FC2ブログ
2020-12-20

◆神仏習合について考える その3

時には恵みを、時には災厄を齎すのが日本の神様です。


神様は、向き合った人間の態度、考え方、信仰心によっては、人を守って頂くこともあれば猛威を振るうこともあります。


しかし、仏教の仏様は違います。仏様の場合は救済があるのです。


仏教用語では「慈悲」と言います。慈悲とは仏や菩薩が世の人々に楽しみを与え、苦しみをとりのぞくという意。天台宗では慈母・慈父という言葉で例えました。「慈」を父親の「楽を与える」愛、「悲」を母親の「苦しみをとりのぞく」愛と説くそうです。


この慈悲という概念が神道にはない凄いものです。人間は勿論のこと生きとし生けるもの全てに注がれています。そして仏様の慈悲は、仏に敵対する存在、嫌う存在にも注がれています。


魔神、夜叉、悪鬼までもが仏様の慈悲の力で、仏や人間を守る存在になるのです。


仏教で言えば、大黒天や毘沙門天、鬼子母神などの神様が、元を辿ると魔神とか夜叉にあたります。


日本に仏教が伝来すると、おそらく奈良時代頃には神と仏を習合させる考え方が出来たように思えます。


誰が最初にそういう発想を持ったのかは分かりませんが、これはおそらく、修行を積んだ一部の宗教者だけではなく、ごくごく一般的な凡人でも、神様を普通に、安全にお参りできるように大慈悲の仏様と習合させたのだと思います。


日本の神様は気まぐれです。うまくお付き合いできれば守って頂けることもあるでしょうが、神様から見て気に入らないことがあれば猛威を振るいます。もともと仏様と違い、人間を助ける義務などありません。人間からすれば、一体何が原因で機嫌を損ねるのかはさっぱり分かりません。(原因が分かるとそりゃ怒るよねと思うことは多い)


広辞苑の神の解説にもありましたが、神様の前に立つ時は、畏怖の念が前提でお参りせねばならないのです。神の種類は膨大です。今自分がお参りしている神様は一体どういった性格の神様なのかは誰にも分かりません。特に現代の神社は御祀神が入れ替わってることが多いので尚更です。


神様とのお付き合いは、本来腫れ物に触るように本当に気をつけねばならないのです。そうであるが故に大慈悲の仏様と習合させることで、お参りしやすくしたり、神様の荒ぶる気持ちを抑えてもらったりする訳です。


神と仏を習合させた事例の最も分かりやすい例が霊木仏と呼ばれる仏像です。


日本に伝来した最初の仏像は金銅仏と考えられています。文字通り銅の上に金を被せて出来た仏像です。飛鳥時代~近年でも作られていますが、日本の仏像の場合、圧倒的に多いのは木彫像です。


本来神道の考え方には、神様の姿と云うのは特にありませんでした。しかし、仏教伝来と共に仏像が日本に来ると、神道関係者は衝撃を受けたそうです。異国の神(仏)というものは姿があるのか!と。
 
 
木彫の仏像が作られるようになると、その着想からヒントを得て、神社の神様も木彫で作られることになります。それが神像です。


仏様は光輝く存在であるので、金(銅)を用いられて作られた訳ですが、日本では木彫像が主流でした。そして神像も金銅では作られず木を彫って作られました。


これはコストの問題や環境の問題もあるでしょうが、仏像も神像も、造像の際は木でなければならなかったからでしょう。


それは木には神が宿るからです。


霊木仏と呼ばれる仏様にはパターンがあり、仏像が彫られる前の木の状態の時から尋常ではない様子であることが多いです。簡単に言えば祟りまくる木です。言い方を変えれば荒ぶる神が宿っている、あるいは人間の行いにより荒ぶる存在になってしまった神が宿っている御神木です。


一度祟り神となってしまった御神木は、もはや何ともしようがありませんが、唯一解決できるとすれば仏様の姿を彫って開眼し、祭ることです。うまく祀ることに成功すると、今度は途轍もない力、ご利益を齎す有難い仏様となるのです。仏様の大慈悲の力は荒ぶる祟り神でさえも気分よく落ち着いてしまうのです。



平安時代以前の密教像は、ほぼほぼ霊木仏なのではと個人的には思います。強い力の仏像が求められたという一面もあったのでは?と思います。


神社参拝も寺参拝も両方好きな私は、ある時、神社とお寺の違いというのが感覚的にあるなと思いました。お寺はじんわり暖かい雰囲気、神社は冷たい川のようなきりっとした雰囲気です。背筋が伸びる感じです。


これは仏様の慈悲の関係かなと理解しましたが、今年の冬に訪れた那智熊野大社では神社なのに神社ではない、どこか暖かい雰囲気を感じました。


日本の寺社は明治以後、神仏が真っ二つに分けられてしまいましたが、那智熊野大社では表向きは分けられたとはいえ、今でもきちんと神様と仏様が繋がっているのだと思いました。


日本の神仏の関係は双方が喜ぶ、win winの関係ですね。すぐには難しいと思いますが、いつか未来は今よりも神仏習合だった時代に寺も神社も戻れば良いなと思います。


あくまで個人の感想です。おしまい。

hotoke_yakushinyorai.png


※参考文献  現代人のための仏教知識百科  主婦と生活社


紅葉屋呉服店はこちらまで


スポンサーサイト



2020-12-17

◆神仏習合について考える その2

御神木に宿っている神様は、いったいどんな神様なのかは誰にも分からない・・・。


こう結論付けたのは、神道の神様と仏教の仏様の違いがよく分かってからでした。


日本の「神」という言葉を広辞苑で引くとこうあります。


①人間を超越した威力を持つ、隠れた存在。人知を以てはかることの出来ぬ能力を持ち、人間に禍福を降すと考えられる威霊。人間が畏怖し、また信仰の対象とするもの。


②日本の神話に登場する人格神。


③最高の支配者。 天皇。


④神社などに奉祀される霊。


⑤人間に危害を及ぼし、畏れられるもの。



とありました。神社の神様とは決して福の神だけではないのです。敬うことは当たり前ですが、それよりも前に畏怖する存在が日本における神様なのです。


②のように、記紀神話や先代旧事本記に登場する神様ばかりではなく、人に災厄を齎す存在も、また〇〇神と呼びます。祟り神、疫病神、貧乏神等などです。鬼神という神様もいます。④は歴史上の人物や、戦没者、我々の先祖も神と呼ばれることがあります。福の神もいれば荒ぶる神もいる。神とは一言では表せれないほど多いのです。


広辞苑の解説の最初の一文が全てを物語っていると思いますが、神社の神様への信仰とは、根底に畏怖の念を持っていないと駄目だという事です。神様は時に福の神にもなれば、恐るべき荒ぶる神にもなるのです。
 
 
人間と同じ感情があると言えば分かりやすいでしょうか?謙虚に素直な気持ちでお参りする。感謝の気持ちを忘れず、信仰することが出来れば、何かの時にお力添えを頂けるとは思いますが、やってはいけないことをすると腹を立てるのです。
 
 
そして人間がそうであるように、神様の性格というか性質というか、それは神様によってまちまちです。比較的人間に対し寛容な神様もいれば、気性の激しい神様もいます。記紀神話に出ている神様は、その神話を読めば何となく性格が分かりますが、神社によっては記紀神話に出てこない神々も多いです。あるいは神社に祀られていない神々も膨大に存在します。
 
 
神社にある木だけが御神木ではありません。祀られていない神々が山ほどいるのであれば、山の中の巨木や、自分の家に植わっている古木にも神が宿っている可能性はあるのです。
 
 
熊野那智大社では、楠の巨木の中に入り願掛け(厄除け?)を出来るようになっていました。神様へのお参りは畏敬の念を以て成り立っているのであれば、何か厄除けや願掛けをする場合、強い信仰心があるのが前提でなければならないでしょう。
 
 
熊野権現の誓約の話にもあるように、厳しい神様ほど、強い御利益がある神様ほど相手を怒らせたら確実に衰運になるのです。
 
 
熊野那智大社の御祀神は伊弉冉尊です。古事記を読むに、黄泉の国との境で夫である伊弉諾尊と大喧嘩した話で有名な神様です。かなりきつい神様と言えます。
 
 
子供が御神木潜りをしたいと言ったものの、それを止めさせた理由・・・。


その境内にある御神木に触ったり願掛けする。しかも信仰もないのにとなると、かなりリスキーだと判断した訳です。


ただ、熊野那智大社に限ってはそれほど神経質にならなくても良かったのかもなと、後でそう思いました。何故ならそこには仏様の気配があったからです。


続きます・・・

熊野那智大社10


※紅葉屋呉服店はこちらまで


2020-12-16

◆神仏習合について考える  その1

前回のブログで、熊野那智大社にあった御神木潜りというのを、子供がやりたがっていたが止めさせたというのがありました。


これについて今回はお話ししたいと思います。その前に「木を切ること」について少々寄り道します。


こういう世界に興味を持たねば知らずに一生を終えていたと思いますが、木を切るという行為は大変注意せねばならないことです。


私は客商売なので物を売る以外にも、いろいろな話をしたり、お客様から聞いたりします。また父が特殊な才能(お稲荷さんと話したりする)を持っておりますので、お客様からの相談を受けることも多いので、それを通して普通では学べないことも沢山学ばせて頂きました。


例えば、家の木を切ったことで家族の体調が悪くなったり、病気になった等の話です。そんなの迷信だと言われる方も沢山いるかと思いますが、私は「どうもそういったことはあるのでは?」と思います。木にも命がありますから。(ひょっとすると魂もあるのかもしれません)

 
それが神社の御神木となると大変やっかいな事例となります。以下神社の木の伐採に関する、過去に聞いた不可解な話です。
 
 
③伊勢湾台風でとある神社の大きな御神木が倒壊した。太い木だったので町の大工が木材に加工し、それを数件の家に用いたら、それらの家に住んでいる人は病気ばっかりだった。

②神社のお社が老朽化し、新築した。その際、神社の森の木を多数切り倒して社の木材とした。以後、氏子総代を引き受ける人は病気になったり短命になる。

③町内の神社の木を剪定した庭師さんが、その後いきなり目の病になった。(お詫びを言ってお寺で供養してもらい回復)




などなどです。これら3つのケースの共通点は、古い神社かつ町内で管理してる無住の神社であること、そして木を切り倒したり、倒れた木を木材にしたり、剪定する際に特に何の配慮(神職の方にお願いをしてない)も無かったことです。


神社好きの私ですが、若い頃は神社で写真をたくさん撮っていました。御神木も好きなのでよく撮影対象になっていましたが、ある時を境に「あんまり撮らない方が良いかもしれない・・・」と考えを改め、特に神社の木はなるべく撮らないようになりました。それは二つの理由からそうなりました。


一つ目の理由、それは神は木に宿ると確信したから。


二つ目の理由、神社の神様は、お寺の仏様とは決定的に違うなというのが理解できたからです。



人間を数える時は一人二人ですが、神様は「柱」と数えます。柱は木の主と書きます。木に宿る主が私は神様だと思います。


神社の御神木とは、文字通り神様が宿っている木のことです。つまり神様と同意が御神木と言えます。


御神木とは決して不用意に触ってはならないものであり、神であるなら写真を気軽に撮るという行為も気をつけねばならないとなります。


私が御神木の写真を撮るのを控えようと思った二つ目の理由・・・。それは神が宿る木が御神木であるのなら、その宿っている神様が一体どういう神様なのかは、誰にも分からないからと言うことです。
 
 
長くなりそうなので、詳しくは次回に続く・・・。


木



※紅葉屋呉服店はこちらまで



2020-11-10

◆藤の木の昔話 後編

牧野村五社の一つ、厳島神社へお参りに行きました。

太閤厳島神社6


五社のうち、工事前の椿神明社、こちらの厳島神社、この神社の天王社、そして稲荷社は今回と過去に訪れたことになります。


四社の印象は、どちらかと言えばちょっときつい感じのする神社でした。こちらの厳島社はまだお参りはしやすかったです。境内の入り口が変わってしまったと思いますが。
 

こちらの厳島神社は、江戸期では弁才天として祀られていたようです。おそらく明治期の法令で同体とされた市杵島姫命に変わったと思われます。

太閤厳島神社5


神社の来歴によれば、延享4年(1747年)にこの地に遷座されたとあります。調べると、1600年頃には既に牧野村に存在していた弁才天社のようです。


一体どこから来たのかはよく分かっていないそうですが、牧野村の別の場所にあったのは間違いなさそうです。今でこそ牧野五社と言われていますが、古くは椿神明社と神明社の二社を併せて牧野三社と呼ばれていたようです。
 

私はこの弁天様は、椿神明社の近くの笈瀬川にあったと思います。椿神明社のほぼほぼ境内です。具体的には川近くにあった山伏塚と椿(伝承では切り倒された藤の大木)に建立されていたと考えています。

 
もし山伏塚があったとすると、川の近くというのは水の神の力で封じようとしたという発想があったのかもしれません。川の近くに弁才天があるのも不思議ではないです。弁才天は水の神様でもあるからです。そして怨敵退散のご利益、強力な封じの力があるのも弁才天です。


大昔、旅の途中でこの辺りで亡くなった人か、あるいは人柱とか、何らかの理由で亡くなった人がおり、山伏塚として埋められていた場所に椿の木を植えた。

 
時は過ぎ、それを忘れていた人達が自分たちの都合で木を切った。木を塚に植えるというパターンは各地にありますが、これは木が神様の依り代になる為、自分達の信仰する神を塚の木に宿らせ、抑えるという意味があるのでしょう。


それを切り倒したものですから、中に抑えられていたモノが出る、疫病が流行ったので強力な封じの力を持つ仏教由来の弁才天を祀ったのでは?と思います。


あるいは、現在の厳島神社の位置に藤の霊木(山伏塚)があり、それを切ったら祟ったので、椿神明社にあった弁才天社を、現在の地に移した可能性もあります。

 
今年はコロナ禍でしたので、甘酒祭が行われたかどうか分かりませんが、昔話では椿神明社や神明社に供えた甘酒ですが、これはそうではなく、弁才天に供えたのではと思えます。

 
実際に現在の甘酒祭はこちらの弁才天社でも何故か行われていますし、この弁才天が頭上に蛇体の神、宇賀神を乗せている姿の宇賀弁才天であるならなおのことです。宇賀神とは宇迦御霊神(うかのみたまのかみ)ですので、稲の神です。宇賀弁才天とは弁才天と稲荷神が習合した仏様なので、やはり米や酒とは切っても切れない深い関係です。

太閤厳島神社4

牧野五社のうち四社を巡りましたが、随分区画整理や再開発で神社の敷地や形も変化しているのが良く分かりました。天王社に至っては元々境内だった所が道路になっているので、歩道に注連縄がしてある楠の御神木が、ブロックに囲まれて残っていたりします。
 
 
笈瀬川も無くなっているので、推測した山伏塚も調べようがありません。この辺りは空襲があったので神社も燃えているでしょうから神社に伝わっていた資料の類も無いのでしょう。


散らばった点と点を結んでいったら、私はこのような結論になりました。
 
 


紅葉屋はこちらまで





参考サイト 名古屋神社ガイド 中村区厳島社のページ

https://jinja.nagoya/top/nakamuraku/taikou-itukusima-sya
2020-11-08

◆藤の木の昔話 考察  前編

前々回、前回と取り上げてきた名古屋駅裏にある「椿神明社」に残る、甘酒祭の由来(昔話)ですが、どこか引っかかるので今一度考察してみたいと思います。
 
 
◎甘酒祀の云われ(年代不詳)

椿神社境内近くの笈瀬川の川辺に大きな藤の木があり、たいそう評判で毎年大勢の人たちが訪れた。しかし、あまりにも見物人が増えて、近くの畑などを踏み荒らされてしまったため、人がもう来ないようにということで村人がこの木を切り倒したところ、疫病が流行り、村人の殆どが患った。

 困った村人の一人が智者に頼み占ったところ、それは藤の木を切り倒したことによる祟りだから、家ごとに酒を作り、その酒を神様に献上するようにと言われた。

ただ、村で酒を作るのは難しいということで甘酒で勘弁してもらって、椿神明社ともう一つの神明社に供え、そのお下がりの甘酒を飲んだたところ、疫病は治まったと云う。



甘酒祭の昔話で、最初に気になったのが「藤の木」です。現在では椿神明社の近くに笈瀬川という川はない。埋め立てられたのでしょう。そこにあったのが藤の木です。切って祟った(疫病の流行)ということは霊木であったということです。

 
最初の疑問が何故藤の木なのか?です。椿神明社の名にある様に、この辺りには椿の大木が数多くあったそうです。現在の椿神明社のすぐ横の道路は笈瀬川筋と言います。

 
この位置に川があったとすると、ほんとに境内近くです。神社の境内に椿が群生していたとするならば、それは藤の木ではなく椿の木であった方が自然な感じがします。
 
 
年代不詳ということは、話の背景が古い話であり、口伝なのでハッキリしていないように思えます。江戸時代には、既にかなり昔の話になっており、「そんなような言い伝えがある」となっていたのでは・・・。
 
 
口伝で何世代も伝わる話は、当初の頃から変化していることはありえます。

上条弁才天1

例えば、愛知県安城市にある上条弁才天社には、神社の歴史が記された石碑がありますが、弁才天の御利益の一つに「おでき」や「いぼ」「眼病」に効くとあります。


眼病というのは、この上条弁才天とセットで祀られている薬師如来に関係します。弁天様のご利益に眼病を治すというのは聞いたことが無いです。


おできもいぼも弁才天の御利益で聞いたことはありません。これはおそらく、弁才天が七福神になるもっともっと前、財運の神になるもっと前の姿を追うと分かりますが、最初の頃は戦闘神という一面がありました。故に真のご利益は「怨敵退散」です。


「おんてきたいさん」がどんどん伝わって行くうち、「おできたいさん」となったのでしょう。「おでき」が定着すると、おできなら「いぼ」でも同じだろうということで、それもご利益に加わったと思われます。

上条弁才天3


大きな寺院の一角の弁才天ならまだしも、民間で単独で祀られる弁天様なので、伝え聞く内に意味が変化してしまったのです。


旧牧野村に伝わる甘酒祭りの話も、伝え聞くうち、音で判断するうち変わっていったのだと思います。漢字で書けば意味が分かりますが音だけだと聞く人によっては意味が変わる訳です。


私は藤の木は「山塚に植えられていた椿の木」と思いました。


山伏塚とは、文字通りだと修行中の山伏がその地で亡くなり、村人達が弔った墓という意味と、誰か分からないけどその場で野垂れ死んだり、殺されたり、人柱で埋められたなど、非業の死を遂げた人を埋めた墓という意味があります。

 
古墳のように土を盛った場合なら、塚を山に見立てると、山に伏して亡くなったという意味の塚ということです。

 
名古屋町名の伏見町も識者によれば「伏見から富士山が見えたから」という話もありますが、現実に伏見町から富士山は見えません。これはもう無くなってしまいましたが、伏見町から山伏塚が見えたからでしょう。名古屋市東区の高岳の交差点付近に浅間社がありますが、私はあそこに前方後円墳があったと睨んでいます。それが山伏塚でしょう。山伏塚が見えたから「伏見町」です。


塚というのはその場所に木を植えることがあります。これは目印(子孫に注意を促すため)と、神の依り代にするためという意味があります。神は木に宿るからです。怖い存在と認識している場合、木に神を宿らせ封じるという意味です。その場所に神仏を祀る祠を建てる場合もあります。


旧牧野村に古くより祀られている、弁才天社(現在は厳島神社)にお参りに行ってきました。


長くなってきたので、後編へ続きます。



紅葉屋はこちらまで
 

プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
FC2カウンター
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる