恐ろしい「祟り神」の動向に注意していた。敵に回したらお終いと考えていたのだ。

その祟り神の中でも二大巨頭と言える二柱の神が、「丑寅の大金神」と「大将軍」なのである。今年は二柱の超強烈な神々が同じ酉(鳥居)の中に回座するのだ。

続く~
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2008-08-22

辨財天「なかきよの」⑧ 歌の神意 前編 

~続き

わらべ歌、「かごめかごめ」の神意を要点だけ纏めて紹介する。まず、この歌、漢字を変えると真実の姿が観えてきた。(青字が前回紹介した漢字の変更点)

籠目 籠目 籠の中の酉(鳥居)は 何時何時出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が崇部った 後ろの正面誰

籠目とは罪人を入れる竹製の籠のこと。時代劇とかで見たことがる方もいると思う。その上に更に網をかけたりしたようだ。これはつまり、「籠に入れられると動けなくなる」と言う事だ。

籠の中の「酉(鳥居)」とは掛詞になっている。一つ目の意味は動物の「鳥」ではなく「酉の方位」ということ。つまり60年に一度の一白水星中宮戊子年、この年の「酉の方位を観なさい」を表している。
二つ目の意味は「鳥居」。これは神社の入り口にあるあの鳥居の事だ。

鳥居も昔、調べてみたがこちら(人間側)とあちら(神様側)を隔てる「結界」という意味がある。(関連事項はこちらをクリックして下さい)

つまり鳥居とは悪いものも拒むが、中の神様も用意に出ることは出来ないという意味があったのだ。
では次に、60年周期の酉の方位には何がいるのか?という事になる。

続く~






2008-08-18

辨財天「なかきよの」⑦ わらべうた

~続き

ここで話は変わるが、有名な童歌について触れたい。誰でも一度は耳にしたことがある有名な歌だ。

かごめ かごめ かごのなかのとりは いついつでやる よあけのばんに つるとかめがすべった うしろのしょうめんだあれ

これに漢字を当てはめるとこうなる。

籠目 籠目 籠の中の鳥は 何時何時出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面誰

世の中には沢山の童歌がある。昔、このブログで「佐倉惣五郎」が出て来る童歌を紹介したが、童歌は一見意味不明なものが多い。しかし、隠された真実があることがある。

かごめの歌もその代表的なものだ。何時頃からあるものなのか定かではないが、かなり古い歌である。今まで多くの人が「この歌には何か意味があるはず」と解析にあたった。しかし、解釈が多く、現在では謎の歌と言われている。

この歌、父はどの説とも違う解釈をした。結論は「なかきよの」とセットになっている歌で、この歌の神意は60年周期の配置を意味している歌だったのだ。

続く~
2008-08-18

辨財天「なかきよの」⑥ 民話から読み取れるもの

~続き

前回紹介した辨財天の民話から重要な箇所を挙げたい。一つ目は辨財天との約束事は守ること。この僧侶は命を亡くしてしまった訳だが、これについては考えさせられる。誰かが事の重大さをより強く認識させたいが為、誇張した表現になっているのではないのだろうか。

辨財天に限らず、名前に天が付く神は仏教によく登場する。帝釈天、吉祥天、毘沙門天、持国天、広目天、増長天、摩利支天(NHKの大河ドラマ「風林火山」の主役、山本勘助が信仰していたことで有名)、荼枳尼天等だ。これらの神々を「天部」と言う。

天部の仕事は人間を仏教に導き、苦しみから救うと事と言わていれる。その辨財天が人間の命をとるとは思えない。(何か他のバチは当たったかも)

二つ目は「水を掛けられた」と言う箇所だ。辨財天は水の性質を持つ神でもあることを表している。辨財天が祀ってある寺や神社は、殆どは池の中にあることが多いのもこの為だろう。

調べている中で、辨財天に纏わる歌が出てきた。詠み人しらずのもので、こんな歌だ。

辨財天 秘呪の謎の 御言葉は 語るな見るな 秘して封じませ

続く~
2008-08-16

辨財天「なかきよの」⑤ 弁天の民話

~続き

「なかきよの魔法」を実行するにはルールがあると前回述べたが、その中の一つ、「実行したからには他人に話してはいけない」に因んだこんな昔話があった。辨財天に纏わる民話である。

昔、とあるお寺の修行僧がいた。この僧侶、ろくに修行もせず、毎日寺の弁天堂に入り浸っていた。弁天像に恋をしてしまったのだ。先輩達が何を言っても耳を貸さず、毎日の殆どを弁天堂で過ごしていた。そんなある日、この僧侶は不思議な夢を見た。辨財天が現れたのだ。

辨財天は
「いくら私に恋焦がれても、私は神、貴方は人間。決して結ばれることはありません。しかし、私のせいで、貴方は修行にも身が入らない様子。それは私にも責任があるし、気の毒というもの。故に貴方の願い事を一つだけ叶えてあげましょう。」

それを聞いた僧侶は、あろうことか「あなたと寝たい」と言った。辨財天はその願いを聞いた

夢の中で事が終わった時、辨財天は決して人には喋らないことと言い、僧侶も承諾した。しかし、朝目が覚めた時、僧侶は余りにも嬉しかったので、ついつい喋ってしまった。

何日かして再び夢に辨財天が現れた。辨財天は「約束を破りましたね」と言い、僧侶に水を掛けた。

夢から覚めた僧侶は、暫くして原因不明で亡くなってしまった。

と言うものだ。これは何を意味しているのか?

続く~
2008-08-15

辨財天「なかきよの」④ やり方

~続き

「なかきよの魔法」のやり方自体は江戸時代と何ら変わりはないが、調査結果も踏まえて新たに分かった事を追加するとこんな感じだ。(新たに判明した部分は青字)

①人徳、仏徳に秀でた僧侶を探す。
②その方に、「なかきよの」と宝船の絵を描いてもらう。それを掛軸に表装する。
一白水星戊子年の12月31日に枕の下に敷いて寝る。これを1日夜も続ける。
④「なかきよの魔法」を実行した人は、人に喋ってはならない。

具体的には・・・
①は、寺に生まれ、現在もお坊さんであること。また人に一目置かれていると言うこと。
②は、つまり、絵も書も同じ人(①該当)に書いてもらうと言うこと。
③は、60年周期のネズミ年をまたぐと言うこと。つまり、平成19年12月31日もしくは平成20年12月31日と言うこと。(旧暦でも良い)
④何故「なかきよの魔法」が現在では廃れてしまったのか。最大の理由がこれ。実行した人は決して他人に話してはいけない。(家族なら可、実行する前なら話しても可)

④についてこんな昔話がある。辨財天についてのものだ。

続く~


2008-08-13

辨財天「なかきよの」③ 60年に一度

~続き

「なかきよの魔法」は実行するにはスタート年が要である。まずは暦をみながら説明する。今年は60年周期である条件が重なる年なのだ。それは、

①恵方(歳徳神)が南南東に来る。
②南南東は丙(ひのえ)である。その横が巳(辨財天)である。
③真ん中に一白水星が来る。
④天道(福の神、宝船が通る道)が丑寅(鬼門)から七赤に抜ける。

これらを全て兼ね備えた状態は60年に一度しかこないことが分かった。上記①②について補足する。歳徳神は水に関係する厄除けの神である。また何故「巳」が辨財天かと言うと、巳と辨財天は昔から強い結びつきがある。

日本に残る辨財天に因んだ民話を読むと、人間にお告げをする場合、白い蛇の姿で現れる事が多い。また、古い辨財天の仏像を観ると、頭に宇賀神(身体が蛇、顔が老人)がとぐろを巻いて乗っかっている。
辨財天の主な御利益は金運、財運、厄除けだ。よく、蛇皮の財布を持ったり、蛇の抜け殻を財布に入れると金運が良くなるという風習があるが、これは弁天の御利益から来ている話だ。鎌倉にある銭洗い弁天は有名なのでご存知の方もいると思う。

次に③だが、歳徳神も辨財天も水の神だ。よく似た性質を持つ二柱の女神が両隣に並ぶ。そして真ん中に水の属性を持つ星が今年は来る。これは二柱の女神の力が最も強くなるという意味があるのだ。

続く~

※芸能の神という一面もある。

20年暦2
2008-08-10

辨財天「なかきよの」② 今年開始

~続き

「なかきよの魔法」には幾つか約束事がある。江戸(古くは室町)の人々が誤っていたのが、「スタートする年」だった。当時の風習は、ただ年度が変わる時に毎年行うというものだった。そもそもそれが間違いだったのだ。

「なかきよの魔法」を開始する年・・・。結論を先に言えば、易学で言う所の「一白水星戊子年」つまり、平成20年のネズミ年、今年のことだ。

では、何故今年なのだろうか?それは二柱の神々が関係している。一柱は辨財天、もう一柱は歳徳神だ。歳徳神については本年2月のブログで恵方巻きと一緒に紹介しているので、興味のある方はこちらを見てください。

文字だけでは難しいので、図を用いながら、次回で説明することにする。

2008-08-07

辨財天「なかきよの」① 事の発端 

~続き

事の発端は今から丁度60年前。父が3歳の時の話だ。戦争が終わったばかりの頃まだ貧しい時代だった。元々身体が弱かった父は産声を上げなかったという。医療も今ほど発達していなかった時代である。「この子は生きられるだろうか?」と両親(私から見れば祖父母)は心配していた。そんな時、父の祖父が、変わった事を言った。

「まずは、頑張って3歳まで育てなさい。そこまで育てれば戊子(つちのえね)年が来る。」

困惑する両親。訳を尋ねると、「その時が来たら教えてやる。」と言われたそうだ。

父の祖父は不思議な人だったらしい。今では誰も知らないような古い風習、地元の歴史などよく知っていたそうだ。

やがて3年後、弱いながらも何とか3歳まで育った父は不思議なおまじないを祖父から授かった。それが60年に一度だけ、実行せし者が福徳の宝船を受け取るという、辨財天「なかきよの魔法」、それだったのである。

続く~





2008-08-04

辨財天「なかきよの」話 

なかきよの とおのねふりの みなめざめ なみのりふねの おとのよきかな

という古歌がある。詠み人知らずのこの短歌は江戸時代の庶民の間では知らない人はいないという程有名な歌だった。

この短歌、不思議なことに回文になっている。上から読んでも下から読んでも同じ言葉なのだ。一般的には良い初夢を見る為に、この歌と宝船の絵を書いたものを、年末に枕の下に敷いて寝るというものがある。江戸時代では、年度末になるとこれを書いた掛軸ばっかり売る商人もいたと聞くから、それだけ需要があったのだ。

今でこそ「良い初夢を観るための風習」として僅かに残っているが、昔の日本人がこぞって求めたのには別の理由があった。それは七福神の紅一点、辨財天の御利益を頂こうというものだ。辨財天の御利益は現世利益、即ち金運財運と病気、怪我などの厄除けである。こんな有り難い御利益が頂けるという事で大流行したが、現代では殆ど忘れられてしまった。

理由は幾つか挙げられるが、迷信とか、やったけど御利益なんかないというものだったのだろう。しかし、これを実践した人でとんでもない御利益を貰った人がいたと言う。かの有名な徳川家康だ。家康がこれを実行して観た初夢が、「一富士 二鷹 三茄子」だそうだ。一体、家康と庶民では何が違ったのだろう

謎多き風習、「なかきよの魔法(と呼ぶことにする)」その真実の姿を,、ついに父が突き止めた。父の執筆では辨財天が重要なテーマの一つになっている。辨財天を調べる内、ひょんな事からこの「なかきよの」を調べる事になった。

次回から何回で終わるか分からないが「なかきよの魔法」をこのブログにて紹介することにする。

続く~


2008-08-04

伏見稲荷 無数の社

続き~
伏見稲荷の山の一部に、不思議な一帯がある。伏見稲荷の管轄外になっている場所で、誰が建てたか分からない社が集中的に固まっているのだ。これは一体何なのか現在調査中だが、足を踏み入れるとそのあまりのメチャクチャ振りに頭が痛くなってくる。

例えば、大きなカエルのオブジェがあったり、半分だけの石の鳥居があったり、慈母観音(子供を守る観音様)の石像なのに、どう見ても嫌がる子供を虐待しているようにしか見えなかったり、極めつけは神社の社名である。「山田太郎神社(名前は覚えてないが、人の名前だった)」と言った、人名がそのまま社名になっていたのだ。

きちんと調べるまで分からないが、ひょっとすると亡くなった人を神として祭るという習慣があるのかもしれない。そう考えると、訳の分からないオブジェもその方が好きなものだったという可能性も出てくる。考えれば考えるほど気になる所だった。

おしまい
2008-08-03

伏見稲荷 鳥居について

続き~
神社巡りを続ける内、鳥居は結界だと体感するようになった。不浄なものが神社に入れないという意味と中の神様も実は鳥居があることによって出にくいという意味がある。

伏見稲荷の風習として願掛けをした人が鳥居を奉納するというものがあるみたいだ。境内の中にも数店舗の小さな鳥居を売っている店があった。また、山の頂上まで無数の鳥居が建ち、その中を歩いていく訳だが、ついに頂上には辿りつけなかった。フラフラになってしまったのだ。

参道脇には沢山の社がある。どの社にも奉納した鳥居が沢山立てかけてあった。鳥居の性質を考えると、神様も大変だなと感じた。それを裏付ける(?)ような新聞記事がとある社前の掲示板に貼ってあった。

数年前、伏見稲荷のとある小さな社が全焼したという記事だ。それによれば、出火した原因はカラスだという。カラスは光るものを集める癖がある。カラスが火のついた蝋燭を銜え、それが元で燃えたというのだ。あちこちに「灯明は点けないで下さい」との看板があったのもそれが理由だった。

この記事、冷静に考えればありえないことだと思う。火の点いた蝋燭が飛行中、消えることなく運ばれたのだ。これは鳥居でガンガラガンに縛られてしまった神様が、鳥居を撤去しようとしてカラスに運ばせたんじゃないかと思う。しかし、思うようにいかず誤って社殿を燃やしてしまったのでは・・・。
そんな気がした。
2008-08-02

伏見稲荷

前回、稲荷の話が出たので今回は京都にある伏見稲荷について紹介したい。稲荷の鳥居といえば「赤色」を連想するが、全国的に赤色が広まったのはこの伏見稲荷の影響大きいと思う。

鳥居は無論のこと、立派な本殿も綺麗な朱赤一色で塗られている。この神社の特徴は、数え切れない程の鳥居があること。山一つまるまる境内となっているが、祀ってある神々(伏見稲荷の管轄外の社がめちゃくちゃある)が多いということだ。

まずは鳥居について触れたいと思う。

続く~

プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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