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2020-03-02

◆日本のしきたり・第5回 雛祭り

3月3日はお雛様、雛祭り。

雛祭りは上巳(じょうし)の節句、桃の花が咲く時期に女の子の成長を祝う儀式だ。

桃の節句とも言う。


雛人形を飾り、御祝をするのが一般的だが、起源を辿ると奈良時代~平安時代にはあったと云う儀式に辿り着く。


ひな流しと呼ばれるものだ。


土や紙で作られた形代と呼ばれる人形の一種を、生まれた赤子の枕元に置き厄除けとした。


そして一年の災いを春のひな流しで払う。川に流すのだ。


災厄、穢れを形代に移すという発想だ。


何年か前、滋賀県のMIHOミュージアムで土偶の展示会があった。土偶についてはそれほど知識が無かったので、これは面白いかもと観に行った。


興味深かったのは、発掘された人の形をした土偶はほぼ女性であったこと。そしてどうも壊してから埋めた形跡が多いという解説だった。病気についての恐れは、現代の人とは比べ物にならないほどのものがあったと思う。
 
 
特に出産や、子供が大人になることは大変に困難であった。奈良時代や平安時代も大変なら、縄文時代は尚更だったと思う。


縄文の人達は子孫の繁栄の為、安全に子供が生まれてくる為に、病気の原因たる何か厄神的な存在の障り、穢れを土偶に移し、それが再生しないよう破壊したのだと思った。


縄文の記憶がそのまま奈良時代や平安時代に受け継がれたとは言わないが、いつの時代も病は怖いもので、医学が発達した現代なら原因の特定も出来るが、大昔なら病の原因は神の怒り、厄神の障りと解釈したのだと思う。

厄を移す形代が、時代と共にに変化する。江戸期頃になると制作技術の発展により、様々な人形が作られるようになった。形代も雛人形に変わり、鑑賞を目的にするものに変化する。


現在では雛人形を飾るのは、だいたい立春から一週間位の中で準備するのが良い。雛祭り前日に慌てて出すのは「一夜飾り」と言ってあんまり縁起が良いことではないと言う。


また、雛祭りを過ぎても、雛飾りを出しっぱなしにするのは婚期が遅れると言うが、これもおそらく「流しびな」の風習の考え方が変化したものだろう。厄を移した形代をいつまでも流さずに置いておくと、その厄はまた当人に戻る、という解釈になる。つまり「厄が戻る」という言葉、考え方が婚期が遅れるになったのでは・・・。


最近の雛飾りは景気や住宅事情に比例してか、私が子供の時によく見た雛段飾りというのは、段々と簡略化して、御殿様と姫様だけになっているのが増えた。


雛段飾りは赤い毛氈を敷くが、赤色は不滅や魔除けという意味がある。古墳に埋葬された遺体にも朱が塗ってある例もある。これも魔除けという意味もあると思う。後は「火」の色、火の性質を加えるという意味もあるだろう。


お殿様とお姫様だけで飾るのを親王飾りという。殿様と姫様は天皇陛下と皇后さまでもある。


天皇陛下は祭祀王。国民の為に祈るのがお仕事だ。そう考えると内裏雛(天皇・皇后を形どって作られた人形)が雛人形として飾られるのも、ある意味納得である。以前こんな話を読んだ。


何かの本に載っていたが、現在の上皇陛下が、昔被災地に行かれた際、「災厄よ私を通ってくれ」というような意味の言葉で祈ったと・・・。


国民の為に自らがその災厄を引き受けると言う常人ではとても言えない凄い言葉だ。上皇陛下も天皇陛下も、日本にいてくれて良かったと思う。頭が下がる思いである。



雛祭りは大事な子供(女児)を災厄から守る、大切なお祭でした。


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参考文献  日本のしきたりが丸ごと分かる本  晋遊社
        本当は怖い日本のしきたり      彩図社
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2020-01-30

◆日本のしきたり・第4回 節分

二月は和風月名で如月という。如月は衣更着とも言い、寒さのため着物を更に着込むという意味だそう。


そんな二月の伝統的なしきたりが節分だ。


元々は平安期に始まった、鬼を祓う儀式「追儺」から始まっていると云う。節分は旧暦で一年の始まりとされた立春の一日前にあたり、季節の変わり目には隙が出来、鬼が入るとされていた。

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江戸期に流行していた、年末から年始に行われる「なかきよの宝船の絵」を枕元に置いて寝る習慣もよく似ている。これは年度の変わり目は魔物が入りやすいという理由で、宝船の絵札を置き結界を張ろうというものだ。


節分には豆を撒く行為がある。調べてみたらこの豆撒き、やるからには以下の約束事があった。


①まず、炒った豆でないといけない。

②撒く豆は前日に神棚に備える。そうすることで福豆となる。

③撒くのは一家の長、厄年の男、年男であること。



というものである。


そもそも豆は「魔目」という文字が当てられることがある。鬼の目に投げつけられたことが由来である。豆は米と並び、神様が宿る大切なものとされた。


その豆を炒るということは、どういうことか?


思うに一つは神聖な豆に、火を通すことで、火の神の力も加えるということか。またそれを投げつける意味は、豆は火を通すことで決して芽を出すことはない。これは生まれることの阻止、復活、再生の阻止という意味もあるのではと思う。


前日に神棚に供えることで、さらに自分が信仰する神の力も加えている。


厄や病を齎すと信じられた鬼に対する恐怖心というものが昔の人の根底にあったのだろう。


③については現代だと男尊女卑的に考えてしまうが、男は家を守るものという認識が今よりももっとあったのだろう。また、方位、家相に関する障りは一家の長に出やすいので、そういうことから自身を守るということもあるのかも。


豆撒きの豆自体が、調べると幾重にも神の力が重なる武器であることが分かる。そして豆まきには言葉が伴う。言葉の力も加えるのだ。


節分は他にも柊と鰯を飾る。焼いた鰯の匂いを鬼は嫌い、柊の尖った葉が鬼を傷つけるという意味がある。


今日、当たり前になっている恵方巻だが、これの歴史は浅い。1970年~1980年くらいに流行した、大阪の方のとある寿司屋さんが始めた風習らしい。神に供えるという大事な要素が欠けているので意味をなさないおまじないだ。


我が家では節分の「鬼は外」は言わない。それは貧乏になるおまじないと言い伝えられている。それを知ってから鬼に興味を持つに至った。次回は鬼について少し考えてみます。


2020-01-12

◆日本のしきたり・第2回  正月について その2  

お正月飾りと言えば門松意外にも、注連縄や鏡餅がある。

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注連縄の由来は古事記に遡る。天岩戸に閉じこもっていた天照大神を、天手力男命が引っ張り出した際、岩戸の中に二度と戻らないように施したのが注連縄の起源だと云う。


注連縄は左捻りで、結界という意味がある。


神社の入り口に施してあるのをよく見かけるが、これは不浄を嫌う神様にとって外から不浄なものが入ってこないようにするという意味がある。と同時に、中にいる神様も外の世界(人間の住む世界)に入ってこないようにするという意味もあると思う。


神様の御魂は、荒魂と和魂とある。簡潔に言えば、荒ぶる激しい側面と、穏やかな優しい側面だ。人の発する言葉や行いによって神様は和魂か荒魂に変わる。荒魂が暴れると災いをもたらすと考えられていた。故に注連縄を神社の入り口に設ける意味は、神様は神社の中に留めておきたいということもある。


「注連縄は神を閉じ込めておくと云う意味がある」と気付いたのは、今から20年近く前、愛知県の有名な寺稲荷、豊川稲荷の狐塚にて不思議な体験をさせて頂いたからだ。過去ブログでも述べたかもしれないが、当時、父と歴史好きのお客様の併せて5名で豊川市内の寺社巡りをしたことがあった。


最初に訪れた犬尾神社にて、父が「注連縄や鳥居は内と外、両方に作用する結界だ。神を閉じ込める意味があるのでは?」と言葉で述べたことがあった。その直後で訪れた豊川稲荷の奥の院、狐塚で鳥居が潜れないという体験をした。


お客様3名は、何ともなく普通に鳥居を潜ったが、私と父だけ奥の院の鳥居が潜れないのである。目の前に目には見えぬが厚さ数十センチもあろうかという空気の壁のようなものが前進を妨げ、足が後ろにむかって勝手に下がっていくのである。
 
 
もう感覚的な話であるが、空気の壁が現れる前、狐塚にある無数jの稲荷神像が、一斉にこちらを見たような気がした。頭がグラグラし、広い境内を歩いている間治ることはなかったが、第一鳥居を出たとたん、スポンと頭に入っていた空気が抜けたように軽くなった。元に戻ったのだ。誠に不思議な体験であった。


以来、何度か豊川稲荷へ参拝に行くが、後にも先にも狐塚の鳥居が潜れないということはない。今思えば、注連縄や鳥居の真の意味を言葉で述べたのを豊川のお稲荷さんが聞き、実際に身をもって体験させてくれたのだと思う。


よくお札や、開眼してもらった仏像を祀っているという人に限って、御縁のあった寺社への参拝をしなくなるという話を聞く。本体の神仏に会うのであれば、その場所に参拝に行くことが大変重要であると思う。


話を正月飾りとしての注連縄に戻そう。


各家庭にて飾る注連縄は、歳神が訪れる前に不浄なものが入らないようにする、招いた家の中が神聖であるという意味がある。


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上の画像は奈良県の某寺院の境内にあった注連縄。この地域には、普通の道に思える所にもこのような注連縄があった。これより先は神域であることの目印だ。このタイプの注連縄を初めて見た時は大変驚いた。神すさぶという言葉が浮かぶほどインパクトがあった。


神社の御神木にも注連縄が施してあるものを見かけるが、やはり神が降りる、宿る木は穢れてはならないからだろう。神社の御神木に関しては、注連縄が施してないものもあると思う。参拝者からすれば、どれが神が宿る木かの判断は難しい。また祀ってある神様が穏やかな神様なのか、それとも荒ぶる神様なのかも場合によってはよほど調べないと分からない。(明治期に神様が入れ替わっている場合も多いから)故に神社の木はむやみやたらに触ったり、抱きついたりしてはいけない。


和魂の神様ならいざしらず、祀ってある神様が荒魂の場合、それに触れると障りがあると思う。


注連縄は、本来藁を編んだもの紙垂をつけたものであったが、地域によっては橙や扇、伊勢海老などが加えられていった。(蓬莱飾)


注連縄はそれそのものも神聖であるし、神域であるという目印でもある。穢れを入れないようにしたり、神をそこに留める為に用いるものだ。




2020-01-10

◆日本のしきたり・第1回  正月について  

私の本業は着物屋です。紅葉屋呉服店という店で商いをしております。


寺や神社が好きでこのブログをはじめましたが、もう一つブログを持っています。


そちらは主に仕事に関するものです。


最近、仕事、趣味共に日本に関することと言うことで、日本の文化・しきたり、本業の着物等に関することをブログを用いて考えてみようかということになりました。自分自身、もっと日本に古くからあるものを知りたくなったのです。


まずは日本の、当たり前に受け入れている「しきたり」について考察していくことになりました。これをご覧の皆様にはお付き合いのほどよろしくお願い致します。


さて、初回の一発目は、一年の始まり、お正月についてです。


これも調べてみると、知っているようで知らないことが多々ありました。そもそもお正月とは何なのか?


結論から言えば、お正月とは各家庭にて行う歳神様を迎えるための政だ。


お正月の準備は12月13日~12月28日までにすると良く、13日は歳神様を迎える「正月事始め」と言う。


また、正月事始めに行うこととして「松迎」が行われた。これは門松などの正月飾りに用いる松を山に取りに行くことだ。


今日では、家の前に門松を立てる光景は殆ど見なくなったが、家の前に立てる門松とは歳神様を呼ぶための依り代という意味がある。


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門松と言って頭に浮かぶのが上の画像のような三本の竹を中心とした形だが、この形が出来る前は松の枝を玄関の柱などに括り付けるという質素なものだったようだ。


お正月で迎えるという神様、歳神様はおそらく陰陽道や易学などに登場する福の神、歳徳神のことだと思う。毎年変わる恵方に鎮座する水の性質の女神である。恵方巻というおまじないが有名だが、寿司を黙って丸かじりするだけで、完全にこの神様が忘れられてしまっている。供えて祭るという肝心なものが欠落してしまった恵方巻の神事は、既に意味が全くない。(過去ブログに纏めてあります)


歳徳神は、自身の子供達である恐るべき祟り神「八王子神」から人間を守ると云われる。京都の神泉苑が有名だが、歳徳神様を祭るこの社は、社ごと360度ぐるぐると回転させることが出来るという。これは各方位に対応する陰陽道的なお祭りの仕方があるのだろう。


各家庭で祭る神棚についても調べてみたが、正月用の歳神様を祭る為の神棚も嘗てはあった。


特徴的なのは、高い場所の板などに置くタイプではなく、天井から吊り下げるタイプのもので、神棚自体が回転式になっているものだった。京都の神泉苑の社と同じ発想である。


お正月に迎える歳神という神様を調べると、まず陰陽道の神様で間違いないと思うが、実際の現場(各家庭)では様々な考え方が習合したようである。


つまり、本来陰陽道の神である歳徳神だが、地域によっては陰陽道の神ではなく先祖神であったり、山の神であったりする場合がある。むしろそっちのイメージのが強いようだ。


民俗学的な考え方だと、人は亡くなるとその魂は山に帰る。山(海とかも)は異界であり、神そのものであったり神が降りる巨大な依り代でもある。山に帰った魂達はやがて習合し、一つの先祖神になると云われる。地域で祭られる氏神様の元祖だ。


古代からある豪族の墓、古墳も死して山になろうという発想があったのかもしれない。


日本の宗教観は様々なものを一つに纏めているので、お正月に迎えるという歳徳神だけを調べてみても、様々な解釈が出来る。どれが正解だろうと決めるのはあまり意味がないように思う。お正月の招く歳神様とは、陰陽道の福の神であり先祖神であり、氏神であり、自身が信仰する神様でもあるからだ。


そんな神様達を各家に招くため、依り代となる門松を家の前に立てるのである。


・・・こんな感じで日本の文化、しきたりを考察していきたいと思います。





プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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