2011-01-29
貧乏になるおまじない
1月も残り僅かとなり、節分が近づいてきた。
節分は2月3日で、旧暦で言えば元旦にあたる。
「なかきよの行法」に御縁のあった方は2月2日、3日、4日も
行って下さい。(詳しくはカテゴリー「なかきよの」まで)
さて、節分と言えば、恵方巻きや豆撒きを連想する方が多いと思うが、
今回は、豆まき、その時の掛け声について考えてみる。
(今日の恵方巻きの誤りについてはカテゴリー「恵方巻き」まで)
節分の豆撒きの掛け声は、皆さんご存知の
「鬼は外~! 福は内~!」
であるが、結論から先に述べると、これは間違いなく貧乏になるおまじないである。
節分の豆撒きの掛け声、正解を先に述べれば、
「鬼は内~! 福も内~!」である。
鬼の存在を理解し、重点を置いていると観られる寺院を挙げれば、
もみじが知る限りでは、名古屋の笠寺観音、同じく大須観音、
そして岡山県の最上稲荷等がある。
これらの寺院では「鬼は外~」は言わないのである。
大須観音では、先日新聞で知ったが、「鬼追の儀」という儀式があるそうだが、
これ、鬼を追い払うのではなく、『福の神が鬼を捕まえる』が真の解釈であるように思う。
福の神は鬼を捕まえる必要があるのだ。
神社を学んで行くと、まずは神様を知ることになるが、
その先を更に進むと、必ず「鬼とは何ぞや?」に行きつく。
もみじも、いつの間にか鬼に興味を持ち、それなりに調べるようになったが、
調べれば調べる程、実は鬼は福の神と同じく、有難い存在なのではと思えてきた。
この話の要点は実は過去記事を紐解いていくと、あちこちに書かれている。
ただ、まだまだ調べきれていないので、鬼については何時か再開します。
節分は2月3日で、旧暦で言えば元旦にあたる。
「なかきよの行法」に御縁のあった方は2月2日、3日、4日も
行って下さい。(詳しくはカテゴリー「なかきよの」まで)
さて、節分と言えば、恵方巻きや豆撒きを連想する方が多いと思うが、
今回は、豆まき、その時の掛け声について考えてみる。
(今日の恵方巻きの誤りについてはカテゴリー「恵方巻き」まで)
節分の豆撒きの掛け声は、皆さんご存知の
「鬼は外~! 福は内~!」
であるが、結論から先に述べると、これは間違いなく貧乏になるおまじないである。
節分の豆撒きの掛け声、正解を先に述べれば、
「鬼は内~! 福も内~!」である。
鬼の存在を理解し、重点を置いていると観られる寺院を挙げれば、
もみじが知る限りでは、名古屋の笠寺観音、同じく大須観音、
そして岡山県の最上稲荷等がある。
これらの寺院では「鬼は外~」は言わないのである。
大須観音では、先日新聞で知ったが、「鬼追の儀」という儀式があるそうだが、
これ、鬼を追い払うのではなく、『福の神が鬼を捕まえる』が真の解釈であるように思う。
福の神は鬼を捕まえる必要があるのだ。
神社を学んで行くと、まずは神様を知ることになるが、
その先を更に進むと、必ず「鬼とは何ぞや?」に行きつく。
もみじも、いつの間にか鬼に興味を持ち、それなりに調べるようになったが、
調べれば調べる程、実は鬼は福の神と同じく、有難い存在なのではと思えてきた。
この話の要点は実は過去記事を紐解いていくと、あちこちに書かれている。
ただ、まだまだ調べきれていないので、鬼については何時か再開します。
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2008-09-20
ゲゲゲの鬼太郎 「なかきよの」番外編②
今年の夏、劇場で公開された映画に、「ゲゲゲの鬼太郎」がある。7月だったか、公開前にテレビで特番をやっていた。夜、仕事が終わってから何気にテレビをつけてたら放送していたので、特に注意することなくボッーと見ていたら、「あれっ?」と思う歌が聞こえてきた。
「かごめかごめ」の童歌だったのだ。ゲゲゲの鬼太郎、サブタイトルが「千年呪い歌」という。この映画は未見だが、特番の説明によると、千年前に「かごめかごめ」によって封じ込められた濡れ女という妖怪が、現代に復活。それを鬼太郎達が何とかするという内容らしい。
原作者の水木しげるさんが何処まで知っているのか分からないが、「かごめかごめ」が封じの歌という箇所と、水の性質を持つ辨財天に対して、濡れ女なる水っぽい妖怪の登場。なかきよの年に「かごめかごめ」が世間で映画によって取り上げられている。偶然にしては・・・と思った。
「かごめかごめ」の童歌だったのだ。ゲゲゲの鬼太郎、サブタイトルが「千年呪い歌」という。この映画は未見だが、特番の説明によると、千年前に「かごめかごめ」によって封じ込められた濡れ女という妖怪が、現代に復活。それを鬼太郎達が何とかするという内容らしい。
原作者の水木しげるさんが何処まで知っているのか分からないが、「かごめかごめ」が封じの歌という箇所と、水の性質を持つ辨財天に対して、濡れ女なる水っぽい妖怪の登場。なかきよの年に「かごめかごめ」が世間で映画によって取り上げられている。偶然にしては・・・と思った。
2008-09-19
天河神社 「なかきよの」番外偏①
今年が辨財天の御利益を頂けるという「なかきよの魔法」の年だということを理解し、その目線で世の出来事を見ると「おっ」と思うことがある。
日本には、たくさんの辨財天を祭る寺や神社があるが、歴史や有名さで挙げると、奈良県にある「天河弁財天社」が筆頭にあがるだろう。
役行者や空海も修行に訪れたという、1300年の歴史がある由緒ある神社だ。ここの辨財天像は秘仏になっている。ご開帳は60年周期(やはりこの数字)だ。前回は27年前にご開帳だったので、次回は33年後のはずだった。
しかし、この日本で一番有名な辨財天社が、頑なに守ってきた60年周期の約束を急遽覆し、なかきよの年に緊急開帳となった。7月に1週間だけである。
神社側の説明によれば、世の中に悲惨な出来事が多くなってきたので、天河辨財天の神威の甦りを請い、一人でも多くの人々に辨財天の御利益を授けたいというような趣旨だった。
昨年暮れに一度参拝に行ったが、ご開帳のことは一言もうたっていなかった。他にも気になることがあった。
日本には、たくさんの辨財天を祭る寺や神社があるが、歴史や有名さで挙げると、奈良県にある「天河弁財天社」が筆頭にあがるだろう。
役行者や空海も修行に訪れたという、1300年の歴史がある由緒ある神社だ。ここの辨財天像は秘仏になっている。ご開帳は60年周期(やはりこの数字)だ。前回は27年前にご開帳だったので、次回は33年後のはずだった。
しかし、この日本で一番有名な辨財天社が、頑なに守ってきた60年周期の約束を急遽覆し、なかきよの年に緊急開帳となった。7月に1週間だけである。
神社側の説明によれば、世の中に悲惨な出来事が多くなってきたので、天河辨財天の神威の甦りを請い、一人でも多くの人々に辨財天の御利益を授けたいというような趣旨だった。
昨年暮れに一度参拝に行ったが、ご開帳のことは一言もうたっていなかった。他にも気になることがあった。
2008-09-18
辨財天「なかきよの」最終回 ご縁
~続き
古くは室町時代には知られていて、江戸時代には知らない人はいないほど有名だった「なかきよの魔法」。当時の人々が知りたくても知りえなかった真の姿を紹介しました。
果たして信じるか信じないかは受け取る人のお任せすることになるが、知り、なおかつそれを作って販売している側の人間としては、とにかく一人でも多くの方に紹介しようと決めました。
60年(またいつか述べるが正確にはもう少し続く)に一度の「なかきよの魔法」興味のある方はぜひ試してみてください。
おしまい。
【おまけ】
ここからは宣伝です。条件にあった「なかきよの」掛軸。様々なことがあってついに完成しました。内容、表装どちらも素晴らしい縁起物の掛軸です。当店で販売しております。
古くは室町時代には知られていて、江戸時代には知らない人はいないほど有名だった「なかきよの魔法」。当時の人々が知りたくても知りえなかった真の姿を紹介しました。
果たして信じるか信じないかは受け取る人のお任せすることになるが、知り、なおかつそれを作って販売している側の人間としては、とにかく一人でも多くの方に紹介しようと決めました。
60年(またいつか述べるが正確にはもう少し続く)に一度の「なかきよの魔法」興味のある方はぜひ試してみてください。
おしまい。
【おまけ】
ここからは宣伝です。条件にあった「なかきよの」掛軸。様々なことがあってついに完成しました。内容、表装どちらも素晴らしい縁起物の掛軸です。当店で販売しております。
2008-09-17
辨財天「なかきよの」⑮ 不思議な光、そして掛軸完成
~続き
現像した写真には連続して不思議な光が写っていた。時刻は夕刻。太陽は西に沈みかけている。にも関わらず、島のすぐ横に垂直にオレンジ色の強い光が舞い降りていた。よく見てみると、水面に強い光が映っている。またその光が金色の蛇のようになって水面を進んでいた。
水面の波が光が当たった所から、円く波がおこっている。また、垂直の光の中心に人影らしきものがぼんやりと写っていた。空中に誰か(おそらく女性)いるのだ。手には剣らしきものを携えているようにも見える。
今日、辨財天の仏像を観るに、最も馴染み深い姿は、女性が琵琶をもっているものだ。しかし、古い像、特に天台宗や真言宗で祭られる辨財天は甲冑を着たり、手に剣を持っているものがある。
あの時、私は写真を撮る父の横で、同じ景色を眺めていた。しかし肉眼ではこんな光は見えなかった。しかし写真にはしっかりと写っている。(父には写るのが判っていたようだった)
不思議な写真が写ってから数日後、断れまくり、半ば諦めていた「なかきよの軸」、書いてくれる条件のあった方があっさり見つかった。それが京都のD寺の住職だった。
続く~

現像した写真には連続して不思議な光が写っていた。時刻は夕刻。太陽は西に沈みかけている。にも関わらず、島のすぐ横に垂直にオレンジ色の強い光が舞い降りていた。よく見てみると、水面に強い光が映っている。またその光が金色の蛇のようになって水面を進んでいた。
水面の波が光が当たった所から、円く波がおこっている。また、垂直の光の中心に人影らしきものがぼんやりと写っていた。空中に誰か(おそらく女性)いるのだ。手には剣らしきものを携えているようにも見える。
今日、辨財天の仏像を観るに、最も馴染み深い姿は、女性が琵琶をもっているものだ。しかし、古い像、特に天台宗や真言宗で祭られる辨財天は甲冑を着たり、手に剣を持っているものがある。
あの時、私は写真を撮る父の横で、同じ景色を眺めていた。しかし肉眼ではこんな光は見えなかった。しかし写真にはしっかりと写っている。(父には写るのが判っていたようだった)
不思議な写真が写ってから数日後、断れまくり、半ば諦めていた「なかきよの軸」、書いてくれる条件のあった方があっさり見つかった。それが京都のD寺の住職だった。
続く~

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