2023-02-24
◆蔵王権現の掛軸
蔵王権現の曼荼羅図(掛軸)を見る機会があった。時代はそれほど古くはないと思います。

蔵王権現を中心に様々な仏様が画かれています。蔵王権現の正式名称委は「金剛蔵王権現」と言います。

下から見ますと向かって左が不動明王、右側が役行者です。前鬼と後鬼を引き連れています。
この曼荼羅図の本尊が、蔵王権現です。吉野の金峰山寺にある蔵王権現が有名ですね。

蔵王権現の周りには八大金剛童子という神様がいます。不動明王の御眷属にも八大童子という神々がいらっしゃいますが、それとは違うのかもしれません。
地図の上の方には地蔵菩薩と弁才天がいます。

吉野の弁才天と言えば、天河弁才天でしょう。
吉野には2,3回お参りに出かけたことがありますが、地蔵菩薩は気付かなかったです。どこかにあるのかと調べてみたら、役行者の伝説が残る地蔵菩薩像が出てきました。
その来歴が分かりました。現在は金剛寺にて管理されているようです。
その音大峰山を開かれた「役(えん)の行者」が、ご自分で彫刻された地蔵菩薩像を大峰山から投げられ、神之谷に落ちたものを地元住民が有難く感じ、役の行者を讃えて大切におまつりしてきたと伝えています。また、和泉流狂言の「川上」に、日の見えない者が川上の地蔵に詣でて目が見えるようになった語りがあり、壷阪霊現記の「お里沢市」の元の話として、『川上地蔵』の名で親しまれてきたお地蔵様でもあります。
・・・というものです。興味深い来歴です。役行者が自分で彫り終えた地蔵菩薩像を山の上から投げ捨てた(!)というのです。自分でお参りするために彫っていた地蔵菩薩を「これではない」ということで投げ捨てたということでしょうか。
役行者を調べると、蔵王権現を祀る様になった経緯についての昔話が出てきます。
大峰山上ヶ岳の山頂にある大岩に座した役行者。地上強調文で苦しむ人々の災いをとり省くには、一体どの仏を祈れば良いのか?
そう強く念じながら、孔雀明王経や不動明王経を一心に唱えていた所、最初に呼応して出てきたのが弁才天でした。しかし、役行者がイメージしたのは破邪の神だったので、弁才天ではあまりにも優美過ぎました。
もっと違う仏をと願ったいたら、次に出てきたのが地蔵菩薩でした。しかし、それも役行者のイメージした仏様ではなかったそうです。そして最後に出てきたのが荒ぶる姿の蔵王権現だったというものです。
前述の地蔵菩薩像を山から捨てたという珍しい来歴は、多分この時の昔話が出処になっているのではと思います。掛軸の上部に画かれた地蔵菩薩と弁才天も納得です。
ただ、色々と調べてみると書籍によって蔵王権現感得に至る話は違うパターンがあり、出現する仏様が違う場合があります。弁才天の代わりに釈迦如来、地蔵菩薩の代わりに千手観音が出現したという話もありました。
どっちが正しいかというのを調べても、もう結論は出ないでしょうが、蔵王権現を祀る吉野方面には有名な弁才天社もありますので、個人的には弁財天と地蔵菩薩が現れる話のが、より古い話なのかなと思います。
紅葉屋呉服店はこちらまで
参考文献
修験道の本 学研
山伏・修験道の本尊 蔵王権現入門 総本山金峰山寺 国書刊行会

蔵王権現を中心に様々な仏様が画かれています。蔵王権現の正式名称委は「金剛蔵王権現」と言います。

下から見ますと向かって左が不動明王、右側が役行者です。前鬼と後鬼を引き連れています。
この曼荼羅図の本尊が、蔵王権現です。吉野の金峰山寺にある蔵王権現が有名ですね。

蔵王権現の周りには八大金剛童子という神様がいます。不動明王の御眷属にも八大童子という神々がいらっしゃいますが、それとは違うのかもしれません。
地図の上の方には地蔵菩薩と弁才天がいます。

吉野の弁才天と言えば、天河弁才天でしょう。
吉野には2,3回お参りに出かけたことがありますが、地蔵菩薩は気付かなかったです。どこかにあるのかと調べてみたら、役行者の伝説が残る地蔵菩薩像が出てきました。
その来歴が分かりました。現在は金剛寺にて管理されているようです。
その音大峰山を開かれた「役(えん)の行者」が、ご自分で彫刻された地蔵菩薩像を大峰山から投げられ、神之谷に落ちたものを地元住民が有難く感じ、役の行者を讃えて大切におまつりしてきたと伝えています。また、和泉流狂言の「川上」に、日の見えない者が川上の地蔵に詣でて目が見えるようになった語りがあり、壷阪霊現記の「お里沢市」の元の話として、『川上地蔵』の名で親しまれてきたお地蔵様でもあります。
・・・というものです。興味深い来歴です。役行者が自分で彫り終えた地蔵菩薩像を山の上から投げ捨てた(!)というのです。自分でお参りするために彫っていた地蔵菩薩を「これではない」ということで投げ捨てたということでしょうか。
役行者を調べると、蔵王権現を祀る様になった経緯についての昔話が出てきます。
大峰山上ヶ岳の山頂にある大岩に座した役行者。地上強調文で苦しむ人々の災いをとり省くには、一体どの仏を祈れば良いのか?
そう強く念じながら、孔雀明王経や不動明王経を一心に唱えていた所、最初に呼応して出てきたのが弁才天でした。しかし、役行者がイメージしたのは破邪の神だったので、弁才天ではあまりにも優美過ぎました。
もっと違う仏をと願ったいたら、次に出てきたのが地蔵菩薩でした。しかし、それも役行者のイメージした仏様ではなかったそうです。そして最後に出てきたのが荒ぶる姿の蔵王権現だったというものです。
前述の地蔵菩薩像を山から捨てたという珍しい来歴は、多分この時の昔話が出処になっているのではと思います。掛軸の上部に画かれた地蔵菩薩と弁才天も納得です。
ただ、色々と調べてみると書籍によって蔵王権現感得に至る話は違うパターンがあり、出現する仏様が違う場合があります。弁才天の代わりに釈迦如来、地蔵菩薩の代わりに千手観音が出現したという話もありました。
どっちが正しいかというのを調べても、もう結論は出ないでしょうが、蔵王権現を祀る吉野方面には有名な弁才天社もありますので、個人的には弁財天と地蔵菩薩が現れる話のが、より古い話なのかなと思います。
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参考文献
修験道の本 学研
山伏・修験道の本尊 蔵王権現入門 総本山金峰山寺 国書刊行会
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2023-01-28
◆壁紙張替え
店舗兼自宅の壁紙を貼替ました。天井と壁です。
はっきり覚えてはないですが、築30数年目にして行いました。元々白色の壁紙でしたが経年劣化で汚れが目立ち始め、なかなか手を入れることもなく現在に至った訳ですが、ようやく決心し着工と相成りました。
画像だと分かり難いですが、色は白色から土壁っぽい渋めの色になりました。

最初は「洗面所の壁紙が汚れてきているし、洗面台も古くなってきたので思いきって換えるか」と始まったリフォームでしたが、一箇所新しくなると、他との違いが明確になります。築年数で考えても、どの壁、どの天井も同じように劣化しているということで、結果的に家中の壁と天井を貼替ました。
何故もっと早くやらなかったのかと思う位見た目が変わりました。業者の方には感謝です。
施工が全て終わって数日後、気付いたことがありました。
家の中の見た目は勿論ですが、雰囲気が変わりました。きりっとしたというか、清々しい感じになりました。
これ思うに、一つの家という空間に30年以上人が生活していると、家の壁や天井には汚れと一緒に住んでいる人の想いというか、念のようなものが付着していたのではと思いました。貼替したことでそういうものが無くなったから、見た目以上に綺麗になったのでしょう。
家の中に住む人がいた時間に比例し、その人の感情、楽しいこと、辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、様々な喜怒哀楽の感情が家の中には籠るはずです。

無論、掃除や換気をまめにしたりすれば、それなりに改善はするでしょうが、目に見えぬ想いの念、特に怒りや悲しみ、苦しみが多いとそういう念は壁や天井にべったりはり着くように思います。
そう考えないと、これほどはっきりと雰囲気が変わる説明が出来ないです。
中々内装に手を入れると言うのは気軽には出来ませんが、見た目以上に家の中の気が変わると思うので、年数の経った家はやる価値はあるなと思います。
それと住む人の考え方が、結果的に家の中を楽しい空間にしたり、居心地の悪い空間にしたりすると思います。普段、誰も見ていない時の自分の考え方、習慣は大切ですね。綺麗になった家の中を見て、つくづくそう思いました。
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はっきり覚えてはないですが、築30数年目にして行いました。元々白色の壁紙でしたが経年劣化で汚れが目立ち始め、なかなか手を入れることもなく現在に至った訳ですが、ようやく決心し着工と相成りました。
画像だと分かり難いですが、色は白色から土壁っぽい渋めの色になりました。

最初は「洗面所の壁紙が汚れてきているし、洗面台も古くなってきたので思いきって換えるか」と始まったリフォームでしたが、一箇所新しくなると、他との違いが明確になります。築年数で考えても、どの壁、どの天井も同じように劣化しているということで、結果的に家中の壁と天井を貼替ました。
何故もっと早くやらなかったのかと思う位見た目が変わりました。業者の方には感謝です。
施工が全て終わって数日後、気付いたことがありました。
家の中の見た目は勿論ですが、雰囲気が変わりました。きりっとしたというか、清々しい感じになりました。
これ思うに、一つの家という空間に30年以上人が生活していると、家の壁や天井には汚れと一緒に住んでいる人の想いというか、念のようなものが付着していたのではと思いました。貼替したことでそういうものが無くなったから、見た目以上に綺麗になったのでしょう。
家の中に住む人がいた時間に比例し、その人の感情、楽しいこと、辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、様々な喜怒哀楽の感情が家の中には籠るはずです。

無論、掃除や換気をまめにしたりすれば、それなりに改善はするでしょうが、目に見えぬ想いの念、特に怒りや悲しみ、苦しみが多いとそういう念は壁や天井にべったりはり着くように思います。
そう考えないと、これほどはっきりと雰囲気が変わる説明が出来ないです。
中々内装に手を入れると言うのは気軽には出来ませんが、見た目以上に家の中の気が変わると思うので、年数の経った家はやる価値はあるなと思います。
それと住む人の考え方が、結果的に家の中を楽しい空間にしたり、居心地の悪い空間にしたりすると思います。普段、誰も見ていない時の自分の考え方、習慣は大切ですね。綺麗になった家の中を見て、つくづくそう思いました。
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2022-05-28
◆お鈴の鳴らし方 (玉圓尼和尚の笈逗子公開中)

家でお祭りしている玉圓尼和尚の笈逗子。毎日どこかの時間で般若心経をあげておりますが、最近「そういえばお鈴がないよな」と思い、仏具屋さんへお鈴を買いに行きました。
逗子の大きさを考えて、大き過ぎず、小さ過ぎずのサイズで探しました。仏具屋さんに逗子を持っていけば丁度良いサイズを探せますが、持ち運びするのも怖いので現地でカンで決めることに・・・。
店員さんに尋ねると、欲しかったタイプのお鈴の中で見ていくと、どうもすずの含有量で値段が変わるようでした。いくつかの中で、候補はすずの含有量の多い方と、少ない方の二つのどちらかが残りました。
後は鳴らしてみて、音で決めることにしました。
その際、店員さんが鳴らしてくれましたが、私はお鈴の鳴らし方があると知りました。
私は今まで、お鈴を鳴らすときはお鈴の上から垂直に鈴棒をおろしていました。叩くところはお鈴を真上から見た場合、一番淵の円の部分です。

半世紀近くこのような叩き方をしてお参りしていましたが、仏具屋さんが言うには横から叩く方が良いとのこと。

うちの家族は父も祖父も全員上からたたいていたので、これが普通だと思い、疑いもしてなかったです。
聞き比べて違いが分かりましたが、確かに横から叩いた方が音が綺麗に聞こえました。
また、すずの含有量が多い方が、音が澄んでいました。明らかに違います。
手ごろな値段のお鈴の場合、そんなに違いはないだろうと思っていましたが、材質と大きさ、叩き方で聞こえる音が全然違いますね。勉強になりました。
2021年の企画展は、コロナ禍と父が亡くなったことによる慌ただしさも重なりまして、大変ドタバタしておりました。2022年になり、このブログをしたためている現在(5月27日)、コロナ禍もだんだん落ち着いたとは言え、まだまだコロナ前というようにはなっておりません。世界では戦争も継続中です。
ですので、玉圓尼和尚の137年振りの秘仏公開は、今年も継続して行うことにしました。ご興味のある方は、ぜひ一度お出かけくださいませ。
詳細はこちらまで
紅葉屋呉服店 店主
2021-11-12
◆屋敷神
元々家に、昔から神棚を祀っている場合について考えてみました。
それで思い出せたのですが、大変稀な例ですが、家の敷地に先祖からの祠(ほこら:社より小さい)がある場合もありました。屋敷神というものです。
敷地内にある祠は、神棚よりももう一段上の強い存在かと思います。
なかなか自ら屋敷神をお招きするということは、まず無いと思いますが、何代も途切れることなく同じ土地で住んでいるという家や、昔は大きな庄屋だったとか、古い商家だった場合は敷地内に祠がある場合があるやもしれません。
神棚よりも、働きかけが強いと思いますので、これは面倒とか気持ち悪いとかは思わずに、
「先祖が必要だから、何らかの理由があり招いた神様である」
「未だに家が残り、家族がこうしていられるのは、屋敷神様のお陰」
という様に気持ちを切り替えて頂きたいと思います。個人的に言わせて頂くと、屋敷神様が家にあることは大変恵まれていると思います。
きちんと現在でも管理されているなら大丈夫ですが、何時頃からか誰も参らずほったらかしになっている場合は、屋敷神様の機嫌が悪くなっているやもしれません。
毎日のお参りは勿論、定期的に掃除をしたり年に一度くらいは神主さんやお坊さんに祝詞やお経をあげてもらった方が良いでしょう。(神主さんかお坊さんかは、中のお札により決めて下さい)
ほったらかしになっている場合、中の神様は、
「おまえらの先祖に頼まれて来たものの、子孫の態度は何だ?神を何と心得る?」
こう思うはずです。
もしお参り出来ないということであれば、然るべき手順を踏まえないといけません。いきなり撤去はもっての他かと思います。
本来、屋敷神を祀るという事は子孫も必ず手を合わせて引継ぎをしないとならないものです。有難いと思えるかどうかが分かれ目でしょう。
屋敷神様も寺社の数だけ種類はありますが、一般家庭で多いのは稲荷神かと思います。先祖からの信仰を引き継ぐのであれば、前回でも触れましたが、一体どんな神様を祀っているのかは確認した方が良いです。
※紅葉屋はこちらまで

それで思い出せたのですが、大変稀な例ですが、家の敷地に先祖からの祠(ほこら:社より小さい)がある場合もありました。屋敷神というものです。
敷地内にある祠は、神棚よりももう一段上の強い存在かと思います。
なかなか自ら屋敷神をお招きするということは、まず無いと思いますが、何代も途切れることなく同じ土地で住んでいるという家や、昔は大きな庄屋だったとか、古い商家だった場合は敷地内に祠がある場合があるやもしれません。
神棚よりも、働きかけが強いと思いますので、これは面倒とか気持ち悪いとかは思わずに、
「先祖が必要だから、何らかの理由があり招いた神様である」
「未だに家が残り、家族がこうしていられるのは、屋敷神様のお陰」
という様に気持ちを切り替えて頂きたいと思います。個人的に言わせて頂くと、屋敷神様が家にあることは大変恵まれていると思います。
きちんと現在でも管理されているなら大丈夫ですが、何時頃からか誰も参らずほったらかしになっている場合は、屋敷神様の機嫌が悪くなっているやもしれません。
毎日のお参りは勿論、定期的に掃除をしたり年に一度くらいは神主さんやお坊さんに祝詞やお経をあげてもらった方が良いでしょう。(神主さんかお坊さんかは、中のお札により決めて下さい)
ほったらかしになっている場合、中の神様は、
「おまえらの先祖に頼まれて来たものの、子孫の態度は何だ?神を何と心得る?」
こう思うはずです。
もしお参り出来ないということであれば、然るべき手順を踏まえないといけません。いきなり撤去はもっての他かと思います。
本来、屋敷神を祀るという事は子孫も必ず手を合わせて引継ぎをしないとならないものです。有難いと思えるかどうかが分かれ目でしょう。
屋敷神様も寺社の数だけ種類はありますが、一般家庭で多いのは稲荷神かと思います。先祖からの信仰を引き継ぐのであれば、前回でも触れましたが、一体どんな神様を祀っているのかは確認した方が良いです。
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2021-11-11
◆元々家に神棚などがある場合
前々回、前回と続き、神棚に関する話をしました。
なので、違うテーマに行こうかと思いましたが、元々家に自分が招いたわけではない、先祖からの神棚などがある場合はどうするか?ということもあるかなと思いましたので、その場合の話をします。
今まで全然手を合わせたことのない神棚がありました。気持ちを新たにお参りしようとする場合、特別何か必要とかはないですが、自分の家にある神棚にはどんな神様のお札が入っているかは調べた方が良いでしょう。
基本、扉が三つある神棚の場合は、真ん中に天照大神か天照皇大神宮のお札があると思われます。向かって右側は氏神様のお札、左側が自分の(ご家族の)信仰する神様のお札という形になります。
天照大神と天照皇大神宮はほぼ同じですが、私が昔神社庁に電話して聞いた所、天照皇大神宮とは伊勢神宮で祀られている神々という意味もあるとのことでした。なので、氏神様が神明社(天照大神)の場合でも、一緒に祀って構わないそうです。
自宅にある神棚を前にして、どんな神様か知っててお参りするのと、知らないでお参りするのとでは、やはり大きく違うと思います。ご家族の人に聞いたりして分かる場合もあれば、誰も知らないという場合もあるかもしれません。
知らない場合は神棚の扉を開けてみるしかないでしょう。その際は手を良く洗い、お参りしてから理由を述べて開ければ良いと思います。
祖父母や両親が信仰熱心な方の場合、お元気なうちに聞いておくと良いでしょう。どこの寺社で分けて頂いたかを知ってると思うので。

話すと長くなりますので割愛しますが、神棚の中身が神社の神様の場合、あんまりお願い事はしない方が良いと思います。感謝の気持ちで手を合わせると良いかと。
最後に中のお札は一年毎に分けて頂いた神社で、新しいものに交換すると良いようです。その際、古いお札は神社へお持ちください。
神棚がきちんと機能するようになると、お札と縁のある神々が立ち寄ることもあるそうです。家の中は常に掃除しておくとより良いでしょうね。気分も家の中の気も良くなると思います。
私も掃除しよう・・・。
※紅葉屋呉服店はこちら
なので、違うテーマに行こうかと思いましたが、元々家に自分が招いたわけではない、先祖からの神棚などがある場合はどうするか?ということもあるかなと思いましたので、その場合の話をします。
今まで全然手を合わせたことのない神棚がありました。気持ちを新たにお参りしようとする場合、特別何か必要とかはないですが、自分の家にある神棚にはどんな神様のお札が入っているかは調べた方が良いでしょう。
基本、扉が三つある神棚の場合は、真ん中に天照大神か天照皇大神宮のお札があると思われます。向かって右側は氏神様のお札、左側が自分の(ご家族の)信仰する神様のお札という形になります。
天照大神と天照皇大神宮はほぼ同じですが、私が昔神社庁に電話して聞いた所、天照皇大神宮とは伊勢神宮で祀られている神々という意味もあるとのことでした。なので、氏神様が神明社(天照大神)の場合でも、一緒に祀って構わないそうです。
自宅にある神棚を前にして、どんな神様か知っててお参りするのと、知らないでお参りするのとでは、やはり大きく違うと思います。ご家族の人に聞いたりして分かる場合もあれば、誰も知らないという場合もあるかもしれません。
知らない場合は神棚の扉を開けてみるしかないでしょう。その際は手を良く洗い、お参りしてから理由を述べて開ければ良いと思います。
祖父母や両親が信仰熱心な方の場合、お元気なうちに聞いておくと良いでしょう。どこの寺社で分けて頂いたかを知ってると思うので。

話すと長くなりますので割愛しますが、神棚の中身が神社の神様の場合、あんまりお願い事はしない方が良いと思います。感謝の気持ちで手を合わせると良いかと。
最後に中のお札は一年毎に分けて頂いた神社で、新しいものに交換すると良いようです。その際、古いお札は神社へお持ちください。
神棚がきちんと機能するようになると、お札と縁のある神々が立ち寄ることもあるそうです。家の中は常に掃除しておくとより良いでしょうね。気分も家の中の気も良くなると思います。
私も掃除しよう・・・。
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