2022-12-20
◆運の良し悪し
家に神仏をお祀りしていたり、個人的に信仰心をもつよう努めているお陰か、過去を振り返るに「無事に過ごせてきた」という事はあるように思えます。信心をもつことは人生においてどちらでも良いことではありますが、もっていて良かったということはありました。
いくつかそんな有難いと思える出来事はありましたが、その中かから一つ紹介したいと思います。実話です。
今から20年近く前、信号交差点で停車していた時の話です。

図を見ながら説明します。図は簡略化して4車線にしていますが、実際は片側5車線の広い道路です。私は赤い車の位置にいました。赤信号でしたので停車していました。信号待ちです。
この日、助手席に父を乗せ、お客様の御宅へ伺う途中でした。家を出てから5分くらいの距離の信号交差点での出来事でした。信号待ちをしていた私は、本当に何となくでしたが、(あっ、右折レーンに入らなきゃ)と思い、右折レーンに入りました。

私のすぐ後ろには中型のトラック(図では黄色)がいて、私が一台もいない右折レーンに移った時、私がいた位置にトラックは前進しました。
なんとなく右折レーンに移った私は、ふと我に返り「あれ?、何で右折レーンに移ったんだ?お客さんちに行くにはまだまだ真っすぐ進まないといけないのに・・・何してんだ、俺・・・」と呟いていました。助手席の父も「何を?」という感じでした。
その時です。後ろの方から「ドカン!」と大きな音がいきなりしました。「うわっ!」と声が出ました。何事かと後ろを見たら、トラックに車が突っ込んでいました。こんな感じです。

ブレーキの音が全くなかったので、それなりのスピードを維持したままトラックに突っ込んだようです。その証拠にあまりの衝撃にトラックが1メートルくらい前に突き出ました。よく見れば、ぶつけた方のドライバーの手には携帯電話が握られており、車の前の部分がトラックのバンパー下にめり込んでいました。
私が車の右レーンに移動して、数秒後の出来事です。
もし移動していなかったら、追突されたトラックと、前に停車していた車の板挟みになっていたことでしょう。大けがこそしなかったでしょうが、むち打ちにはなっていたと思います。車も廃車だったかもしれません。目の前で起こった交通事故、しかも一歩間違えば自分も巻き込まれていた・・・。ぞっとしました。
事故当時から現在に至るまで変わりませんが、これは観音様かお稲荷さんに助けられたなと思います。
神仏を信仰していても特に何もない、お金も儲からなければ病気にもなる、そういう意見もあるでしょうが、私はご利益は存在すると信じています。実際、沢山頂いていますから。
ただ、御利益というのは何も目に見える形のものだけでもないです。何も無いけどとにかく無事に生きて来れたというのも、私は凄いご利益だと思います。
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いくつかそんな有難いと思える出来事はありましたが、その中かから一つ紹介したいと思います。実話です。
今から20年近く前、信号交差点で停車していた時の話です。

図を見ながら説明します。図は簡略化して4車線にしていますが、実際は片側5車線の広い道路です。私は赤い車の位置にいました。赤信号でしたので停車していました。信号待ちです。
この日、助手席に父を乗せ、お客様の御宅へ伺う途中でした。家を出てから5分くらいの距離の信号交差点での出来事でした。信号待ちをしていた私は、本当に何となくでしたが、(あっ、右折レーンに入らなきゃ)と思い、右折レーンに入りました。

私のすぐ後ろには中型のトラック(図では黄色)がいて、私が一台もいない右折レーンに移った時、私がいた位置にトラックは前進しました。
なんとなく右折レーンに移った私は、ふと我に返り「あれ?、何で右折レーンに移ったんだ?お客さんちに行くにはまだまだ真っすぐ進まないといけないのに・・・何してんだ、俺・・・」と呟いていました。助手席の父も「何を?」という感じでした。
その時です。後ろの方から「ドカン!」と大きな音がいきなりしました。「うわっ!」と声が出ました。何事かと後ろを見たら、トラックに車が突っ込んでいました。こんな感じです。

ブレーキの音が全くなかったので、それなりのスピードを維持したままトラックに突っ込んだようです。その証拠にあまりの衝撃にトラックが1メートルくらい前に突き出ました。よく見れば、ぶつけた方のドライバーの手には携帯電話が握られており、車の前の部分がトラックのバンパー下にめり込んでいました。
私が車の右レーンに移動して、数秒後の出来事です。
もし移動していなかったら、追突されたトラックと、前に停車していた車の板挟みになっていたことでしょう。大けがこそしなかったでしょうが、むち打ちにはなっていたと思います。車も廃車だったかもしれません。目の前で起こった交通事故、しかも一歩間違えば自分も巻き込まれていた・・・。ぞっとしました。
事故当時から現在に至るまで変わりませんが、これは観音様かお稲荷さんに助けられたなと思います。
神仏を信仰していても特に何もない、お金も儲からなければ病気にもなる、そういう意見もあるでしょうが、私はご利益は存在すると信じています。実際、沢山頂いていますから。
ただ、御利益というのは何も目に見える形のものだけでもないです。何も無いけどとにかく無事に生きて来れたというのも、私は凄いご利益だと思います。
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2022-08-20
◆天神様の雰囲気
父が亡くなる1か月くらい前、本人に呼び出され、自分が生きている間に出来なかったことを引き継いでやってくれと、いくつか頼まれごとを受けました。
現在進行中ですが、その中に我が家でお祭りしている天神像の背後に、金屏風(新品)を設置すること、天蓋を吊るすこと、亡失した手首を復元することがあります。
この内、残すところは手首の復元ですが、これは最後になりそうです。
天蓋とは仏像を祀る時の荘厳具です。天神像は仏像ではなく神像です。そもそもですが、神像に天蓋はつけません。しかし言われた通りにやりましたが、違和感は全然なくかなり立派になりました。
それから数カ月、お参りしている時に何か物足りなくなり、「御鈴がいるぞ」と購入してきました。
そして今朝、日課のお参りでお経をあげていたところ、ふと天神様の顔を見ると随分穏やかになってきたなと思いました。
根拠は無いですが、我が家の天神様は神道の天神より、仏教式の神仏習合時代の「天満大自在天」として祀られる方が性に合っているのでは?と思えます。
神像は神社に祀られる神様の姿を木に彫ったものです。神道では元々寺のように形のある本尊はなかったので、神像は仏像にならって造られました。
仏教の仏像と違い、神道の神像は基本公開はないです。博物館などの展示会に出ることはあっても、神社で本殿の扉を開けて公開するということはないです。(極僅かだが御開帳される神像はある)
これは神は畏れ多い存在なので、その姿は見てはいけないという考え方があるからです。
父が家族に託した天神様の祀り方は、神道の祀り方ではなく、仏教の祀り方でした。そして気付けば蝋燭を点け、香を焚き、御鈴をならし、真言や名号を唱え、般若心経を読むという仏教式の祀り方になりました。
在家に神像を祀るというのは禁忌中の禁忌だそうです。もし祀れば何が起こるか分からないそうです。
しかし、我が家では今のところ治まっているようにみえます。これは家の本尊が大慈悲の観世音菩薩であることと、天神像を神像ではなく、どちらかと言うと仏像寄りで祀ったことの影響が大きいのかなと思います。

画像は北野天満宮に残る絵巻の一場面。
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現在進行中ですが、その中に我が家でお祭りしている天神像の背後に、金屏風(新品)を設置すること、天蓋を吊るすこと、亡失した手首を復元することがあります。
この内、残すところは手首の復元ですが、これは最後になりそうです。
天蓋とは仏像を祀る時の荘厳具です。天神像は仏像ではなく神像です。そもそもですが、神像に天蓋はつけません。しかし言われた通りにやりましたが、違和感は全然なくかなり立派になりました。
それから数カ月、お参りしている時に何か物足りなくなり、「御鈴がいるぞ」と購入してきました。
そして今朝、日課のお参りでお経をあげていたところ、ふと天神様の顔を見ると随分穏やかになってきたなと思いました。
根拠は無いですが、我が家の天神様は神道の天神より、仏教式の神仏習合時代の「天満大自在天」として祀られる方が性に合っているのでは?と思えます。
神像は神社に祀られる神様の姿を木に彫ったものです。神道では元々寺のように形のある本尊はなかったので、神像は仏像にならって造られました。
仏教の仏像と違い、神道の神像は基本公開はないです。博物館などの展示会に出ることはあっても、神社で本殿の扉を開けて公開するということはないです。(極僅かだが御開帳される神像はある)
これは神は畏れ多い存在なので、その姿は見てはいけないという考え方があるからです。
父が家族に託した天神様の祀り方は、神道の祀り方ではなく、仏教の祀り方でした。そして気付けば蝋燭を点け、香を焚き、御鈴をならし、真言や名号を唱え、般若心経を読むという仏教式の祀り方になりました。
在家に神像を祀るというのは禁忌中の禁忌だそうです。もし祀れば何が起こるか分からないそうです。
しかし、我が家では今のところ治まっているようにみえます。これは家の本尊が大慈悲の観世音菩薩であることと、天神像を神像ではなく、どちらかと言うと仏像寄りで祀ったことの影響が大きいのかなと思います。

画像は北野天満宮に残る絵巻の一場面。
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2022-03-04
◆天部について調べてみた。
過去ブログでご利益の話をちょっとだけしましたが、天道(天界)に住む天部は人気があります。
例えば愛知県の豊川稲荷は、全国的に有名なお稲荷さんですが、お寺の本尊ではありません。豊川稲荷の本尊は千手観音です。あまりの人気で千手観音を守る役目のお稲荷さんが、本尊よりも大きなお堂に祀られています。
天道の様子を調べて見ると、どうしてご利益が強いのか再確認できました。
天道に住む神々を天部と言いますが、「天」は梵語のデーヴァの訳で、「提婆(だいば)」と音写されました。「部」とは部門とかグループを指します。
天部は最初から仏教世界にいた訳ではなく、古代のバラモン教やヒンドゥー教の神々が仏教に取り込まれたようです。宇宙の創造神から悪霊とか鬼神に至るまで様々な神々が仏教世界に入りました。
天部よりも上にいる存在、如来や菩薩、明王は人々を悟りに導くのが役割ですが、天部は仏や教え、その信仰者を障害から守るのが使命だそうです。
天部には大きく分けて二種類あります。一つは如来や菩薩が仮に天部に変身した「権類(ごんるい)の天」。もう一つはバラモン教などから移行した「実類の天」です。
私が個人的に信仰している天部だと弁才天がありますが、弁才天勤行集(経)を読むと、正法みょう如来が衆生を救うため弁才天になったという記述がありましたので、弁才天はヒンドゥー教の神様ですが、権類の天ということになりそうです。
六道世界に入っている天道。これはつまり天部にも寿命があるということです。天部は死期が近づくと五つの兆候がでます。
①頭上華萎・・・頭上の冠の華が萎む。
②腋下汗流・・・腋の下に汗が出る。
③衣服臭穢・・・衣服に垢がつき汚れる。
④身体臭穢・・・体から匂いを出す。
⑤不落本座・・・天の世界を楽しめなくなる。
死ぬときに出る衰弱の相です。天人五衰と言います。人界よりも遥かに素晴らしい世界である天道でも、そこに住まうものには命の終りがある・・・。このあたりの教えも仏教の凄さを物語っていると思います。
天部は人間に近いところにいる(と言っても凄く離れているとは思いますが)存在なので、ご利益を得やすいとも言われていますが、天部の役割は如来や菩薩、明王の教えを広めること、人間が仏道修行することを望んでおられますから、あんまり願い事ばっかりしているのはよくないでしょう。
道理に合わない、道を外れた願いばかりかけるとご利益もなくなるかと思われます。
また、悟りを開いた存在ではないです。人とは比べてはダメでしょうが煩悩はありますから、祈願するものが途中で信仰をなおざりにしたり、約束を破るときついお叱りがあるとありました。これはなるほどです。よく覚えておこう。

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参考文献
仏尊のご利益功徳事典 大森義成著 学研
例えば愛知県の豊川稲荷は、全国的に有名なお稲荷さんですが、お寺の本尊ではありません。豊川稲荷の本尊は千手観音です。あまりの人気で千手観音を守る役目のお稲荷さんが、本尊よりも大きなお堂に祀られています。
天道の様子を調べて見ると、どうしてご利益が強いのか再確認できました。
天道に住む神々を天部と言いますが、「天」は梵語のデーヴァの訳で、「提婆(だいば)」と音写されました。「部」とは部門とかグループを指します。
天部は最初から仏教世界にいた訳ではなく、古代のバラモン教やヒンドゥー教の神々が仏教に取り込まれたようです。宇宙の創造神から悪霊とか鬼神に至るまで様々な神々が仏教世界に入りました。
天部よりも上にいる存在、如来や菩薩、明王は人々を悟りに導くのが役割ですが、天部は仏や教え、その信仰者を障害から守るのが使命だそうです。
天部には大きく分けて二種類あります。一つは如来や菩薩が仮に天部に変身した「権類(ごんるい)の天」。もう一つはバラモン教などから移行した「実類の天」です。
私が個人的に信仰している天部だと弁才天がありますが、弁才天勤行集(経)を読むと、正法みょう如来が衆生を救うため弁才天になったという記述がありましたので、弁才天はヒンドゥー教の神様ですが、権類の天ということになりそうです。
六道世界に入っている天道。これはつまり天部にも寿命があるということです。天部は死期が近づくと五つの兆候がでます。
①頭上華萎・・・頭上の冠の華が萎む。
②腋下汗流・・・腋の下に汗が出る。
③衣服臭穢・・・衣服に垢がつき汚れる。
④身体臭穢・・・体から匂いを出す。
⑤不落本座・・・天の世界を楽しめなくなる。
死ぬときに出る衰弱の相です。天人五衰と言います。人界よりも遥かに素晴らしい世界である天道でも、そこに住まうものには命の終りがある・・・。このあたりの教えも仏教の凄さを物語っていると思います。
天部は人間に近いところにいる(と言っても凄く離れているとは思いますが)存在なので、ご利益を得やすいとも言われていますが、天部の役割は如来や菩薩、明王の教えを広めること、人間が仏道修行することを望んでおられますから、あんまり願い事ばっかりしているのはよくないでしょう。
道理に合わない、道を外れた願いばかりかけるとご利益もなくなるかと思われます。
また、悟りを開いた存在ではないです。人とは比べてはダメでしょうが煩悩はありますから、祈願するものが途中で信仰をなおざりにしたり、約束を破るときついお叱りがあるとありました。これはなるほどです。よく覚えておこう。

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参考文献
仏尊のご利益功徳事典 大森義成著 学研
2021-10-27
◆毘沙門天のご眷属
毘沙門天像(四天王)の足元に目をやると、二柱の鬼神を踏みつけています。
この鬼の名は毘藍婆(びらんば)と尼藍婆(にらんば)と言います。毘沙門天の配下には八大夜叉というご眷属がいます。夜叉とは簡単に言えば鬼神のことです。
八大夜叉のお名前は、
宝賢(ほうけん)
満賢(まんけん)
散支(さんし)
娑多祁哩(さたぎり)
醯摩嚩多(けいまばた)
毘攦迦(びせいきゃ)
阿咤嚩迦(あたばか)
半遮羅(はんしゃら)
です。数多の夜叉を従える王様が毘沙門天です。
昔、父から聞いた毘沙門天に纏わる話があります。
お釈迦様が大衆に向かって説法をしていると、必ず夜叉が何処からか表れて耳を傾けているのをお釈迦様が気付きました。釈迦はそれが夜叉の王であると知ると、夜叉の王のもとへ行き説法をしたそうです。
釈迦の説法に改心した夜叉の王は、大勢の配下ともども仏教へ帰依し、夜叉の王は毘沙門天となりました。四天王に入っている時の毘沙門天は、多聞天と言う名になりますが、これは仏の説法を最も多く聞いたという話から来ているそうです。
鬼神には大きく分けて二つのグループに分けれると思います。一つは仏教に帰依したグループと、仏教に帰依していない、人に災厄を齎すグループです。
鬼と聞くと、恐ろしい存在と考える人もいますが、鬼は全部が恐ろしいのではなく、仏教に帰依した福の神の鬼も沢山いる云うことです。

人間にも善人と悪人がいるので、そう考えれば分かりやすいかなと思います。仏様の慈悲の力は人間や動物だけではなく、厄神となった鬼にも注がれていると思います。
毘沙門天の配下には強力な鬼神の皆様が揃っていますが、変わったところですと(日本の場合)毘沙門天の使者はムカデであるというものがあります。
毘沙門天を信仰している人にとっては常識みたいです。
私が子供の頃、母親の実家の竹やぶから、父が「何度も呼ばれるから」という理由で地面の中から仏像を見つけました。竹やぶに入って仏像を見つけるまで所要時間は10分くらいでした。
仏像は如来像です。如来像は頭を下にして地面に埋まってましたが、(ここにあるな)と思った箇所を、落ちていた棒で少しほじくった所、「ポコン」と穴が空き、大きなムカデが出て来たそうです。そのムカデが出て来た穴の中に仏像が埋まっていました。
今思うに、如来像は毘沙門様がしっかりと守っていたのかなと思います。
この鬼の名は毘藍婆(びらんば)と尼藍婆(にらんば)と言います。毘沙門天の配下には八大夜叉というご眷属がいます。夜叉とは簡単に言えば鬼神のことです。
八大夜叉のお名前は、
宝賢(ほうけん)
満賢(まんけん)
散支(さんし)
娑多祁哩(さたぎり)
醯摩嚩多(けいまばた)
毘攦迦(びせいきゃ)
阿咤嚩迦(あたばか)
半遮羅(はんしゃら)
です。数多の夜叉を従える王様が毘沙門天です。
昔、父から聞いた毘沙門天に纏わる話があります。
お釈迦様が大衆に向かって説法をしていると、必ず夜叉が何処からか表れて耳を傾けているのをお釈迦様が気付きました。釈迦はそれが夜叉の王であると知ると、夜叉の王のもとへ行き説法をしたそうです。
釈迦の説法に改心した夜叉の王は、大勢の配下ともども仏教へ帰依し、夜叉の王は毘沙門天となりました。四天王に入っている時の毘沙門天は、多聞天と言う名になりますが、これは仏の説法を最も多く聞いたという話から来ているそうです。
鬼神には大きく分けて二つのグループに分けれると思います。一つは仏教に帰依したグループと、仏教に帰依していない、人に災厄を齎すグループです。
鬼と聞くと、恐ろしい存在と考える人もいますが、鬼は全部が恐ろしいのではなく、仏教に帰依した福の神の鬼も沢山いる云うことです。

人間にも善人と悪人がいるので、そう考えれば分かりやすいかなと思います。仏様の慈悲の力は人間や動物だけではなく、厄神となった鬼にも注がれていると思います。
毘沙門天の配下には強力な鬼神の皆様が揃っていますが、変わったところですと(日本の場合)毘沙門天の使者はムカデであるというものがあります。
毘沙門天を信仰している人にとっては常識みたいです。
私が子供の頃、母親の実家の竹やぶから、父が「何度も呼ばれるから」という理由で地面の中から仏像を見つけました。竹やぶに入って仏像を見つけるまで所要時間は10分くらいでした。
仏像は如来像です。如来像は頭を下にして地面に埋まってましたが、(ここにあるな)と思った箇所を、落ちていた棒で少しほじくった所、「ポコン」と穴が空き、大きなムカデが出て来たそうです。そのムカデが出て来た穴の中に仏像が埋まっていました。
今思うに、如来像は毘沙門様がしっかりと守っていたのかなと思います。
2021-10-25
◆毘沙門天の御利益
毘沙門天の話が続いたので御利益について調べてみました。
毘沙門天王功徳経によれば、毘沙門天は非常に沢山の福徳を持っており、あまりにも多すぎるので一日三回これを燃やすとあります。毘沙門天を願う者は、その有り余る福徳を得られるやもしれません。
毘沙門天は、商売繁盛、金運上昇、厄除け、武運長久などが上げられます。
また毘沙門天を信じる者には10種の福徳を得られるとされています。
①無尽の福
②衆人愛敬の福
③智慧の福
④長命の福
⑤眷属衆太の福
⑥勝運の福
⑦田畠能成の福
⑧蚕養如意の福
⑨善識の福
⑩仏果大菩提の福
です。ただし、これらの福徳を得るには条件あります。次の五つの目的のどれかに適っていないと駄目です。こうありました。
①父母の孝養のため
父母があってこそ、今の自分がいるという思い。
②功徳善根のため
目には見えない陰徳が、金では買えない幸せをもたらすという思い。
③国土豊饒(こくどぶにょう)のため
国が豊かでこそ、自分も豊かになれるという思い。
④一切衆生のため
自分も他人も共に栄えるという思い。
⑤無上菩提のため
心の安らぎこそ、真の豊かさであるという思い。

なるほどですね。仏様の役割は何も人の願いだけを叶えることではないという事です。
分かりやすい欲で釣りつつ、毘沙門天の真の目的は悟りへ至る為の具体的な行動を、人に促しているのだなと思いました。
参考文献 仏尊のご利益功徳辞典 大森義成著 学研
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毘沙門天王功徳経によれば、毘沙門天は非常に沢山の福徳を持っており、あまりにも多すぎるので一日三回これを燃やすとあります。毘沙門天を願う者は、その有り余る福徳を得られるやもしれません。
毘沙門天は、商売繁盛、金運上昇、厄除け、武運長久などが上げられます。
また毘沙門天を信じる者には10種の福徳を得られるとされています。
①無尽の福
②衆人愛敬の福
③智慧の福
④長命の福
⑤眷属衆太の福
⑥勝運の福
⑦田畠能成の福
⑧蚕養如意の福
⑨善識の福
⑩仏果大菩提の福
です。ただし、これらの福徳を得るには条件あります。次の五つの目的のどれかに適っていないと駄目です。こうありました。
①父母の孝養のため
父母があってこそ、今の自分がいるという思い。
②功徳善根のため
目には見えない陰徳が、金では買えない幸せをもたらすという思い。
③国土豊饒(こくどぶにょう)のため
国が豊かでこそ、自分も豊かになれるという思い。
④一切衆生のため
自分も他人も共に栄えるという思い。
⑤無上菩提のため
心の安らぎこそ、真の豊かさであるという思い。

なるほどですね。仏様の役割は何も人の願いだけを叶えることではないという事です。
分かりやすい欲で釣りつつ、毘沙門天の真の目的は悟りへ至る為の具体的な行動を、人に促しているのだなと思いました。
参考文献 仏尊のご利益功徳辞典 大森義成著 学研
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