2023-03-27
◆お札箱
お札箱を御用命頂きました。ありがとうございます。

お札箱と言っていますが、今回は中に弘法大師像が入ります。

亡くなられた祖母様が個人的にお参りされていたものとか。
後にきちんと引き継ぐ方がいるというのは大切なことだと思います。
今回は御札ではなく、仏像を入れる訳ですが、お札よりも仏像の方がより強い存在になります。
弘法大師はお預かりしたものになりますので、写真は伏せますが、お大師様も嬉しそうな顔をしているような気がしました。

少ないとは思いますが、先祖から引き継いだ、信仰の対象になっていた仏像などがある場合、引き継いでお参りする気があるのならこういった厨子を作成して納入すると良いでしょう。
紅葉屋ではこのような注文も承っております。
紅葉屋呉服店はこちらまで

お札箱と言っていますが、今回は中に弘法大師像が入ります。

亡くなられた祖母様が個人的にお参りされていたものとか。
後にきちんと引き継ぐ方がいるというのは大切なことだと思います。
今回は御札ではなく、仏像を入れる訳ですが、お札よりも仏像の方がより強い存在になります。
弘法大師はお預かりしたものになりますので、写真は伏せますが、お大師様も嬉しそうな顔をしているような気がしました。

少ないとは思いますが、先祖から引き継いだ、信仰の対象になっていた仏像などがある場合、引き継いでお参りする気があるのならこういった厨子を作成して納入すると良いでしょう。
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2023-03-25
◆天河神社参拝を終えて
天河神社参拝を終えて、色々と思うことがありました。
当店へご来店された方の中には、ご存知の方も多いと思いますが、我が家では神様や仏様をお祀りしています。
在家では珍しい部類になるかと思いますが、さながらお寺のようです。
先代が亡くなった後(実際には亡くなる少し前)、私の一番気になっていたのは、家で祀る神仏への接し方でした。最適解が分からない状態から、一つずつ意識して、より向かい合うようになりますとこうした方が良いのでは?と気付きを頂くようになりました。
そんな中、何時頃からか一つの疑問が湧いてきました。それは自分が主にする神仏は一体どなたなのだろうか?と言うものです。
それが天河神社参拝を経てはっきりと分かりました。
私にとっては弁天様でした。
先代は生涯仏様への信仰心を捨てなかったです。父は仕事のことで悩んでいる時に言葉を投げかけてくれました。それは「稲荷を味方につけると楽だぞ」というものでした。事実、父は観世音菩薩と稲荷神は熱心にお参りしていました。
頭で理解している場合と、実践の中で学ぶことは違うように思います。
いくら稲荷神を味方にしようとしても、こちらから働きかけないと動いてくれるものも、動いてくれないように思います。それにここはと決めたお稲荷さんがあっても、数回の参拝で終わっては意味がないでしょう。
この神仏を味方につけたいと熱心にお参りしたり、何度も参拝に行ったり、御札を分けてもらって家でも祀ったりしていると確かに変わってくるように思います。
また、これも続けていて分かったことですが、気持ちが入ってお参りを続けていると、別の神仏とのご縁が結ばれることもあります。
私の場合、子供の頃から気付けば観音様やお稲荷さん、天神様と一緒に生活する環境でしたが、お参りをずっと続けていたら、何故か弁天様をお参りするようになってしまいました。
これは我が家のお稲荷さんが道筋をつけてくれたのではと思いますが、弁天様の方からも呼んでもらえたのでしょう。有難いことです。でも、これは何も特別なことでは無く、誰でも素直に心から信じて求めれば、自然と行くべき寺社、神仏に辿り着けると思います。
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画像は天河神社参拝後、移動中にみつけた毘沙門堂。鍵が掛かっていましたが、地元の人に声をかけて頂き開けてもらえました。
当店へご来店された方の中には、ご存知の方も多いと思いますが、我が家では神様や仏様をお祀りしています。
在家では珍しい部類になるかと思いますが、さながらお寺のようです。
先代が亡くなった後(実際には亡くなる少し前)、私の一番気になっていたのは、家で祀る神仏への接し方でした。最適解が分からない状態から、一つずつ意識して、より向かい合うようになりますとこうした方が良いのでは?と気付きを頂くようになりました。
そんな中、何時頃からか一つの疑問が湧いてきました。それは自分が主にする神仏は一体どなたなのだろうか?と言うものです。
それが天河神社参拝を経てはっきりと分かりました。
私にとっては弁天様でした。
先代は生涯仏様への信仰心を捨てなかったです。父は仕事のことで悩んでいる時に言葉を投げかけてくれました。それは「稲荷を味方につけると楽だぞ」というものでした。事実、父は観世音菩薩と稲荷神は熱心にお参りしていました。
頭で理解している場合と、実践の中で学ぶことは違うように思います。
いくら稲荷神を味方にしようとしても、こちらから働きかけないと動いてくれるものも、動いてくれないように思います。それにここはと決めたお稲荷さんがあっても、数回の参拝で終わっては意味がないでしょう。
この神仏を味方につけたいと熱心にお参りしたり、何度も参拝に行ったり、御札を分けてもらって家でも祀ったりしていると確かに変わってくるように思います。
また、これも続けていて分かったことですが、気持ちが入ってお参りを続けていると、別の神仏とのご縁が結ばれることもあります。
私の場合、子供の頃から気付けば観音様やお稲荷さん、天神様と一緒に生活する環境でしたが、お参りをずっと続けていたら、何故か弁天様をお参りするようになってしまいました。
これは我が家のお稲荷さんが道筋をつけてくれたのではと思いますが、弁天様の方からも呼んでもらえたのでしょう。有難いことです。でも、これは何も特別なことでは無く、誰でも素直に心から信じて求めれば、自然と行くべき寺社、神仏に辿り着けると思います。
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画像は天河神社参拝後、移動中にみつけた毘沙門堂。鍵が掛かっていましたが、地元の人に声をかけて頂き開けてもらえました。
2023-03-24
◆天河参り
休日に久しぶりに一人で寺社参りに行った時のお話です。
休日はいつも家族と一緒が多いですが、今回は一人で休日を過ごすことになったのでどこに行こうかと思案しました。久しぶりに奈良に行くか、国立博物館が良いなと言う結論になりました。しかし、前日になり急遽予定を変更し、二日前まで頭に全く無かった天河弁才天へ参拝に行くことになりました。

そう至った理由はこのような理由があったからです。
①たまたま大峰山の蔵王権現曼荼羅の掛軸を目にすることがあった。(前回ブログ参照)
②たまたま立ち寄った本屋で蔵王権現の表紙の本を見つけた。
③真言宗のお坊さんの著書を読んでいた時に、弁才天の御利益についての記述があった。
この三つが切っ掛けで、決定打になったのは③の本を読んでいる最中に「奈良に行くなら天河だ。博物館じゃない」と頭の中に言葉がいきなり浮かんできたことでした。天河神社に行く気は全然無かったので決めた時は自分でも驚きました。
それと天河行きを決めたも理由はもう一つありました。おみくじです。2022年の秋頃、我が家とご縁をのあるお稲荷さんの大本の寺、岡山県の最上稲荷に家族で参拝に行った際、何か最上稲荷様に必要なお言葉を頂きたいと、帰り際におみくじを引きました。
その御神籤にあった文言の中で、「うん?」という箇所がありました。一言一句は忘れましたがこのようなものです。
「あなたが求めた最高のタイミングで思わぬ協力者があらわれるでしょう」
一体何のことか、誰か縁を拡げてくれるような人が出てくるのかな?とその時は思いましたが、今回、理屈ではない何かものすごく引っ張られるような感じで気付かせてもらいましたが、この協力者というのがどうも弁天様のような気がしたのです。
我が家では奇縁有りまして江戸時代の弁才天像を祀っています。(この弁才天像については過去ブログに纏めましたので、ご興味のある方は読んでみてください)
この宇賀弁才天像は2021年の春ごろに修理・開眼を終え現在に至りますが、この年変わった初夢を観ました。1月2日です。
それは始めて会うお坊様でした。白い山を歩くような着物姿でした。お坊さんは「おまえが何に守られているか教えてやろうか?」と言いました。私は「はい、お願いします」と答えると、「ここに来る前に既にすれ違っておるわ」と言いました。後ろを振り返るとそこには見上げるような大きさの宇賀神がいたというものです。

天河に行こうと決めたのは、これらの点と点が一つに結ばれたような気がしたからです。
朝早く家を出て、天河神社に到着したのは9時45分でした。天河神社は4回目のお参りです。その中には2回の御開帳がありました。4回目の参拝では、過去2回の御開帳の縁で頂いたお札が2枚ありましたので、これもお返ししてきました。
私は寺社参りの時は殆どお願い事をしたことがありません。しかし、今回はお願いに行って来ました。
参拝後、これも根拠は無くいきなり脳裏に浮かんだのですが、家で祀っている弁才天像の最初の持ち主は、どうもこの地域を中心に修行をしていた僧侶では?家に祀る弁才天像は天河と縁が深いのでは?と思うようになりました。
この日気付いたことは私の思い込みと言われればそれまでですが、いろいろな意味で衝撃的な1日となりました。
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休日はいつも家族と一緒が多いですが、今回は一人で休日を過ごすことになったのでどこに行こうかと思案しました。久しぶりに奈良に行くか、国立博物館が良いなと言う結論になりました。しかし、前日になり急遽予定を変更し、二日前まで頭に全く無かった天河弁才天へ参拝に行くことになりました。

そう至った理由はこのような理由があったからです。
①たまたま大峰山の蔵王権現曼荼羅の掛軸を目にすることがあった。(前回ブログ参照)
②たまたま立ち寄った本屋で蔵王権現の表紙の本を見つけた。
③真言宗のお坊さんの著書を読んでいた時に、弁才天の御利益についての記述があった。
この三つが切っ掛けで、決定打になったのは③の本を読んでいる最中に「奈良に行くなら天河だ。博物館じゃない」と頭の中に言葉がいきなり浮かんできたことでした。天河神社に行く気は全然無かったので決めた時は自分でも驚きました。
それと天河行きを決めたも理由はもう一つありました。おみくじです。2022年の秋頃、我が家とご縁をのあるお稲荷さんの大本の寺、岡山県の最上稲荷に家族で参拝に行った際、何か最上稲荷様に必要なお言葉を頂きたいと、帰り際におみくじを引きました。
その御神籤にあった文言の中で、「うん?」という箇所がありました。一言一句は忘れましたがこのようなものです。
「あなたが求めた最高のタイミングで思わぬ協力者があらわれるでしょう」
一体何のことか、誰か縁を拡げてくれるような人が出てくるのかな?とその時は思いましたが、今回、理屈ではない何かものすごく引っ張られるような感じで気付かせてもらいましたが、この協力者というのがどうも弁天様のような気がしたのです。
我が家では奇縁有りまして江戸時代の弁才天像を祀っています。(この弁才天像については過去ブログに纏めましたので、ご興味のある方は読んでみてください)
この宇賀弁才天像は2021年の春ごろに修理・開眼を終え現在に至りますが、この年変わった初夢を観ました。1月2日です。
それは始めて会うお坊様でした。白い山を歩くような着物姿でした。お坊さんは「おまえが何に守られているか教えてやろうか?」と言いました。私は「はい、お願いします」と答えると、「ここに来る前に既にすれ違っておるわ」と言いました。後ろを振り返るとそこには見上げるような大きさの宇賀神がいたというものです。

天河に行こうと決めたのは、これらの点と点が一つに結ばれたような気がしたからです。
朝早く家を出て、天河神社に到着したのは9時45分でした。天河神社は4回目のお参りです。その中には2回の御開帳がありました。4回目の参拝では、過去2回の御開帳の縁で頂いたお札が2枚ありましたので、これもお返ししてきました。
私は寺社参りの時は殆どお願い事をしたことがありません。しかし、今回はお願いに行って来ました。
参拝後、これも根拠は無くいきなり脳裏に浮かんだのですが、家で祀っている弁才天像の最初の持ち主は、どうもこの地域を中心に修行をしていた僧侶では?家に祀る弁才天像は天河と縁が深いのでは?と思うようになりました。
この日気付いたことは私の思い込みと言われればそれまでですが、いろいろな意味で衝撃的な1日となりました。
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2023-02-24
◆蔵王権現の掛軸
蔵王権現の曼荼羅図(掛軸)を見る機会があった。時代はそれほど古くはないと思います。

蔵王権現を中心に様々な仏様が画かれています。蔵王権現の正式名称委は「金剛蔵王権現」と言います。

下から見ますと向かって左が不動明王、右側が役行者です。前鬼と後鬼を引き連れています。
この曼荼羅図の本尊が、蔵王権現です。吉野の金峰山寺にある蔵王権現が有名ですね。

蔵王権現の周りには八大金剛童子という神様がいます。不動明王の御眷属にも八大童子という神々がいらっしゃいますが、それとは違うのかもしれません。
地図の上の方には地蔵菩薩と弁才天がいます。

吉野の弁才天と言えば、天河弁才天でしょう。
吉野には2,3回お参りに出かけたことがありますが、地蔵菩薩は気付かなかったです。どこかにあるのかと調べてみたら、役行者の伝説が残る地蔵菩薩像が出てきました。
その来歴が分かりました。現在は金剛寺にて管理されているようです。
その音大峰山を開かれた「役(えん)の行者」が、ご自分で彫刻された地蔵菩薩像を大峰山から投げられ、神之谷に落ちたものを地元住民が有難く感じ、役の行者を讃えて大切におまつりしてきたと伝えています。また、和泉流狂言の「川上」に、日の見えない者が川上の地蔵に詣でて目が見えるようになった語りがあり、壷阪霊現記の「お里沢市」の元の話として、『川上地蔵』の名で親しまれてきたお地蔵様でもあります。
・・・というものです。興味深い来歴です。役行者が自分で彫り終えた地蔵菩薩像を山の上から投げ捨てた(!)というのです。自分でお参りするために彫っていた地蔵菩薩を「これではない」ということで投げ捨てたということでしょうか。
役行者を調べると、蔵王権現を祀る様になった経緯についての昔話が出てきます。
大峰山上ヶ岳の山頂にある大岩に座した役行者。地上強調文で苦しむ人々の災いをとり省くには、一体どの仏を祈れば良いのか?
そう強く念じながら、孔雀明王経や不動明王経を一心に唱えていた所、最初に呼応して出てきたのが弁才天でした。しかし、役行者がイメージしたのは破邪の神だったので、弁才天ではあまりにも優美過ぎました。
もっと違う仏をと願ったいたら、次に出てきたのが地蔵菩薩でした。しかし、それも役行者のイメージした仏様ではなかったそうです。そして最後に出てきたのが荒ぶる姿の蔵王権現だったというものです。
前述の地蔵菩薩像を山から捨てたという珍しい来歴は、多分この時の昔話が出処になっているのではと思います。掛軸の上部に画かれた地蔵菩薩と弁才天も納得です。
ただ、色々と調べてみると書籍によって蔵王権現感得に至る話は違うパターンがあり、出現する仏様が違う場合があります。弁才天の代わりに釈迦如来、地蔵菩薩の代わりに千手観音が出現したという話もありました。
どっちが正しいかというのを調べても、もう結論は出ないでしょうが、蔵王権現を祀る吉野方面には有名な弁才天社もありますので、個人的には弁財天と地蔵菩薩が現れる話のが、より古い話なのかなと思います。
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参考文献
修験道の本 学研
山伏・修験道の本尊 蔵王権現入門 総本山金峰山寺 国書刊行会

蔵王権現を中心に様々な仏様が画かれています。蔵王権現の正式名称委は「金剛蔵王権現」と言います。

下から見ますと向かって左が不動明王、右側が役行者です。前鬼と後鬼を引き連れています。
この曼荼羅図の本尊が、蔵王権現です。吉野の金峰山寺にある蔵王権現が有名ですね。

蔵王権現の周りには八大金剛童子という神様がいます。不動明王の御眷属にも八大童子という神々がいらっしゃいますが、それとは違うのかもしれません。
地図の上の方には地蔵菩薩と弁才天がいます。

吉野の弁才天と言えば、天河弁才天でしょう。
吉野には2,3回お参りに出かけたことがありますが、地蔵菩薩は気付かなかったです。どこかにあるのかと調べてみたら、役行者の伝説が残る地蔵菩薩像が出てきました。
その来歴が分かりました。現在は金剛寺にて管理されているようです。
その音大峰山を開かれた「役(えん)の行者」が、ご自分で彫刻された地蔵菩薩像を大峰山から投げられ、神之谷に落ちたものを地元住民が有難く感じ、役の行者を讃えて大切におまつりしてきたと伝えています。また、和泉流狂言の「川上」に、日の見えない者が川上の地蔵に詣でて目が見えるようになった語りがあり、壷阪霊現記の「お里沢市」の元の話として、『川上地蔵』の名で親しまれてきたお地蔵様でもあります。
・・・というものです。興味深い来歴です。役行者が自分で彫り終えた地蔵菩薩像を山の上から投げ捨てた(!)というのです。自分でお参りするために彫っていた地蔵菩薩を「これではない」ということで投げ捨てたということでしょうか。
役行者を調べると、蔵王権現を祀る様になった経緯についての昔話が出てきます。
大峰山上ヶ岳の山頂にある大岩に座した役行者。地上強調文で苦しむ人々の災いをとり省くには、一体どの仏を祈れば良いのか?
そう強く念じながら、孔雀明王経や不動明王経を一心に唱えていた所、最初に呼応して出てきたのが弁才天でした。しかし、役行者がイメージしたのは破邪の神だったので、弁才天ではあまりにも優美過ぎました。
もっと違う仏をと願ったいたら、次に出てきたのが地蔵菩薩でした。しかし、それも役行者のイメージした仏様ではなかったそうです。そして最後に出てきたのが荒ぶる姿の蔵王権現だったというものです。
前述の地蔵菩薩像を山から捨てたという珍しい来歴は、多分この時の昔話が出処になっているのではと思います。掛軸の上部に画かれた地蔵菩薩と弁才天も納得です。
ただ、色々と調べてみると書籍によって蔵王権現感得に至る話は違うパターンがあり、出現する仏様が違う場合があります。弁才天の代わりに釈迦如来、地蔵菩薩の代わりに千手観音が出現したという話もありました。
どっちが正しいかというのを調べても、もう結論は出ないでしょうが、蔵王権現を祀る吉野方面には有名な弁才天社もありますので、個人的には弁財天と地蔵菩薩が現れる話のが、より古い話なのかなと思います。
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参考文献
修験道の本 学研
山伏・修験道の本尊 蔵王権現入門 総本山金峰山寺 国書刊行会
2023-01-28
◆壁紙張替え
店舗兼自宅の壁紙を貼替ました。天井と壁です。
はっきり覚えてはないですが、築30数年目にして行いました。元々白色の壁紙でしたが経年劣化で汚れが目立ち始め、なかなか手を入れることもなく現在に至った訳ですが、ようやく決心し着工と相成りました。
画像だと分かり難いですが、色は白色から土壁っぽい渋めの色になりました。

最初は「洗面所の壁紙が汚れてきているし、洗面台も古くなってきたので思いきって換えるか」と始まったリフォームでしたが、一箇所新しくなると、他との違いが明確になります。築年数で考えても、どの壁、どの天井も同じように劣化しているということで、結果的に家中の壁と天井を貼替ました。
何故もっと早くやらなかったのかと思う位見た目が変わりました。業者の方には感謝です。
施工が全て終わって数日後、気付いたことがありました。
家の中の見た目は勿論ですが、雰囲気が変わりました。きりっとしたというか、清々しい感じになりました。
これ思うに、一つの家という空間に30年以上人が生活していると、家の壁や天井には汚れと一緒に住んでいる人の想いというか、念のようなものが付着していたのではと思いました。貼替したことでそういうものが無くなったから、見た目以上に綺麗になったのでしょう。
家の中に住む人がいた時間に比例し、その人の感情、楽しいこと、辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、様々な喜怒哀楽の感情が家の中には籠るはずです。

無論、掃除や換気をまめにしたりすれば、それなりに改善はするでしょうが、目に見えぬ想いの念、特に怒りや悲しみ、苦しみが多いとそういう念は壁や天井にべったりはり着くように思います。
そう考えないと、これほどはっきりと雰囲気が変わる説明が出来ないです。
中々内装に手を入れると言うのは気軽には出来ませんが、見た目以上に家の中の気が変わると思うので、年数の経った家はやる価値はあるなと思います。
それと住む人の考え方が、結果的に家の中を楽しい空間にしたり、居心地の悪い空間にしたりすると思います。普段、誰も見ていない時の自分の考え方、習慣は大切ですね。綺麗になった家の中を見て、つくづくそう思いました。
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はっきり覚えてはないですが、築30数年目にして行いました。元々白色の壁紙でしたが経年劣化で汚れが目立ち始め、なかなか手を入れることもなく現在に至った訳ですが、ようやく決心し着工と相成りました。
画像だと分かり難いですが、色は白色から土壁っぽい渋めの色になりました。

最初は「洗面所の壁紙が汚れてきているし、洗面台も古くなってきたので思いきって換えるか」と始まったリフォームでしたが、一箇所新しくなると、他との違いが明確になります。築年数で考えても、どの壁、どの天井も同じように劣化しているということで、結果的に家中の壁と天井を貼替ました。
何故もっと早くやらなかったのかと思う位見た目が変わりました。業者の方には感謝です。
施工が全て終わって数日後、気付いたことがありました。
家の中の見た目は勿論ですが、雰囲気が変わりました。きりっとしたというか、清々しい感じになりました。
これ思うに、一つの家という空間に30年以上人が生活していると、家の壁や天井には汚れと一緒に住んでいる人の想いというか、念のようなものが付着していたのではと思いました。貼替したことでそういうものが無くなったから、見た目以上に綺麗になったのでしょう。
家の中に住む人がいた時間に比例し、その人の感情、楽しいこと、辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、様々な喜怒哀楽の感情が家の中には籠るはずです。

無論、掃除や換気をまめにしたりすれば、それなりに改善はするでしょうが、目に見えぬ想いの念、特に怒りや悲しみ、苦しみが多いとそういう念は壁や天井にべったりはり着くように思います。
そう考えないと、これほどはっきりと雰囲気が変わる説明が出来ないです。
中々内装に手を入れると言うのは気軽には出来ませんが、見た目以上に家の中の気が変わると思うので、年数の経った家はやる価値はあるなと思います。
それと住む人の考え方が、結果的に家の中を楽しい空間にしたり、居心地の悪い空間にしたりすると思います。普段、誰も見ていない時の自分の考え方、習慣は大切ですね。綺麗になった家の中を見て、つくづくそう思いました。
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