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2022-10-26

◆繰り出し位牌と浄土真宗

父が亡くなり、1年と3か月が過ぎました。最近、母から家のそんなに大きくない仏壇の中にある、古い位牌をどうしようと相談を受けました。位牌は全部で三つあり、一つが普通の漆塗りの位牌。後の二つは観音開きの扉がついた繰り出し位牌というものです。
 
3912108_s.jpg
(フリー画像です)

扉を開けると、中に板が何枚も入っていて、故人の法名が書かれています。

うちの場合、一つは私の曾祖父、もう一つは曾祖母の法名が書かれていました。どちらも50年の節目の法要は終わっています。もう一つの位牌はいわゆる普通の黒塗りの小さい位牌で、これは父の兄のものです。3歳で病気のため亡くなったと聞きました。

 
仏壇の中もごちゃごちゃしてきたので、檀家寺に相談することにしました。電話をし、位牌を全部持っていくことになりました。


檀家寺の和尚さんから教えて頂いたこと、気づいたことを纏めますと・・・


①通常の位牌、繰り出し位牌は浄土真宗では用いない。

②しかし愛知県(特に三河方面)と新潟の浄土真宗の門徒には、何故か繰り出し位牌がある。

③浄土真宗は位牌の代わりに小さな掛軸状の「法名軸」がある。

④繰り出し位牌の中にある板は依り代になる。


というものです。

家にあった三つの位牌は檀家寺さんが回収することになり、代わりに祖父母、父の兄、父の連名を書いた法名軸を一つ作ることになりました。


①について、浄土真宗には位牌が無いというのは、これはお盆をやらない、先祖供養という概念がないからでしょう。浄土真宗の門徒は死んだら必ず阿弥陀如来がいる極楽に行くので、この世には留まらない。帰ってくることもない。だから位牌はないということです。


④の繰り出し位牌の中に板がありますが、これが先祖の依り代になるというのはなるほどでした。寺社で分けてもらう御札的な発想です。どちらかというと神道的な発想が近いでしょうか?繰り出し位牌はそれを祀る家専用の御札、先祖神と繋がる為のものという解釈になります。
 
 
浄土真宗には無いわけですね。


位牌と繰り出し位牌、この二つを先祖をお参りする信仰の対象として観た場合、後者の方がより強いお参り対象になるでしょう。何故なら、先祖の霊力が籠った板を厨子という箱に密閉するからです。
 
 
御札に手を合わせる際も、御札を神棚に入れる場合と、御札をそのまま立てかけた場合とでは、より強くなるのは前者だと思います。神棚の扉は開けたままの方もたまにみえますが、あれは閉めた方が良いです。
 
 
浄土真宗の教えは調べると他宗とは結構考え方が違います。およそ殆どの仏教宗派の仏壇にあるであろう位牌がないのですから。
 
 
しかし、その位牌がいらない浄土真宗の中にも、愛知県(特に三河)と新潟県だけ繰り出し位牌があるというのは興味深いです。愛知の三河に多いというのは心当たりがありますが、新潟はどういう理屈なんでしょうか?その辺も調べてみると面白そうです。


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2021-12-08

◆現世利益を求めるなら 2

前回のブログを上げる際、こんな話を思い出しました。前回の話の補足です。

お客様から聞いた話です。

このとある女性、ご縁があり日本でも有名な大きなお寺の一角にある、弁天様を祀るお堂でお手伝いをされている方です。

正確に言えば、この女性がそこの弁天堂で行われた法要に参加した際、お寺の方から聞いたお話です。


仏様へのお願い事についてのものです。それは、

「例えばお金儲けのお願いをする場合、そういった類の願いは明王以上の仏様には願わない方が良い。しかし、弁天様なら大丈夫」

と言うものでした。


それ以上の話を聞いた訳ではないので、ここから先は想像するしかないですが、父から聞いた話と同じだなと思いました。


執着から離れた如来、限りなく如来に近い菩薩や明王ともなると、お金儲けや商売繁盛、お金や物のあるなしは悟りの為の修行には関係ないというのが、当たり前のことなので届きにくいのか?と思えます。


弁天様のことを良く知っていた祖母や父から聞いた話では、弁天様は問題を解決するための知恵、才能をくれると言っていました。故に弁才天と書くそうです。


弁才天は弁財天とも書きますが、これは金運の神様と言う意味もあるからですが、どちらが古いかと言うと弁才天の字の方だそうです。なるほど確かに財を築くには才が無ければならないですね。


ただ、いくら熱心にお参りして知恵を頂いても、それを形にしないと(行動)現実は変わらないと思います。

弁天様

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2021-12-07

◆現世利益を求めるのなら

父から聞いた話。

仏教世界には六道輪廻(りくどうりんね)という考え方があります。

須弥山(しゅみせん)という山を中心とした世界があり、その中に六つの世界があるというものです。

下からいきますと、地獄道があり、順に餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道というように構成されています。

今生きている人間の立場で考えますと、その人一代の生き方(なにをしたか、あるいはしなかった)によって、死後この六道の何処かに生まれ変わるというものです。

極悪非道なことをすれば地獄に行きますし、徳を積むような生き方をしたならまた人道や天道に生まれ変わるといったものです。


お釈迦様が開いた悟りとは、六道輪廻からの脱却だそうです。生まれ変わる必要がなくなるということです。釈迦が開いた悟りは釈迦本人しか分からないと思うので、それがどういうことなのかはさっぱり分かりません。

なので、「私は釈迦の生まれ変わりだ」とか「悟りとはこれのことだ」と言う人は用心した方が良いと思います。

前回のブログでも触れましたが、仏教世界には数多くの神仏が登場します。

人が生きていると出くわす問題、願望は多岐に亘りますが、多くの人が望むような現実に関する願い(現世利益)は、より位の高い仏様(明王以上)よりも、天部が早いよと言ってました。


「どうして?」

と聞くと、人道の上にあるのが天道だから。人から見て近い位置にいらっしゃるからとのことでした。

なるほどなと思いました。


まぁ近いと言っても人道と天道は物凄く離れているとは思いますが・・・。

弁才天版画12

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2021-12-07

◆仏様の種類

お寺に祀られている仏像の種類は多岐に亘ります。

数多くいらっしゃる仏様も、ランクというか階級のようなものがあります。詳しく話そうとすると纏める自信がないので仏様の世界を会社に例えてみたいと思います。会社には役職があります。


◎社長、会社の代表
これに相当するのが「如来」。釈迦如来・大日如来・薬師如来・阿弥陀如来などが有名。

〇重役
これに相当するのが「菩薩」。観世音菩薩・地蔵菩薩・普賢菩薩・文殊菩薩などが有名。

〇部長
これに相当するのが「明王」。不動明王・降三世明王・大元帥明王などなど。

〇課長
これに相当するのが「天部」とか「諸天善神」。四天王・弁才天・吉祥天・荼枳尼天・大黒天などなど。


ざっくり解説しました。因みに平社員が人間かと思います。

役職を嵌めると、どうしても如来が一番偉くて下に行くほど位が低い感じがしますが、密教的には全ての仏様は大日如来の変化した姿という意味もあるので、どの仏様を信仰しても構わないそうです。人それぞれ、ご縁なのでしょう。


しかし、仏教に出てくる仏様の種類は多いです。神仏習合のことも考えますと膨大な数になりそうです。


何故こんなに種類が多いのか?


仏様が登場する昔話は日本にいくつかありますが、それらを読むとこの仏様だけが人の前に出てくるということはありません。阿弥陀如来だったり薬師如来だったり、観音様、お地蔵さん、千手観音、十一面観音、不動明王、弁才天、毘沙門天、稲荷神、いろいろです。本当に困っている人の前に御縁のあった仏様が現れるようにも思えます。困りごとは人それぞれです。


仏様の種類が多いのは、それだけ人間の悩みが複雑だからなのだと思います。


不動明王イラスト-crop


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2021-11-29

◆仏像は怖い?

仏像を怖がる人は極たまにいるようです。

確かに寺巡りをしていると、「この仏像はすごい力だな」と思える仏様も多々いらっしゃいます。


拙い知識で考えますと、仏像の強さキツさと言うのは・・・


①歴史、古さ。

②どんなお坊さんが開眼したのか。

③開眼後、どれだけしっかり拝まれたのか。人数とか。

④きちんと管理されているか否か。

⑤仏像の素材。霊木で彫られたのかどうか。

⑥仏様の種類によって変わるかも。


で変わってくるように思います。


ただ、仏像を怖いか怖くないかは人間の受け取り方なので、仏像の強さ・キツさと言うのはあんまりそれに関係はないと思います。


昔、父からこんなことがあったと話を聞きました。


店番をしていたら、新規の方が訪れました。数人のグループです。


当店はこういう店であること、こういう物を扱っていることなどを話しました。また話の中で先祖から仏様を祀っていると言ったら、皆さんお参りしたいという事になり部屋に通しました。


帰る頃、一部の人はフラフラになっていたというものです。


後で父に聞いた所、「一部の方は恐怖心をもったみたい。仏様を前にして恐怖を抱くと、仏様はその気持ちは受け取らないのでそのまま返すから」とのことでした。どうも自分の思い(念)をそのまま受け取ってしまったようです。


子供の頃、父に連れられ岐阜県の金華山ロープウェイの近くにある大仏をお参りに行きました。堂内に入り見上げて大仏と目が合うと「怖い」と思いましたが、だんだん慣れてきて「怖くない、むしろ有難いなぁ」と思ったところ大きなお顔がニカッと笑いました。実際にそんな機能は仏像にはついてませんが、そう観えたのです。


仏像と言うのは、ある意味鏡に似ているのかも知れません。今の自分の感情をそのまま写すのです。


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プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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