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2022-10-11

◆霊符とは 第8回 五岳真形図の使い方

好評販売中の紅葉屋オリジナル掛軸「五岳真形図」。過去ブログでも霊符や五岳真形図について紹介してあります。

※霊符についての過去ブログはこちらまで

作品として家で掛けて楽しんでも良いですし、茶掛として表装してありますので茶会などでも使えます。


この掛軸は霊符を題材にしています。霊符とは道教であり、神仙思想であります。
 

例えば、大徳寺に代表されるような、仏教を題材にした言葉の掛軸をお抹茶では用いますが、これなら神仙思想をお抹茶の方に取り入れることも出来るのでは?と思います。


部屋で飾って楽しむ、お茶会に使う。


そういった使い方で楽しむのが基本ですが、ちょっと変わった使い方もあります。これは人を選びますので、やらなくても良いです。


それはこの掛軸の前に坐り、イメージをするというものです。


これは家にあった道教の本には載っていないことですが、五岳真形図の前で、山と湖と龍を瞑想するのです。


これ、実は父から教えてもらったやり方で、きちっとイメージが固まると五岳真形図掛軸から御神気が出てくるというものです。家の中がクリーンになるとのことでした。変なモノもいなくなると・・・。


父は生涯、観世音菩薩と稲荷神を信仰していました。このやり方は稲荷神から教えてもらったとのことです。


五岳真形図をお求めの方で、この方法を詳しく知りたいという方は、具体的なやり方を伝授致します。


追記

五岳真形図は特に何かを信仰するとかはありません。神道でも仏教でもないです。掛けておくだけでも意味があるそうです。

龍


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2022-09-18

◆霊符とは 第7回 五岳真形図  

今回のブログは、久しぶりに「霊符について」の続きとなります。

※霊符についての過去ブログはこちらを参照してください。

紅葉屋呉服店で販売中でもあります、五岳真形図掛軸について調べてみたいと思います。

霊符の元祖的なものの一つが「五岳真形図」です。五岳と言うように霊山と云われる五つの山が画かれています。


仙人が住む理想郷として、絶景の名山は紀元を遥に遡る昔から、国家鎮護の目的と共に、一般民衆の日常的な祈願をかける地として、中国全土に広く信仰されていました。数ある名山の中でも特に信仰されてきたのが五岳でした。東岳泰山(たいざん)、南岳衡山(こうざん)、西岳華山(かざん)、中岳嵩山(すうざん)、北岳恒山(こうざん)の五つの山です。


五つの山にはそれぞれ神々が鎮座するとされました。東岳「泰山」は人間の身分の高下の選別や生死の時期を司る神、東岳大帝がおり、南岳「衡山」には星と龍魚など水中生物を、西岳「崋山」は金銀銅などの金属と鳥類を、北岳「恒山」は河川と虎や蛇などの動物を、中岳「嵩山」は沢や谷と山林樹木を司る神が鎮座するとされています。


日本でも各地にある名山は、古くから信仰の対象にされていました。富士山や御岳山などなどです。山の麓や頂上には高確率で神社やお寺があったりします。


中国もしかりで、とりわけ五岳は信仰の対象となっていました。その五つの山を神の目線で観て表した図が、五岳真形図です。


それぞれの山の霊図には御利益があります。


◆東岳泰山(とうがくたいざん)真形図

この図を帯びる人は無病にして長命である。願望は春になって万物が発生するように、一切が成就する。世の中で名を上げようとする人は、常にこの真形図を祈念すると良いと云われる。


◆南岳衡山(なんがくこうざん)真形図

この図を帯びる人には百魔、鬼神も恐れて近寄る事はない。また人々の運命に様々な悪作用をなす星の祟災(すいさい)を退け、雷、台風、大雨などの災害を受ける事もないと云われる。


◆西岳崋山(せいがくかざん)真形図

この図を帯びる人には、自ら金銀財宝が集まり、富貴の家となり、栄華の春を楽しむことが出来、喜びごとが次から次へと起こると云われる。


◆中岳嵩山(ちゅうがくすうざん)真形図

この図を帯びる人は、地神の祟りによって難病を病んで苦しんだり、種々の災難が起きたりするようなことはない。この真形図を念ずれば、人から可愛がられて運気が強くなると云う。崑崙山が中岳という話もあります。


◆北岳恒山(ほくがくこうざん)真形図

この図を帯びる人は、海や河を渡って災いなく、龍神がこの人を守護して、海中、水中にすむいかなる悪獣、悪魚もこの人を害することはないと云われる。

五岳真形図は、百邪を退け、百福を増し、無病息災、寿命長久、子孫繁栄をもたらすと云われます。霊符の場合、その図形や文字事態に何かしらの力が込められている、力がそれから発せられているというように考えられています。次回はこの掛軸の使い方について少し触れたいと思います。


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参考文献 学研 道教の本


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2022-07-19

◆霊符とは 第6回 文字について  

「霊符とは第2回 生まれた背景」にて、霊符はその起源を辿ると、元来、古神仙が天地自然の数象を写し取ったものであり、神々が人に授けたものであると云われ、霊符には神々の力が宿っていると信じられ、様々な現世利益が得られると分かりました。


そんな現世利益を全面に出した霊符の種類は多岐に亘ります。


財運招来、開運招福、厄災消除、健康長命、家内安泰、恋愛成就、破魔破邪等々です。霊符の図案は奇妙なものも多々あります。文字とも図形ともつかないものまで色々です。
 
 
これは神憑りや憑霊状態で書かれたものもあるようです。そもそもですが、道教の考え方ですと文字の紀元は天上界にあるとされています。


宋の時代の張君房の著、「霊笈七籤」によるとこうあります。


まず天上に「三元五徳八会之気(さんげんごとくはちかいのき)」と呼ばれる自然の気が発生しました。三元五徳八会之気とは、天・地・人の三元、と五行(木・火・土・金・水)が合わさった八会之気という意味です。


この自然の気が凝結して「飛天の書」という文字が生まれ、、更にそこから「八龍雲篆(はちりゅううんてん)」という文字が生まれました。


これらの天上の気が発して生まれた文字は「天書」と呼ばれます。この「天書」を模写することによって、地上の書「地書」がつくられました。「地書」の最初の文字は「八龍雲篆」を模した「龍鳳之文(りゅうほうのぶん)」といわれています。


黄帝の時代には「古体」が、秦時代には「小篆(しょうてん)」、「隷書(れいしょ)」などが発明されましたが、道教の考え方ですと、そもそもの文字の紀元は天上界にあったということになります。


現代において、私達が使ってい漢字も、元を辿ると(道教思想において)、根源の気が凝結して出来た天上の文字と繋がっているので、用い方次第では霊的な力をもつと考えられているようです。


日本の言霊思想に似ているなと思いました。言霊は音ですが、それを目に見える形にしたものが文字なので、文字と言葉は同じような力があると考えても良さそうです。


酷い言葉を発すると、そのような運命に導かれる。悪いことを思い、それを言葉にするとそのようなことが起こる。誰しもそのようなことは聞いたことがあると思います。私は、そういうことはあり得ると思っています。


文字の力もそうでしょう。悪い方に働くと人の命を奪うこともあります。有名人で、誹謗中傷の文字を書き連ねられ、自殺に追い込まれたというケースもあったりします。


そう考えると、古代の霊符の奇妙なデザインも、言霊や文字と同じく、それそのものに不思議な力があると考えられたのでしょう。


参考文献 霊符全書 大宮司朗著 学研


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2022-06-29

◆霊符とは? 第5回 神農と蚩尤

前回で神農のことが出て参りました。黄帝の御先祖にあたる薬の神様です。「農」という文字があるように農業の神でもあります。


今回のブログ趣旨は霊符についてのものですが、調べている内に神農と蚩尤について興味が出てきたので、少し脱線します。


黄帝の御先祖にあたるのが神農です。手元の資料によれば古代中国の最も有名な皇帝の一人で漢方薬の祖とあります。


実際にいた人なのか?それとも神様なのか?死んでから神となったのかは分かりません。日本の神社でも実際にいた人が死後神となった例もありますし、古事記に出てくる神々は、本当は実在した人間では?と思うこともあります。


さてこの神農、その姿は人身牛頭で姓を姜(きょう)と云います。生後三日目に言葉を話し、5日目に歩き、7日目には歯が生えるなど異常な速さで成長し、成人した時には3メートルに及びました。


神農は太一皇人(たいいつこうじん)なる人物が医学の大家であることを聞き、教えを請いに出かけましたが、本人不在の為会うことは出来ませんでした。しかし、太一皇人の弟子から天元玉冊という書物を授かります。


その思想に感銘を受けた神農は、各地に人を派遣し草木を集めさせ、自分の身体を実験台としてその汁を舐めました。多い時は一日で70種類もの毒草をなめ、その効能を調べました。


その中には強烈な毒草もあり、100回毒草に当たるも、100の薬草をみつけて生き返ったとの話もありました。そんな地道な命懸けの努力の結果、神農は365種類の薬を考案しました。


神農は自分の研究成果を本に纏めました。それが「神農本草」です。残念ながらこの本は現存していませんが、後に道教の大家、陶弘景(とうこうけい)がそれを基に「神農本草経」を完成させました。明の時代になると「本草綱目(ほんぞうこうもく)」が編纂され、漢方薬が確立しました。


神農は日本でも薬を生業とする人たちの間では信仰されているようで、日本で最初の神農に纏わる記録としては、寛永15年(1638)、幕府が江戸の牛込に御薬園(農事試験場)開設した際、園内に神農を祀る御堂を建てたというものがありました。


また、神農は降雨を自在に操ることが出来た雨師でもあったそうです。


神農について調べてみましたが、気になった個所が出てきました。


①神農の姿は蚩尤(しゆう)と同じ、人身牛頭である。

②蚩尤は天候を操るが、神農もまた雨を自在に降らす。




なにかもう神農と蚩尤は同族のような気がしてきました。蚩尤を調べますと81人の兄弟がいるとか、神農の子孫という話も出てきました。そうなると同じ神農の子孫である黄帝とは同族対決ということになります。


日本における道教は、陰陽道に形を変えて残りました。その陰陽道では、恐るべき祟り神の王ともいえる牛頭天王様が出てきます。八坂神社や津島神社にかつて主祀神として祀られていた神様です。牛頭天王様は密教に出会ったことで薬師如来と習合されましたが、祟り神時代はあらゆる病の王でもありました。
  
 
※牛頭天王様については過去ブログ参照 

 
その牛頭天王様も顔が牛なのです。人身牛頭の姿の、病を治す薬の王である神農とは真逆の存在です。陰陽道のルーツを辿ると道教に行き着くとするならば、神農と同じ姿の荒ぶる神であった蚩尤が、ひょっとすると牛頭天王様と関係あるやもしれません。もしくは同じ兄弟が81人いたということなので、その中の誰かかも・・・。本当のところは分かりませんが、大変興味深い神話です。

ミノタウロス
画像はミノタウロス


参考文献 学研     道教の本
       新紀元社  日本の神々 多彩な民族神たち  戸部民夫 著


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2022-06-24

◆霊符とは?第4回 黄帝(こうてい)

霊符とは? 第二回で、黄帝という人物が出てきました。中国の伝説的な皇帝です。今回は黄帝についてもう少し掘り下げたいと思います。


黄帝は神農(しんのう)の後裔です。神農とは道教に登場する薬の神様です。炎帝とも呼ばれます。今日でも東洋医学で御世話になっている人も多いであろう漢方薬の神様と言っても良いでしょう。黄帝はその神農から数えて8代目の子孫にあたります。 


第二回でも述べましたが、黄帝は蚩尤(しゆう)という怪物と戦い勝利した英雄でもあります。しかし黄帝は蚩尤に簡単に勝てた訳ではありません。


強大な力をもっていた黄帝ですが、開戦直後は蚩尤に全く歯が立たず敗走しました。蚩尤は風雨や濃霧を自由に操ったということなので、どれだけ軍事力があったとしても人間では敵う訳がなかったのです。


その様子を見ていた天の神が蚩尤を打ち破るために黄帝に授けたのが、霊宝五符真文などのいくつかの武器でした。この天の神が西王母(せいおうぼ)と云われています。


黄帝は天の神から授かった武器を手に蚩尤との決戦に挑みます。蚩尤は凄まじい暴風雨で攻め立てますが、黄帝は旱(ひでり)の神を呼び寄せ風雨を蹴散らし、ついに蚩尤を倒しました。


その後、黄帝は戦乱が起こるたび、蚩尤を画いた絵を持ち出し戦いに臨みました。


敵はその絵を見ると戦意を失くし、降参しました。黄帝は晩年、多くの仙人と会い、神仙修道の法を学び、最後は天から降りて来た龍の背に跨り昇天したと云われています。


天候を自在に操る蚩尤、もはやそれは日本的に言うなれば荒ぶる神と言えます。しかし、黄帝にも神様が味方しました。蚩尤との戦いでは「旱の神を呼び寄せ」とあるので、これは西王母から授かった武器の中に神を呼び出す武器・道具(霊符)があったのでしょう。


神様が応援したくなる、せざるをえないような立派な人が黄帝ということです。どこの国でも神様はちゃんと人を観ているということですね。



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参考文献 学研 道教の本

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プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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