2021-11-30
◆安珍と清姫
和歌山県の道成寺本堂の裏にある秘仏、北面十一面観音像が御開帳とのことでお参りに行きました。

道成寺には大きな千手観音像が三体ありますが、常時拝観できるのは二体だけです。現在本堂で祀られている奈良時代の木造千手観音像は修復された姿ですが、修復される前は今回開帳された北向千手観音像の内部から発見されました。
2016年のブログに道成寺参拝に行った時の感想がありましたが、結構長めに書いてましたね。同じことを書いても仕方ないので、再訪して前回は気付かなかったことを少々述べたいと思います。
道成寺と言えば、多くの古仏も魅力ですがやはり「安珍と清姫」の昔話が有名です。
お寺のHPより引用しますと「寺の創建から230年経った、延長6年の物語。参拝の途中、一夜の宿を求めた僧・安珍に清姫が懸想し、恋の炎を燃やし、裏切られたと知るや大蛇となって安珍を追い、最後には道成寺の鐘の中に逃げた安珍を焼き殺す」というお話です。
過去ブログに纏めてあるのでご興味のある方は読んでみてください。
今回の参拝でふと思ったこと気づいたことは以下です。
①道成寺に逃げ込んだ安珍は焼き殺される訳ですが、鐘撞堂に火をつけるにはそれなりの準備がいるはず。清姫が準備をしている時、寺の僧侶は誰も止めなかった?
②安珍の塚と清姫の塚(蛇塚)が現在も残っているが、どちらも綺麗。非常に気をつかっているのが分かる。
③未だに鐘は再建されていない。

というものです。①ですが、絵解きによれば、安珍が逃げ込んだ道成寺で出迎えた僧侶たちは長刀をもっていたそうです。屈強な僧侶というイメージです。しかし、清姫が放火の準備、それなりに時間が掛かったと思いますが、その間何もしなかったということです。
絵解きの話を頭の中で想像しますと、騙した安珍を恨み、60キロの長距離を徒歩で追いかけるという事は、草履はズタボロでしょう。途中川も泳ぎぎったのでずぶ濡れで着物も乱れていたと思われます。そこだけで相当怖いです。
隠れていた安珍を突き止める様子は、道成寺のお坊さんも恐怖したと思います。

(2016年に撮影 今なら撮らない)
②の安珍塚も清姫の塚もとても綺麗でした。安珍塚の方は近付けないよう、触れないよう石で結界が設けてあります。流石に供養され大慈悲の千手観音の結界の中にありますので気持ち悪い感じはしませんが、やはり悪戯した人に何かあっても困るからか、中には入れないように、触れないようになっています。塚の回りの木もそんな感じがしました。
③そして鐘楼です。未だに再建されていません。

(2016年に撮影)
二代目の鐘は豊臣秀吉の命により没収されました。それから随分時間が過ぎましたが未だに再建されません。お寺の規模を見るにとても立派です。しかし、鐘楼だけは無いままです。
これは金銭的な理由と言うより、鐘を作ることで安珍や清姫が怒るのかも?と思っているのかも知れません。
安珍の塚も、清姫の塚もどちらもお寺にとっては重要な塚なので今でも大切にされているようです。これが寺ではなく神社の中に同様の物があった場合、感じ方は全然違うと思います。
※紅葉屋はこちらまで

道成寺には大きな千手観音像が三体ありますが、常時拝観できるのは二体だけです。現在本堂で祀られている奈良時代の木造千手観音像は修復された姿ですが、修復される前は今回開帳された北向千手観音像の内部から発見されました。
2016年のブログに道成寺参拝に行った時の感想がありましたが、結構長めに書いてましたね。同じことを書いても仕方ないので、再訪して前回は気付かなかったことを少々述べたいと思います。
道成寺と言えば、多くの古仏も魅力ですがやはり「安珍と清姫」の昔話が有名です。
お寺のHPより引用しますと「寺の創建から230年経った、延長6年の物語。参拝の途中、一夜の宿を求めた僧・安珍に清姫が懸想し、恋の炎を燃やし、裏切られたと知るや大蛇となって安珍を追い、最後には道成寺の鐘の中に逃げた安珍を焼き殺す」というお話です。
過去ブログに纏めてあるのでご興味のある方は読んでみてください。
今回の参拝でふと思ったこと気づいたことは以下です。
①道成寺に逃げ込んだ安珍は焼き殺される訳ですが、鐘撞堂に火をつけるにはそれなりの準備がいるはず。清姫が準備をしている時、寺の僧侶は誰も止めなかった?
②安珍の塚と清姫の塚(蛇塚)が現在も残っているが、どちらも綺麗。非常に気をつかっているのが分かる。
③未だに鐘は再建されていない。

というものです。①ですが、絵解きによれば、安珍が逃げ込んだ道成寺で出迎えた僧侶たちは長刀をもっていたそうです。屈強な僧侶というイメージです。しかし、清姫が放火の準備、それなりに時間が掛かったと思いますが、その間何もしなかったということです。
絵解きの話を頭の中で想像しますと、騙した安珍を恨み、60キロの長距離を徒歩で追いかけるという事は、草履はズタボロでしょう。途中川も泳ぎぎったのでずぶ濡れで着物も乱れていたと思われます。そこだけで相当怖いです。
隠れていた安珍を突き止める様子は、道成寺のお坊さんも恐怖したと思います。

(2016年に撮影 今なら撮らない)
②の安珍塚も清姫の塚もとても綺麗でした。安珍塚の方は近付けないよう、触れないよう石で結界が設けてあります。流石に供養され大慈悲の千手観音の結界の中にありますので気持ち悪い感じはしませんが、やはり悪戯した人に何かあっても困るからか、中には入れないように、触れないようになっています。塚の回りの木もそんな感じがしました。
③そして鐘楼です。未だに再建されていません。

(2016年に撮影)
二代目の鐘は豊臣秀吉の命により没収されました。それから随分時間が過ぎましたが未だに再建されません。お寺の規模を見るにとても立派です。しかし、鐘楼だけは無いままです。
これは金銭的な理由と言うより、鐘を作ることで安珍や清姫が怒るのかも?と思っているのかも知れません。
安珍の塚も、清姫の塚もどちらもお寺にとっては重要な塚なので今でも大切にされているようです。これが寺ではなく神社の中に同様の物があった場合、感じ方は全然違うと思います。
※紅葉屋はこちらまで
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2015-06-24
◆「道成寺 其の四」
お寺で聞いた「安珍と清姫の話(以下「物語」とする)」と、購入した道成寺の図録に掲載されていた話を元に、前回簡単なあらすじを紹介してみた。
物語には「火」と「水」、そして蹈鞴を思わせる鉄の話も出て来るので、
平安時代よりも、もっと古い話も取り込まれているのかと思っていた。
その路線も捨て難いが、実際に安珍と清姫のお墓が現在もあることや、現場で感じたことも踏まえると、やはり修行僧が女性に焼き殺されたという悲惨な事件はあったのだと思う。
怒りが頂点に達した清姫は大蛇の姿になってしまう。人が蛇に変身する訳はないが、物語で言うところの「蛇」とは仏教で言う所の「三毒」と呼ばれるもののことだ。
三毒とは人間の成長を妨げる原因、苦しみを生む要因で、それは三つあると考えられている。現代風に分かり易く言えば、三毒とはこのようなものだ。
・自己中心的な怒り
・度を越えた欲望・執着
・誤ったことを正しいと思い込むこと。無知。
仏教ではこの三毒を表現する時、蛇体の姿であると考えられている。
清姫は三毒に囚われてしまい、大蛇の姿になってしまったと表現されたのだと思う。
今残されている話を聞くに「特に安珍が悪い訳ではないのに殺されて気の毒だ」と思ってしまうが、
よく読んで考えて見ると、安珍も大概酷い対応をとっているのが分かる。
物語の後半部分、死んでしまった二人がやがて和尚の夢に二匹の蛇の姿で現れるという描写を見ても、
安珍を焼き殺してしまった清姫と殺された安珍の罪が同じであるという解釈だと分かる。
安珍の行動に着目し、気になった点をあげて見た。
①また伺いますと約束したのに、約束を破って来なかった。
②怒り苦しむ清姫に対し、謝罪の言葉も無い。
③後を追って来た清姫に「人違いです」と素知らぬふりをする。
④安珍は清姫から逃れるため、金剛童子の力を借りる。
金剛童子とは修験者を守護する神さまだが、この神さまの力を引きだすということは相当安珍も修行したと思われる。
なのに人を救うことにその力を使うのではなく、自分が清姫から逃れたいがために使う。
⑤先に舟で川を渡った安珍。船頭に金を渡し、清姫を渡すなと策略を巡らす。
一つ一つ拾っていくと、事の発端は安珍が約束を破ったことであり、その後も謝罪の一言もなく、
清姫に対し何の説明もなくひたすら逃げている。
安珍の対応次第では、清姫も殺人を犯すことは無かったのではと思えるのだ。
また、清姫の怒りの大きさや、和歌を交換するという背景も深読みして考えると、二人は一線を越えた間柄になったのではとも思える。
人を導く側の職業にある安珍が、結果人を破滅に導いてしまった。それは人を殺してしまった清姫と同罪と言えると、物語を残した人達は考えたのであろう。

清姫の墓は蛇塚として残されていたが、現在の道成寺の境内には無い。安珍の墓と離れた住宅地にぽつんとあった。
その背後には神社の森が見えた。

この神社にはお参りに行かなかったが、後で調べたら八幡社だと分かった。位置的に見て蛇塚を後ろから見ている格好になる。
この配置にも意味が有ると思う。清姫をこの場所に葬らねばならない理由があったのだろう。
亡くなった当初からこの位置だとすると、あえて二人の間を離して葬ったということだ。人を恨んで焼き殺してしまった清姫に恐れを抱いていたのだろう。
しかし、現在、清姫の塚に姿勢を低くしてお参りしたが、怖いとかきついとかという感じは全く無かった。これは、物語の最後、千手観音の慈悲の力と法華経の力により確りと供養されたからだ。
今では安珍と二人で、道成寺の守護神となっている。
最後に道成寺にて販売していた色紙を紹介する。

「西方極楽(阿弥陀如来の世界。極楽浄土のこと)」ではなく「妻寶極楽」である。
良き妻を娶ることは極楽ですよということですが、良き妻になるには旦那の協力もなくてはならないと
道成寺にお参りに行って良く分かりました。
おしまい。
物語には「火」と「水」、そして蹈鞴を思わせる鉄の話も出て来るので、
平安時代よりも、もっと古い話も取り込まれているのかと思っていた。
その路線も捨て難いが、実際に安珍と清姫のお墓が現在もあることや、現場で感じたことも踏まえると、やはり修行僧が女性に焼き殺されたという悲惨な事件はあったのだと思う。
怒りが頂点に達した清姫は大蛇の姿になってしまう。人が蛇に変身する訳はないが、物語で言うところの「蛇」とは仏教で言う所の「三毒」と呼ばれるもののことだ。
三毒とは人間の成長を妨げる原因、苦しみを生む要因で、それは三つあると考えられている。現代風に分かり易く言えば、三毒とはこのようなものだ。
・自己中心的な怒り
・度を越えた欲望・執着
・誤ったことを正しいと思い込むこと。無知。
仏教ではこの三毒を表現する時、蛇体の姿であると考えられている。
清姫は三毒に囚われてしまい、大蛇の姿になってしまったと表現されたのだと思う。
今残されている話を聞くに「特に安珍が悪い訳ではないのに殺されて気の毒だ」と思ってしまうが、
よく読んで考えて見ると、安珍も大概酷い対応をとっているのが分かる。
物語の後半部分、死んでしまった二人がやがて和尚の夢に二匹の蛇の姿で現れるという描写を見ても、
安珍を焼き殺してしまった清姫と殺された安珍の罪が同じであるという解釈だと分かる。
安珍の行動に着目し、気になった点をあげて見た。
①また伺いますと約束したのに、約束を破って来なかった。
②怒り苦しむ清姫に対し、謝罪の言葉も無い。
③後を追って来た清姫に「人違いです」と素知らぬふりをする。
④安珍は清姫から逃れるため、金剛童子の力を借りる。
金剛童子とは修験者を守護する神さまだが、この神さまの力を引きだすということは相当安珍も修行したと思われる。
なのに人を救うことにその力を使うのではなく、自分が清姫から逃れたいがために使う。
⑤先に舟で川を渡った安珍。船頭に金を渡し、清姫を渡すなと策略を巡らす。
一つ一つ拾っていくと、事の発端は安珍が約束を破ったことであり、その後も謝罪の一言もなく、
清姫に対し何の説明もなくひたすら逃げている。
安珍の対応次第では、清姫も殺人を犯すことは無かったのではと思えるのだ。
また、清姫の怒りの大きさや、和歌を交換するという背景も深読みして考えると、二人は一線を越えた間柄になったのではとも思える。
人を導く側の職業にある安珍が、結果人を破滅に導いてしまった。それは人を殺してしまった清姫と同罪と言えると、物語を残した人達は考えたのであろう。

清姫の墓は蛇塚として残されていたが、現在の道成寺の境内には無い。安珍の墓と離れた住宅地にぽつんとあった。
その背後には神社の森が見えた。

この神社にはお参りに行かなかったが、後で調べたら八幡社だと分かった。位置的に見て蛇塚を後ろから見ている格好になる。
この配置にも意味が有ると思う。清姫をこの場所に葬らねばならない理由があったのだろう。
亡くなった当初からこの位置だとすると、あえて二人の間を離して葬ったということだ。人を恨んで焼き殺してしまった清姫に恐れを抱いていたのだろう。
しかし、現在、清姫の塚に姿勢を低くしてお参りしたが、怖いとかきついとかという感じは全く無かった。これは、物語の最後、千手観音の慈悲の力と法華経の力により確りと供養されたからだ。
今では安珍と二人で、道成寺の守護神となっている。
最後に道成寺にて販売していた色紙を紹介する。

「西方極楽(阿弥陀如来の世界。極楽浄土のこと)」ではなく「妻寶極楽」である。
良き妻を娶ることは極楽ですよということですが、良き妻になるには旦那の協力もなくてはならないと
道成寺にお参りに行って良く分かりました。
おしまい。
2015-06-03
◆「道成寺 其の参」
道成寺はその歴史、仏像、建物、どれを見ても魅力的だが、やはりこれを外してはならないものが「安珍と清姫」の伝説だろう。
能や歌舞伎で何度も舞台化している有名な昔話だ。道成寺では宝物館でこの物語の絵解きをしている。
昔は、お寺で絵解き(絵巻物を拡げながら解説すること)をすることは珍しくないことだったが、今では道成寺位しかやってないそうだ。
この「安珍と清姫」の昔話、今風に言えば女性からのストーカー被害に遭い、命を落としてしまった男の話である。
お寺のホームページにも分かり易く紹介してあるが、簡単に順序立てて紹介してみよう。
1 延長6年(928年)、紀伊国、真砂という所に清次の庄司という庄屋さんがいた。
ある時、そこへ旅の修行僧、安珍を泊めることになった。
2 庄屋の娘、清姫は安珍を好きになってしまう。「ゆっくりして行って下さい」と滞在を促す清姫。
修行中の身と断っていた安珍、清姫の説得に折れ、熊野詣の帰りにまた寄りますと約束。
二人は和歌を交す。
3 安珍が旅立って、約束の日が来たが安珍は戻らない。
4 心配になって旅人に安珍のことを聞くと、もうとっくに行ってしまったとのこと。ブチ切れる清姫。
5 乱れる衣服も気にせず60キロも追う清姫。すれ違う人達もその姿に恐れおののく。
6 清姫の追跡は切目五体王子という神社で、ついに安珍を捉える。
7 何故帰りに寄らないのかと問う清姫に、「人違いです
」と火
に油を注ぐ安珍。清姫更にブチ切れる。
8 恐れをなした安珍。金剛童子に助けを求める。
金剛童子の名号を唱えると、清姫、目が眩み動けなくなる。その隙に逃げる安珍。
清姫の怒りは頂点に達し
、あまりの怒り故、その姿が変化し始める。
9 安珍は日高川に出ると、そこから舟で向う岸へ。清姫も船頭に船を出せと言うも、船頭は断る。
どうも安珍からお金をもらっているらしい。清姫、服を脱ぐと川へ。やがて大蛇の姿
に。
10 川を渡り、道成寺へと逃げ込む安珍。道成寺の僧侶達、「鐘の中に隠れよ」と安珍を隠す。
そこへやって来た大蛇の清姫。境内を捜索し、ついに鐘の下に隠れていることを突き止める。
11 鐘を三巻半、蛇体を巻きつける清姫。鐘ごと安珍を燃やしてしまう。
あわれ安珍は焼死。我に返った清姫も絶望し、海に飛び込んで死んでしまう。
12 安珍を葬って、幾晩か経ったある日、道成寺の和尚の夢に、二匹の蛇が現れる。
蛇道に堕ちて苦しんでいるとのこと。和尚は法華経を写経し、安珍と清姫を
千手観音の御宝前で盛大に供養することに。
13 供養を行った翌晩、またもや和尚は不思議な夢を見る。
今度は二人の天人が現れ、立派に成仏出来たと伝える。
と云うものです。
道成寺に纏わる「安珍清姫物語」は昔から知ってはいたが、創作だと思っていた。
しかし、寺に訪れたことで判明したが、安珍と清姫の墓が何と残っていたのである。

境内にあった「安珍塚」は安珍を葬り、安珍が隠れた鐘も埋めたとされる場所。
そして怒りのあまり大蛇と化した清姫が燃やしたと云われる鐘楼 跡も残っていた。


初代の鐘は清姫が燃やし埋められた。
南北朝時代に造られた二代目の鐘は、豊臣秀吉が戦利品として没収していったらしい。
現在もその鐘は京都に残っていると云う。
そう、有名な道成寺の鐘は道成寺に無いのである。
それにしても安珍と清姫の物語は考え出すと面白い。次回はもう少し突っ込んで考えてみます。
続く~
能や歌舞伎で何度も舞台化している有名な昔話だ。道成寺では宝物館でこの物語の絵解きをしている。
昔は、お寺で絵解き(絵巻物を拡げながら解説すること)をすることは珍しくないことだったが、今では道成寺位しかやってないそうだ。
この「安珍と清姫」の昔話、今風に言えば女性からのストーカー被害に遭い、命を落としてしまった男の話である。
お寺のホームページにも分かり易く紹介してあるが、簡単に順序立てて紹介してみよう。
1 延長6年(928年)、紀伊国、真砂という所に清次の庄司という庄屋さんがいた。
ある時、そこへ旅の修行僧、安珍を泊めることになった。
2 庄屋の娘、清姫は安珍を好きになってしまう。「ゆっくりして行って下さい」と滞在を促す清姫。
修行中の身と断っていた安珍、清姫の説得に折れ、熊野詣の帰りにまた寄りますと約束。
二人は和歌を交す。
3 安珍が旅立って、約束の日が来たが安珍は戻らない。
4 心配になって旅人に安珍のことを聞くと、もうとっくに行ってしまったとのこと。ブチ切れる清姫。
5 乱れる衣服も気にせず60キロも追う清姫。すれ違う人達もその姿に恐れおののく。
6 清姫の追跡は切目五体王子という神社で、ついに安珍を捉える。
7 何故帰りに寄らないのかと問う清姫に、「人違いです


8 恐れをなした安珍。金剛童子に助けを求める。
金剛童子の名号を唱えると、清姫、目が眩み動けなくなる。その隙に逃げる安珍。
清姫の怒りは頂点に達し

9 安珍は日高川に出ると、そこから舟で向う岸へ。清姫も船頭に船を出せと言うも、船頭は断る。
どうも安珍からお金をもらっているらしい。清姫、服を脱ぐと川へ。やがて大蛇の姿

10 川を渡り、道成寺へと逃げ込む安珍。道成寺の僧侶達、「鐘の中に隠れよ」と安珍を隠す。
そこへやって来た大蛇の清姫。境内を捜索し、ついに鐘の下に隠れていることを突き止める。
11 鐘を三巻半、蛇体を巻きつける清姫。鐘ごと安珍を燃やしてしまう。
あわれ安珍は焼死。我に返った清姫も絶望し、海に飛び込んで死んでしまう。
12 安珍を葬って、幾晩か経ったある日、道成寺の和尚の夢に、二匹の蛇が現れる。
蛇道に堕ちて苦しんでいるとのこと。和尚は法華経を写経し、安珍と清姫を
千手観音の御宝前で盛大に供養することに。
13 供養を行った翌晩、またもや和尚は不思議な夢を見る。
今度は二人の天人が現れ、立派に成仏出来たと伝える。
と云うものです。
道成寺に纏わる「安珍清姫物語」は昔から知ってはいたが、創作だと思っていた。
しかし、寺に訪れたことで判明したが、安珍と清姫の墓が何と残っていたのである。

境内にあった「安珍塚」は安珍を葬り、安珍が隠れた鐘も埋めたとされる場所。
そして怒りのあまり大蛇と化した清姫が燃やしたと云われる鐘楼 跡も残っていた。


初代の鐘は清姫が燃やし埋められた。
南北朝時代に造られた二代目の鐘は、豊臣秀吉が戦利品として没収していったらしい。
現在もその鐘は京都に残っていると云う。
そう、有名な道成寺の鐘は道成寺に無いのである。
それにしても安珍と清姫の物語は考え出すと面白い。次回はもう少し突っ込んで考えてみます。
続く~
2015-05-14
◆「道成寺 其の弐」
道成寺の境内を散策していたら、見た事の無い変わった造りの御堂があった。

建物の下の部分が目を引いた。

かなり入り組んだ造り方だと思った。
この建物は不動明王を本尊とする護摩堂であることから、護摩壇をイメージしているのだろうか?
境内を一巡したので、宝物館に向かった。
道成寺には古仏が多く残されている。
宝物館の中に祀られているそれらの古仏はどれも素晴らしいものであったが、
国宝に指定されている千手観音三尊像は素晴らしかった。
平安初期立像の千手観音だ。

(画像はHPより)
よくも現代まで1000年以上も残ったものだ。
この像が造られてから現代に至って様々なことがあったのだろう。
どれだけ多くの人達が手を合わせたのか。
どれだけ多くの人達が祈りを捧げたのか。
仏像を美術品としてだけで見ていては観えないこともある。
菩薩や如来や天部の神々が、実際に存在すると信じて観るのでは違うと思う。
悩み苦しみを抱えた人達の祈りを、目の前の千手観音菩薩はどう向き合ってくれていたのだろうか・・・。
千手観音はその沢山ある手には、幾つもの持物がある。
それを一つ一つ見ていると、珍しいものが目についた。
今迄見た千手観音の持仏では無かったように思う。
それは板の様なものに掘られた厳しいお顔であった。

(画像は図録より)
髑髏を持っているのは良く見かけるが、どうもそれとは違う。
この千手観音像は他の手に髑髏もあるからだ。
髑髏の意味は鬼神を操るということらしい。であるならあの厳しいお顔は何なのか?
このお顔を見た時の直観は「荒神さま」ではないかと思った。
そうだとするなら、また別の考え方も出て来る。
ともかく素晴らしい仏像なので、一度お参りされると良いと思います。
◆「道成寺 其の参」へ続く~

建物の下の部分が目を引いた。

かなり入り組んだ造り方だと思った。
この建物は不動明王を本尊とする護摩堂であることから、護摩壇をイメージしているのだろうか?
境内を一巡したので、宝物館に向かった。
道成寺には古仏が多く残されている。
宝物館の中に祀られているそれらの古仏はどれも素晴らしいものであったが、
国宝に指定されている千手観音三尊像は素晴らしかった。
平安初期立像の千手観音だ。

(画像はHPより)
よくも現代まで1000年以上も残ったものだ。
この像が造られてから現代に至って様々なことがあったのだろう。
どれだけ多くの人達が手を合わせたのか。
どれだけ多くの人達が祈りを捧げたのか。
仏像を美術品としてだけで見ていては観えないこともある。
菩薩や如来や天部の神々が、実際に存在すると信じて観るのでは違うと思う。
悩み苦しみを抱えた人達の祈りを、目の前の千手観音菩薩はどう向き合ってくれていたのだろうか・・・。
千手観音はその沢山ある手には、幾つもの持物がある。
それを一つ一つ見ていると、珍しいものが目についた。
今迄見た千手観音の持仏では無かったように思う。
それは板の様なものに掘られた厳しいお顔であった。

(画像は図録より)
髑髏を持っているのは良く見かけるが、どうもそれとは違う。
この千手観音像は他の手に髑髏もあるからだ。
髑髏の意味は鬼神を操るということらしい。であるならあの厳しいお顔は何なのか?
このお顔を見た時の直観は「荒神さま」ではないかと思った。
そうだとするなら、また別の考え方も出て来る。
ともかく素晴らしい仏像なので、一度お参りされると良いと思います。
◆「道成寺 其の参」へ続く~
2015-05-08
◆「道成寺 其の壱」
和歌山県で最も古い寺と言われる「道成寺」にお参りに出かけた。
国宝と重要文化財の千手観音を祀る天台宗の古刹である。

お寺に来て、最初に目に飛び込んで来る山門を見ると、わくわくする。
道成寺も立派な山門が迎えてくれた。
道成寺には七不思議と呼ばれるものがある。
その中の一つがこの山門の画像に因んだものだ。

確かに逆八の字というのは珍しいかも知れない。
階段を登りきると本堂が見えた。

建物は約650年前の堂々たる本堂だった。重要文化財に指定されている。
本堂の中には、同じく重要文化財指定の奈良時代の千手観音が祀られていた。
細身の千手観音像だった。像高さは2.4メートルとのこと。
この本堂の北側(本尊の真裏)にはもう一体の千手観音像が祀られている。
こちらは秘仏で、次回の御開帳は2038年とのこと。

現在拝観出来る奈良時代の本尊は修復された姿である。元々はバラバラの状態であった。
そのバラバラ状態の千手観音は、この秘仏の千手観音の像内から発見されたと言う。
お寺で購入した図録によれば、修復された千手観音は霊木で彫られた可能性があるとあった。
なるほどである。
本堂向かって右側に、三重塔がある。

こちらは県指定の重要文化財。この三重塔、道成寺の七不思議の一つでもある。

御神木で建てられた塔の、1.2階の垂木と3階の垂木の形が違うと言うのだ。
目を凝らして見てみると確かに形が違っていた。

こちらが2階部分。赤丸で囲った場所を見るとこちらは四角い。
次に3階部分に目を移す。

確かに形が違う。3階部分の方がカッコイイ。
この三重塔、お寺のHPによれば(そんな事実はないとのことだが)、不思議な民話が残っている。
それはこんな民話だ。
三重塔を再建していた棟梁さんが、二階まで組み上げて、下に降りて休憩していたそうです。
すると、一人の巡礼が通りかかり、話しかけました。
「棟梁や、扇垂木って知ってるか?もっと美しい塔にできる方法があるぞ」
棟梁は、巡礼の言う通りに三階を扇垂木にしてみると、見映えが一層良くなりました。
「ああ、一階も二階も扇垂木こうしとけば良かった。わしも素人に教わるようでは…」
と後悔して、完成後に、三階から鋭いノミを口にくわえて飛び降り自殺をしてしまいました
・・・と云うものだ。
この話、すごく良く似た話が、愛知県の岡崎市にある天台宗の古刹、「滝山寺」にも残っている。
滝山寺の場合は三重塔では無く寺の山門で、こちらも垂木の向きを老婆に指摘され、
恥じた大工がノミを咥えて門から飛び降り自害したと云うものだ。 ※詳しくはこちらまで
滝山寺の亡くなった大工は名前も残り、塚も残っていることから信憑性が高い。
滝山寺の山門は約750年前に建立、道成寺の三重塔は約250年前に建立・・・。
時代は全然違うが、双方の建物に纏わる話は似ている。
愛知県岡崎市から遠く離れた道成寺で、似たような話があるのが不思議だ。
棟梁がノミを咥えて自殺するというのはショッキングな話なので、旅人と共に伝わって行ったのだろうか?
境内には神社もあった。

何を祀っているか覗いてみたら御祭神の名前が記されていた。全部で三柱の神々だ。
向かって右から「天神さま」「弁財天」「住吉大明神」だった。
珍しい並びである。初めてお目に掛かったかもしれない。
弁財天の真言を唱えながら合掌する。
ふと横に目をやればかなり風化した狛犬と目があった。

対であるべき狛犬が、一体しかない。
相方は壊れてしまったのだろうか?
永い年月をじっと座って守って来た狛犬だ。もし狛犬の言葉が聴けるとしたら、狛犬は何と言う言葉を発するだろうか?
表面が剥がれボロボロになっているのを見るに、直してもらえるといいなと思った。
◆「道成寺 其の弐」へ続く~
国宝と重要文化財の千手観音を祀る天台宗の古刹である。

お寺に来て、最初に目に飛び込んで来る山門を見ると、わくわくする。
道成寺も立派な山門が迎えてくれた。
道成寺には七不思議と呼ばれるものがある。
その中の一つがこの山門の画像に因んだものだ。

確かに逆八の字というのは珍しいかも知れない。
階段を登りきると本堂が見えた。

建物は約650年前の堂々たる本堂だった。重要文化財に指定されている。
本堂の中には、同じく重要文化財指定の奈良時代の千手観音が祀られていた。
細身の千手観音像だった。像高さは2.4メートルとのこと。
この本堂の北側(本尊の真裏)にはもう一体の千手観音像が祀られている。
こちらは秘仏で、次回の御開帳は2038年とのこと。

現在拝観出来る奈良時代の本尊は修復された姿である。元々はバラバラの状態であった。
そのバラバラ状態の千手観音は、この秘仏の千手観音の像内から発見されたと言う。
お寺で購入した図録によれば、修復された千手観音は霊木で彫られた可能性があるとあった。
なるほどである。
本堂向かって右側に、三重塔がある。

こちらは県指定の重要文化財。この三重塔、道成寺の七不思議の一つでもある。

御神木で建てられた塔の、1.2階の垂木と3階の垂木の形が違うと言うのだ。
目を凝らして見てみると確かに形が違っていた。

こちらが2階部分。赤丸で囲った場所を見るとこちらは四角い。
次に3階部分に目を移す。

確かに形が違う。3階部分の方がカッコイイ。
この三重塔、お寺のHPによれば(そんな事実はないとのことだが)、不思議な民話が残っている。
それはこんな民話だ。
三重塔を再建していた棟梁さんが、二階まで組み上げて、下に降りて休憩していたそうです。
すると、一人の巡礼が通りかかり、話しかけました。
「棟梁や、扇垂木って知ってるか?もっと美しい塔にできる方法があるぞ」
棟梁は、巡礼の言う通りに三階を扇垂木にしてみると、見映えが一層良くなりました。
「ああ、一階も二階も扇垂木こうしとけば良かった。わしも素人に教わるようでは…」
と後悔して、完成後に、三階から鋭いノミを口にくわえて飛び降り自殺をしてしまいました
・・・と云うものだ。
この話、すごく良く似た話が、愛知県の岡崎市にある天台宗の古刹、「滝山寺」にも残っている。
滝山寺の場合は三重塔では無く寺の山門で、こちらも垂木の向きを老婆に指摘され、
恥じた大工がノミを咥えて門から飛び降り自害したと云うものだ。 ※詳しくはこちらまで
滝山寺の亡くなった大工は名前も残り、塚も残っていることから信憑性が高い。
滝山寺の山門は約750年前に建立、道成寺の三重塔は約250年前に建立・・・。
時代は全然違うが、双方の建物に纏わる話は似ている。
愛知県岡崎市から遠く離れた道成寺で、似たような話があるのが不思議だ。
棟梁がノミを咥えて自殺するというのはショッキングな話なので、旅人と共に伝わって行ったのだろうか?
境内には神社もあった。

何を祀っているか覗いてみたら御祭神の名前が記されていた。全部で三柱の神々だ。
向かって右から「天神さま」「弁財天」「住吉大明神」だった。
珍しい並びである。初めてお目に掛かったかもしれない。
弁財天の真言を唱えながら合掌する。
ふと横に目をやればかなり風化した狛犬と目があった。

対であるべき狛犬が、一体しかない。
相方は壊れてしまったのだろうか?
永い年月をじっと座って守って来た狛犬だ。もし狛犬の言葉が聴けるとしたら、狛犬は何と言う言葉を発するだろうか?
表面が剥がれボロボロになっているのを見るに、直してもらえるといいなと思った。
◆「道成寺 其の弐」へ続く~
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