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2017-12-19

◆切支丹の子守歌 その③

もうこのブログで紹介することはないと思っていましたが、切支丹の童歌について追記したいと思います。

記憶というのは不思議なもので、何かの切っ掛けで思い出すことがあります。

普段は忘れていても、脳の何処かには刻まれているのかもしれませんね。

父の記憶から新たに蘇ったのが以下の歌。

以前紹介したブログの「三 フランシスコ・ザビエル 船上の祈り」と対になる歌です。



◆ザビエル船上の祈り対歌 サタンの大波

四、ザビエル船上の祈り(対)

 どとうさかまくふねのうえ
 このはのよふにゆれうごく
 ふうらんしすこのいのりのこえが
 なみにけされてざんざぶざ
 なみにけされてざんぶざざ
 これぞさたんののろいのなみぞ
 ざんぶざんぶざざんぶざんざぶ
 はらいそはらいそざんぶざんざぶ
 かさねておおなみいのりにかぶさり
 さんたざんざぶまりあざんざぶ
 さんたまりあ
 さしものおおなみ
 どこぞにきえたか
 ざびえるいのりのだいしょうり
 はらいそはらいそさんたまりあ
 さんたまりあ

  〈漢字変換〉

 怒涛逆巻く海の上
 木の葉のように揺れ動く
 フランシスコの祈りの声が
 波に消されて ざんぶざざ
 此れぞサタンの呪いの波ぞ
 ざんぶ ざんざぶ
 ざんぶ ざんざぶ
 ハライソ ハライソ
 ざんぶざ ざんぶざ
 重ねて大波 祈りに被さり
 サンタざんぶざ マリアざんぶざ
 指し物大波 
 何処ぞに消えたか
 ザビエル祈りの大勝利
 ハライソ ハライソ サンタマリア
 サンタマリア
 ハライソ ハライソ サンタマリア
 サンタマリア
 

対になることで、より凄みが出ました。

この童歌もそうですが、歴史には忘れられたものも沢山ありますね。



蟹
鉄製蟹 江戸期 伝切支丹祭礼用

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2017-12-05

◆切支丹の子守歌 その②

祖父が歌っていた子守歌で、父が思い出したのが以下の6編です。




一、 雪のサンタマリアの歌

 みかづきかがやく くものうえ
 おさなごかかえし せいぼしの
 とおときおすがた あおぎみる
 ふたりのせいにん なをとえば
 われは いぐなすろよらなり
 かたや ざびえるふらんしすこ
 はらいそはらいそさんたまりあ
 さんたまりあ
 はらいそはらいそさんたまりあ
 さんたまりあ

 〈漢字変換〉

 三日月輝く 雲の上
 幼子抱えし 聖母子の
 尊き御姿 仰ぎ見る
 二人の聖人 名を問えば
 我はイグナス・ロヨラなり
 かたや ザビエル・フランシスコ
 ハライソ ハライソ サンタマリア
 サンタマリア
 ハライソ ハライソ サンタマリア 
 サンタマリア




二、ザビエルのクルス 海底に落とす歌

 みくににかえる ふねのうえ
 ふらんしすこざびえるの
 みてをするりと ぬけたいま
 くるすは うみのそこにあり
 はらいそはらいそさんたまありあ
 さんたまりあ
 はらいそはらいそさんたまりあ
 さんたまりあ

  〈漢字変換〉

 御国に帰る船の上
 フランシスコ・ザビエルの
 御手をするりと抜けた今
 クルスは海の底にあり
 ハライソ ハライソ サンタマリア
 サンタマリア
 ハライソ ハライソ サンタマリア
 サンタマリア



 三、フランシスコ・ザビエル船上の祈り
 
 どとうさかまくふねのうえ
 このはのように ゆれうごく
 ふらんしすこの いのりのこえが
 はらいそはらいそさんたまりあ
 さんたまりあ
 はらいそはらいそさんたまりあ
 さんたまりあ

  〈漢字変換〉

 怒涛逆巻く船の上
 木の葉のように揺れ動く
 フランシスコの祈りの声が
 ハライソ ハライソ サンタマリア
 サンタマリア
 ハライソ ハライソ サンタマリア
 サンタマリア



四、ザビエルと蟹の歌

 いかなことかと ぎょうてんすれども
 こおれぞざびえるななふしぎ
 くるすをかざすは かにのたいぐん
 ふねにのぼりて ざわざわと
 ざびえるよろこび くるすをうけとり
 めにはなあみだ ひたおちる
 はらいそはらいそさんたまりあ
 さんたまりあ
 はらいそはらいそさんたまりあ
 さんたまりあ

  〈漢字変換〉

 如何なことかと仰天すれども 
 此れぞ ザビエル七不思議
 久留須を翳すは 蟹の大群
 船に登りて ざわざわと
 ザビエル喜び 久留須を受け取り
 目には涙ひた落ちる
 ハライソ ハライソ サンタマリア 
 サンタマリア
 ハライソ ハライソ サンタマリア
 サンタマリア



五、踊るサロメの歌

 おっそろしや おそろしや
 おどるさろめの おぞましさ
 よはねのくびをこのぼんに
 のせろとへろでにものもうす
 ゆるしてたもれとなみだして
 はらいそはらいそさんたまりあ
 さんたまりあ
 はらいそはらいそさんたまりあ
 さんたまりあ

 〈漢字変換〉

 恐ろしや 恐ろしや
 踊るサロメのおぞましさ
 ヨハネの首を此の盆に
 乗せろとヘロデに物申す
 許してたもれと涙して
 ハライソ ハライソ サンタマリア
 サンタマリア
 ハライソ ハライソ サンタマリア
 サンタマリア



六、ヨハネパブテスマの歌

 ごうとながれるよるだんがわの
 よはねのせんれいぱぶてすま
 みくにはきたらんときはいまぞよ
 よはねのこえがそこかしこ
 はらいそはらいそさんたまりあ
 さんたまりあ
 はらいそはらいそさんたまりあ
 さんたまりあ

  〈漢字変換〉

 轟と流れる ヨルダン河の
 ヨハネの洗礼 パブテスマ
 御国は来たらん 時は今ぞよ
 ヨハネの声が 其処彼処
 ハライソ ハライソ サンタマリア
 サンタマリア
 ハライソ ハライソ サンタマリア
 サンタマリア



以後、延々と五十篇ほどありました。尚、ハライソは天国と聞いております。


おしまい。


聖書
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2017-12-04

◆切支丹の子守歌 その①

今回は私の父(昭和二十年生)が幼少の頃、祖父から聞いた子守歌の話です。


平成29年11月24日の某新聞記事で読んだ、河村市長発信の「ご当地ソングつくろまい」から、父の忘れていた過去の記憶が蘇った。


私の先祖は豊臣方の侍であり、古田織部の友であった。そして隠れ切支丹でもあった。


当家には古田織部も切支丹であったという伝承がある。


今からご紹介する子守歌は、祖父が若き頃、はっきりとは分からないが、名古屋市中区のとある教会(集会所?)にて教えてもらったとのことであった。


我が家は浄土真宗だが、祖父はカトリックの洗礼名をもっていた。


何故と聞いても教えてはもらえなかった。


何処の教会か、誰に聞いたのかは祖父が亡くなった今では知ることも出来ない。


父の話では祖父が通っていた教会には先祖に隠れ切支丹がいた方々が何人かおり、その方達に聞いたと言う。


かなり長い歌で、五十ほどあったが、現在では断片的なことしか分かっていない。


歌詞を読むに旧約・新約聖書に沿った内容のようだ。。


祖父は戦中戦後を生き抜いた人で、アメリカ嫌いであった。


故にアメリカの映画は絶対に観ようとしなかったが、「十戒」と「ベンハー」だけは父と観に行ったと聞いた。


河村市長が提案する「新たなご当地ソングを作る」とは全然違う内容だ。


しかし、あの記事を父が読んだことで思い出せたことは、何かの縁だと思ったのでこのブログに書くことにした。


こんな誰も知らない隠れ切支丹の子守歌が、もし名古屋の歴史に一つ加われば、どんな形にせよ残れば良いなと思う。


また忘れられた名古屋切支丹の供養の為になれば幸いです。



                                 


※今回は父の書いた原稿に基づき紹介します。



マリア観音

マリア観音 江戸時代
2012-07-14

一番はじめは… 「追記」しようと思ったら…。

随分前にこのブログで童歌の「一番始めは・・・」について紹介した。
※前回部分はこちらまで

その記事を読んで下さった方から本年の6/1にコメントを頂いた。
それが切っ掛けとなり、2007年にアップした自身のブログ記事を読んでいたら、
ふつふつと好奇心が湧いて来た。

自分なりに佐倉惣五郎と童歌についての疑問が幾つか出て来たのだ。

そこで佐倉惣五郎について、主に殺された後どうなったかを調べてみた。
すると千葉県に彼を祀る寺があることを知った。

その場所は宗吾霊堂である。

また全国に佐倉惣五郎を祀る神社があることも判明した。
ブログを書くにあたり、これは実際に現地に赴き、聴き、観て、感じる事が必要になってきた。
ネットの情報では不十分なのである。

いつになるか分からないが、

・佐倉惣五郎を祀ったと云う将門山の神社
・宗吾霊堂

この二つは行ってみたくなった。

それを踏まえて何故あの童歌が出来たのかを考えてみたい。

いつか続く…

2007-11-21

義民伝

いつだったか、所属している経営者の勉強会で、皆で芝居を見に行ったことがあった。内容は江戸時代にいたとされる義民「佐倉惣五郎」だ。

時は江戸初期、下総(千葉県)佐倉藩、領内で名主を務めていた男の話だ。
当時、あまりの重税に耐えかね何とかしようと奔走するものの結局どうにもならない。藩主に会うことも出来ない。このままでは村人が飢えてしまう。そこで意を決した惣五郎は村の代表として幕府に直訴する。
芝居の最後は、必死に止めようとする家族を振り切り、雪の中を走り去るという感動的な場面で幕を閉じた

その後、惣五郎がどうなったかを調べてみた。惣五郎の命懸けの直訴は幕府に受け入れられたが、幕府からお咎めを受けた藩主「堀田正信」の怒りを買い、惣五郎夫婦は磔に…。残った子供4人は打ち首となってしまった

堀田正信はその後乱心し、それが切っ掛けとなって堀田家は滅びたという。それが人々に広まり「惣五郎の祟りだ」と噂された。

そして惣五郎一家は将門山(これはきっと何かある)にお堂が建てられ祀られることとなった。人が神となったのだ。どうやらこのお堂、滅びた堀田氏の子孫が建てたらしい。祟りをなす存在だった惣五郎一家の霊も丁重に祀られる事により、その怒りは収まり今度はご利益に変わっていった。

この話、日本の神社の代表的なパターンの一つです。

プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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