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2020-05-26

◆端午の節句 後編

五月五日は粽(ちまき)を食べることでも知られる。この粽について分かったことがあった。


節句と言うのは年間行事の中で季節の節目、大事な行事の日だ。陰陽道と関連している。


端午の節句、後編は以前このブログで「津島神社」について上げましたが、その津島神社を調べていた際に見つけたお話を紹介します。


それは、節句の行事とは牛頭天王様のお祭という意味があると云うものだ。八坂神社や津島神社の御祭神が牛頭天王様である。(現在は須佐之男命になっている)


古くは奈良時代に書かれた「備後の国風土記」に牛頭天王に纏わる伝説が出てくるが、牛頭天王様に纏わる伝説はこればかりではない。「祇園牛頭天王縁起」には更に詳細な物語として残っている。


牛頭天王様に関する昔話を簡単に説明すると、



①陰陽道由来の荒ぶる厄神の王様、牛頭天王がある日、竜宮の姫神を娶りに旅に出る。

②旅の途中、宿を借りる為、ある村に立ち寄る。古単という長者の家を訪ねるが長者は拒否する。

③代わりの宿を探す際、蘇民という人の家に泊まる。

④礼を言って去った牛頭天王は、後に竜宮の姫神と結婚し、八柱の子供をもうける。

⑤数年たって蘇民の所にやってくる。自分を泊めることを拒否した古単に復讐する為、蘇民とその家族のみ助かる方法を伝える。

⑥蘇民とその家族以外、古単含めて村人達を全滅させる。




というのが概略だ。祇園牛頭天王縁起の詳細は長くなるので省略するが、この縁起には蘇民やその子孫たちが、それぞれの節句の日に供え物をし、牛頭天王様に感謝するお祭のことが書かれていた。
 
 
それは、牛頭天王様を激怒さらしめた、古単への呪詛であった。


祇園牛頭天王縁起によれば、端午の節句に用いる粽とは古単の「もとどり(髪を結い纏めた部分)」の一部を表しているとあった。粽には古単の身体の一部という意味があったのだ。


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他にも祇園牛頭天王縁起には古単の身体を意味する供え物がこうあった。



・12月末、人々が節酒を造るが、これは古単の「血液」を表している。

・正月の丸餅は古単の「肉」を表す。

・餅を輪に入れるのは、古単の「骨」を表す。

・赤い色の餅は、古単の「身の色」を表す。

ぎっちょうという遊びに用いる玉は古単の「目玉」である。

・15日の注連縄を焼く意味は、古単の「死骸」を焼くことを意味する。




また縁起によれば、5月5日の菖蒲とは、古単の「頭の髪」を意味していると云う。


何とも驚くべき内容であった。民間に残っている節句の行事は、荒ぶる恐るべき厄神の王、牛頭天王様を各家庭でもてなすお祭という意味もあったのだ。


恐ろしい病気や疫病、降って湧いたような災難は、牛頭天王様やその御眷属の八王子神、そのまた御眷属の厄神達が起こすと陰陽道では考えられていた。
 
 
故に厄神達の王である牛頭天王様への感謝を示す為、また牛頭天王様に喜んで貰うために、その昔牛頭天王様を心底怒らせた古単を生贄とする為の儀式を行うのが節句の行事なのである。
 
 
日本のしきたりは神道由来のもの、仏教由来のもの、陰陽道由来のもの、さまざまな考え方が複雑に絡み合っていたようです。



参考文献 牛頭天王と蘇民将来伝説 消された異神たち  川村湊 著  作品社


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2020-05-25

◆5月5日 端午の節句  前編

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通称「子供の日」。端午とは月の端(はじめ)の午(うま)の日のこと。


男の子の役除けと健康祈願の御祝。現在は「男の子の日」という意味だが、昔は女性が身を清める行事だったそう。


この日、女性達が菖蒲や蓬の葉で葺いた小屋に入り、穢れを払い田植えをしていたという。田植えというのが単に生活を支える食料資源ではないと思える話だ。男性は穢れを払わなくてもよく、女性だけが該当するようなので、現代人の感覚だとあり得ない差別だと認識してしまうが、昔はこういうことが当たり前だったようだ。仏教でも古い時代は女性に生まれただけで救われないという話も確かあった気がする。
 
 
現代でも相撲の土俵は女人禁制だったり、山岳信仰の霊場などにもそんな場所が残っている。こう言うのは最近始まったことではない昔からあることなので、今の感覚で過去の認識に対してものを言うのは難しいが、個人的には良くないことだなと思う。
 
 
女性の行事が男の子の祭となったのは、武家社会になり世継ぎの男子の重要性が問われるようになってから。菖蒲が「勝負」に繋がるとして鎧兜を飾るようになった。


男の子の安全を祈り、厄除けの神様として鍾馗様の絵を画いた幟を飾ったりしたが、これが後に鯉のぼりとなる。鯉のぼりは江戸後期には既にあったようだ。鯉が滝を登り龍になるという故事に因み、立身出世の願いが込められている。


柏餅を食べるのは、柏は新芽が出るまで葉が落ちないことから縁起の良い木とされる。子孫繁栄の願いがあるようだ。だいだいこんな話が、子供の日の一般的な意味合いだと思う。


ただ、子供の日に兜を飾るのはこれで分かったが、金太郎を飾るのはどうしてかと思った。やはり強い子供に育つようにという願いが金太郎の人形に繋がったか。

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金太郎が気になったので調べていたら興味深い話が出てきた。この話は直接「子供の日」とは関係ないかもしれないが、全くの無関係とも思えなかったので紹介したい。


金太郎こと坂田金時(さかたのきんとき)は、その力を認められ源頼光の家来となった。源頼光は妖怪退治の伝説によくその名を見るが、坂田金時も頼光四天王として戦地へ出かけ、結果を残している。そんな坂田金時、確か戦地へ向かう途中、病気にかかり亡くなったと記憶している。


金太郎を祀る神社もいくつかあるが、その中の一つに金時神社がある。箱根外輪山、金時山中腹に「金時の宿り石(縦16m×横14m)」がありその上に建っているのが金時神社だ。


旧暦9月18日に、金時祭と称し盛んに行われている神社であったが、一時廃れてしまったと云う。その後、昭和6年に金時の宿り石が突然二つに割れ、時を同じくしジフテリアが大流行し、子供達が多数死んだ。


人々は「金太郎の祟りだ」と恐れ、以後は5月5日に行われるようになったという。こどもの日に金太郎の人形を飾る様になったのは、金太郎への畏怖と、忘れないようにという意味が込められているのかもしれません。


次回、端午の節句の後編です。


参考文献 日本のしきたりが丸ごと分かる本 普遊社
       日本の神様 読み解き事典  川口謙二編著  柏書房

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2020-03-02

◆日本のしきたり・第5回 雛祭り

3月3日はお雛様、雛祭り。

雛祭りは上巳(じょうし)の節句、桃の花が咲く時期に女の子の成長を祝う儀式だ。

桃の節句とも言う。


雛人形を飾り、御祝をするのが一般的だが、起源を辿ると奈良時代~平安時代にはあったと云う儀式に辿り着く。


ひな流しと呼ばれるものだ。


土や紙で作られた形代と呼ばれる人形の一種を、生まれた赤子の枕元に置き厄除けとした。


そして一年の災いを春のひな流しで払う。川に流すのだ。


災厄、穢れを形代に移すという発想だ。


何年か前、滋賀県のMIHOミュージアムで土偶の展示会があった。土偶についてはそれほど知識が無かったので、これは面白いかもと観に行った。


興味深かったのは、発掘された人の形をした土偶はほぼ女性であったこと。そしてどうも壊してから埋めた形跡が多いという解説だった。病気についての恐れは、現代の人とは比べ物にならないほどのものがあったと思う。
 
 
特に出産や、子供が大人になることは大変に困難であった。奈良時代や平安時代も大変なら、縄文時代は尚更だったと思う。


縄文の人達は子孫の繁栄の為、安全に子供が生まれてくる為に、病気の原因たる何か厄神的な存在の障り、穢れを土偶に移し、それが再生しないよう破壊したのだと思った。


縄文の記憶がそのまま奈良時代や平安時代に受け継がれたとは言わないが、いつの時代も病は怖いもので、医学が発達した現代なら原因の特定も出来るが、大昔なら病の原因は神の怒り、厄神の障りと解釈したのだと思う。

厄を移す形代が、時代と共にに変化する。江戸期頃になると制作技術の発展により、様々な人形が作られるようになった。形代も雛人形に変わり、鑑賞を目的にするものに変化する。


現在では雛人形を飾るのは、だいたい立春から一週間位の中で準備するのが良い。雛祭り前日に慌てて出すのは「一夜飾り」と言ってあんまり縁起が良いことではないと言う。


また、雛祭りを過ぎても、雛飾りを出しっぱなしにするのは婚期が遅れると言うが、これもおそらく「流しびな」の風習の考え方が変化したものだろう。厄を移した形代をいつまでも流さずに置いておくと、その厄はまた当人に戻る、という解釈になる。つまり「厄が戻る」という言葉、考え方が婚期が遅れるになったのでは・・・。


最近の雛飾りは景気や住宅事情に比例してか、私が子供の時によく見た雛段飾りというのは、段々と簡略化して、御殿様と姫様だけになっているのが増えた。


雛段飾りは赤い毛氈を敷くが、赤色は不滅や魔除けという意味がある。古墳に埋葬された遺体にも朱が塗ってある例もある。これも魔除けという意味もあると思う。後は「火」の色、火の性質を加えるという意味もあるだろう。


お殿様とお姫様だけで飾るのを親王飾りという。殿様と姫様は天皇陛下と皇后さまでもある。


天皇陛下は祭祀王。国民の為に祈るのがお仕事だ。そう考えると内裏雛(天皇・皇后を形どって作られた人形)が雛人形として飾られるのも、ある意味納得である。以前こんな話を読んだ。


何かの本に載っていたが、現在の上皇陛下が、昔被災地に行かれた際、「災厄よ私を通ってくれ」というような意味の言葉で祈ったと・・・。


国民の為に自らがその災厄を引き受けると言う常人ではとても言えない凄い言葉だ。上皇陛下も天皇陛下も、日本にいてくれて良かったと思う。頭が下がる思いである。



雛祭りは大事な子供(女児)を災厄から守る、大切なお祭でした。


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参考文献  日本のしきたりが丸ごと分かる本  晋遊社
        本当は怖い日本のしきたり      彩図社
2020-01-30

◆日本のしきたり・第4回 節分

二月は和風月名で如月という。如月は衣更着とも言い、寒さのため着物を更に着込むという意味だそう。


そんな二月の伝統的なしきたりが節分だ。


元々は平安期に始まった、鬼を祓う儀式「追儺」から始まっていると云う。節分は旧暦で一年の始まりとされた立春の一日前にあたり、季節の変わり目には隙が出来、鬼が入るとされていた。

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江戸期に流行していた、年末から年始に行われる「なかきよの宝船の絵」を枕元に置いて寝る習慣もよく似ている。これは年度の変わり目は魔物が入りやすいという理由で、宝船の絵札を置き結界を張ろうというものだ。


節分には豆を撒く行為がある。調べてみたらこの豆撒き、やるからには以下の約束事があった。


①まず、炒った豆でないといけない。

②撒く豆は前日に神棚に備える。そうすることで福豆となる。

③撒くのは一家の長、厄年の男、年男であること。



というものである。


そもそも豆は「魔目」という文字が当てられることがある。鬼の目に投げつけられたことが由来である。豆は米と並び、神様が宿る大切なものとされた。


その豆を炒るということは、どういうことか?


思うに一つは神聖な豆に、火を通すことで、火の神の力も加えるということか。またそれを投げつける意味は、豆は火を通すことで決して芽を出すことはない。これは生まれることの阻止、復活、再生の阻止という意味もあるのではと思う。


前日に神棚に供えることで、さらに自分が信仰する神の力も加えている。


厄や病を齎すと信じられた鬼に対する恐怖心というものが昔の人の根底にあったのだろう。


③については現代だと男尊女卑的に考えてしまうが、男は家を守るものという認識が今よりももっとあったのだろう。また、方位、家相に関する障りは一家の長に出やすいので、そういうことから自身を守るということもあるのかも。


豆撒きの豆自体が、調べると幾重にも神の力が重なる武器であることが分かる。そして豆まきには言葉が伴う。言葉の力も加えるのだ。


節分は他にも柊と鰯を飾る。焼いた鰯の匂いを鬼は嫌い、柊の尖った葉が鬼を傷つけるという意味がある。


今日、当たり前になっている恵方巻だが、これの歴史は浅い。1970年~1980年くらいに流行した、大阪の方のとある寿司屋さんが始めた風習らしい。神に供えるという大事な要素が欠けているので意味をなさないおまじないだ。


我が家では節分の「鬼は外」は言わない。それは貧乏になるおまじないと言い伝えられている。それを知ってから鬼に興味を持つに至った。次回は鬼について少し考えてみます。


2020-01-12

◆日本のしきたり・第2回  正月について その2  

お正月飾りと言えば門松意外にも、注連縄や鏡餅がある。

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注連縄の由来は古事記に遡る。天岩戸に閉じこもっていた天照大神を、天手力男命が引っ張り出した際、岩戸の中に二度と戻らないように施したのが注連縄の起源だと云う。


注連縄は左捻りで、結界という意味がある。


神社の入り口に施してあるのをよく見かけるが、これは不浄を嫌う神様にとって外から不浄なものが入ってこないようにするという意味がある。と同時に、中にいる神様も外の世界(人間の住む世界)に入ってこないようにするという意味もあると思う。


神様の御魂は、荒魂と和魂とある。簡潔に言えば、荒ぶる激しい側面と、穏やかな優しい側面だ。人の発する言葉や行いによって神様は和魂か荒魂に変わる。荒魂が暴れると災いをもたらすと考えられていた。故に注連縄を神社の入り口に設ける意味は、神様は神社の中に留めておきたいということもある。


「注連縄は神を閉じ込めておくと云う意味がある」と気付いたのは、今から20年近く前、愛知県の有名な寺稲荷、豊川稲荷の狐塚にて不思議な体験をさせて頂いたからだ。過去ブログでも述べたかもしれないが、当時、父と歴史好きのお客様の併せて5名で豊川市内の寺社巡りをしたことがあった。


最初に訪れた犬尾神社にて、父が「注連縄や鳥居は内と外、両方に作用する結界だ。神を閉じ込める意味があるのでは?」と言葉で述べたことがあった。その直後で訪れた豊川稲荷の奥の院、狐塚で鳥居が潜れないという体験をした。


お客様3名は、何ともなく普通に鳥居を潜ったが、私と父だけ奥の院の鳥居が潜れないのである。目の前に目には見えぬが厚さ数十センチもあろうかという空気の壁のようなものが前進を妨げ、足が後ろにむかって勝手に下がっていくのである。
 
 
もう感覚的な話であるが、空気の壁が現れる前、狐塚にある無数jの稲荷神像が、一斉にこちらを見たような気がした。頭がグラグラし、広い境内を歩いている間治ることはなかったが、第一鳥居を出たとたん、スポンと頭に入っていた空気が抜けたように軽くなった。元に戻ったのだ。誠に不思議な体験であった。


以来、何度か豊川稲荷へ参拝に行くが、後にも先にも狐塚の鳥居が潜れないということはない。今思えば、注連縄や鳥居の真の意味を言葉で述べたのを豊川のお稲荷さんが聞き、実際に身をもって体験させてくれたのだと思う。


よくお札や、開眼してもらった仏像を祀っているという人に限って、御縁のあった寺社への参拝をしなくなるという話を聞く。本体の神仏に会うのであれば、その場所に参拝に行くことが大変重要であると思う。


話を正月飾りとしての注連縄に戻そう。


各家庭にて飾る注連縄は、歳神が訪れる前に不浄なものが入らないようにする、招いた家の中が神聖であるという意味がある。


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上の画像は奈良県の某寺院の境内にあった注連縄。この地域には、普通の道に思える所にもこのような注連縄があった。これより先は神域であることの目印だ。このタイプの注連縄を初めて見た時は大変驚いた。神すさぶという言葉が浮かぶほどインパクトがあった。


神社の御神木にも注連縄が施してあるものを見かけるが、やはり神が降りる、宿る木は穢れてはならないからだろう。神社の御神木に関しては、注連縄が施してないものもあると思う。参拝者からすれば、どれが神が宿る木かの判断は難しい。また祀ってある神様が穏やかな神様なのか、それとも荒ぶる神様なのかも場合によってはよほど調べないと分からない。(明治期に神様が入れ替わっている場合も多いから)故に神社の木はむやみやたらに触ったり、抱きついたりしてはいけない。


和魂の神様ならいざしらず、祀ってある神様が荒魂の場合、それに触れると障りがあると思う。


注連縄は、本来藁を編んだもの紙垂をつけたものであったが、地域によっては橙や扇、伊勢海老などが加えられていった。(蓬莱飾)


注連縄はそれそのものも神聖であるし、神域であるという目印でもある。穢れを入れないようにしたり、神をそこに留める為に用いるものだ。




プロフィール

紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾

Author:紅葉屋呉服店:店主 加藤大幾
名古屋市内で呉服中心で古美術も扱っているお店をやっています。

主に趣味のお寺と神社の参拝を中心としたブログです。

◆紅葉屋呉服店
momijiyagohukuten.com

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